ブナ林便り(毎日更新)  
  この
乱世世界史の日々を 瞥見する 試みです。(2001年4月開始)

  (
2008年10月) いま 野蛮化・地獄化しつくした「近代世界」 の崩壊を 
  私たちは 目の当たりに しています。
 
  この数百年に一度しかない 眼前に繰り広げられる 
破局 そして転換を 
  しかと 記録に 刻んでいきたいと 思います。

  激変は 日々ではなく 時々刻々 進んでいます。 更新は 刻々 行わねばなりません。 
  愛読者の皆さま  
この世界の地鳴りに 耳を澄ませていきましょう。
 




2004年10月16日以降の「毎日更新 ブナ林便り」に限り、下記のアドレスで見ることができます。http://rootless.org/goloh/beech/に、2004年10月16日分から毎日のリストがあります。それぞれの日付をクリックすると、自動的にページ(0305.htm)を表示するようになっています。

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 【世界・障害者・パレスチナ 】  グーグルニュース日本版    中野聡研究室   寺島研究室別館   フリーメイル Chance Forum   aml mailing list index(20011)  Google  Ask.jp  フレッシュアイ   All the Web  阿修羅     PeaceReporter   武蔵野市立図書館   気象庁  世界の時刻  世界の地図リンク集  Hotwired Japan  「子どもと教科書全国ネット21」     News for the people in Japan   市民社会フォーラム   加藤哲郎平和サイト「イマジン」「♪ IMAGINE GALLERY」  Minds  水野の縄文写真館    ニューインターナショナリストジャパン   LaborNet Japan  ちきゅう座     はてなアンテナ - 囚人のアンテナ? ~自分勝手な人々のそれなりの平和~    姜尚中blog      『琉球新報』   『沖縄タイムス』   中央日報 朝鮮日報  東亜日報  朝霞市立図書館   ボローニャに暮らす
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政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」、9.11以降平和情報リンク「IMAGINE! イマジン」    戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索 - 京都大学人文科学研究所  World Digital Library    東北大学の外邦図 デジタルアーカイブ


北方史を描く愉しさ... その一
    北方史を描く愉しさ. 第二話 ナナイとの出会い、「鎖国」の抜け穴―山丹交易、 山丹人、「松林」.

ナナイの村を訪ねて 三王昌代  朝鮮五葉松への旅 世界史学とともに 世界史瞥見 自分史略年譜2000  別のよりよい世界は可能だ 

グローバリゼーションとは?
 New天邪鬼日記  「北の森の12ヶ月」 十梨別版    アフガンの詩、原爆の詩  北海道の朝鮮五葉、アフガンの松の実

サイードの"a people"ー 「民族の問題」  吉田悟郎-インタビュー記事・記録(上越教育大「歴史教育史研究・第4号」) ある編集者の歴史   (その1から

その12、結びまで まとめて収録
)   海上交易の世界と歴史   チェチェン学習  21世紀の「モロ戦争」  グルジア・パンキシ渓谷と米軍   

インティファーダーパレスチナ人のたたかいー
   イスラエル人の目覚めー軍務拒否   越境者通信

イエメンと平和    中高生の心   02.09.11テロ(三木亘・田中宇)   チェチェン学習   世界史教科書の検定体験

★★★エキサイト 翻訳  「みんなの翻訳」

FORUM高校生新聞 ある編集者の歴史 その一~その十一 そのこばれ話→ある編集者の歴史 

 その一 070815 その二 070919  その三 071017  その四 071121   その五 071219  その五(2)071220    その六    080123  
その七 080220  世界史の野蛮化・地獄化 終わりの始まり 080416  イラク戦争5年 080322    その八 080521   その九 朝鮮五葉松の目線でー東北アジア
を巡る 080716   その十 080820  その十一 世界史の絵本 080912  むすび(上) 081015  むすび(下) 081119
こぼれ話 その一 わが愛する画家たち 081217        こぼれ話 その二 わが敬愛する文人たち 409011      こぼれ話 その三 パリコンミューン100年の旅  090218      こぼれ話 その四 野上弥生子の未完の長編『森』を読んで 090318  こぼれ話 その五 異境の都市フェズ 090415      こぼれ話 その六 二つの敗戦日記を読む 090520   こぼれ話 その七 豚インフル 本当の危機はどこにあるか 090617        こぼれ話 その八 世界史の授業と画ーロシア中世史研究の先駆者、田中陽児に捧ぐ 090718      こぼれ話 その九 小松良郎を偲ぶ その三 090810      こぼれ話 その十   こぼれ話 その十一
 日々是れ抵抗の精神で 文章を書こう  091118



i●一日一言 目次 http://rootless.org/goloh/beech/  2009年4月1日から三日おき

1 無題  04.02   2 無題  04.06  3 無題  04.07  4 無題  04.10  5 無題  04.13  6 無題  04.16  7 無題  04.19
8 名護博:輝く貝の記憶 04.22  9 山田風太郎{敗戦日記」 04.25  10 清澤きよし「暗黒日記」 04.28  11 ソマリア沖の海賊 その一 05.01
12 注意1 豚インフル論議 05.04  13 ソマリアの海賊 その二 05.06  14 豚インフル論議 その二 05.10 15 ガザの悲劇から見えてくるもの 05.13
16 ガザの悲劇から見えてくるもの その二 巨大戦争帝国に物言い続けるDr.Noロン・ポール議員 05.16 17 ガザの悲劇から見えてくるもの その三 0519
18 タミル・イスラーム解放の虎LTTEとタミル人 0522  19 ソマリアの海賊 その三 0525  20 パキスタン北西辺境州タリバン制圧作戦2009年5月 0528
21 パキスタン北西辺境州タリバン制圧作戦 その二 0521  22 パキスタン北西辺境州タリバン制圧作戦 その三 0603
23 パキスタン北西辺境州タリバン制圧作戦 その四 0606  24 空と風と星の詩人 ユンドンジュ 0609 25 あまりにも早く逝きし友を偲ぶ その一 中西哲吉 0612
26 アマゾンの熱帯雨林を守る先住民の闘い 0615  27 ソマリアの海賊王インタビューに応じる 0618 28 ソマリア生まれの英国女性ジャーナリストの一問一答 0621
29 藤田浩と私 0624  30 瀕死の聖都エルサレム その一 0627 31 瀕死の聖都エルサレム その二 0630 32 瀕死の聖都エルサレム その三  0703
33 瀕死の聖都エルサレム その四 考古学は絶大な力をもつ 0706 34 あの戦争で奪われた二人の兄弟を弔う 0710  35 破壊回廊ガザ 0712
36 茜色の歩廊の街ボローニャ 0715   37 秋風秋雨人を愁殺す 秋謹 0718  38 長祐山承教寺 0721 39 インドネシアの目覚め カルティー二 0724
40 アフガンの「非対象」の戦い 夜の手紙 0727  41あるガザ ストーリー 0730  42 ガザ キッズの凧上げ 街頭で小物を売る子供たち 0802
43 先輩そして畏友小松良郎を偲ぶ その一 ある世界史研究会で 0805 44 先輩そして畏友小松良郎を偲ぶ その二成城学園の教育 0808
45 先輩そして畏友小松良郎を偲ぶ その三 成城学園時報新聞部、そして東京帝大から繰り上げ卒業、同じ近第一歩兵連隊の兵士 0811
46 先輩そして畏友小松良郎を偲ぶ その四 地域に根ざす歴史 0814  47 先輩そして畏友小松良郎を偲ぶ その五 三鷹事件  0817
48 ベトナム人の日本留学 0820  49 台湾のたたかい 義民廟の祭り 0823  50 死の海と化したアラル海、そしてバルハシ湖の運命は? 0826
51 児童書のよそおいではあるが いまも若者に勧めたい弱者の戦後史ー小松良郎・松田由美 新しい出発(戦後史) 大月書店『世界と日本の歴史11巻』ー 0829
52 サラワクの熱帯雨林と先住民ー日本人が手にする安い木材そしてパーム油ー  0901  53 クルド人は権利を求めてデモする  0904  54 政権交代とボストンの少年ーアメリカの自由の息子たちに訴える 0907   55 海のダイヤ クロマグロを飽食する国 0913   56 対日戦争を終結させるのに広島・長崎原爆投下は必要なかった 0916  57 「占領に対する祝祭は要らない」 0919   58 自分が世界で一番偉いと思っている男を墓場へ -『リミッツ・オブ・コントロール』を見てー 0922   59  いるか は どこに住めばよいのかーTHE COVEー 0925  60 米軍を迎え入れる政権と米軍を拒否する政権 0928  61 占領とアパルトヘイトを終わらせるキャンペーン 1001  62 「東アジア」ということば と 「東アジア世界史」の可能性  ー河内謙策氏の東アジア共同体構想反対論を読むー 1004  63  ガザ虐殺レポートは葬りさられるのか 1007  64 ガザと辺野古は野蛮と暴政に抵抗する最前線にある 1028   65 国連総会は11月4日ゴールドストーン報告書について討議する 1031  66 拉致問題を思う  1103   67 ゴールドストーン報告書その後 1112  68 ゴールドストーン報告書その後 1115  69 アフガンの戦争は末期症状  1121   70   パキスタンからの声なき声ー督永忠子さんのパキスタン便りー  1209   71  ガザへの平和行進  1225

2010年 01月 07日 08 09日    圧縮版 

6時7時起きですと 更新が終えられるのは11時12時ころになります。. お昼ころが完成したブナ林を見るのがよい時間です。夕方、一日最後の定期追加更新があります。夕方から夜にかけてその日(日本時間)の語り部の作業が完結します。
是非読んでほしい記事は次に掲げます。

01月07日 7時半、開始。米国の硬骨の下院議員ロン・ポールさん、アフガン戦争継続を愚行の行進と論断。12時、更新終わる。Viva Palestina コンボイ、ラファ検問所に到着。死の衝突。16時半、追加更新終える。
01月08日 6時作業開始。 10時更新終了。ガザ自由行進、カイロ宣言。
01月09日
6時半更新開始。風邪少しよくなる。11時半、更新終わる。
  


