チョムスキーとのインタビュー
ポルト・アレグレへ向けて
2002年1月
(http://www.zmag.org/chomskypa.htm)
ポルト・アレグレでの第2回世界社会フォーラム(2002年1月31日〜2月4日)開催前の1週間における
(主としてラテンアメリカでの)Eメールやラジオや雑誌のインタビューから編集
Q:あなたは何故「世界社会フォーラム(The World Social Forum: WSF)」への参加を決意されたのですか?
世界社会フォーラムをどのように考えていますか?
A:二つの会議がほぼ同じ時期に開催されようとしています。一つは「ダボス会議」[世界経済フォーラム:
The World Economic Forum, WEF]であり、世界の指導的ビジネス雑誌であるロンドンの『ファイナンシャル・タイムズ』誌が一年前の会合の時に用いた言葉を使えば「全人類の支配者達 (the masters of the universe)」が集う会議です。その言葉はおそらく多少皮肉を込めて使われていたのですが、かなり正確な表現です。もう一つの会議はポルト・アレグレでの「世界社会フォーラム」であり、世界中の市民組識の代表者達が集まります。世界が必要としているものに関する彼らの構想は「支配者達」の構想とはかなり異なっています。
どちらのグループも、もちろん、一般投票で選出されたわけではありません。このことは支配者達とその追従者達によって絶えず世界社会フォーラムに対して向けられた非難の言葉なのですが、明らかにダボスに集う者達に遥かに当てはまる非難です。事実、そこで議論となる問題に対して、そもそも「選出された諸政府」が存在すると語るのは一つの考え違いでしょう。その理由は、それらの問題が、例えば米国のような最も自由で民主主義的な社会の中でさえ、一般住民から隠されているからなのです。
世論調査は、一般住民がそれらの問題に大変関心を持っており、法人部門や政府やイデオロギー組織によってほぼ満場一致で支持されている支配者達の諸政策に大きく反対していることを明らかにしています。メディアは一般住民の反対を十分承知しています。例えば『ウォール・ストリート・ジャーナル』は自由貿易協定と誤ったレッテルを貼られた協定の反対者達が 一般住民という「究極の武器」を持っていると無念そうに述べています。そのため協定は秘密裏に行なわれなければならないのです。同様の理由で、それらの問題は政治の領域では議論されていません。しかしWSF世界社会フォーラムが、市民組識や労働組合や農民組織や独立系メディアや他の手段を通して情報を得るようになった、全世界の人民の側のかなり広域にわたる集団を代表していると考えることは妥当なのです。
そこであなたの質問に答えれば、私はそこに参加する機会を得たことを嬉しく思っているのです。
私がWSFをどのように考えているかに関してはお答えすれば、私の意見では、公正な未来への希望は実質的にポルト・アレグレに集う人々やそれに類する人々の手の中にある、となります。
Q: ポルト・アレグレ・フォーラムはそれが反ダボス会合であると語るのを好んでいます。あなたは問題が全てこの対立であると考えてはいませんか?いわゆる「唯一の思案(unique thought)」への闘争の方法は「それに対抗する思案 (opposed unique thought)」を提案することなのでしょうか?ポルト・アレグレ・フォーラムが要求していること(負債の免除や農業の保護主義的政策の削減やその他の問題)が低開発 (underdevelopment) を終わらせるのに十分であるとあなたは本当に考えているのでしょうか?
A:ポルト・アレグレ・フォーラムが「反ダボス」であると表現することは、ダボスが何らかの方法で自明で合法的であること、そしてダボスが代表しているものへの一般住民の抵抗が何らかの特別な正当化を必要とすることを前提としています。もし人がこの問題をそのような用語で組み立てることを選択するならば(私はそうはしませんが)、ダボスが「反ポルト・アレグレ」であると言う方がより合理的でしょうし、何故ダボスの会合がそもそも開催する権利を持っているのかと問うことがより合理的でしょう。
ダボスは国際的ビジネス新聞が多少の皮肉を込めて「全人類の支配者達」と呼んでいる人々の会合です。
ポルト・アレグレは社会が組織化されるべき方法についての見解が「支配者達」のそれとは異なった意見を持つ世界中の市民組識の会合です。
このような対立は歴史の主要な主題になっています。そして幸運なことに、民衆勢力は数世紀にわたって、ダボスに集まる人々のような非合法的で説明責任を負わない権力の中枢を打ち負かしつつ、多くの勝利を得てきました。ダボスの参加者達はもちろん民主的に選出された諸政府を代表していることを装っています。しかしそれはまったく見え透いた戯言ですので我々がそれについて時間の無駄をする必要が無いと私は考えます。特に新自由主義的グローバリゼーションに関してはなおさらです。
WSFに集う人々の計画案がグローバル社会の深刻な問題に対して(「低開発」はその中の一つの問題ですが)有意義な成果をあげる事が出来るかどうかは、ご質問の中の「その他の問題」という言葉に何が含まれるかに懸かっています。あなたが言及した「負債の免除」と「農業の保護主義的政策の削減」という二つの例は重要ではありますが、WSFはその二つを越えて進まなければならないことは明らかです。
Q: あなたはこの運動を左翼的・自由主義的・進歩的勢力の新しい種類の「インターナショナル」と見なしていますか?その意味で、それは綱領を持つべきなのでしょうか?
A:左翼の伝統的な目標は、その近代の始まり以来ずっと、世界の大多数の住民が参加することを基盤にして、ある形式のグローバル化をもたらすことでした。そしてそれは当然その人達の利益や関心に答えるものです。このような問題は多様で複雑であり、しばしば不明瞭です。それ故、創造的・実験的な精神で探求されるべき事柄です。一言でいうなら「インターナショナル」なのです。19世紀からその準備的努力がありましたが、野蛮な国家権力や他の要因によって中絶されるか歪曲されてきました。
WSFは底辺からのそのようなグローバル化の初めての有意義な表明になる見込みを持っています。それは大変歓迎すべき展望ですし、大きな見込みを伴っています。「綱領」に関して言えば、ある程度の理解や展望が共有されています[訳注:例えば、2001年の第一回の会合の記録及び宣言が出版されている:F.
Houtart & F. Polet, The Other Davos:
The Globalization of Resistance to the World Economic System. London: Zed
Books, 2001. なお、これには邦訳が出版されている:三輪昌男(訳)『別のダボス:新自由主義グローバル化との闘い』つげ書房新社、2002年]。様々な計画が前段階の会合の中で考案されていますし、協同的行動をもたらしています。綱領がどの程度特定であるべきかに関してはあなたの最初の質問[WSFは新しい「インターナショナル」なのか?]へと導きますね。
Q: 何故支配的権力はWSFやこの種の運動に懸念を示さねばならないのでしょうか?それは金融企業や多国籍企業の権力に挑戦する現実的機会を持っているのでしょうか?
