英国Independent紙 2001年4月17日

ジャーナリストがイスラエルについて

真実を語ろうとしないとき。

「『反ユダヤ主義者』と中傷されるのを恐れることは、中東で繰り広げられている非道を煽動することを意味する」

ロバート・フィスク

アパルトヘイト政権時代、南アフリカの人口の多数を占めていた黒人に対するアパルトヘイト政策を私たちが支持していたらどうなっていただろうか?南アフリカの白人政治家を、人種差別主義者ではなく「強硬派の戦士」と賞賛していたとしたら?シャープヴィルで56人の黒人デモ隊に対して南アフリカ警官隊が発砲した際、これが妥当な「治安上の鎮圧措置」であると説明していたら?また、銃撃を受けた黒人の子供は親の意志で犠牲にされたのだと報道していたら?そして、「テロリスト」であるANC(アフリカ国民会議)指導者に「自らの民衆を統率するべきだ」と訴えていたとしたら。

残念ながら、イスラエルとパレスチナの戦争を取り上げるとき、私たちは連日のようにこのような報道を繰り返しているのである。イスラエル軍によって何人の青年が射殺されようが、双方による殺戮が幾度繰り返されようが、イスラエルの首相がいかに血なまぐさい経歴の持ち主であろうが、私たちはこの惨たらしい紛争について、南アフリカの例でいえば黒人側ではなく、白人勢力を支持するような報道のしかたをしているのである。確かに、イスラエルは南アフリカではないし(イスラエルはアパルトヘイト政権を進んで支持していたものの)、パレスチナ人は貧しい黒人居住区の黒人ではない。しかし、ガザ地区とヨハネスブルクの黒人スラムとの間に大した差はない。そして、占領地におけるイスラエル軍のやりかたと、南アフリカ警官隊の振る舞いとの間にも大きな違いはない。

アパルトヘイト政権下でも現在のイスラエルのような殺人部隊が存在したが、彼らでさえガンシップ・ヘリやミサイルまでは使っていない。第二次大戦以来、パレスチナ人ほど繰り返し卑しめられてきた民族は極めて珍しい。そして、イスラエル人ほど幾度もその所行を大目に見てもらい、各国が懐柔してきた民族もまたまれである。各国のイスラエル大使館は、イスラエルの首相を「強硬派」と呼ぶのは公平ではないと主張し、世界中の編集者の説得にかかっている。報道記者もまたそれに従っているのである。シャロンはプラグマティスト(現実主義者)に転向し、第二のドゴールになるかもしれない、というのである。彼は実際には、フランスが担ぎ出したアルジェリアの粗暴な将軍らの方に近い。アルジェリアでも拷問や、対抗するアラブ勢力の虐殺が行われたのである。

シャロンの経歴が平和とはかけ離れたものだということを指摘するには、ハアレッツ紙のネヘミア・ストラスラーのようなイスラエル人記者の発言を待たなければならなかった。シャロンは1979年にはエジプトとの平和条約に反対票を投じ、1985年には南レバノンからの撤退についても反対票を投じている。1991年にはマドリードの平和会議へのイスラエルの参加に反対。1993年のオスロ合意に関するクネセット(イスラエル国会)の全会投票に反対し、1994年行われたヨルダンとの平和条約の投票では棄権している。1997年のヘブロン合意にも反対票を投じたうえに、2000年にはイスラエルのレバノンからの撤退のしかたを批判し、現在は国際法に完全に抵触したかたちで、前任者よりも速いペースで占領したアラブ領地にユダヤ人入植地の建設を進めているのである。

それでも「パーキンソン病が忍び寄る、腐敗した」ヤセル・アラファトがこの戦争の責任者だということを信じろというのである。自らの民衆がイスラエル指導部によって犬畜生扱いされるなかで、アラファトは「自らの民衆を『統率』していない」とブッシュに叱責される。元イスラエル軍参謀長のラファエル・エイタンは、よくパレスチナ人を「ビンの中のゴキブリ」と呼んでいた。メナヘム・ベギンは彼らのことを「二本足の野獣」と呼び、シャス党の宗教的指導者であるオベイダ・ユーセフ・ラビは「アラブ人は蛇」であると発言している。昨年8月、エフード・バラクは彼らを「ワニ」と呼び、つい先月、イスラエル観光相レハベム・ゼエビはアラファトのことを「サソリ」と呼んでいる。南アフリカの政権でさえ、黒人にこのようなひどい呼び方をしていない。そしてこれを指摘する外交官やジャーナリストには災いが降りかかろうぞ、というのである。

さきごろ、パリのサイモン・ウィーゼンタール・センターは、スウェーデン人のEU議長が「ユダヤ人に対する暴力を促した」としてやり玉に挙げた。イスラエルによる「テロリストの排除」を非難することは、「第二次大戦中『アウシュヴィッツに通じる鉄道網を爆撃することは、ドイツ人の反ユダヤ的感情をあおることになる』という連合軍側の議論を思い出させるものだ」と同センターはスウェーデン首相に宛てた手紙で述べている。これは「ホロコースト生存者の国家に対する(スウェーデンによる)一方的な攻撃」に他ならないというのである。では、スウェーデンの議長はいったい何と発言したのだろうか?彼女は「排除というやり方は平和解決の障害となり、新たな暴力を誘発する可能性がある」という勇気ある発言をしたに過ぎない。殺人部隊については触れてもいないのである。

今年の2月、ニューズウィーク誌の表紙を、いかさまとしかいいようのない光景が飾った。そこには「グローバル化するテロ − 独占取材:ビンラディンの国際的ネットワーク」という大見出しの下に、アラブ式のスカーフで顔を隠し、右手にライフル銃を持った男の恐ろしい写真(肩から上)が掲載されていた。読者はこの人物がオサマ・ビンラディンの「グローバル・テロ」ネットワークの一員だと考えるだろうが、私はこの写真を撮影したフィンランド人のカメラマンを突き止めることができた。この写真はヨルダン川西岸地区で行われた葬式の現場で撮影したもので、この人物はビンラディンとはまったく関係のない、パレスチナ人タンジム民兵の武装メンバーだったのである。タンジムも充分に暴力的な集団ではあるが、この表紙は、パレスチナ人全体をアフリカのアメリカ大使館爆破事件の首謀者と目される人物に関連づけることで、すべてのパレスチナ人の名誉を傷つけたのである。

勇気あるかのアメリカ人ライター チャーリー・リースが定例のコラムで述べているように、イスラエルは「征服し得ない敵を作り出してしまった」のである。パレスチナ人はあまりにも徹底的な弾圧を受け、ぎりぎりまで追いつめられ、辱められてきたために、もはや失うものがない。そして私たちもこれに荷担しているのである。私たちの臆病、私たちが真実を語ろうとしないこと、そして「反ユダヤ主義者」と中傷されること − ジャーナリストにとって最も忌まわしい中傷 − への恐れ。これは、中東で繰り広げられる非道を私たちが助け、煽動していることを意味している。アパルトヘイト時代の新聞の切り抜きを引っ張り出して、人に名誉というものが残されていた時代を振り返るべきなのかもしれない。

訳:石畠弘