是非読んでほしい記事 以下

東外大MRIES


■ガザ国境で発射された内乱を呼ぶ銃弾

2010年01月07日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP社説面


●IMEMC (International Middle East Media Center)


デモクラシー・ナウ日本語版  

    http://democracynow.jp/
  • convoy-arrive.jpg

    ビバ・パレスチナ救援物資輸送団がガザに到着 ジョージ・ギャロウェイ「絶望的な」状況を語る

    人道救援物資輸送団が英国から1ヶ月近くかけてガザに到着しました。ビバ・パレスチナの輸送団は6日、エジプトのラファフからガザに入る国境線の通過を開始しました。今後48時間をかけて援助物資を配給する予定です。輸送団のリーダー、英国国会議員ジョージ・ギャロウェイにガザから話を聞きます。

マスコミに載らない記事

2010年1月 8日 (金)

もう一つの愚劣な戦争の遂行に関するグラベル元議員の悲嘆 - Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2009年12月14日 "Truthdig"


豆長者
私たちは、なぜ、アフガニスタンにいるのか、実際、彼らは、口実が尽きています。
残された唯一の口実が、国の安全のために、あちらにいるのだと、
それが、彼らのしがみついているもののようです。
悪い奴らと、こちらで戦いたくないから、あちらで戦いたいのだと。
あとで、そのことについて、少し話しますが、極めて率直に言って、
それは、虚偽に基づいた考えであり、実際、事態をずっと悪化させています。
一日一言(数日に一回かも)







国 名
世界標準時との時差
日本との時差 夏時間有り・なし
アフガニスタン・イスラム国 +4.5 -4.5  
アラブ首長国連邦 +4 -5  
イエメン共和国 +3 -6  
イスラエル +2 -7 有り
イラク共和国 +3 -6 有り
イラン・イスラム共和国 +4.5 -4.5 有り
インド +5.5 -3.5  
インドネシア共和国 +7~+9 -2~0  
オマーン +4 -5  
カタール +3 -6  
カンボジア +7 -2  
キプロス +2 -7 有り
クウェート +3 -6  
サウジアラビア +3 -6  
シリア・アラブ共和国 +2 -7 有り
シンガポール +8 -1  
スリランカ +6 -3  
タイ王国 +7 -2  
韓国 +9 0  
台湾 +8 -1  
中国 +8 -1  
北朝鮮 +9 0  
トルコ +2 -7 有り
ネパール +5.45 -3.15  
バーレーン +3 -6  
パキスタン・イスラム共和国 +5 -4  
バングラデシュ +6 -3  
フィリピン +8 -1  
ブータン +6 -3  
ブルネイ・ダルサラーム国 +8 -1  
ベトナム +7 -2  
マレーシア +8 -1  
ミャンマー連邦 +6.5 -2.5  
モルディヴ共和国 +5 -4  
モンゴル +8 -1 有り
ヨルダン・ハシミテ王国 +2 -7 有り
ラオス +7 -2  
レバノン +2 -7 有り





}{}{ Ainu 
 先住民族アイヌ世界の窓
最新ニュース
今春にもアイヌ協会函館支部誕生へ【函館】 函館新聞 - 2010/01/03 23:47 北海道アイヌ協会函館支部設立へ向けて活動を行っている加藤さん  北海道に居住するアイヌ民族の組織、社団法人「北海道アイヌ協会」の函館支部が今春にも設立される見通しとなった。発起人である函館市湯川町の加藤敬人さん(55)は「函館在住のアイヌの人たちが一人でも多く名乗りを上げ、活動に協力してほしい」と賛同を呼びかけている。  北海道アイヌ協会には現在、道内各地に48支部があり...
>> 今春にもアイヌ協会函館支部誕生へ【函館】 (函館新聞)
教育 アイヌ民族学校を検討 教育課程など提言へ 研究グループ (01/02 09:25)  アイヌ民族の文化や伝統をアイヌ語で授業する民族学校の設立に向け、首都圏の大学教員らが中心となり今春から研究を始める。学校設立については、これまでも北海道アイヌ協会などが国に要望してきたが、カリキュラムや教員養成システムといった具体的な教育内容にまで踏み込んで検討する新たな試み。2010年から3年間で構想をまとめる。<北海道新聞1月1日朝刊掲載>
>>アイヌ民族学校を検討 教育課程など提言へ 研究グループ(北海道新聞)
アイヌ語学者・知里真志保 生誕100年たどる証言をDVD化 (12/30 10:08) 知里真志保のDVDを作った小野さん  【登別】アイヌ語研究に心血を注いだ登別出身の言語学者、知里真志保(1909~61年)の生誕100年を記念し、北海道アイヌ協会登別支部が真志保の教え子や知人などの証言をまとめたDVDを製作した。来年1月中旬から、800枚を道内の公立図書館などに寄贈する。  DVDは「知里真志保 アイヌの言霊に導かれて」。札幌市のビデオ愛好家小野邦夫さん(72)が自主製作していた...
>>アイヌ語学者・知里真志保 生誕100年たどる証言をDVD化 (北海道新聞)
2009年間ダイジェスト:/下 /北海道 【9月】  ◆屋内スピードスケート場がオープン(1日)  帯広市の「帯広の森屋内スピードスケート場」がオープン。国内2番目の国際基準の屋内リンクを備え、10年1月には世界スプリント選手権が開催される。  ◆日航がHACの経営から撤退へ(12日)  日本航空が、北海道エアシステム(HAC)の経営から撤退する意向を、共同出資している道に申し入れた。道は全日空系のA-netが撤退した丘珠空港へHACの新千歳便の集約を検討。  ◆アークスが札幌東急ス...
>>2009年間ダイジェスト:/下 /北海道(毎日新聞)
社説 ことしの世相 混迷を新たな出発として(12月30日)  社会がめまぐるしく動く。  今年の世相は「新」という文字で示された。閉塞(へいそく)感に覆われた世の中を刷新したい-。そうした切なる思いも込められている。  歴史的な政権交代を果たした鳩山由紀夫政権は、従来の政治システムの解体を精力的に進める。  「コンクリートから人へ」を合言葉に公共事業を削り、子ども手当など家計の直接支援に乗り出した。  もどかしさを感じる面も多い。沖縄の米軍普天間飛行場の移転問題は先送りされ、...
>>社説 ことしの世相 混迷を新たな出発として(12月30日) (北海道新聞)
先住民族アイヌの権利回復を求める署名にご協力を先住民族アイヌの権利回復を求める団体・個人署名の要請       ◆呼びかけ人・団体◆ 旭川アイヌ協議会 アイヌ・ラマット実行委員会 おんな組いのち ◆呼びかけ人◆ 金  時鐘 (詩 人) 佐高 信 (週刊金曜日編集委員)辛 淑玉 (人材育成コンサルタント)田中 優子 (週刊金曜日編集委員)中山 千夏 (作 家)朴 慶南 (エッセイスト)針生 一郎 (丸木美術館館長)藤崎 良三 (全労協 議長)丸山未来子 (おんな組事務局)  貴団体、み...
>>先住民族アイヌの権利回復を求める署名にご協力を


inkarsik.jpginkarpuy アイヌの窓サイトマップ
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AinupuyarAのシンボル、ノィエ・アイウシ(ねじれアイウシ)Ainu puyar (アイヌの窓:アイヌ関連情報リンク集)
-*-(随時増設中)-*- Last up '03 1.20
当HPのメイン企画。
博物館、図書館、民族団体、市民団体、料理店、趣味のHPなど、HPのある所もない所も、アイヌ自身が活動している所、アイヌに関連する情報のある所、アイヌに関連する活動をしている所などを全て網羅したリンク集。まずはあなたの興味の赴くままに「アイヌ」について、自ら学んでください。

内容を厳選した 軽量版 もあります。



刺繍の花Itak kus puyar (言葉の通る窓:アイヌ語資料集)
-*-(講師募集中)-*- Last up '00 2.11
0からはじめるアイヌ語入門、アイヌ神謡集、アイヌ語辞典など、アイヌ語の実用的な資料集。
とはいえ、ここの管理人も、多くの現代のアイヌとと同じくアイヌ語があまり判らないので、和人の勉強家の皆様の協力も頂いて成り立っています。実際の音声が聞けるコーナーもあります、とりあえずは聞いてみるというのもいいですね。




●与論島クオリア

◆与論だけの“あの感じ”を言葉にする◆与論・奄美・沖縄(琉球弧)の“同じ”を発見する◆


2010/01/07

Twitter入門記事 by mizumaさん

 mizumaさんがツイッター入門記事を書いてくれています。

 ツイッター入門記事

 ご覧あれ。

 与論にいる人のツイッターが読みたいなあ。
 始めたら教えてくださいね。

「近代日本の地方統治と『島嶼』」1

 弓削政己の「初期明治政府の奄美島嶼に対する政策について」で高江洲昌哉の論考を知り読んでみたくなり、国会図書館にも足を運んだのだが、「島嶼地方制度成立に関する研究」しか見つけることができず全貌が分からなかった。ところが昨年の12月、「近代日本の地方統治と『島嶼』」が出版され、望みを叶えることができたのだ。

 ぼくはまだきちんと「近代日本の地方統治と『島嶼』」を読みこめた気がしないのだが、ぼくたちにとって切実なテーマを辿ってみたい。

 明治。

「鹿児島県下大島郡ノ中、徳之島鬼界島島根県下隠岐国ノ二島ノ如キハ内地ト同視スヘカラサル状況アルニ依り出張所ヲ置クヲ聴許」

 徳之島や喜界島、「隠岐の二島」のようなところは、「内地と同視すべからざる状況」があるからと出張所を置くことになり、その根拠を与えるために明治一三(一八八〇)年に郡区町村編制法が改定された際、第七条が追加される。