A:支配的権力、概して「全人類の支配者達」はWSFやそれが代表する勢力、そして彼らが「反グローバリゼーション運動」と呼ぶものについて大きな懸念を抱いています。「反グローバリゼーション運動」という言葉はプロパガンダ用語であり、我々が避けるべき表現です。彼らの懸念こそがそれらの運動を非難する論文の絶え間ない大合唱が存在する理由なのです。それはまた国際経済協定が大部分秘密裏に交渉され、その詳細がほとんど報告されない理由でもあるのです。
作年(2001年)4月の米州諸国が集ったケベック・サミットを実例として考えてみましょう。それは「米州自由貿易圏(FTAA)」に署名することになっていました。我々は世論調査からそれらの問題が国民にとって重大な関心事であることが分かっています。しかしそれらの問題や次のサミットやFTAAの問題は2000年11月の大統領選では注意深く[争点から]外されていました。また国民はメディアからの事前の情報を事実上何も受け取っていなかったのです。
そのサミットの時には、報道は大部分無意味な内容のものでした。その中身は大部分混乱に終始し、ケベックに集まった指導者達による民主主義と「透明性」への熱烈な支持への多大な賞賛が伴っていました。それらの高い理想への彼らの具体的行動はそれらの問題を隠蔽していることによって示されているだけではなく、新たなFTAAの模範として認識されていた、NAFTA[North American Free Trade Agreement:北米自由貿易協定]の[一般住民への]様々な影響についての優れた人権団体や経済分析機関による主要な研究を情報統制したことによっても示されているのです。それらの研究はサミットの時期に合わせて公開され、米国のあらゆるニュースデスクにその研究書が配布されていたのです。この事態は報道をチェックする有用な機会です(心配には及びません。調査は行われ、事実上全く報道されなかったことが判明しています)。この沈黙と秘密主義は全く道理に適っています。権力組識の中枢は脆弱なものであり、そうであることを知っているのです。そして彼らは「究極の武器」(一般住民)が鞘から抜かれることのないようにあらゆる努力を傾けなければならないのです。
Q: 世界社会フォーラムはこの平和的な世界への希望に対してどのような貢献をすることが出来るのでしょうか?
A: 最近になって米国の諜報機関は来るべき時代に対する計画を公表しました。彼らは「グローバリゼーション」(この場合、権力の中枢によって賛同されている特定の形式の新自由主義的経済統合を意味します)が続くならば、不平等の増加と金融の不安定の増大(従ってより緩慢な成長と危険な混沌)をもたらすことになると予測しています。5年前に、米国宇宙司令部(the US Space Command)は、(その小部門として「ミサイル防衛」を含む)宇宙の軍事化計画を担当しているのですが、その諸計画への公的正当化を発表しました。その主要な懸念の一つは、「持つ者」と「持たざる者」との間の分裂の増大であったのです。彼らもまた投資家の権利を強調する「グローバリゼーション」の結果がその事態をもたらすことを予測していたのです。当然のことですが、彼らは、「グローバリゼーション」の結果が世界中で増大する貧困化した人々の間で大混乱をもたらし、それらの人々が力によって統制されなければならなくなる、と考えています。 従って宇宙を軍事化する必要性が、宇宙から発射されるおそらく原子力を利用した莫大な破壊的兵器を、米国が装備する必要性が生ずるのです。犠牲者達への恐ろしい結果は別にしても、力による統制が「グローバリゼーション」がもたらした大惨事に対する処方箋でもあるのです。
そのような背景を考慮すれば、世界社会フォーラムの平和に満ちた世界への潜在的貢献はまったく明らかになります。
WSFはそれらの危険で極めて威嚇的な趨勢を方向転換させるために努力している世界中の人々の会合であり、その中核的問題に、すなわち、そのような不吉な結果をもたらすことをその設計者達によって期待されている新自由主義的グローバリゼーションのプロセスに、焦点を絞っているのです。WSFの参加者達は基本的に諜報機関や軍事立案者達の予測と意見が一致しています。しかし彼らは、権力の中枢を代表しているのではなく、人民を代表しており、従って、異なった懸念を抱いているのです。彼らの関心とは人類の健全な方法での生存であり、体制側の設計者達が期待しているような、権力の集中化の増大やそれがもたらすあらゆる利益ではないのです。
あなたの質問に戻りますと、WSFの平和的世界への貢献は極めて重要であり、明確な結果をもたらす可能性を持っています。
Q: いわゆる反グローバリゼーション勢力(私の論文では、その諸勢力を「グローバリゼーション」に抵抗するものではなく、「新自由主義的グローバリゼーション」に抵抗するものとして述べることを好んでいますが)の複雑で多様なシナリオを組織化することは可能なのでしょうか?
A: あなたが彼らを「新自由主義的グローバリゼーション」の抵抗勢力と呼ぶのは正しいですね。つまり、そのグローバリゼーションは、一般住民の利益を副次的なものと見なし、「全人類の支配者達」によって自分達の利益のために設計された、ある特定の形式の国際的経済統合なのですから。それほど驚くべきことではありません。もしそうでないとするならば、それこそが驚くべきことでしょうし、論理においてはもちろん歴史においても急激な変化ということになります。
一般的な意味での「グローバリゼーション」に反対する人は誰もいません。例えば、WSFの参加者達は、WSFが存在しているという事実や彼らが参加している事実に反対していません。それは一つの建設的なグローバリゼーションの実例なのです。
あなたはまた「複雑で多様なシナリオ」と呼んだのは正しいですね。それはそうあるべきなのです。多くの利害が代表されています。南や北から来た人々、農場や工場から来た人々、あらゆる生活活動範囲から来た若者や老人が、非常に重要ではあるがしばしば誰にもほとんど理解されていない複雑な問題を考えるために一堂に会しているのですから、そうであるべきなのです。どの程度の組織化が存在すべきかに関しては未決問題です。それは共通の目的や理解のレベルを超えて進むべきではないでしょう。どの程度の組織化になるかは参加者達の決定に委ねられています。
Q: 「反アメリカニズム」と「グローバリゼーションへの闘争」との違いは何なのでしょうか?この言葉は米国によって、冷戦によりもたらされた分極化のような、新しい分極化を推進するために利用されることがあり得るのでしょうか?反米的抵抗の中で、テロ行為を捜査し、止めさせる方法はあるのでしょうか?
