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『人権の政治経済学』下巻「激変の後」 (After the Cataclysm): 脚注

Noam Chomsky + Edward S. Herman アクビさん訳

第六章 カンボジア (part1): pp.343-345

1. Stephen Heder, Ben Kiernan, Torben RetbØll, Laura Summers, Serge Thion そして Michael Vickery に, この章の草稿を読んでたいへん有益なコメントをくれ, 重要な情報をくれたことに感謝したい.
ここでレビューする期間 ── 1975年中頃 〜 1978年末 ── 政権は「民主カンプチア [DK]」と名乗っていた. 少し気になるが, 英語表記の慣習どおり「Cambodia [カンボジア]」を使い続けることにする. これも少し気になるのだが, カンボジアでの革命運動と, この期間の政権を指して「クメール・ルージュ」という用語を用いる. 上巻, 第一章, 注 56 を参照.

2. FrancÓis Ponchaud [ポンショー], Cambodia: Year Zero, Holt, Rinehart and Winston, 1978 [アメリカ版]; Cambodge: Année Zéro, Julliard, 1977, [フランス語原書] の改訂・更新版. これは, あとでみるように, Jean Lacouture [ジャン・ラクチュール] の書評のあと, 近年の政治史のなかで, おそらく最も大きな影響を及ぼしたが読まれない本になった. これも異例のことだが, カンボジアに関する最近のフランス語の本のなかで, 広く引用・誤引用されただけでなく, 翻訳された唯一の本だ. 対照的に, 植民地時代と合衆国介入時代の重要なフランスの研究はレビューされず, 注目もされず, 翻訳もされないままだった. 既に指摘した ベトナムについての ラクチュール の本と同様に, たとえば Charles Meyer, Derrière le sourire Khmer, Plon, 1971 や; Jean-Claude Pomonti and Serge Thion, Des courtisans aux partisans, Gallimard, 1971 (これらの本に関するいくつかの議論は, Chomsky, For Reasons of State [チョムスキー 「お国のために」], 第二章を参照). ポンショーはフランス人牧師で, 十年間カンボジアで暮らしていた. 戦後カンボジアについて幅広く批評した, かれの研究に重大な欠陥が皆無というわけではないのだが, 最も情報に通じた注意深い人物だ. 合衆国と世界中の 1000万人の読者にとって, 主要な情報源は, もちろん John Barron and Anthony Paul, Murder of a Gentle Land: the Untold Story of Communist Genocide in Cambodia, Readers Digest Press, Crowell, 1977, [バロン & ポール] だろう. これは the Readers Digest, 1977年 2月号 の記事を拡張したものだ. その結果生じたポンショーへの言及は, 明示されてはいないものの, 上にあげたアメリカ版のことだろう. 言及がアメリカ版へのもので, イギリス版ではないことを強調しておく. これは決定的な違いなのだ, このことはあとで検討する.

3. いくつかの例を再び検討することになるだろう. 合衆国のプロパガンダ・システムの力を示すひとつの印として, 「全国的に著名な十名の有識者委員会」との「全国的なメディア調査プロジェクト」と説明される「最も検閲された話題 ベスト10 (1977)」の研究をみよう. ジャーナリストの Shana Alexander, バークレイ校のジャーナリズム科大学院の Ben Bagdikian, 下院議員 Shirley Chisholm, 全米市民コミュニケーション・ロビー委員長 Nicholas Johnson, 元 CIA 諜報員で 諜報システムの重大な暴露本を書いた Victor Marchetti, 有名なジャーナリスト, 書き手, メディアの専門家たちと一緒に, 著者の一人(チョムスキー) はその十人のひとりだった. 委員会は 10個の最も検閲された話題のひとつに「カンボジアとベトナムでの殺戮」を選んだ (ニュースリリース, Office of Public Affairs, Sonoma State College, 9 August 1978). 事実関係についての問題は別として, 実際メディアで報道されたことをみれば, この話題は「検閲」の研究でとりあげるに値しないものだ.

4. これだけをもって, ジャーナリストが異論を捜し出す唯一の理由だとほのめかすようなことはしたくない. カンボジアの場合, 他の場合でも議論したのと同様に, しばしばプロパガンダの土石流に埋もれてしまうものの, 公正なジャーナリズムの流れも生き残っている.