「凡ソ島嶼ハ府知事県令ヨリ内務卿二具状シ政府ノ裁可ヲ得テ其制ヲ異ニスルコトヲ得」

 高江洲によれば、ここで初めて、島嶼は「その制を異にする」ことが明文化された。
 そしてこれに対してすぐに、なぜ島嶼を例外的に扱うのか議論が起こる。当然ながら、内地にも「その制を異にする」のが必要なところがあるのではないか、というのだ。ここでぼくたちにとって興味深いのは、島嶼以外にも例外措置を設けるべきであるとする主張の論客が、渡辺千秋なのである。

 渡辺千秋。そう、奄美に独立経済を敷いたあの、鹿児島県令である。

「陸地ト雖も本条ノ如ク土地人情二相違スル処アレハ亦其制ヲ殊ニスルヲ得セシメント」

 陸地と雖も「土地人情に相違するところあ」る。

「日向ノ高千穂又ハ米良雄葉山那須ノ如キ」と具体的な地名を上げつつ、これらの土地は「人智ノ未開ハ勿論総テ其状態ヲ殊ニ」し、「数百年来連綿其僻地二安スル時ハ容易ニ之ヲ改ムへカラス是亦其制ヲ殊ニスへキノ一大理由」と主張している。

 高千穂、米良、椎葉、那須などを「僻地」として挙げているのだが、奄美のぼくたちにとって沈静剤になるのは、渡辺が奄美のみを特別視していたわけではないことが分かることである。言われてみれば当たり前なのだが、県の奄美に対する常の態度を思うと、言われなければ分からないことなので、これだけのことでも収穫を感じる。

 ところで渡辺の反対意見は少数の賛同にとどまり、例外を特定の島嶼に置く根拠は「内地と状況を異にする」という「漠然とした」ままになったという。


Chihou



2010/01/06

シゴーの中棚

 与論の島唄に名高きシゴーの中棚への道のりへは、急斜面の道なき道を降りて行った。草を踏み足場を確かめ、ガジュマルの根茎を支えにしたりぶら下がったりしながら珊瑚の岩をつたい、やっと平らな場所にたどり着いたところにそれはあった。

 盛窪さんは最初、そこを通り過ぎ、そのもう少し先にそれらしきところを、ここだと思ったという。ところが、どうも歌詞に符号しない。少し戻った場所に、穴のように窪み天井の珊瑚岩に焚火の後のように焦げた個所があるのを見つけて、ここだと確信したという。

 沖縄島が正面に見え、唄の通り、伊平屋、伊是名の七離れが見える。恋人や友人と語らい歌うには最適な眺めだった。当日、もう夕刻で空も曇っていたが、晴れあがっていれば海の青が迫ってくるという。蘇鉄の間に見える沖縄島を見ながら、ぼくもそう思った。ぼくは昔の島の人のロマンや愉しみに触れた気がした。

 土地の人たちと話し合いながら辿りついた場所であり、やはり地元の人同士で検証する必要があるのだ、と盛窪さん。ぼくたちは唄う代わりに民俗談義。いちばん印象に残ったのは、もっと西の方にあるという人もいるが、中棚はいくつかあるだろうという複数性のことだった。

 コンクリートで階段をつくるという案もあったが、関心のある人だけに道を開く場所でいいという結論に落ち着いたという。そうなってよかった。シゴーの中棚は心のなかにあるのだ。

 ぼくたちが辿った急斜面は、着物の女性にはとても無理だ。むかしは下のほうに道があってそこから辿れるようになっていたという。そこから辿れば、歌詞にあるようにシゴーの中棚が浮き上がってみえるのに違いない。いまはそれがふさがれて、近道ではあるが危険な筋をぼくたちは辿ってきたのだった。

 写真は、シゴーの中棚からの眺め。沖縄島は分かると思うが、七離れが見えるだろうか。シゴーの中棚そのものは撮っていない。もちろん、それは心のなかにあるものだからである。

 ※「シゴーぬ中棚」

一 
シゴーぬ中棚や 打ちやがてぃどぅ見ゆる
 ヘンヤ  ヌガヤルヘン
うし遊でぃ うちやがいる シゴーぬ半田
 ウシヘンヨ  ヌガヤラヘン
 マタガリヘンヨ  ヌガヤルヘン


伊平屋ぬ七離 打ちやがてぃどぅ見ゆる
 ヘンヤ  ヌガヤルヘン
うし遊でぃ うちやがいる 私達が遊び
 ウシヘンヨ  ヌガヤラヘン
 マタガリヘンヨ  ヌガヤルヘン


シゴーぬ中棚や 我が通てぃあたん
 ヘンヤ  ヌガヤル  ヘン
うし我が通いぬ やしやぬ ノーダキ繁ち
 ウシヘンヨ  ヌガヤルヘン
 マタガリヘンヨ  ヌガヤルヘン

Sigo1Sigo2


Sigo3

2010/01/05

「『400年』合同企画を終えて」



琉球新報



2010年1月9日 県警、立件に自信 取り調べ着手 読谷ひき逃げ米兵逮捕

 2009年11月の読谷村ひき逃げ死亡事件で、県警は8日、男性をはねて逃走したとして、ひき逃げ(道路交通法違反)の疑いで、在沖米陸軍トリイ通信施設の特殊部隊グリーンベレー所属2等軍曹クライド・アンドリュー・ガン容疑者(27)=自動車運転過失致死罪で起訴済み=を逮捕した。




2010年1月8日 県警、被告米兵をひき逃げ容疑で逮捕

 読谷村ひき逃げ死亡事件で、県警は8日午後、自動車運転過失致死罪で起訴されている在沖米陸軍トリイ通信施設の2等軍曹クライド・ガン被告(27)を、ひき逃げ容疑(道路交通法違反)で逮捕した。ガン被告はひき逃げ容疑について取り調べを受ける義務があるが、供述拒否権を行使するとみられる。【琉球新報電子版】




2010年1月8日 米兵起訴 身柄引き渡し 読谷ひき逃げ

 2009年11月の読谷村ひき逃げ死亡事件で、那覇地検は7日、県警が自動車運転過失致死容疑で4日に書類送検した在沖米陸軍トリイ通信施設の特殊部隊グリーンベレー所属2等軍曹クライド・アンドリュー・ガン容疑者(27)を同罪で那覇地裁に起訴した。


沖縄タイムス





2010年1月8日 14時20分 16時間前に更新

 読谷村楚辺の村道で同村の男性が車にはねられて死亡した事件で、県警は8日午後、ひき逃げの道交法違反(救護義務違反、事故不申告)容疑で、米陸軍トリイ通信施設特殊部隊所属の2等軍曹クライド・ガン被告(27)を逮捕した。

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2010年1月7日 09時55分 48分前に更新

 【東京】政府・与党3党が米軍普天間飛行場の新たな移設先を検討する「沖縄基地問題検討委員会」第2回会合が6日、首相官邸で行われた。2006年5月に稲嶺恵一知事(当時)と額賀福志郎防衛庁長官(同)が交わした「在沖米軍再編に係る基本確認書」をめぐり、防衛省は、名護市辺野古沿岸部に建設するとした現行案(V字形滑走路)で、当時の政府と県が合意したとは言い切れないとの認識を初めて示した。政府側はこれまで同確認書を基に県が現行案を事実上容認したとしていたが、両者の認識の違いを明言した。

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ハンギョレ・サランバン

<ハンギョレサランバン>は、韓国の進歩言論であるハンギョレ新聞社の言論活動を応援するファンクラブです。 現在、ファンクラブは準備段階であり、本格始動時には本ブログでお知らせいたします。本ブログもβ版ですが、ハンギョレの記事を日本語訳・掲載し、基本的に毎日更新します。翻訳の責任はすべてファンクラブにあります。万一誤訳を見つけた方はCOMMENTにて連絡ください。

2010年01月09日

大統領府・親李系 深まる悩み…妙案なく虚脱感まで

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原文入力:2010-01-08午後10:37:43
正月連休前 説得 総力戦…大統領 世宗市 訪問検討
1,2月 努めてみても‘朴槿恵’変えさせられるか懐疑論
‘国会表決延期論’力得て…長期漂流 可能性も

ファン・ジュンボム記者,チェ・ヘジョン記者

←李明博大統領(左側)が8日午前、大統領府で開かれたハンナラ党指導部招請朝食会懇談会で挨拶をしている。右側は親朴槿恵系重鎮のホ・テヨル最高委員(左側写真)/ソン・ソクク世宗市民官合同委員会民間委員長(左側)が8日午前、ソウル,世宗路,政府中央庁舎で開かれた第8次会議で深刻な表情でソン・インジュン委員の話を聞いている。(右側写真)大統領府カメラマン団,イ・ジョングン記者root2@hani.co.kr

大統領府とハンナラ党親李明博系陣営の悩みが深まっている。朴槿恵前代表の‘世宗市原案修正反対’を突破する妙案がないためだ。
大統領府関係者たちは8日、世宗市原案修正反対を繰り返し確認した朴前代表の前日発言に対し当惑する反応を見せた。政府が修正案を出す前に朴前代表が「修正党論が確定しても反対する」とし、より強力に反対し始めたことに虚脱する気流まである。ある関係者は「朴前代表があのようにあらかじめ出てしまい、修正案が発表されても忠清民心が友好的に反転するか心配になる」と話した。

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党・政・大統領府の首脳部は終盤調整のための連鎖会合に出る。来る9日、チョン・ウンチャン総理がチョン・モンジュン代表とアン・サンス院内代表,最高委員らと晩餐をしながら翌日には党・政・大統領府の8人首脳部会合が開かれる。

大統領府と親李系はひとまず世論戦に死活をかける態勢だ。ある親李直系議員は「忠清説得が朴前代表説得より優先」としつつ「好意的な結果を根拠に朴前代表を説得するのが順序」と話した。世論が変化すれば朴前代表も態度を変えることができるだろうだというのがこれらの期待だ。

大統領府は特に来る2月の正月連休(13~15日)を経て忠清地域をはじめとして世宗市修正に対する世論が固定化すると見て、それ以前に総力戦に出る予定だ。まず李大統領は世宗市修正案発表の後、対国民談話などの形で直接説得に出て、忠清地域を訪問する方案を検討中だ。朴前代表に別に会う方案も含まれている。チョン・ウンチャン総理も総理職を賭け背水の陣を敷くという覚悟だとある側近が伝えた。政府は11日、世宗市修正案発表後に屈指の企業らが追加で世宗市入居計画を発表する形式を通じ雰囲気を盛り上げる計画と知らされた。