A: 科学的研究でも人間社会の問題を調査する際にも、疑問がどのように定式化されているかを注視することは常に重要です。[そうすることで]暴露されるべき、批判的に分析されるべき、しばしば退けられるべき、隠された前提が見出されることが稀ではないからです。その重要な予備的作業がなされた後に、我々はしばしばその疑問に答えることが不可能であり、書き換えられるべきであることを見出します。
私はこの場合にはそれが当てはまると考えます。「反アメリカニズム」という概念を例に取りましょう。そのような概念は全体主義的国家や軍事独裁制の中だけで使用されている典型的なものです。それゆえ、「反ソビエト主義」はかつての時代ではクレムリンの講堂では重大な犯罪でした。またブラジルの将軍達とその支持者達は彼らの国内の敵を「反ブラジル人」として非難したと思います。
自由に対して何らかの尊重を伴う国では、そのような概念は嘲笑と共に避けられることでしょう。「反イタリア主義」という題名の著作に対するミラノやローマの通りでの反応を想像してみて下さい[訳注:イタリアは地域意識が高いことで有名]。そしてその後に評判の著者の「反アメリカニズム」と題された著作[訳注: 次の著作を指していると思われる。Paul
Hollander, Anti-Americanism: Irrational
& Rational. Transaction Pub. 1995]に対する米国と英国での実際の反応を観察してみて下さい。ついでに言えば、その学者はソビエト連邦の専門家であり、それゆえ自身が従っているモデルを十分理解しているのです。その本が神聖なる国家[米国]を崇拝することを怠る人々への欺瞞的な叱責で満ちていることを、またそのためにその著作が『ニューヨーク・タイムズ』や他の場所で多いに賞賛されていることを見出したとしても誰も驚くべきではありません。
クレムリンやブラジルの将軍達の犯罪を批判した人々は「反ロシア人」や「反ブラジル人」ではなかったことは確かなことです。同じ理由で、世界で最も強力な国家の犯罪に対して反対する人々は反アメリカ人ではありません。実際にはそのような犯罪はほぼ大部分の米国住民によって激しく反対されていることが稀ではないのです。「反アメリカニズム」といった言葉は、その醜悪な実例として、捨て去られなければならないのです。
次に「グローバリゼーションへの闘争」について考えてみましょう。私はそのような闘争が存在するとは思いません。
例えば、ポルト・アレグレでの世界社会フォーラムへの参加者達は、国際的な統合の、すなわち、グローバリゼーションのおかげで彼らが参加することが可能であるという事実に反対などしていません。第一インターナショナル (First International)[訳注:正式には国際労働者協会(International
Workingmen’s Association)。イギリス・フランスなどの労働者によって1864年ロンドンで結成された世界最初の国際的な労働者の大衆組織。やがて労働運動が国単位に組織されてゆく傾向が強まる中で内部紛争が生じ、76年みずから解散。]はグローバリゼーションに反対していませんでした。その名称が示しているように、それこそがその最も高い目標だったのです。グローバリゼーションそれ自身は誰にも支持されていないし反対されてもいません。問題はどのような種類のグローバリゼーションなのかということです。他の言葉と同様に、「グローバリゼーション」という言葉は権力者達によってイデオロギー的武器として専有されています。彼らはその言葉が、投資家達や金融機関の利益のために設計された、ある特定の形式の国際的経済統合を表すために使用されることを望んでいます。その後彼らは彼らの計画の批判者達を「反グローバリゼーション」として、石器時代に戻ることを望んでいる「原始人達」として、非難することができるのです。誰もそのような欺瞞的な言葉の使用を許すべきではありません。
ご質問に戻りますと、その定式化は成立しません。従って回答することが出来ません。なぜならそれは型に嵌まった用語の中で組み立てられているからです。それは不適切な回答しか出来ない事を保証するために考案されているのです。
ご質問をもっと適切な用語に翻訳すれば、「アメリカ人」という言葉が米国国民を指し示すのであれば、この特定の形式の国際的統合に対する人民の闘争が「反アメリカ人」として理解される可能性などありえないことが明白です。単純な理由の一つはそれが大多数のアメリカ住民によって反対されているからです。その反対の内容は、何故閉じられたドアの向こうで交渉が行われなければならないのか、何故その問題が選挙の際に争点とならないのか、何故メディアや雑誌は知っている事を「秘密のヴェール」で包まなければならないのか、といった事柄です。
ご質問の「分極化」について言えば、米国の権力の中枢と他の地域の提携者達はそれを望んではいません。むしろ彼らは「服従」を望んでいるのです。もし彼らに反対する人々が服従しないならば、もちろん彼らは、その人々を中傷したり処罰したりして、「分極化」を先導するでしょう。その姿勢には新しいものも驚くべきものもありません。
テロ行為の防止に関して言えば、それが弱者によるテロ行為でも強者によるテロ行為でも、重要な課題です。強者によるテロ行為の方が遥かに致命的で破壊的であることは言うまでもない事ですが。もちろん権力者達はテロの概念を制限することを求めるでしょう。その概念が自分達に対するテロ行為だけに適用され、彼らが他の人々に対して行なう遥かに悪質なテロ行為を排除するためにです。もし我々が彼らの定義に従うならば、我々は、なぜ金持ちや権力者達に向けられたテロが捜査され防止されなければならないのか、と問うことしかできなくなってしまいます。しかし我々は第一段階で罠に嵌まってしまっているのです。
Q: 昨年(2001年)の第一回世界社会フォーラムの数ヶ月後に、フェルナンド・エンリケ・コルドソ大統領は世界中の資金移動(financial transfer)への課税の創設を擁護しました。これはもともとは、世界社会フォーラムを組織したNGOの一つである、ATTAC[訳注:アタック、市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション]の提案でした。また昨年にフランスの議員の一人がフェルナンド・エンリケに世界社会フォーラムについて祝辞を述べました。とはいえ大統領はその会合に何も関わっていなかったのですが。あなたは世界社会フォーラムの議論が権力者達の心を変えることが、少なくとも彼らの行動に影響を与えることが出来ると思いますか?
A: その課税提案は何年も前に遡ります。実際には多くの異形が存在するのです。あなたが言及したこの種の提案で最も知られているものがノーベル賞受賞者であるジェームス・トービン[James
Tobin (1918- ). 米国の経済学者]の約三十年前の提案です。それ以前にジョン・メイナード・ケインズも同様の資金移動(financial transfer)への課税を提案していました。この問題は1970年代のブレトン・ウッズ体制の解体と共に重要性が増大したのです。ブレトン・ウッズ体制の解体は非常に短期の資金取引の天文学的な増大をもたらしました。この事態は多くの経済学者がここ二十五年間の「新自由主義」時代における世界経済の一般的悪化の主要な原因と見なしています。一つ例を挙げれば、ジョン・イートウェルとランス・テイラーの最近の著書がそうです[訳注:
John Eatwell & Lance Taylor. Global Finance at Risk: The Case for International Regulation. W. W. Norton & Co, 2001.]。
WSFに関して言えば、それは、ここ数十年にわたって世界の大部分に強要されてきた、投資家の権利を重視する特定の形式の「グローバリゼーション」に対する長期にわたる民衆の抵抗の所産なのです。抗議や抵抗は、非常に顕著なブラジルを含めて、主として発展途上国で繰り広げられて来ました。近年では、抗議や抵抗は先進国にも拡大しています。そして重要な国際的提携が形成されました。これは非常に将来有望な発展です。
支配的な権力中枢の言葉遣いや、ある程度は彼らの行動にもはっきりとした影響が存在します。たとえ全体主義体制や軍事独裁制であれ、ある程度は民衆の空気に対応しなければならないのです。そのことはより自由で民主主義的な体制ではさらにもっと当てはまります。しかしWSFの目標は権力者達の過酷さを和らげることを誘導するだけであってはならないのです。むしろ、その目標は非合法な権力の中枢を解体することでなければなりません。幸運にも、それは数世紀にわたって歴史の主要な主題でした。そしてそれはけっして成り行きに任せられてきたものではないのです。
Q: あなたは人々の考えがメディアによって操作されていると語っていますが、何千もの人々が集まった世界社会フォーラムやシアトル[訳注:1999年11月末から12月初頭のWTO開催への抵抗運動]のような出来事は人々が自分の意見を自主的に決定できること示す証拠であるとは思いませんか?
