悪性新生物より

どうもこんにちは。悪性新生物です。

メーデーや立命館大学や団体交渉の話題をぶったぎるかのようにダラダラと書きます。毒が脳みそに入り込んでしまって、察するとか、空気を読むとか、そういったどうでもいいことができなくなりました。

「おめでとうございます。3cmの元気な悪性新生物です。ほら、ここに写っている真っ黒いのがそれです。とても元気にすくすく育っていますよ。順調ですね」なんてことは言われてないのですが、いま思い返すと、そう言われたような、言われてないような。(※言われてません)

今年の3月と4月はマジヤバイぐらい体がしんどくて、たぶんきっと絶対メーデーにも行けないので残念です。あのダラダラグダグダした感じのメーデーというかピクニックを、実は毎年楽しみにしているのです。当たり前に健康で、当たり前に外に出られる、当たり前に元気な人にはぜひとも行ってみてほしいなぁなんて思います。

あなたの体内には悪性新生物が宿っています、と告知されたときは、あぁやっぱりなぁと不思議な感覚がしたぐらいで、まさかこんなにもしんどい治療だとは思っていませんでした。

自分の体が、自分の脳みその指示通りに動かない、当たり前にできていたことが、できなくなる、当たり前が当たり前でなくなる、普通が異常に見える、そんな日々を送ることになるとは、なんとなく予想はしていたけれど、予想はあくまでも予想で、現実とは大きく違いました。

同じ病気の人たちのブログなどを読んでみても、そこには前向きな、キャピキャピキラキラしたことばかり書かれている場合が多く、私にとっては違和感だらけでした。

苦しいなら苦しい、辛いなら辛い、しんどいならしんどいと声を大にして言えばいいのに、常に明るく前向きでいるべきとか、周りを心配させないように常に笑顔でいるべきとか、一人でこっそり涙を流すべきとか、周りに常に感謝すべきとか、病気でも働いて社会に貢献すべきとか、そんな「べきべき病」が蔓延しているのだなぁ、と私は思いました。

なぜ悪性新生物になってまで、察するとか、空気を読むとか、そんなくだらないどうでもいいことをしなければならないのか。悪性新生物はこうあるべき、こう生きるべき、そんなこと、一体誰が決めたのでしょうか。

私の友達も、私の知り合いも、私の家族も、私の親戚も、同じ病気だったけど、今はピンピン元気!だからあなたも大丈夫!

と、何回も言われました。何を根拠に大丈夫だと判断できるのか理解に苦しみますが、今は右から左に華麗にスルーできるようになってきました。私はこれを言われるのがとてもとてもとってもイヤで、ぼちぼちの事務所にふらぁ~っと行くときも、真夏なのにニット帽をかぶってマスクした変な人、のまま特に何も言いませんでした。

本当は、なぜそんなことを言ってくるのか、わかっているのです。悪性新生物=死、だと思って、それしか言えないのだろうと。治るよ!とも言えないし、かといって死なないで!とも言えないし、もうなんて言ったらいいのだろう…あ、私が知ってる○○さんも~となるわけです。わかっているのです。わかっているけど、もう聞きあきてしまいました。

悪性新生物だからって、上から目線で偉そうに!と思われるかも知れませんが、私は実際上から目線で偉そうで性格が悪いので、当たってます。悪性新生物のせいでも、毒のせいでもありません。元からです。

せっかく悪性新生物になったのだから、これからはやりたいことだけやって、やりたくないことはやらない、基本毎日ダラダラゴロゴロする、と決めました。世間が決め付ける悪性新生物のキャピキャピキラキラした生き方とはかけ離れたものでしょう。それでいいのです。私は私なのだから。

こんなことをメーデーというかピクニックで話したいのに、行けないのでここで書きました。これからも空気を読まず、つらつらと書いていきたいと思います。

ちなみに悪性新生物という言葉、まるで宇宙人のようで気に入っています。

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