しかし1,2ヶ月間の努力で世宗市修正に反対する忠清民心と朴前代表を変えさせることは力不足であるという展望が支配的だ。親李系内部で世宗市修正特別法案処理を4月臨時国会、長ければ6月地方選挙以後に持ち越さなければならないという話が出るのはそのためだ。否決が予想されるのに無理に国会表決をする理由はないという判断だ。ある親李直系議員は「慌ててゴリ押ししてはいけないという共感が多い」と伝えた。

与党主流では、内部的には朴前代表の反対で世宗市修正が失敗に終わっても、大きく損をする必要はないという意見も出ている。李大統領は最善を尽くしたという姿を示し、‘名誉’後退できる反面、朴前代表は以後‘世宗市原案固守’から発生する政治的負担を背負うほかはないという計算からだ。親李系のある議員は「大統領がしようとすることに足を引っ張るというイメージが固まる」として「朴前代表もやはり政治的打撃を避けることができないだろう」と話した。

一部では李大統領と朴前代表ともに移転部署を縮小するような折衷案に対しては反対する意志が確実で、世宗市修正案が国会で長期間漂流する可能性も提起している。ファン・ジュンボム,チェ・ヘジョン記者jaybee@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/397850.html 訳J.S


総督府出身ら "朝鮮に対して良いことをした" 自負心持つ

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原文入力:2010-01-04午後02:48:59
[2010特別企画 省察と挑戦] 庚戌国恥100年新たな100年
①日本 植民資料研究開拓者 宮田 インタビュー

←自宅書斎で史料保存の重要性を語る宮田節子学習院大東洋文化研究所客員研究員。インタビューは昨年11月5日、日本,千葉県,松戸にある彼女の自宅でなされた。

庚戌国恥100周年になった。長い歳月が流れたが真の和解といい難い理由を顧み共生の未来を開くために年中企画‘庚戌国恥100年新たな100年’を連載する。3部から構成された企画の1部では、韓国と日本の歴史が五人の見解を聞く。 体験を土台にしたこれらの話から韓国と日本の歴史の何がよじれたのか,それを正そうとする努力はどんな試練を体験したのか,和解のために何をしなければならないかを考える糸口を見つけることができる。

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09miyata1東京目白にある学習院大学付設東洋文化研究所には植民地朝鮮時代の資料で満たされた‘友邦文庫’がある。友邦文庫が研究者の関心を引く一次的理由は朝鮮総督府と関連行政機関での政策決定や執行の実務作業を引き受けた人々の膨大な肉声録音が保管されているためだ。

録音資料の胎動と保存に決定的役割をした人を挙げるならば宮田節子を最初にに挙げることができる。現在、東洋文化研究所の客員研究員である宮田は70代半ばの高齢であるが録音資料整理を生涯最後の作業として打ち込んでいる。彼女は「まだ生まれてもいない世代から優れた朝鮮研究者が出てくる可能性があるのではないか」と反問し「未来を信じるから史料編纂作業を継続する」と強調した。もう論文を書くことをやめ、未来の研究者たちのために余生を捧げるという彼女は戦後日本の朝鮮史研究がどんな足跡を歩んできたのかに対する生き証人でもある。朝鮮近代史料研究会(1958年),朝鮮史研究会(1959年),日本朝鮮問題研究所(1961年)がスタートする度に雑事を引き受け行った経験があるためだ。

宮田は日本政府の過去史謝罪方式と関連して「何回もしたが、何のために何故したのか具体的に尋ねれば歴代総理の中で誰も答えられないだろう。韓国人がどうしてそんなことまでする必要があるのかという話を聞けるほどに日本が先に明確にしなければならない」と強調した。

彼女はきちんと分析されなかった資料が友邦文庫にたくさん残っていると話し、韓国の学者がもっと関心を傾ける必要があると想起させた。また日帝時治安関係文書の中で自身が日本国内で探せなかった資料が北韓文献に引用されたことを見たことがあると明らかにし、北韓の学者たちが開放された姿勢で国際会議に出てきて討論と資料を共有することを期待すると話した。

-生涯 朝鮮史研究をしてきたが何の契機があったのか?

 "1954年早稲田大学文学部史学科に入学し大学生たちの学習会である中国研究会に入った。社会主義政権が登場した新中国に対する関心が強く起きた時だ。ある日、中国研究会の集いが終わらんとする頃、大学の先輩のカン・ドクソンが皆待ってくれと言って正しく把握できない話を始めた。自身が本当は朝鮮人で、今後朝鮮研究をやると話した。大学に入ってくる前に女学校に通ったが、朝鮮という隣国があることは知っていたが日本が朝鮮を植民統治したとか日本に朝鮮人が暮らしているということは習ったことがなかった。驚きを隠せなかった私にカン・ドクソンが朝鮮支配史料がたくさん残っているだろうが、誰もやらないから共に勉強しようと提案した。朝鮮人学校閉鎖論議が広がった時、進歩的大学教授たちが見せた二重的態度も作用した。日本の敗戦後、各地にたてられた朝鮮人民族学校は1949年に占領軍司令部の命令で閉鎖されたり、一部が日本教育当局の直接管理を受ける形態に転換された。東京都にはいくつかの都立朝鮮人学校が作られ日本語だけを‘教育用語’として使うようにした。また都立朝鮮人学校閉鎖論議がおきるや反対署名を集めるために中国史を専攻する教授を訪ねて行ったが‘朝鮮はちょっとあれだ’として拒絶した。"

進歩層も朝鮮問題を無視するが‘友邦文庫’植民資料を世の中に知らせる

-朝鮮だからと身を引いた理由は何だろうか?

 "植民地解放闘争を支援したという共産党や進歩的知識人らの間に左翼事大主義があったようだ。中国侵略に対してはあたかも自分が直接軍隊を率いて行った当事者であるかのように誤ったことだと興奮した教授さえ‘朝鮮人たちはスパイが多いからつきあう時には気を付けなさい’という方式で話した。"

-当時、朝鮮史講座を学部に設置した大学が殆どなかったというが、どうやって勉強したのか?

“カン・ドクソンのような早稲田大の在日同胞学生たちと集いを作り、本を読み所感を話す程度だった。後日、東京大の学生だった梶村秀樹(1935~1989,神奈川大教授,白凡逸志を翻訳し金嬉老事件対策に関与)が合流した。57年4学年の時、卒業論文テーマに中国にしていたが3・1運動に変えた。朝鮮近代史で唯一分かったことが3.1運動だったためだ。卒業論文を書くのに先立ち、主任教授に主題を報告し承諾を受けなければならなかった。3・1運動という用語もなかった時期だった。中国古代史が専攻の私の主任教授は3・1運動という用語さえ理解できなかった。大正天皇の時代に朝鮮人‘万歳騒動’というのがあったじゃないですかと言うと、あーそのようなものがあったようだがそれを3・1運動と言うのかと問い直した。中国歴史を勉強する教授でさえ分からないというと、より一層やってみたいという考えが強くなった。教授が分からないのだから指導はそれきりだった。”

-論文を書くのに困難はなかったか?

“図書館を歩き回り、‘万歳騒動’‘万歳騒擾’に関する資料を尋ね歩いたが何も出てこなかった。日本に植民地支配資料がたくさんあるというカン・ドクソンの話を信じ朝鮮にテーマを変えたのだが、思ったことと違うと後悔した。57年11月までには論文を提出しなければならないのに夏休みまで一行も書くことができなかった。そのような折りにある教授が、東京丸ノ内ビルディングに友邦協会という団体があり、ひょっとして端緒になる資料があるかもしれないと話してくれた。総督府時期の高位官僚たちが集まって作ったところだと言った。何の紹介状もなしで聞きに訪ねて行き、万歳騒動関連資料があるかと言うと、あちらの隅っこに行って見ろと言われた。黒い風呂敷に包まれた2つの包があった。開けてみると全て3・1運動に関する原資料だった。阪谷文書というものだ。初めて見た時は本当に興奮した。何もないゼロ状態の路上生活者が、あたかも邸宅に入った感じだった。コピー機がなかった時期であり毎日行っては資料を読み引用するに足るものは筆写した。”

3・1運動が何たるかも知らない時‘阪谷文書’発見に快哉

-阪谷文書というのは何か?

“露日戦争の時、大蔵省次官として戦費調達をし、後に大蔵省長官,東京市長を務めた阪谷芳郎(1863~1941)という人が集めた資料だ。京釜線鉄道建設の際も関与したと聞いた。彼が3・1運動が燃え広がった1919年5,6月に朝鮮各地を歩き回り各種宣言書,逮捕された人々の職業別年齢別統計などを集め、いちいち番号を付けておいた。‘朝鮮問題雑纂’が4冊あるが、1,2冊が主に3・1運動関連だ。

卒業論文を書き無事に卒業した。友邦協会を訪ねて行き、おかげで卒業できました、有難うございましたと挨拶をすると、奥にいた白髪の老人がちょっと入ってこいといった。彼は友邦協会ができて朝鮮を研究すると訪ねてきた人は私が初めてだと言った。彼は朝鮮統治に対してどんな批判でも聞く耳を持っているが、やってもいないことをやったとか、事実と違う批判については承服できないと語った。それでこちらに関連資料を集めて整理しているので、一緒に研究しないかと提案された。その時まで専門的に研究することは考えて見たこともなく驚いた。小さな勉強の集いをしている友人たちと相談してみると答えた。”

この老人の名前は穂積真六郎(1889~1970)だ。1913年に東京帝大法学部政治学科を出て翌年に高等文官試験に通り総督府事務官試補として朝鮮に来た。総督府殖産局長の席に長期在職し、軍部とのあつれきで41年に官僚生活を辞めた後、朝鮮商工会議所会頭,京城電気社長などを務めた。日本敗戦時は満州や朝鮮から撤収する日本人支援の集いを導き、本国に帰っては47年に総督府官僚や事業家らを集め同和協会の結成に主導的役割を果たした。数十年間にわたり朝鮮と関連し積み上げた関係者たちの知能と技術を生かし、日本と朝鮮の間の文化交流貿易に貢献することが趣旨であった。

穂積の死後<私の生涯を朝鮮に>という追悼文集が1974年に友邦協会から出た。この本には穂積の家系図が載っているが、華麗な一族出身ということを生き生きと見せる。彼の長兄は民法学者で今の天皇明仁の東宮時期に侍従長を務め,父親は東京帝大法科大学長,最後の枢密院議長を務めた。1866年パリ万国博覧会を見学し5百ヶ余りの会社を作り、日本資本主義の最高指導者と呼ばれる渋沢栄一は彼の母方の祖父で、前に出てきた阪谷は伯父だ。露日戦争の時、満州軍総参謀長としてロシア軍制圧に大きな功績を立てた児玉健太郎は長兄の妻の父だ。

総督府官僚だった穂積 提案
セミナー通じて資料共同研究

-穂積がほとんど50才近く年齢差のある若い女性になぜそのような提案をしたのだろうか?