A: 私は人々の考えがメディアによって操作されていると語ったことはありませんし、そのように信じてもおりません。全く逆に、私はしばしば大企業や国家のメディアによってほぼ満場一致で支持されている政策に対して一般の人々が反対している重要な諸問題について議論してきたのです。当然ながら、それらのメディアや他の教条的組識は、その指導者達の言葉を借りれば、「一般大衆の心を操作」しようとしています。そのことは、少なくとも真剣な人々の間では、全く疑問の余地がないものと見なされています。しかし彼らはしばしば失敗します。実際には全く劇的に失敗するのです。そのような事態が生じた場合、よくあることなのですが、政策は秘密裏に決定されなければなりません。そして権力体制はしばしばそのことに極めて率直です。
例えば、紛らわしく「自由貿易協定」と呼ばれている国際経済協定を例に出しましょう。その協定はエリート階層のほぼ満場一致の支持を得ていますが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌が嘆いたように、反対者達は「究極の武器」を持っているのです。つまり一般の人々が反対し続けていたのです。それゆえに協定は大部分秘密裏に行われなければならず、その問題が選挙の際に争点として論じられることがないのです。機密情報リストから外された政府関連文書を注意深く読んだ人なら誰でも、秘密にされていたことの大部分が、実際にその大部分が、国家安全保障とは何の関係もないことを知っています。それが機密である目的は、記録されていることが敵に知られるのを防ぐためではなく、むしろ、国内の住民から記録文書を遠ざけておくためだったのです。もし人々が事実を知ったとすれば、自分達の名前で行われている事態を許容する事などありそうもないからなのです。同じ事は「秘密作戦 (clandestine operation)」についても当てはまります。例えばレーガン政権が「テロリズムとの戦争 (war against terrorism)」に戦うために創り出した常軌を逸した「秘密国際テロネットワーク」などです。当初レーガン政権はケネディー政権のやり方に従おうとし、ケネディーが南ベトナムで行ったように、中米での戦争を極めて公然と行ったのですが、彼らはすぐにそれがうまく行かないことに気付きました。米国は非常に大きく変化していたのです。民衆の抗議が直ちに湧き起こったため、レーガン政権は戦術を変え、秘密作戦に転じたのです。
しかし単純に、誰がその作戦を知っており、誰が知らなかったかを考えてみましょう。その犠牲者達はもちろん知っていました。また参加したおびただしい数のテロリスト国家も知っていました。メディアも同様に知っていましたが、最も重要な事実を隠す事を選んだのです。暗闇の中に遠ざけられていた唯一の人々は米国の住民だったのです。実際には、他の手段(連帯グループや教会を基盤とする組織や独立系メディア等)によって、大変多くの人々は隠されている事実について学んでいました。そして民衆抗議運動が、インドシナ戦争の際の抵抗運動を遥かに超えたレベルで、歴史上前例のないやり方で発達しました。ともあれ、秘密事項の標的は通常の標的、すなわち国内の住民だったのです。
教条的組識が世論を操作してしまっていると考えるのは単純に誤りです。もちろん彼らはそうしようとしますし、時には成功します。しかししばしば失敗します。時には大々的に失敗するのです。
Q: あなたは、1996年にブラジルを訪問した際に、新自由主義を批判しましたが、そのことはフェルナンド・エンリケ・コルドソ大統領を悩ませました。彼は「チョムスキーは言語学には通じています。私は言語学についての意見を言いません」と語りました。言語学者として、あなたはほぼ満場一致で支持されています。しかしあなたの政治的見解は多くの批評家達に「反アメリカ的」で、「陰謀説 (conspiratory theories)」に支配されているものと分類されています。それについてどう思われますか?
A: 様々な中傷を生み出すことは極めて容易なことです。それらを繰り返したり対応したりするのは時間の無駄です。もし論拠が存在するのであれば、私はそれらに喜んで耳を傾けますよ。
言語学についてのその論評は、もし本当に行なわれたのであるなら、単純に子供じみており、返答するに値しません。その業績についてですが、現代言語学における最も優れた仕事のいくつかはその分野の公式的な学歴を全く持っていない人々によって成し遂げられました。事実、言語学の専門家達は誰でも知っていますが、私自身のその分野での経歴はたまたま非常に特異なものであり、不十分なものでした。真剣な学問領域の中では誰もそのようなことを気にしたりしません。問題なのは形式的な裏書きではなく、仕事の質です。そのことは、真剣に探求されている研究分野では、基本的であるべき事柄ですし、事実そうなっています。しかしイデオロギスト達はもちろん自分達の教義から逸れるような議論を妨げようとして、あなたが引用したような愚かな方策に訴えようとするのです。
私は既に「反アメリカ人」という恥ずべき概念については説明しました。
「陰謀説 (conspiracy theories)」についてですが、その言葉は権力の擁護者達によって悪態語の代わりの知的対応語として使用されるようになったのです。人が非常に愚かである場合や、知識不足のため批評的見解に対して反論することが出来ないような場合には、その人は「それは『陰謀説』だ」と叫ぶことになります。それらは関心を向けるに値しないし、簡単な説明をする値打ちさえない下らない戯れです。
Q: 1996年に、あなたはブラジルの海外債務への支払停止を擁護しました。ブラジルへのあなたの今の立場はどのようなものでしょう?
A: それは少し正確ではないですね。私は何らかの特定の政策を推奨していませんし、そうするほどの大胆さを持ちあわせていませんでした。ブラジルや他の諸国がいわゆる「負債」を支払うべきか否かについての決定には、多くの要因が関わっています。軽く考えることの出来ない決定です。
そうではなく、私はその負債の大部分がイデオロギー的構築物であり、単純な経済的事実ではない事を指摘したのです。実質的な基準では、第三世界の負債は救済することが可能ですし、多くの場合消し去る事が可能です。お金を貸した人がそのリスクを引き受けるべきであり、返済責任はそのお金を借りた人にあるべきであるという資本主義の原則に訴えればの話ですが。借りた人とはブラジルではスラム街の人々や土地を持たない労働者達を意味していません。事実として住民の大部分は関わっていないのです。当然ですが富裕層や権力者達はその資本主義的原則を嫌悪と共に拒絶しています。貸し手は高い利回りを得る事を欲していますが、それに伴うリスクが社会化され、先進国の納税者に転嫁される事を望んでいるのです。IMF[国際通貨基金]の機能の一つは高い利益を得られる融資や投資に対して実質的に「無料のリスク保証」を提供する事なのです。そして借金国の実際の借り手達は資本逃避や税金逃れ、贅沢な輸入品や自分達の壮大さを高める企画など等を好んでいるのです。もし負債が存続可能でなくなれば、彼らはその損害が社会化され、そもそも借金とは何の関係もない大部分の住民にそれが転嫁される事を望んでいます。その転嫁は(貸し手の利益のために)輸出を増大させる構造調整計画や他の手段を通して行われますが、一方で住民を虐げています。それこそがIMFの第二の補完的機能であったのです。
実施されることはないでしょうが、資本主義的原則に訴えることは負債の支払いに大いに効果があるでしょう。負債自体が存在していればの話ですが。そのこともまた明確ではないのです。その理由は、米国によって巧みに考案され、米国の都合がよければ利用されてきた国際法の原則の下では、負債はおそらく「憎むべき負債 (odious debt)」の範疇に属する事になり、その結果、負債は支払う必要がなくなるからなのです。この事は数年前にIMFの常任理事のカレン・リサカーズによって指摘されています。彼は憎むべき負債の原則が「もし今日適用されれば、第三世界の負債の実質的部分を帳消しにする事になろう」と書いています[訳注:Karin
Lissakers, Banks, Borrowers, and the
Establishment: A Revisionist Account of the International Debt Crisis.
Perseus Book Group. 1991]。
ある場合には、さらにもっと伝統的な機構が存在します。すなわち、国際司法裁判所の判断を忠実に支持する事です。この単純な手段はニカラグアをその負債から救済する事でしょう。
ラテンアメリカでは、資本逃避はしばしば負債とほぼ同じ額なのです。それは負債を支払うさらに別の手段を暗示してくれています。そもそも負債が存在していればの話ですが。
しかし各国が負債に対処するために伝統的法的手段に訴えるべきかという問題は別の種類の問題でしょう。その問題は権力に関係しており、法や道徳とは関係がありません。選択はこの世界でなされなければならず、何らかの学理的空想の世界ではありません。また、この世界は力の支配によって取り仕切られています。正義や法が世界秩序の指導的原則であるといったことは子供達の読む物語や雑誌の中の知識人の批評のページだけの話です。
Q: 今年(2002年)に我々はブラジルの大統領選挙があります。左翼の候補者、ルイース・イナシオ・ルーラ・タ・シルバは投票者の支持を得ており、当選する大きな可能性があります[訳注:選挙に勝利し、2003年1月大統領に就任した]。しかしながら、不安が存在します。つまり、彼の政治的指向性ゆえに、彼がヨーロッパや北米の富裕国と交渉する際に問題を抱えるだろうと言う事です。あなたは富裕国の政府がブラジルの左翼政権にとって困難な事態をもたらそうとすると考えますか?
