団体交渉から言葉が始まるとすれば

はじめまして。ユニオンぼちぼちのポストモダンとフルートとひょっとこ担当のヒナコです。主にひょっとこを担当しておりますので、ひょっとこ関連のことを、これから書かせていただこうと思っています。

(嘘です。)

働いていると—日常生活を送っているだけでも、しばしば、誰かからの心ない発言に傷つけられることがありますよね。
あたしはひょっとこでありトランスジェンダーなので(後者が嘘で前者が本当のアイデンティティです)、

(嘘です。)

働いて何回かトランスフォビア/ホモフォビアを直接発せられることを経験させられたことがあります。例えば、同僚の若い男性が一言も雑談してくれないなあと思っていたら、別の同僚から「あいつ、お前に襲われるかもしれないって言ってたけど、お前なんかやったの?」と彼があたしを避ける理由をそれとなく教えられたことがあります。同性愛者は常に性的対象の身体に対する侵害を狙っている—男性同性愛者から男性の異性愛者は肛門を守らなければならない!なんともがっかりするような、3流コント番組のワンシーンのようなおきまりの恐怖感を彼は再演した訳です。

(嘘であればよいのだけれど…)

彼の恐怖にどう向き合うべきか、もしくは向き合わないべきかはさておき、あたしはこのように言えば、もしかするとそれほど傷つかなかったのかもしれません。

「お尻の操を心配しているようやけど、そもそもあたし、レズビアンやから、君に関心あんまりないんよね。それに、あたし、どちらかといえばネコやし、っていうより、マゾやし、つまり君の粘膜とあたしの生殖器が結合する必然性って、一年以内に巨大隕石が地球に衝突する確率より低いと思うんよねぇ。だから、そんな心配をするくらいなら、望遠鏡を君の直腸までぶち込んで、今日も隕石が我らが水の惑星に襲いかかってこないようにお祈りししている方がいいと思うの。」

(8割は嘘です。)

なんてセリフを、それこそ喜劇役者のおどけた身振りをつけて。

エスパー以外の人間は、自分に降りかかる言葉がなんであるか、言葉を贈られる前に把握することはできません。だから、言葉は時に、予想もしない—あるいは、予想通りの—凄惨な贈り物になります。自宅にウンコ入りのタッパーが贈られてくるかもしれない危険から、誰もが自由ではありません。

(本当にならない方がいいのだけれど…)

しかしながら、どれほど贈られる言葉が有害であろうと、言葉が人を傷つけるのは、言葉が時に有害大腸菌の塊にも、ミストレスからのご褒美にもなるという言葉の性質のせいではないかも知れません。贈られた言葉を贈り返せないことが、言葉を返すことが禁止されている場合が、言葉を言い返す機会が失われていることが、自分を弁解する審級がどこにも存在しないことが、人を絶望に陥れるような気がします。

鈴木雅之だって「違う違う、そうじゃそうじゃない」って言えるのに、あなたが働いてる時にそう言えるのは仕事終わりの懇親会の席でカラオケボックスで鈴木雅之を歌う時しかないとしたら、ヒットチャートは鈴木雅之が独占するんじゃない?
だから、ユニオンぼちぼちの団体交渉では必ず鈴木雅之の曲の合唱をするようにしているの。

(嘘です。)

どれだけ言葉が残虐でも、人類は惑星探査機ボイジャーに宇宙人宛のメッセージを積み込んでまで、まだ見ぬ誰かに語りかけたように、誰かかの返答をどうしても望んでしまうのが人類の性なのだから、誰かから言われた言葉をその誰かに返すことだって、そんなに悪くないのかも。どんな人だって贈り物を返してもらうために贈り物をしているのだろうし。
直腸を探検した人口探査機がいつか巡り巡って子宮に着床するはずがないって誰が決めたの?最初は不幸な贈り物の連鎖からしか始まらないとしても、言葉はいつか宇宙人にも届くのかも。

このブログを通じて、あなたが「違う違う、そうじゃそうじゃないない」と言ってくれるとすれば、ウンコの詰まったタッパーがどんな黄金よりも人間らしい贈り物になるかもしれないでしょ!

(これだけは本当です。)

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