“当時、彼はからだが良くなく少しづつ死につつあった。学者の家に生まれ学問に対する尊敬心が基本的にあり、資料を残さなければならないという思いが強かった。恐らく若い人の力を借りようとしたのだと思う。梶村,カン・ドクソンなどと相談をして、皆が絶好のチャンスだと言った。論文は後からでも書けるからと、総督府高位官僚たちが生きている間に徹底的に資料を集めようとすぐに意見統一を見た。互いに立場が違う人々の呉越同舟式共同研究が始まった。”

-共同研究はどんな方法で進行されたか?

“58年5月に朝鮮近代史料研究会という集いを発足させた。毎週水曜日の午後6時、中央日韓協会の職員たちが退勤したら集まり討論会を開いた。内容が分からなければ質問することはできないので、若い研究者たちが事前に準備をたくさんしなければならなかった。私たちがある分野について知りたいと言えば、穂積が担当した人を呼んだ。大物だからそうなのか、彼が呼べば総督府の第ニ人者であった政務総監をはじめ、ほとんど皆来た。このようにして始まった集いが一度も欠かさずに4年間300回続いた。討論内容は全て録音した。”

-立場の違いによる意見衝突はなかったか?

“質疑応答は自由にした。官僚たちや植民統治に関係した人々が何か話をすれば、私たち研究者がどんな点が変だと質問をした。そのような論争の中で日本の同化政策というのがどれほど矛盾に満ちたものだったか分かったし、論文主題もたくさん捜し出せた。”

質疑応答を通じ、日本‘同化政策’の矛盾 自ずから明らかに

-かつての官僚たちが自分たちの行為を無条件に正当化しようとしたのではないか?

“そうではなく、基本的に彼らは過ちを犯したとは考えていなかった。朝鮮に対して良い仕事をしたという自負心を持っていた。政務総監を務めた田中武雄(1891~1966)は自分が答えられないほど質問をしろと言って先に挑発した。30年代の農村振興運動を行う時、顧問をした一人は、私たちが当時の朝鮮人青年と見えたのか、いつか‘半島の青年諸君’と話し笑いの海となったりした。いくら合理化をしようとしても論争の過程で植民統治の下心があらわれるはずだ。関東大震災の時の朝鮮人虐殺問題を巡っても激論が交わされた。”

-セミナーが長期間続いたが葛藤はなかったか?

“京城新聞論説委員を務めたゴンドウ ケンイチという人が、中間管理の役割をしていたが、一貫して不満の意を現わした。友邦協会側内部で‘アカのような大学生らになぜ敏感な資料をすべて見せるのか’と文句を言っているということだった。ゴンドウは人々が穂積には話をできないので全部自分にくると愚痴をこぼした。私が共産党機関紙<赤旗>に3・1運動について2度寄稿したことが問題になったことがある。私は朝鮮問題の実状を知らせることならば、左右どこでも関係ないと考え、赤旗記者の要請を受け実名で寄稿した。友邦協会に公安関係者たちが訪ねてきたりもしたが、私たちを良くは見ない側が問題と見なした。ゴンドウは‘穂積にそのように可愛がられて、背後から泥水を浴びせた’と非難した。穂積の家を訪ねて行き、こういう事があると知らせると‘あんなに大きな戦争をして負けておいて何の反省もしていない。気を遣うな’と言った。セミナーは穂積がからだが悪くよく出てこれないために動力が落ち、彼が亡くなった後には接触が途切れた。”

京城新聞論説委員出身“敏感資料なぜアカに…”

-朝鮮史研究会が1959年1月に発足した背景は?

“当時東京地域で大学院に朝鮮史講座があったのは都立大学と明治大学だけだった。それすら近現代史を教える処はなかった。70代の元老学者から初歩研究者の大学院生まで50人余りが集まり学会をスタートさせた。初期段階の大黒柱の役割は旗田巍(はただ たかし:1908~1994)が担ったが、高麗史専攻だった。専門研究者だけでなく一般人に門戸を開放したことが特色だが、すでに50年が過ぎた。”

-その時と現在の研究水準や風土を比較することができるか?

“当時は目に見えることからしなければならないので、告発が先にあり事実を糾明し体系化することが遅れ隙間があった。その程度の力しかなかったため仕方なかったと思う。朝鮮侵略と植民地支配に対して一人の日本人としてどのように受けとめるべきか、無知と偏見があったとすればどこからきたのか、内面の闘争があった。それで私たちが論文なり本なりを書く時は、序文が長かったが今はそんなことは全くなくなった。老いた学者の立場から見れば、この頃は何の意味があるのか分からない研究が非常に多くなった。”

-友邦文庫文献の中でまだ分析されていない資料がたくさんあるか?

“そうだ。例えば帝国議会説明資料は4部だけ作り、政務総監などに配布された。極秘印鑑は捺さなかったが、それ以上のことだ。予算がどのように編成され配分し使われたのかを分析すれば、総督府の重点事項が明らかになる。それで政策決定過程も知れることになる。”

帝国議会予算編成等
植民地政策決定が分かる

-録音されたテープを解き注と解説を付け学術誌<東洋文化研究>に出す作業を10年も続けている。いつまで続けるのだろうか?

“当初は1回だけやって手を引くつもりだった。現在2020年までの作業日程が決まっている。まだ健康は大丈夫だが、これからどうなるのか私自身にも分からない。それでも作業から手を引くことができないのは、50年以前に録音され音質が良くないうえに、証言者の大部分が亡くなり内容を聴いて判断できる人が殆どないためだ。それでも、あちこちさまよった資料が結果的に良いところに無事に到着したことに安心している。”

-講師生活を数十年したが、なぜ正式教授の席を求めなかったのか?

“私が勉強した時は在野の研究者が素晴らしいと思った。朝鮮で言えばソンビ(在野学者)だ。組織に属さなければどこへも配慮する必要がないので、自由に研究ができ言いたいことを言える。”

‐北韓へ行ったことがあるか?

“一度も行っていない。飢えている人が多いというのに行って優遇されたら胸が痛みそうだ。日本社会も問題だ。一時は北を地上の楽園と言ったかと思えば、今は地獄だと言う。ジェットコースターに乗っているようだ。”

宮田には必ず会いたい人が一人、北朝鮮にいる。50年代後半、共に勉強した在日同胞キム・ジョングクだ。まだ生きているのかすら分からない。宮田より三才上の彼は正規教育をまともに受けられなかったが、当時の同胞社会で漢文の実力が最も優れた人として定評があった。都立大教授だった旗田巍を訪ねて行き<高麗史>を共に読んだという。生業をしながら高麗史研究に没頭した彼は、62年に北朝鮮へ行く‘帰国船’に乗った。見送るために船が出港する新潟まで行った時に見た彼の希望に満ちた顔を忘れられない。しかし北から手紙が一度きて連絡が途絶えた。昨年10月17日、朝鮮史研究会創立50周年をむかえ開かれた記念式で宮田は若い時期に共に勉強会をした時の写真を配った。“あなたが撒いた一粒の種が大きく多様な実を結んだ”という感謝の言葉と共に。彼は北であんなに希望していた歴史研究を継続できたのだろうか?

松戸/キム・ヒョスン論説委員hyoskim@hani.co.kr

宮田節子略歴
1935年生まれ
早稲田大文学部卒
明治大学大学院博士課程
早稲田大,一橋大,日本女子大などで講義
著書<朝鮮民衆と皇民化政策>(1985),<創氏改名>(1992)

原文: http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/233/396847.html 訳J.S




‘スマートフォン競争’LGも参戦

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原文入力:2010-01-08午後08:30:38
インテルと手を握り初めて製品公開

ク・ポングォン記者

LG電子がインテルの次世代モバイル チップセットである‘ムーアズタウン’を装着した初めてのスマートフォンを公開した。

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MB“世宗市 堂々と”…パク・クネと正面衝突

原文入力:2010-01-08午後07:11:30
親イ議員“パク・クネ 耳塞ぎ原案にだけ固執”
親パク“人身攻撃 座視しない”葛藤 拡散
部署移転 白紙化方案 確定

チェ・ヘジョン記者,ソン・ウォンジェ記者,イユ・チュヒョン記者

政府が世宗市への行政部署移転白紙化を事実上確定した中で、イ・ミョンバク大統領は8日世宗市修正案に対し“毅然として堂々としていかねばならない”と話した。前日、パク・クネ前ハンナラ党代表が「党論で確定しても反対する」として強硬な修正案反対意見を明らかにしたが、意に介さず修正案を押し通すという意を明確にしたものと解釈される。党主流のイ・ミョンバク系(親イ)側もこの日、パク前代表を公開的に批判して出て、世宗市修正案を巡る親イ-親パク正面衝突に飛び火する兆しを見せている。

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[暮らしの窓] 英語講義も社会問題だ/ファン・ヒョンサン