A: 歴史が何らかの指針になるとして、もし富裕国政府が他の手段によってその人民主義的指向を持った政府を抑える事が出来ないと感じているとすれば、その事態は事実上確実です。この点に関しては、戦術は変動します。まさにラテンアメリカでいくつかの興味深い歴史的な実例があります。しかしその一般的結論は歴史の中の誤解の余地のない見せしめの一例にすることです。それはまた長年にわたる政策決定に関する内部記録でも一貫しています。もし国家や企業の支配的組識が別のやり方で対応するとすれば、注目すべき事態になるでしょう。これは常に決定的に重要な事ですが、彼らの自国の市民達によって彼らが妨げられる事がない場合にはという条件付です。
Q: 世界の社会政策における新自由主義的介入とはどのようなものなのでしょうか?どのような点でこの構想は政治的プロセスへの一般住民の参加を妨げているのでしょうか?
A: 新自由主義の主要な目的は民主主義を衰弱させることにあります。金融の自由化が民主主義的選択肢の可能性を蝕んでいることはここ六十年間にわたって理解されてきました。それは(主流の経済評論家達の言葉を引用すれば)政府の決定に対して「拒否権」を有する金融業者や投資家による「事実上の議会(virtual parliament)」を作り出していることによるのです。民主主義の衰弱を防止することがブレトン・ウッズ体制(それは新自由主義の開始とともに解体されたのですが)が資本統制と交換比率の規制に基づいていたことの主たる理由であったのです。それらの制約は政府が社会民主主義的な施策を制定することを可能にしてくれていたのです。そしてブレトン・ウッズ体制の消滅は、新自由主義の開始を伴って、そのような調停策の衰弱という予測可能な結果をもたらしたのです。
新自由主義の他の部門にも同様のことが当てはまります。それは基本的に民主主義的選択という人民の領域を削減しようとし、政策決定が説明責任を負わない私的専制企業の手に譲渡されることを求めているのです。現在基本的に秘密裏に交渉されている、「サービス部門の貿易に関する一般協定」(The General Agreement on Trade
in Services: GATS)は事実上貿易とは何の関係もなく、民主主義的参加や選択の領域を削減することに大いに関係しているのです。
その協定の真意はエリート階層には十分に理解されています。一般の観衆には何らかの形でもっと柔らかな表現で述べられるでしょうがね。例えば、『ニューズウィーク』誌のデヴィット・ロックフェラーは、彼が強く支持している、「政府の役割を削減する」趨勢について議論しています。彼曰く、この趨勢は「実業界の人々が賛成する傾向があるものである。しかしそのコインの裏側は誰かが政府の役割を担わねばならないことを意味している。そして企業がそれを担う論理的存在であるように私には思われる。あまりにも多くの実業人は単純にこの事態に直面しようとせず、『それは誰か他の人の責任であり、私の責任ではない』と言ってきたように私は考える」。[彼の考えでは]それが一般住民の責任であることなど明らかにあり得ないのです。そんなことは想像することもできないのでしょう。
Q:新自由主義的グローバリゼーションは、アフガニスタンからアルゼンチンまで、世界中にわたる多くの国家的大混乱の原因として非難されています。しかしブラジルの労働党のような政党はその代案が「民主主義的社会主義」と彼らが呼ぶものであると考えています。あなたはこの意見に同意しますか?あなたにとって「民主主義的社会主義」とは何を意味しますか?これまで社会主義的で民主主義的な国家が存在したのでしょうか?
A: 私は、ある特定の形式の社会体制が「世界中にわたる多くの国家的大混乱」に対する決定的な解決策であるとどんな人が考えたとしても疑いを抱きますね。解決策は多数あり多様なのです。その大混乱の原因は多様ですし、それらを改良し克服するための試されるべき、時には従われるべき、多くの異なった道筋が存在するのです。
「民主主義的社会主義」は決して単純な概念ではありません。またその構成要素の一つである、「民主主義」でもありません。最も単純なレベルで考えれば、ある社会は、その住民が自分達に関連する問題について有意義な決定をおこなうことができる限り、民主主義的です。生活の基本的な諸側面に関する決定が、説明責任を負わない私的権力中枢の手の中にある時、また社会が「新聞や報道担当者や他の宣伝とプロパガンダ手段の支配権を通して強化された、金融や土地や産業の私的支配により私的利益を求める企業」によって支配されている時には、民主主義的形式が非常に限られた実質しか有していないのです。このことは長期にわたって認識されていました。私は労働党(の文書)から引用しているのではなく、おそらく二十世紀で最も傑出し尊敬された西洋の社会哲学者である、ジョン・デューイから引用しているのです。 彼の主たる関心は民主主義理論にありました。彼は、慣習的な言い回しで言えば、「アップルパイと同様にアメリカ人」であったのです。実際に、当時の民主主義が深刻な欠陥を持っているという彼の診断やそれを克服するための彼の諸提案は、米国やその他の労働運動の起源に遡る思想(や行動)と共鳴していたのです。ついでながら、それらの運動はその大部分において急進的な知識人達の疑わしき支援なしで発達したのです。
その運動と同様の見解を取り入れつつ、デューイは、もし民主主義的形式が現実的実質を有することになれば、産業は「封建的社会秩序から」労働者達による管理と自由な連帯に基づく「民主主義的社会秩序へと」変化されなければならない、と論じています。それこそが社会主義の中核的概念なのです。もしそれが起こらなければ、彼がさらに述べているように、政治は「大企業によって投ぜられた影」のままなのです。また「その影を希薄化することはその実態を変化させることにはならない」のです。私がデューイを引用したのはそのような構想が民主主義的原則を熟慮した人々には第二の天性になっていること、またそうあるべきであることを指摘したかっただけなのです。また前述したように、それらの構想は働く人々や民衆運動の中で長期にわたってごく普通に見られるものだったのです。従って、それらの構想が労働党によって取り入れられ、彼らがブラジルの特定の問題や状況と考えているものに適合されることは極めて適切なことなのです。
Q:
9月11日以来ここ数ヶ月で多くのことが変化してしまいました。12月8日のAFSC
[訳注:American
Friends Service Committee:アメリカ合衆国フレンド教徒奉仕委員会]の会合であなたは、もし現在の趨勢が存続するならば、「人類の生存が危険に晒されていると言っても誇張では全くない」と語りました。すでに進行中の主要な趨勢を指し示し、何故我々が危険に晒されているのかを説明していただけますか?