5. ポンショー, アメリカ版への著者付記, 1977年 9月 20日付, 前掲書, p. xvi.

6. たとえば, Morton Kondracke, "How Much Blood Makes a Bloodbath?", New Republic, 1977年 10月 1日: 「おそらく合衆国にはいくらか責任があると思う [原注: 立派な見識に注目] が, ハト派の連中の方こそ何故ベトナムではこのようなことが起こらなかったのか説明しないといけない」. どうして, 市民の必死の努力を血みどろの戦争に放り込んでしまった合衆国の介入に, 反対した者に, その結果起こったことを「説明する」責任があるというのだろうか?

7. Dissent, 1978年 秋号. 明らかに, このような疑問が生ずるのは, 二つの仮定を受け入れた場合だけである, すなわち: 1) インドシナにおける合衆国の介入がカンボジアの虐殺を防止するものだった, あるいはその目的のために計画されたものだった; 2) 合衆国は, 潜在的な犯罪を防止するために武力・暴力を行使する権利をもつ ── それ故に, a fortiori [なおさら], 現実の犯罪を防止するためには, インドシナやラテン・アメリカの大部分など に侵略して武力行使に訴える権利を [合衆国は, 持つ]. あの疑問が生ずるためだけのために両方同時に要求されるこの二つの仮定のうち, どちらの方が不条理か 判定するのも難しい.

8. Human Rights in Cambodia, 国際関係委員会 国際機関小委員会 公聴会, 下院, 第95回連邦議会, 第1セッション, 1977年 5月 3日(以後 May Hearings [五月公聴会] と記す), p. 40; 同小委員会 公聴会, 1977年 7月 26日 (以後 July Hearings [七月公聴会] と記す) も参照のこと. 政府出版局 1977.

9. かれが準備していた発言を参照, 七月公聴会, pp. 19-32. また George C. Hildebrand and Gareth Porter [ヒルデブランド & ポーター], Cambodia: Starvation & Revolution, Monthly Review Press, 1976 も参照のこと.

10. 実際には, パイクは国務省のプロパガンダ屋で, かれの垂れ流すものはしばしばまったく見苦しい. いくつかの具体例は, Chomsky, American Power and the New Mandarins [チョムスキー 「アメリカン・パワーと新官僚」], pp. 365-66 を参照.

11. AP, Boston Globe, 1978年 8月22日, さらに Washington Post 8月22日; 社説, Boston Globe, 8月23日 も参照, Christian Science Monitor, 8月28日; Wall Street Journal, 8月22日 と 8月23日の社説; William F. Buckley, Boston Globe, 1978年 8月29日 にも転載された. The New York Times はストライキ中で休刊.

12. Congressional Record [連邦議会議事録], 1978年 8月22日, S 14019.

13. McGovern [マクガバン] が transcript [発言記録] を 連邦議会議事録に提出, 8月22日, S 14020.

14. 連邦議会議事録, 1978年 8月25日, S 14397.

15. 我々が説明のために 100 分の 1 を選んだのは, 殺された人数が 数千 だったか 数十万 だったのかは それほど重要な問題ではないという, ジャン・ラクチュールの言葉があるからだ. このことは後で検討する.

16. 本章の脚注 53 を参照. マクガバンが用いた言葉から考えると, おそらく かれの本当の情報源は 広く引用されたジャン・ラクチュールによる主張だと思われる. 政権が人民を「体系的に 殺戮, 孤立化, 飢餓」したとか, 二百万人と殺してきたと「豪語した」とかいう. 脚注 17 の資料を参照. あとで検討するように, ラクチュールが 後者の非難には何の根拠もなかったと明言する 訂正を出したあとでさえ, おなじく検証に耐える証拠が何もない もっと一般的な主張とあわせて, この訂正に気付いている人々が これを何度も繰り返し続けた.

17. かれの "The bloodiest revolution", New York Review of Books, 1977年 3月31日 を参照. これは ポンショー Cambodge: Année Zéro [フランス語原書] の書評で, Le Nouvel Observateur から翻訳された. さらに かれの "Cambodia: Corrections" [カンボジア: 訂正], New York Review, 1977年 5月26日 も参照. また, かれによる バロン & ポール の書評, New York Times Book Review, 1977年 9月11日 も参照のこと.


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