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原文入力:2010-01-08午後09:13:09

←ファン・ヒョンサン高麗大仏文学科教授,文学評論家

十数年前に私たちの社会にしばらく波風を起こした英語公用化論は今は静かになったが、その生命が完全に切れたわけではない。下げた頭をまた持ち上げるために常にその機会を狙っているばかりでなく、ことによると社会的議題になりにくいやり方ですでに上半身を持ち上げているようだ。何よりも大学で行う英語講義を念頭において言うことだ。数何前から私が所属する大学をはじめとして名のある大学が先を争い英語講義の比率を高めていて、学校外でもその割合で大学を評価しようとする風潮が現れた。私としてはその弊害が少なくないと見ており、ややもするとすでに危機を体験している我が国の人文学が崩壊の危機に立つこともありうると考える。その兆しはすでに現れている。

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英語講義が大々的に施行され始める時、その内容が不十分なことを心配する声が多かったが、本質的に重要な問題は他のところある。真っ先に心配しなければならないことは、学問活動と韓国語の関係だ。誰でも分かるように人間の知識と考えは、それがどんなものであれ結局は言葉で整理され、話を通じて最も効果的に伝えられる。その上、話は整理と伝達の手段であるだけでなく考えと知識を発見し作り出す踏み台なので、結局は知識と考えそれ自体とまで言うこともできる。考えが発展し知識が積もれば話も発展する。私の場合を例にあげるならば、私の専攻分野で先輩教授たちが半世紀前に書いた本を今読もうとすれば、フランス語や英語で書かれた本を読むよりさらに大変な時がたびたびある。それは先輩たちの能力が不足しているというよりは、当時の韓国語が彼らの知識と考えを盛り込み励ます準備ができていなかったことにより大きな原因がある。その後、私たちの社会は知識に対する情熱が非常に高く、学問が短時間に少なくない発展を成し遂げ、韓国語も成長する側に大きく変化した。社会の発展がそれに力づけられたことは言うまでもない。今、重要な論文と講義が専ら外国語に頼ることになるならば、この発展は中断されるだろう。いや中断されるばかりではなく、ついには朝鮮時代のように諺文の地位に落ちるだろう。

ある集団が長く使ってきた言語、例えば母国語はその言語使用者の生活と文化全般にわたり測量できないほど多くの経験を蓄積している。外国語に依存する講義はこの深い経験を利用できないということにも問題がある。学術活動は研究行為と教授行為に分かれるというが、講義も研究行為の重要な部分だ。講義する人は授業を準備し、その糸口だけ捕まえた考えを講義中に学生たちと共同主体となり考える中で、その考えを整理発展させ新しい意見を作り出す時が多い。これは誰もが持っている母国語的直観のおかげだ。外国語講義がこの直観を完全にあきらめているということは、その講義が主にプレゼンテーション形式で成り立つということがその証拠だろう。(もちろん外国語講義を徹底した教案準備の一方法として利用する教授がなくはないという点も明らかにしておく。)外国語講義は教授と学生が共に自分の考えを発展させる現場となりにくい。

何らか不当なことについて‘それは平等の原則に背く’とも‘ある人は高麗人参の根を食べ、また別の人は白菜の根を食べる’とも言える。だが、その二つの話は具体的効果が違い、その前に私たちの身体の反応が異なる。‘高麗人参の根’と‘ハクサイの根’が学術活動の道具として使われることは難しいだろうが、どんな先端思考も、どんな繊細な話もこの根に至っていなければ、学問は少なくとも人文学は死んだ学問となる。この事態を社会的悲劇といわざるをえない。

ファン・ヒョンサン高麗大仏文学科教授,文学評論家

原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/397926.html 訳J.S



武建里訓練場 反対住民‘全員無罪’

原文入力:2010-01-08午後07:05:34
議政府地方裁判所, 業務妨害7人・集示法違反21人 全員 "正当な行為"

イ・ギョンミ記者

国防部の‘坡州,武建里 軍訓練場’拡張強行を阻止しようとしたが業務妨害などの疑惑で起訴された住民たちに裁判所が「正当な行為だった」とし無罪を宣告した。

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議政府地方裁判所高陽支所 刑事4単独 ソ・ヨンヒョ判事は、軍訓練場拡張のために土地収容作業を行った韓国土地公社(現 韓国土地住宅公社)職員の業務を妨害した疑惑(業務妨害と文書損壊など)で起訴された住民パク・某(54)氏など7人に無罪を宣告したと8日明らかにした。また裁判所は警察がこれらを連行することに抗議し坡州警察署前で集会を開いた疑惑(集会および示威に関する法律違反)で起訴された住民イ・某(37)氏など21人にも無罪判決をした。

ソ判事は判決文で「国防部の委任を受けた土地公社は合法的手続きを守らず正当性を持つことができなかった」とし「村住民たちは補償過程で正当な参加権を侵害されたので、これらが‘土地公社の正当な業務を妨害した’という主張はその理由がない」と明らかにした。

パク氏など京畿坡州市,法院邑,梧峴里の住民たちは2008年9月16日、国防部が武建里射撃場拡張予定地に付近の梧峴1・2里地域を編入した後、土地公社職員らが村に訪ねてきて土地補償額算定のための鑑定評価を進行しようとしたが、これを阻み警察に連行された。

一部住民たちはこの過程で土地公社職員の地籍図などを奪い燃やし、文書損壊疑惑も受けた。ソ判事はこれに対しても「違法な鑑定評価業務は憲法上の保護価値がなく住民たちの正当行為と見える」と判断した。

これとは別に、他の住民21人はこの日夕方、京畿坡州警察署前に集まり連行者の釈放を要求する集会を開いたが、警察が‘未申告および夜間集会’を開いたという疑惑で立件し起訴された。ソ判事は判決文で「集会48時間前に申告をするのが原則だが、当時は申告できない緊急な状況と判断され住民たちに帰責事由を問うことはできない」と明らかにした。

京畿武建里軍訓練場は1980年代初めに作られ、国防部は2006年から既存700万坪に230余万坪を追加し拡張する事業を展開している。現在、強制収用手続きが最終段階に至っており、この一帯には80余世帯が残り訓練場拡張反対運動を行っている。

今回の判決に対し議政府地検高陽支庁コ・ポムソク部長検事は「判決文に争う余地が多い」とし「綿密に検討した後に控訴可否を決める」と明らかにした。

イ・ギョンミ記者kmlee@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/397840.html 訳J.S




人権団体 "人権委員長 辞退しろ"

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原文入力:2010-01-08午後10:53:27
新年業務計画発表の席で…
昨年 龍山惨事 意見表明関連
‘チョン委員 突然閉会’問題に

パク・スジン記者

←ヒョン・ビョンチョル国家人権委員会委員長

国家人権委員会(委員長 ヒョン・ビョンチョル)で人権団体などを対象に新年業務計画を発表する席がヒョン委員長の‘全院委員会一方的閉会宣言’を巡る論難で跛行した。

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人権委は8日午後、ソウル,中区,武橋洞キルの人権委11階学びの場で40ヶ余りの人権および市民社会団体の人々を対象に‘2010年人権委業務計画’を発表する政策懇談会を開いた。だが多数の参加者らは最初の挨拶の順序でヒョン委員長の最近の動きを問題にして出た。ヒョン委員長は先月28日に開かれた人権委全員委員会で‘龍山惨事関連裁定申請に対する人権委の裁判所への意見表明案件’を議論し、中途で一方的に会議を終わらせ人権委員たちの強い反発をかった。(<ハンギョレ> 7日付8面)

この席でミョンスク人権運動サランバン活動家は「ヒョン委員長は委員長になった後、龍山惨事現場を一度でも行ってみたのか」として「外国にある国連社会権委員会委員でさえも龍山惨事は住居権・生命権を威嚇した惨事と指摘したのに、我が国の人権委員長は龍山惨事と関連して裁判所に意見表明をしようという案件さえ議論を遮っており惨憺たる思いだ」と話した。

イ・テギョン土地正義市民連帯事務局長も「人権委が土地権,住居権など社会権を粗末にしているという指摘をしにきたが、‘一方的閉会’の話を聞くに及んでこれ以上人権委に期待できるものがないように見える」と話した。参加者らはこれと関連してヒョン委員長の辞退を促すこともした。この日の懇談会の席にはヒョン委員長とキム・オクシン事務総長,チェ・ギョンスク,ユ・ナムヨン,ムン・ギョンナン常任委員らが参加した。ヒョン委員長は会議開始一時間ほど過ぎて参加者たちの挨拶の言葉が終わるや本人が最後に挨拶し直ちに席をはずした。以後の懇談会は予定通りに進行された。

この日全体4時間程度の懇談会で人権委が出した新年計画も‘中身’がないという批判を受けたと伝えられた。イム・テフン軍人権センター所長は「アフガン派兵と医療民営化など今年の主要人権関連イシューに対する十分な考慮なしに昨年行った事業をそのまま継続するという計画だけだった」と話した。パク・スジン記者jin21@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/rights/397831.html 訳J.S



‘三星 父子’ CESから華麗なる復帰

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原文入力:2010-01-08午後11:15:53
イ・ジェヨン副社長 ブースで来客応接
イ・ゴンヒ前会長も参観予定

キム・フェスン記者

←イ・ジェヨン三星電子副社長(右側)が7日(現地時間)米国,ラスベガスで開かれた電子製品展示会(CES)に参加し三星電子ブースを訪れた訪問客と話を交わしている。 三星電子提供

イ・ゴンヒ元三星会長の長男イ・ジェヨン三星電子副社長が7日(現地時間)米国,ラスベガスで開かれた電子製品展示会(CES)に参加した。昨年末に最高運営責任者(COO)席に上がった後、経営前面に出た初めての公式舞台だ。彼は2008年5月‘三星秘密資金’事態で最高顧客責任者(CCO)席から退いた後、公式肩書なしに主に国外で活動してきた。