A: 「進行中の主要な趨勢」という問題は私にはあまりにも広大すぎて包括的に回答を試みることは不可能ですね。その趨勢の中の二つは、ほぼ同時期に開催されるダボス会議とポルト・アレグレでの会合によって代表されている「グローバリゼーション」の鋭く異なった二つの計画でしょうね。グローバリゼーションについて人が考えているそれ以外の事柄はさて置き、ダボス版のグローバリゼーションはまさに人類の生存を脅かすものです。理由の一つは、そこに内在する原理が、もし真面目に受け取るならば、我々の孫達のために環境を破壊することが極めて合理的であるという結論を導くものなのです。我々が環境を破壊することによって現代のイデオロギーの中で賞賛されている意味での「富の最大限の合理的活用者」として行動すればの話ですが。ブッシュが京都議定書を無視しているとして非難されているのは驚くべきことです。彼は賞賛されるべきなのです(例えば『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌では彼は実際に賞賛されています)。疑いなく危険な狂信者達ですが、少なくとも自分達が説く教義を受け入れるくらいは誠実です。
もう一つの理由は、政策立案者達が活動の基礎としている「予想される事態」が提供してくれます。例えば米国の諜報機関は「グローバリゼーション」(この場合ダボス版のそれを意味しますが)が「持てる物」と「持たざる者」の間の分離を増大させるであろうと予測しています。そして軍事立案者達は、同じ予測を採用しつつ、「持てる者」の富と権力を維持するために、手に余る「持たざる者」を統制するために利用可能な巨大な破壊手段を所有することが必要となるだろう、と実しやかに論じているのです。それこそが米国の軍事予算が次の十五カ国を足した軍事予算より上回らなければならない理由なのです。これは、軍事予算の巨大な増額を強引に通すために非常に露骨で吐き気のするやり方で住民の恐怖と苦悩が利用された、9月11日の以前の話なのです。つまり、この軍事予算の増額はテロリズムに対してはまったく不適切な対応なのですが、他の目的には有用なのです。
これらの予測は宇宙軍事化計画への公式の弁明であり、我々全てを破壊するかもしれない結果を伴っているのです。起こりえる結果が政府内外の戦略分析家達によって極めて正確に理解され、述べられています。しかし彼らの大半や政府や企業の政策立案者達はそのような事態の可能性は、短期的利益と権力を極限まで拡大するという超越的必要性と比較すれば、それほど重要なこととは見なしていないのです。
明確にするために付言すれば、私は右翼について語っているのではありません。彼らはもっと遥かに過激です。私はクリントン政権時代の文書や計画について話しているのです。ついでながら、それらは公然と公開されているものなのです。人はこの全てについて、それがふさわしい新聞の第一面に掲載するのではなく、目を閉じることを選択することが可能です。それは選択の問題であり、必然性の問題ではありません。そして我々が未来世代によって感謝されることになる選択ではありません。
Q:
9月11日の攻撃の後に北米の報道機関による極めて感情的な報道が行われ、それが世界中の報道機関によって再生産されました。犠牲者たちの名前や顔、またその家族達の苦悩が余すところのないまでに示されました。同様のことはアフリカやイラクの戦争報道では起こっていませんし、アフガニスタンの戦争報道でさえ起こっていません。それらの違いは部分的には世界の世論があの出来事の中で米国に与えた支持が原因であるとあなたは考えますか?
A:米国やその同盟国によって実行され支援された国際的テロ作戦の場合に同じことが起こっていないという事実の方がもっと適切ですね。残念なことなのですが、それらは9月11日の犠牲者数よりも遥かに大きいことが稀ではなかったのですから。そのことはラテンアメリカの人々は間違いなく良く知っていますし、彼らだけのことでは全く無いのです。9月11日の残虐行為は歴史的に唯一のものでしたが、残念ながら、その規模がという意味ではなく、その標的がという意味でです。9月11日の残虐行為はヨーロッパとその子孫達が他の地域に対して実行している残虐行為と同種のものです。しかし、初めて銃口が反対の方向に向けられたのです。
しかしあなたが挙げた疑問は述べられた形のままで回答することはできません。なぜならその仮定が正確ではないからです。第一に、米国の世論は新聞や雑誌の知識人の意見で示されているものよりも遥かに多様で微妙です。そのことはナショナル・プレス[訳注:
Washington, D. C. 中心部にある報道機関のためのビル]の中でさえ報道されました。世論を調査する努力が払われた時の幾つかの機会においてですが、その調査対象の中にはニューヨーク市も含まれていました。さらに言えば、世界中の世論は民間人に損害を与える軍事行動に大部分が反対していたのです。つまり、立案され実行に移された[アフガニスタンでの]軍事行動に対してです。そのことは、国際的世論調査でさえ、始めから明らかでした。国民は犯罪者達を捜査し罰する行動を支持していたのです。しかしそのことは全く異なった問題です。そして世界の市民達は、権力者達の残虐行為の従来の犠牲者達が、9月11日のそれよりも遥かに越える犯罪の事例でさえ、非常に異なった形で扱われているという事実を一般的に十分認識していましたし、しばしば極めて率直に語られました。そのような犯罪の事例は、不幸なことなのですが、ラテンアメリカではもちろんですが、大部分の人々が十分承知しているように、容易に列挙することができるのです。
Q:
9月11日以降、米国は幾つかの国々に対して立場を変えました。この戦略の最も重要な結果はどのようなものなのでしょうか?
A:
9月11日以降、世界中の凶悪で抑圧的な国々が直ちに認識したことは、彼らが「反テロ連合 (coalition against terror)」に参加することにより彼らの犯罪への米国の公認を得ることができるということでした。そしてそれこそがまさに彼らが行っていることなのです。ロシア、中国、ウズベキスタン、トルコ、イスラエル・・・・極めて長い一覧表です。同様の事態は米国や英国や他の諸国にも当てはまります。そこでは、より粗暴で抑圧的な国内勢力が国民を支配する国家権力を拡張するために、同じ口実の下に、この機会を利用しているのです。それらの結果がどの程度実質的なものになるかについては誰も答えることができません。いつものことなのですが、それらは[我々の]行動の問題であり、怠惰な推論の問題ではないのです。
しかしながら、一つの結果はかなり明白です。すなわち、米国はこの機会を利用して、タリバン政権とほとんど違いのない諸国家と同盟関係を形成し、戦略的な利点はもちろん、その地域のエネルギー資源や他の資源のより確固とした支配を得ることを意図し、中央アジアでの軍事的プレゼンスを確立しようとするでしょう。ロシアや中国はそのことを決して快くは思わないでしょう。イランのようなもっと小さな国家は無論です。
Q:
9月11日以来国際関係はどのように変化したのでしょうか?
A:
9月11日は歴史的出来事でした。その残虐行為の規模という点ではありません。嘆かわしい事ですが、それはごくありふれたことなのです。そうではなく、銃口が向いている方向という点で歴史的出来事なのです。米国の歴史の中で、英国人が1817年にワシントンを焼き払って以来、国の領土が(植民地ではなく、国の領土です)攻撃下にあったこと、あるいは脅威の下にあったことさえ、今回が初めてのことなのです。私はこのほぼ二百年にわたり[米国によって]他の地域に対して行われてきたことを詳しく述べる必要は無いでしょう。
「その故国」であるヨーロッパでは、変化はさらにもっと劇的です。ヨーロッパは、赤子にお菓子を与えるようなやり方で、世界の大部分を征服したり占領したりはしませんでした。しかしインドがイングランドを攻撃したことはありませんし、アルジェリアがフランスを、コンゴがベルギーを攻撃したことはありません。テロリズムとは我々が彼らを扱う通常の方法なのです。つまり、テロ行為は米国に対して向けてられてはならない事になっているのです。
