お茶汲み係

冷たい雨の日と会議の日が重なってしまった、そんな昨日でした。

ユニオンぼちぼちでは会議を始める時、まず最初に役割を決めることにしています。例えば、会議の進行役とか議事録を取る人とか、まあそんな色々をなるべく誰か固定の人の負担にならないように会議ごとに割り振るようにしているのです。その中でひときわ輝きを放つ芳しい役回りあります。それが「お茶」。そう、コピー取りと双璧をなすOLの労働の代名詞、お茶汲みです。

 

ユニオンぼちぼちではお茶汲みを平等に男性にもやってもらうんだぞ!えっへん!

なんて自慢をしたいのではないのです。そんなことは当たり前のことですから。そんなことは正しすぎるくらい正しいことですから。

 

僕たちはフェミニズムについて知っているんだ!だから、お茶汲みがジェンダー化された仕事だということも自覚しているし、お茶汲みはその他の仕事よりも価値が低いとされてきたことも知っているんだ。だから、女性がお茶を淹れる技術をどれだけ積み上げて卓越しても彼女の地位が上がらなかったのも十分に反省しているし、自分たちがそんな不正義を再生産しないためにお茶汲みを男性も女性もやるようにしているんだ!それ以外にも、クリスチャンディオールの”we should be feminist”ってプリントされたTシャツをもちろんきているし、川久保玲のジェンダーセンシティブなデザインについても評価しているよ。それにミスコンは女性差別的だと思っているし、森鴎外の『舞姫』を日本文学の正典に入れるこもには反対しているんだ。だって、ほとんどの文学は女性をまるでモノみたいに扱っているじゃない。僕たちは信じているんだ。「男も女もフェミニストでなきゃね」ってね!

なんて、誰にとっても疑いようもない正しさを、したり顔でネチネチと講釈を垂れてくる人間を想像してみて下さい。心の中であなたはその聖人を見つめてこう思うことでしょう。確かに正しゅうございますよと。安堵と辟易した気持ちをないまぜにしながら、その人間がどんな後ろ暗い家父長的な歴史からやってきたのかあなたが不安になるのも必定というものです。

何に対する不安かって?もちろん、あたしたちの歴史における家父長制の盤石さに対するそれにでしょうけど。

前置きを長々とお話ししてしまいましたが、だからそんな正しい以外に何も生み出さないようなことは、何も言わずに当たり前に分担しているのです。

 

昨日のお茶は緑茶と烏龍茶でした。

お茶というのはとても繊細な飲み物のようで、お湯の温度や抽出時間を変えるだけでガラッと味が変わるようです。同じ茶葉でも淹れる人が変われば野太い強い香りのお茶にもなり、柔らかい香りのお茶にもなるようです。それぞれの違った資質が別の人の生活を支えるために支払われ、それらが相互的に交換される。お茶汲みを違った人が持ち回るだけでも、それぞれの微妙な感性や資質の違いを共有化することができるように思います。

時に甘く、時に苦く、時に水っぽくて、時に強すぎるような、そんな過剰とも過少とも思えるそれぞれの偶発的な能力を会議ごとに交換できるのは、あたしには幸せに思える出来事であるのです。

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