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2010年01月08日

東京戦犯裁判の時‘植民支配’は議論もされなかった

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原文入力:2010-01-07午後08:52:09
日本に‘朝鮮問題清算’わい曲された見解 植え付け
[2010特別企画 省察と挑戦] 庚戌国恥100年新たな100年
⑤内海愛子

内海愛子早稲田大学大学院客員教授は強制連行や朝鮮人虐殺問題を最初に暴いたのは在日学者たちだと話した。 パク・ジョンシク記者anaki@hani.co.kr

内海愛子教授は自他共に認める朝鮮人BC級戦犯問題の専門家だ。1970年代、20代後半の年齢で夫についてインドネシアに行き、日帝時に徴集されたある朝鮮青年の呆然とさせられる人生を偶然知ることになったことが転機となった。インドネシアに配置された朝鮮人兵士たちの内、一部は日本の降伏後に現地人独立運動勢力に加担しオランダ軍と戦い処刑された。その中には独立運動の功績が認められ一歩遅れてインドネシア英雄墓地に葬られることになった朝鮮人がいた。駐ジャカルタ駐在日本大使館がこの朝鮮人の後処理に何の関心も示さなかった。憤慨した内海は彼の本名がヤン・チルソンであることを明らかにし、78年に家族が暮らしている全北完州参禮を訪ね、死に追いやられた過程を知らせた。(<ハンギョレ> 2008年12月19日付参照)彼女は長年この問題に食い込み少なくない著書と資料集を出した。
残念ながら韓国にはまだこの分野の専門家が現れていない。現実的に30年余りの格差があるわけだ。昨年11月2日、東京で会った彼女にその理由を尋ねたところ「韓国は民主化闘争をしており別のことに気を遣う余裕がなかったので時間差があるのは当然ではないか」と話した。彼女自身もBC級戦犯らを研究する初期には本を出してくれる出版社があるとは考えなかったと言った。日本帝国の協力者に関する内容だったためだ。

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08utumi1朝鮮人BC級戦犯問題 専門家
インドネシア独立英雄 ヤン・チルソンを明らかにして

戦後の国内外情勢や冷戦体制に振り回され、まともに照明を当てられない問題がBC級戦犯意外にもいくつもある。サハリン残留同胞やシベリア抑留問題もその内の一つだ。内海は日本の平和運動が戦後に陥った独特の構造の中で、市民運動家たちもこういう問題の意味を理解できなかったと語った。そうするうちに冷戦体制の隙間が広がり、被害当事者の証言と関連資料の公開,専門研究者の登場が相俟って新しい流れが形成されたということだ。

-巨視的質問から始めよう。強制併合が100年前のことだが両国の葛藤は相変わらずで歴史精算もなされなかった。どこに理由を求めなければならないか?

 "敗戦後、日本に占領軍が入ってきて民主改革を行い、東京軍事裁判を開いた。裁判が終わるや戦争問題は一段落し、戦犯たちも既に清算されたという風潮ができた。ある意味で自己肯定意識が日本社会にできたのだ。また東京裁判過程で植民地問題が完全に抜け落ちてしまった。米国・英国・フランス・オランダは戦後に自国植民地に復帰させようとしたので植民地問題に触れなかった。これが朝鮮や台湾など旧植民地に対する日本人の見解を歪ませた。

冷戦の激化で日本の逆行が始まり、公職から追放された人々が復帰しアジア侵略や植民地支配に対する肯定的な思考が広まった。その上、サンフランシスコ講和会議が韓国と中国の参加を排除したまま開かれた。米国は中国の会議参加を断り、日本は韓国の参加を絶対に拒否するという姿勢を守った。米国は英国が中国の代表権を主張し、共産主義中国を認定できないとし日本に協力を要請した。そこで出てきたのが韓国と中国の参加を排除した講和条約と2国間条約であり、米-日安保条約がそれとかみ合っている。戦争の仕上げをすることが戦犯裁判と講和条約なのに、2つが共に誤ったので歴史的清算になるはずがなかった。"

米・英, 国益のために植民問題排除
日本, 冷戦背負い過去侵略を正当化

-戦後、日本の歴史教育はどのようだったか?

"私は戦後教育の寵児と言うことができる。初めから民主教育を受けて育った。米国との関係は多く習ったが学習しなかったことがある。戦争とアジアとの関係だ。くやしいことだが朝鮮人・中国人の強制連行を全く知らなかった。当時は関東大震災時の朝鮮人虐殺問題も教科書に載らなかった。そのような歴史を学び育った人がアジアとの関係が上手なはずがない。当時、日本の歴史研究は明治維新程度で終わっていた。"

-その背景は何か?

“基本的に近現代史は研究者がすべき仕事ではないと考えられていた。今でも歴史学界の方式は文書資料が公開されれば、それを検証し歴史を書くというものだ。資料が何も出てこない状態で関係者の証言だけで近現代史を書くということは困るという意識が強かった。研究をしようとしても就職できなかったために東京大学のようなところで近現代史をやる人がいなかった。せいぜいやっても辛うじて昭和初期が研究対象だった。現代史専攻1号教授と言っても良い先生は<東京裁判への道>を書いた粟屋憲太郎(1944年生まれ)程度だ。”

-日本の平和市民運動はサハリン残留同胞やシベリア抑留問題などに長い間冷淡だった。何か理由があるのか?

“戦後の平和運動は米国の原爆投下にともなう被害意識から社会党・共産党主導で展開した。そのような路線に乗りまっすぐ行ってしまったのでソ連が良くて米国は悪いといったイメージが固着された。それで平和運動の活動家たちはサハリンに放置された朝鮮人が韓国に行きたいと訴えれば‘なぜ軍事独裁政権に行くのか’と受けとめた。シベリア抑留問題も当事者が反共の立場で話す場合が多く、ほとんど理解することができなかった。朝鮮人BC級戦犯を支援する活動をすれば、なぜ戦犯を保護するかという声を聞いた。こういう風潮に大きな変化が来たのは、やはり冷戦が崩壊した以後だ。私の体験で言えば、社会党でも共産党でもなく、自分の頭で独自に植民地戦争の問題を考えてみようという考えは60年代に生じた。”

サンフランシスコ講和会議から
韓・中除外され、歴史清算できず

-韓半島に対する認識にも同様な流れがあったようだが。

“平和運動 進歩陣営で見れば、60年代以前には朝鮮との関係は日朝協会を中心になされた。北と近く韓国を指し示す時は常に括弧内に南朝鮮と書いた。日本人が朝鮮に対して何も知らないという反省の下、1961年‘日本朝鮮研究所’が設立されたことは象徴的だ。私は当時は関与しなかったし70年に入ったのだが、研究所の名前の前に日本を付けたことに意味があると聞いた。研究所には色々な指向の人々がいたが、独自に判断するという意志が込められたのだ。当時でも朝鮮関連研究をやる人があまりいなかった。朝鮮人に対する差別と人権問題が発生すれば、総連や民団で少数の日本人たちを接待し助けてくれと言った。こういう集いをよく‘ヤキニク会合’と呼んだ。私と考え方が似ている研究者たちは、総連や民団が主催するパーティーには一切行かなかった。行くことになれば義務感ができ、きちんと批判できなくなると判断した。そのような姿勢で熱心に仕事をした人が梶村秀樹(1935~1989)だったが惜しくも早く亡くなった。独自的運動方式を守ったために受けたストレスと関連があるだろう。梶村は‘イエスマン’ではなく、日本人だけでなく民団・総連両側から批判を受けた。”

-韓国に対する日本社会の認識はどのように固まったか?

“まず植民地支配に対する審判がなされなかった状態で南北が分断された。私たちの世代が記憶する印象は2種類ある。李承晩ラインを越えたとして拿捕される日本漁船,日本の闇市を支配する‘第三国人’というイメージだ。そこに朝鮮戦争が重なる。それで特に市民運動側では韓国民衆の姿が見えなかった。もう一つは社会主義幻想の中で、南側はめちゃくちゃだが北側は良いという意識があった。それが帰国運動(北送事業)に繋がった。私が韓国にも私たちのような民衆がいて、闘争しているということを初めて認識したのが4・19革命だ。大学1年の時でよく覚えている。韓国で民主主義のために戦っている人がいるということは日本の運動側にとって大きな衝撃だった。4・19は1960年の日本の6・15安保闘争にも影響を与えた。

65年の韓日条約締結の時には日本でも反対運動があったが、主に軍事同盟反対が理由だった。植民地清算問題と関連があるということはほとんど認識されていなかった。今でも話されていることだが,当時のスローガンの一つが‘ポクニヤルノワポクニクレ’だった。(姓氏‘朴’の日本語発音は‘私’という意のポクと同じだ。パクに与えることは私にくれという意味)有・無償合わせて5億ドルが植民地支配清算ではなく朴正煕に5億を捧げるということと認識されていた。”

韓国4・19民主主義運動の衝撃
日本の6・15安保闘争に影響

-三国人という言葉は2000年に石原慎太郎東京都知事が陸上自衛隊基地で行った演説で使い物議をかもしたことがある。当初から差別的意味が込められていたのか?

“当事者でない第三者という意味で、本来は中立的な言葉だ。戦後、占領軍司令部が日本政府に覚書や指令を送り、統治をするのに日本居住朝鮮人・台湾人は日本人でもなく連合国人でもないので第3の範疇として使った。これら朝鮮人・台湾人の法的地位は非常に不安定だった。特に台湾人は中国が戦勝国であったために日本人との関係で法的地位が一時的に逆転した。それが感情的屈折を起こし沈殿物として残った。普通、日本人たちの感情では今まで自分より下にあると考えた人々が優位にのぼったことを受け入れるのが難しかった。以前には道であえば頭を下げ避けていたのに、今は避けないのみならず強気で出てくると機嫌を損ねたのだ。連合国の占領期間中、朝鮮人・台湾人に対ししばらく警察当局の行政力が届かなかった。当時の国会速記録を見れば‘朝鮮人が勝手に横行しているがなぜ取り締まりをまともにできないのか’という質問がたくさん出てくる。本来、朝鮮人という言葉は卑下の意味が含まれていた。それで週刊誌が麻薬取り引きなど法律違反行為者を記事で扱う時に問題にならない三国人という言葉をしばしば使った。それと共に非常に否定的イメージに変わった。”

-戦後補償運動に長い間関与した。日本社会でこの運動が持つ意味は何か?