9月11日以来鳴り響いている精神的打撃は完全に理解可能なものです。例えば、英国防衛参謀本部長である海軍総司令官マイケル・ボイス卿が公式の米・英の政策を宣言し、世界の指導的新聞で大々的に取り上げられた時には、懸念は無論、関心さえ欠如しているのです。彼はアフガニスタンの人々に「彼らがその指導体制を変えるまで」破壊的攻撃に晒されることになるだろうと警告したのです。これは、米国法で定義させているように、国際テロリズムの教科書的見本なのです。
その政策が巨大な数の人々を(彼らの見積もりによると数百万の人々を)餓えや緩慢な死という深刻な危機に至らしめることになるという確実な予測が伴っていたにもかかわらず、米国と英国がその政策を実行したとき、懸念や穏やかな悲嘆さえも存在していないといった事態も、同様に理解可能なことです。9月11日とその余波という二つの事例において、その反応は、歴史がその通常の道筋を辿ることになっているという前提に基づけば、自然なものです。すなわち、我々が彼らに対し言語を絶する残虐行為を実行し、その一方で知識人階層が自分達とその指導者達についてその気高さを賛美するという道筋です。そのような事態は、現実の世界の中では、歴史の多くを占めているのです。
9月11日のあと、米国は、二十年前のレーガン政権のレトリックと同じレトリックを採用し、「テロリズムとの戦い(war on terrorism)」を再宣言しました。レーガン政権は、職務に就くとすぐ、米国の国外政策の中核は「テロリズムとの戦い」になるだろうと宣言しました。それもその最も有害な形式である、国家に支援された国際テロリズムです。米国は前例の無い規模で国際テロリストネットワークを構築することで「テロリズムとの戦い」を戦いました。そのネットワークを使って中米、アフリカ、西アジアやその他の地域に致命的な結果を与え、国際司法裁判所による米国の国際テロ行為への有罪判決をもたらしました。その判決は国連安全保障理事会によって全ての国家が国際法を遵守すべきことを要求する決議文の中で支持されましたが、米国によって拒否権が行使されたのです。
南米にとって、この「テロリズムとの戦い」は米国に支援された国際テロリズムの連鎖的波及の継続に過ぎませんでした。それはジョン・F・ケネディーが1962年にラテンアメリカ軍の使命を「西半球の防衛」から「内的安全保障」へと変換した時に開始されたのです。その言葉の意味やそれがどのように実行へと翻訳されたかについて詳しく述べる必要は無いでしょう。ブラジルでは確実にそうでしょう。
最初のテロリズムとの戦いの指導者達はその現在の再来においても突出した役割を果たしています。例えば、ジョン・ネグロポンテは国連において外交努力を指揮していますが、二十年前にホンジュラスの「占領地軍司令官 (proconsul)」として仕えていたとき国際テロリズムについて学んだのです。彼はニカラグアへのテロリストを指揮し、そのため彼の政府は最高の国際問題の権威者達によって有罪の判決を下されたのです。あるいはドナルド・ラムズフェルドは、彼の言葉を用いれば、「テロリズムを叩き潰す」戦争の軍事部門を監督していますが、レーガンの中東地域担当の特別外交使節として彼の[現在の]商売を学んだのです。その地域でレーガン政権とイスラエルの同盟はその当時の国際テロ行為の賞金を容易に勝ち取ったのです。
このいずれからも何らかの説明を引き出されることはありません。それはちょうど今日の権力者達による巨大な国際テロリズムの明確な主張と実行に対して何の反応もないのと同様です。歴史がどのように進行することになっているかのそのような支配的な慣習が与えられれば、人は何かが変化していると期待してはならないのです。
もちろんいくつかの変化は存在します。米露関係は少なくとも現時点ではより友好的になりました。なぜならロシアは、そのチェチェンでの恐ろしいテロ犯罪に対する支配的超大国[米国]からの承認を得るために「反テロリズム戦争 (war against terrorism)」に熱心に参加しているからです。中国も同様の理由から喜んで参加しています。実際に、世界中で、粗暴で野蛮な勢力は、彼らの行動指針を実行するための「絶好の機会」を持ったと認識しています。彼らは自分達もまた国際テロリズムの犠牲者になるのではないかと恐れている人々の恐怖心や苦悩を露骨に利用しているのです。
9月11日の余波は、世界が経済的用語では三極的であるかもしれないが、軍事的用語では圧倒的に一極的であることをこれまでよりもいっそう確実に証明しました。この不均衡は急激に増大しています。ワシントンが軍事支出をさらに増大させるためにこの機会を利用しているためです。米国の軍事支出は他の全ての重要な国々を合わせた軍事支出をすでに小さく見せていたにもかかわらず、彼らはニュー・フロンティアを、特に米国の独占である宇宙戦争を、拡張しようという野心的な計画を抱いているのです。
しかしこれらはみな以前から続いている趨勢の継続なのであり、本質的に新たな方針ではありません。
Q:
9月11日以降、世界は変わったのでしょうか?あなたの意見では、悪い方へでしょうか良い方へでしょうか?そしてそれは何故でしょうか?
A:
9月11日は歴史的出来事でした。何百年にもわたって、ヨーロッパとその分家達は世界の大部分に大規模なテロと残虐行為を繰り返してきました。彼らは初めて恐ろしい残虐行為の行為者ではなく標的となったのです。それに対する反応は、驚くべきことではありませんが、極めて暴力的なものでした。もちろん主として米国とその若輩の相棒である英国によってです。その両国は「劣った人種 (lesser breeds)」への対処法では豊富な経験を持っているのです。
西洋の知識人達が次の事実に「気付かない」ためには多くの訓練を要します。すなわち、いわゆる「テロとの戦い (War on Terror)」が、最高の国際問題の権威者である、国際司法裁判所と国連安全保障理事会によってその国際テロ行為に有罪を宣告(決議文では米国によって拒否権を行使され、英国は白票)された唯一の国家によって指導されていること。またそれらの特定のテロ犯罪ゆえに有罪判決を宣告される一方で、さらに悪質なテロ犯罪に専念していた人物と全く同一の人物が第二の「テロとの戦い (War on Terror)」において指導的な役割を果たしていることです。第一の戦いは二十年前にレーガン政権によって全く同じレトリックを使って宣言されました。その戦いがどのように実行されたかを述べるために時間を費やす必要はないでしょう。特にここラテンアメリカでは。
今回の戦いには異なっているものは全くありません。アフガニスタン市民への攻撃は野蛮で破壊的なものでしたが、特別の関心を持たれずに過ぎています。なぜならこれこそが単純に歴史的規範なのです。そして最初の「テロとの戦い」の場合と同様に、第二の「テロとの戦い」は自国の残虐行為への公認を求めていた諸国家によって熱心に参加されました。例えば、ロシアは熱狂的協力者です。チェチェンでの自国のテロ行為を米国が支持してくれることを求めているからなのです。また世界中の粗暴で抑圧的勢力も自分達の犯罪を拡大し、反動的行動指針を強制する「絶好に機会」と見なしています。
この現象は世界中に広がっており、様々な形式を取っています。それは人権団体によって激しく非難されていますし、かなりの民衆の抵抗が存在します。しかし一般的に言えば、9月11日のテロリストによる残虐行為の結果として、世界が悪い方向に変化してしまったことを否定するのは、少なくとも現時点では、困難です。犯人達は、9月11日の恐ろしい犯罪に関わっていたのみならず、直ちに予測されたように、世界中の貧しく苦しんでいる人々に対しても、また民主主義や人権に対しても深刻な打撃を与えたのです。
Q:米国の覇権に対抗するような新たな勢力が、また米国が影でソ連と十年にわたり持っていたのと同様の情況を再建するような新たな勢力が世界に存在するのでしょうか?
A: ソ連の崩壊以前には、二つの世界の支配者が存在しました。世界経営において、遥かに強大な米国と、事実上若輩の相棒として機能していたソ連です。その時代の戦争は超大国間のものではありませんでした。むしろ、両者は自分達の勢力範囲を支配するためにテロや暴力を手段とすることの口実として相手の脅威を利用していたのです。そのことは内部文書の証言にも様々な事件の記録の中にも非常に明白に示されています。西側諸国にとって、冷戦とは、現在「南北摩擦」と時々呼ばれているもの、そしてかつては「ヨーローパの帝国主義」と呼ばれていたものの継続であったのです。
それゆえ、冷戦後の政策はかつて遂行されたのと全く同様に大きな変化を伴わずに持続しています。事実、「東西摩擦」はその根元で多くの南北摩擦の特徴を有していました。両超大国が他方の勢力範囲の摩擦を冷笑的に利用していたのは事実です。しかしそれは別の問題です。このシニシズムのある側面が現実にここ数ヶ月の世界情勢の最も顕著な特徴となったのです。意図的に盲目になっている人だけが(現在の敵達を含めて)急進的イスラム主義の起源を、誰がそれを養育して育成したのかを、また何故彼らはそのような行動を起こしたのかを知らないのです。
この種の体制が「再建」されるのを見たいと思う人は明らかにいないでしょうし、幸運にも、それが起こっているという徴候はありません。長年にわたって(ここ数十年間で極めて明確に)実際に展開している事態は経済的には三極的で、軍事的には一極的な世界秩序です。
ヨーロッパとアジアは経済や他の点で米国とほぼ同等です。しかし米国は軍事勢力としてますます匹敵するもののない状態になっています。国際関係の支配的な学派(「現実主義者」と呼ばれています)は一般的にその単独的立場に対抗するために複数の連合体が発達することを期待しています。それは全くあり得ることです。しかしながら、私の見解では、その理論的解釈は大変不十分で、実験的証拠が非常に曖昧であるため、その予測はあまり信頼することができるものではありません。そのような国家優先的接近法では考慮されていない、別の諸要因の方が遥かに重要です。例えば、ダボスやポルト・アレグレで連合している人達です。
道理をわきまえた人々が望むべきものは、私が思うに、全く異なった種類の世界体制でしょう。その中心的な重要性を有する問題(例えば、「グローバリゼーション」)において、米国の大部分の住民は「米国の覇権」に反対しています。住民が反対していることこそが政策立案と実行が秘密裏に(すなわち、一般住民から秘密裏に)行われなければならなかった理由なのです。富裕層や権力者達はそのことについて全て承知していますし、そのことに直接的に巻き込まれているのです。国際社会での重要な諸問題は米国と他の諸国の対立ではありません。その諸問題は国家体制の領域を越えているのです。このことはダボスに集う人々とポルト・アレグレに集う人々の両方に当てはまります。それらの人々はグローバル体制の異なった要素を代表しているのです。
Q: あなたは「巨大な国家は望むことを行なう。一方小さな国家は受け入れなければならないことを受け入れる」というトゥキュディデスの格言を引用します。異なった大陸や国々についての現在の情況が及ぼす長期的影響とは如何なるものでしょうか?南アメリカやブラジルへのその影響はどのようなものになり得るのでしょうか?そしてそれは何故でしょうか?
A: トゥキュディデスの格言は、古い時代の武力について語っているのであって、それをどのようなものにも適用できるわけではありません。なぜなら文明が進歩したからです。文明の進歩は人民が国家の暴力を抑制させる事態をもたらしました。望んでいたよりも遥かに少なくではありますが、きわめてはっきりしています、特に前世代においては。世界の住民の大半には、そのような抑制を拡大することによって、また国家権力とそれに密接に関連する私的権力中枢を縮小すること(私の意見では、それらを取り除くこと)によって、得られるものがたくさんあります。そのような事態が拡大すればするほど、トゥキュディデスの格言はますます当てはまらなくなるのです。
ポルト・アレグレ方式のグローバリゼーションは小さな国家を保護する主要な要因と成り得ます。大国であれ小国であれ、あらゆる国家の住民にとっても同様です。その重要な要因についてはさて置き、南と南の協力[訳注:発展途上国間の協力]は「小さな国」(人口が少ないという意味ではなく、富と暴力の手段の支配下にあるという意味です)の防衛手段を提供する独立的要素に成り得ます。
Q: あなたは米国が第一級のテロリスト国家であると語っています。あなたは米国が現在異なった海外政策を考察していると感じますか?あなたは可能な肯定的変化が見えますか?
A: 私がその様な言い方をしている唯一の人物であるように述べるのは誤解を招くことになります。私は国際司法裁判所と国連安全保障理事会の判断を繰り返しているに過ぎませんし、「テロリズム」に対する米国公式の定義を米国政府の行動に適用しているに過ぎません。米国の行動がテロリズムであることには議論の余地が全くありません。
従って、私は文字の読めるあらゆる人が知っていることを裏書しているのです。たとえその人がそのことを言うのを好んでいないとしても。
肯定的な変化がありえるのか?もちろんです。事実、ずっと存在し続けています。ジョン・F・ケネディーが四十年前に、目に見える抵抗や関心さえも喚起されることなく、南ベトナムに対して行ったような侵略を、現在どんな大統領であろうとも企てることなどとてもできないでしょう。米国は遥かに文明化したのです。それは1960年代の、またそれ以降の年月のさらにもっと大きな、活動家達の運動の結果なのです。それらの趨勢が持続してはならない理由など存在しません。それらの趨勢は歴史の大部分にわたって存続してきたのですから。幸運にもそのおかげで我々のような人々が今日生きているのです。
Q: 米国政府はアフガニスタンでの戦争を「反テロリズム戦争 (the war against terrorism)」と呼んでいます。あなたはこの種の軍事行動がテロリズムに対して効果的であると思いますか?
A: 幾つかの基本的事実がその問題と関連するように思われます。「反テロリズム戦争 」は、国際司法裁判所(International Court of Justice:
ICJ)により国際テロ行為の罪状で有罪を宣告され、またICJの裁定を前提に全ての国家が国際法を遵守することを呼びかけた国連安全保障理事会の決議文に拒否権を行使した、唯一の国家によって宣言(実際は再宣言)されたのです。
その戦争への最も熱狂的参加者の中にはテロリスト残虐行為の驚くべき記録を有する他の諸国家がいます。例えば、ロシアは、支配的超大国がロシアのチェチニアでの背徳的戦争を是認してくれることを期待して、喜んで参加しました。中国も、同様の理由から、行動を共にしています。トルコは軍隊を提供した最初の国でした。トルコの首相は、ワシントンの断固たる支援への感謝を表してそのような行動をしていると説明しました。その支援とはトルコ領内のクルド人住民へのトルコによる極めて凶悪な戦争への支援なのです。その戦争は1990年代の中で最悪の民族浄化と残虐行為の幾つかに挙げられるものですが、クリントン政権からの大量の武器提供に依存していました。一覧表を見ていけば、他にも多くの例があります。
私は「再宣言された」と言いましたが、その理由は最初の「反テロリズム戦争 (war against terrorism)」が二十年前にレーガン政権が職務に就いた時にその政権によって宣言されていたからです。それは、今日のレトリックと非常に類似したレトリックを使用し、またかなりの人事上の連続性を伴っています。レーガン政権は中東地域で大規模なテロリスト残虐行為の主要な後援者だったのですが、レーガンの中東担当の特別外交使節[ドナルド・ラムズフェルド]は、現在再宣言された戦争の軍事部門の担当者になっています。国連での外交部門は、ホンジュラスの「占領地軍司令官」であった人物[ジョン・ネグロポンテ]によって指導されています。彼はニカラグアへのテロリスト戦争を組織化する任務に責任を負っていました。その戦争のため米国は最高の国際問題の権威者達から有罪を宣告されました(もちろん、何の効力のありませんでしたが)。レーガン政権期の「反テロリズム戦争」の他の指導的人物達もまた今日のその再開の中で重要な役割を果たしています。1980年代に、彼らは前例のない規模で国際的テロリスト・ネットワークを構築することによって彼らの大統領が「テロリズムの邪悪な災い」と呼ぶものと戦ったのです。多くの人命が犠牲になったことを私がここで再考する必要はないでしょう。ラテンアメリカや他の地域でのそれ以前の偉業[搾取]を再考する必要がないのと同様です。その物語がほとんど変化せずに続いているのです。それは米国からの武器や軍事訓練の受領者達と主要な国際組織による人権記録とを比較するだけで十分でしょう。国務省による人権記録と比較することだけでさえ十分です。規模を別にすれば、米国だけの話ではないのです。
この復活した軍事行動はその功罪によって評価されなければなりません。しかしそれがどのようなものであれ、真面目に「反テロリズム戦争」と呼ぶことなど不可能です。ジョージ・オーウェルはそのような考えに墓の下で嘆いていることでしょう。