“何よりも日本人の歴史認識を問い直すという点で重要だ。80年代に入り、アジア地域で戦争と植民地支配の被害者を呼び証言を聞く集会を開いた。歴史教育をきちんと受けることが出来ない日本人たちは、そのような集会を通じて全くわかっていないことを悟った。例えばインドネシアの被害者の証言を聞き‘いや日本がインドネシアを占領したことがあったか’という反応を示した。こういう過程を経て‘加害者としての責任’‘戦後責任’‘戦後補償’という用語がマスコミを通じ一般化された。”

‘強制動員真相究明ネットワーク’
韓国政府と協力 重要事例

-戦後清算と関連して日本はドイツと比較しだいぶ劣るとよく言われるが….

“ドイツで補償運動をする活動家に聞けば反対の話をする。ドイツで一般市民が自己責任の下で補償運動,清算運動をする人はいない。ドイツ政府が補償をしたことは事実だが、それも抜け落ちた弱点が多い。市民運動で問い詰めれば日本が先んじたということができる。”

-韓国で日帝被害犠牲者らに対する本格的調査はノ・ムヒョン政権時に政府次元の調査委員会が構成されて始まった。個別研究は日本人学者が先立ってしたという感じがする。

“そうでもない。個人的な話をすれば70年代に結婚して姑に関東大震災の時の記憶を聞いたことがある。朝鮮人が井戸に毒を入れて襲撃してくると大騒ぎだったと話した。それをまだ信じているのかと尋ねたところ‘なに、それが嘘だと?’と反問したよ。戦後もその時まで姑の意識を変える歴史研究がなかった。それが誤りだと初めて書いたのがカン・ドクソン教授の本だ。朝鮮人強制連行に対してもパク・ギョンシク先生の本が初めだ。人々が部分的には知っていたが、歴史的資料を通じて本格的な本を出したのは在日同胞学者たちだ。結局、日本人たちは各自口では話していても、まともに考えてはいないのではないかという反省が起こった。ザイニチ(在日同胞)たちは自分たちの問題であるから必死に研究し、日本社会に投じたのだ。また韓国社会は民主化のための闘争に長い間専念するほかはなかった事情がある。”

-‘強制動員真相究明ネットワーク’の共同代表も受け持っているが、どんな活動をしているのか?

“徴兵,徴用などで強制連行され犠牲になった人がいれば、遺族たちにいつどこでどのように死んだのかを知らせることが日本政府の最低義務だ。しかし、日本政府は立ち上がってこういう仕事をしなかった。韓国人遺族たちがしつこく問い合わせをして、軍歴証明書のような文書を受けとっても何の内容なのか理解するのが難しかった。それで政府がしないならば市民の力で行おうと同意を集め、各地域の市民団体や研究者らが結合して情報を共有するネットワークを作ったのだ。私たちは厚生労働省に直接資料を要請する訳には行かないが、遺族の委任状があれば代わりに照会が可能だ。韓国の強制動員真相究明委とも緊密に協力をしている。強制動員真相究明委の依頼があれば私たちの知恵を集めて返事をする。韓国政府の真相究明作業と日本の市民運動が協力する重要な事例だ。ところがより一層重要なのは、日本政府,特に厚生労働省の消極的態度が変わらなければならないという点だ。”

朝鮮人問題 言論に言及すれば
右翼が夜明けに電話で殺害脅迫

-2000年東京で軍隊慰安婦関連国際民間法廷を開くのに深く関与した。右翼から直接威嚇を受けていないか?

“直接受けたのは恐らく民間法廷開催を主導した,松井やより(1934~2002.朝日新聞編集委員・市民運動家)だろう。この頃、右翼たちは個人よりはそのような行事を報道した朝日新聞やNHKのような報道機関を尋ね歩き威勢を張る。以前に朝鮮人差別問題や靖国神社合祀などに関し報道機関に論評をすれば、家に脅迫電話がかかってきたり郵便物が配達されたりした。右翼は明け方4時にも電話をかけて殺してやる,爆弾を設置するなどの脅迫をする。”

-そういう時はどのように対応をするか?

“夫が電話を受ける場合が多い。電話を切っても何度もかかってきて、夫が英語で話をすると中断されたこともある。” (笑い)

-松井やよりとともにアジア女性の差別問題にも大きい関心を見せてきた。学者と社会活動家どちら側により比重を置いているか?

“私を学者と考えたことはない。大学を卒業して教師をしている時も学者になりたいとは思わなかった。70年に日本朝鮮研究所で仕事をした時は、学者,活動家の区別はなかった。運動して学び、学んで運動したというのだろうか? 戦後日本の民法が改正され、女性差別がちょっと変わったのだが、私はその問題に敏感だった。60年代に大学で安保闘争をした時も、朝鮮人差別,民族差別はよく分からなかった。私たちが女性の平等を主張するならば民族差別と植民地問題も共に扱わなくてはいけないと考えた。” <1部 終わり>

東京/キム・ヒョスン論説委員hyoskim@hani.co.kr

内海 略歴

1941年生まれ
早稲田大卒,早稲田大学院博士課程
恵泉女学院大教授
早稲田大学院アジア太平洋研究科客員教授
強制動員真相究明ネットワーク共同代表
著書<赤道下の朝鮮人叛乱>(1980)<朝鮮人BC級戦犯の記録>(1982)<シネアスト許泳の昭和>(1987)<日本軍の捕虜政策>(2005)<キムはなぜ裁かれたのか>(2008)

原文: http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/233/397662.html 訳J.S





韓-日 近現代史 代案的一勉強会‘KAJA’

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原文入力:2010-01-07午後08:36:18
韓流に加え光州虐殺・南北離散にも関心
[2010 特別企画 省察と挑戦] 庚戌国恥100年新たな100年

←朝鮮人B・C級戦犯らが1956年8月鳩山一郎総理との面談を要求し総理官邸前で座り込みをしている。

2003年は韓-日文化交流で新紀元を開いた年だった。ペ・ヨンジュン,チェ・ジウが主演した<冬の恋歌>が‘冬のソナタ’と改名されTV電波に乗った。日本の中年女性たちを中心に反応は爆発的だった。関心対象がドラマにとどまらず映画・歌謡など大衆文化全般に広がっていった。韓流ブームが起き韓国を訪れる日本人観光客も急増した。日本政治家の相次ぐ妄言や独島問題による韓-日間の感情対立,ひいては韓国-北韓の武力衝突リスクも日本女性たちの韓国行を阻むことはできなかった。この爆発的エネルギーを両国の歴史的和解造成にまでつなげる方案があるだろうか? そうであれば傲慢で無知な政治家たちが絡まらせた問題に新たな突破口を開くことができるはずなのに….

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まだ夢のような話でもあるが、それを先頭に立って実験する集いがある。名前は英語の略字‘KAJA’と言う。日本の名前は別になく、あえて翻訳しようとすれば‘代案的韓-日勉強会’となる。韓国語で関心がある所なら行こうという意味も含まれているという。韓流に没入した日本女性が一年にレンタル店で借りて観るビデオテープやDVDの数は数百ヶに達する。KAJAの会員たちは‘韓流中毒症’に罹ったという共通点の他にプラスアルファを行う。ドラマや映画を観て両国間にからまった近現代史を勉強することだ。ところでその情熱が普通ではない。歴史の現場を肌で感じるために平和紀行を企画し、光州望月洞,平沢,大楸里,華城梅香里,智異山を訪ねて行った。分断と韓民族の離散を体験しようと開城,金剛山はもちろん中国延辺まで訪ねた。定期的にセミナーを開くこの集いの存在を初めて聞いた時、主客転倒したような気がして取材をためらった。家でTVドラマをほとんど見ないので元手が足りないためだ。

昨年12月9日、東京,新宿のコーヒー店でKAJA執行部の3人に会い、集いの‘正体’に関する話を聞いた。これらの集いで<砂時計> <大長今> <華麗なる休暇> <第5共和国> <ソウル1945>などは必見作品だった。記者が怠惰のために見られなかった<外泊>のようなドキュメンタリー物の名前もスラスラと出てきた。割引店ホームエバーから解雇された非正規職女性たちの闘争が盛り込まれた<外泊>を見て韓国の民衆歌謡にほれこみ習いに通う会員もいるという。

08kingendai1←韓流を通じて韓国近現代史を習うKAJAの執行部。右側から津留佐和子会長,オオエ タカコ,ナカガワ ミドリ。

集いの会長、津留佐和子は驚くべきことに八十の高齢だった。千葉県,浦安市で市会議員を長くして反戦・反核決議を主導し、日本の代表的軍縮平和研究所である‘ピースデポ’の理事としても在職した。1930年生まれで満鉄(南満洲鉄道)に勤めた父親について3才で満州に行き、敗戦後の46年に本国に帰ってきた。少女時期に誤った政策,政治家の誤った判断がどれほど国民に苦痛を与えるかを痛感した彼女は韓国の現代史を知ってとても幸せだと話した。ドラマなどを録画し、インドネシアで公正貿易の仕事に従事している娘にも送ったりして忙しいと語った。

会長は最年長者が推戴されただけで老人たちの集いではない。2007年末に規約を作り正式スタートしたKAJA会員は現在30人にならない。年齢層は50代が多く性別では女性が圧倒的だ。職業はサラリーマン,団体職員,主婦,出版編集者,研究者など多様だ。コモンズという出版社を営んでいるオオエ タカコは‘人生の幅が広い’人々がいるということが特徴だと話した。

集いの由来は市民団体パルクが4年前に開いた連続講座‘もう一つの韓流-映像で韓国現代史を見る’だった。講座を聞いた人々が‘一般韓流’ではなく‘真の韓流’を見ようという趣旨で自然に集まったという。生協運動の活動家だったナカガワ ミドリは集いの意義について「今まで日本人が韓国を理解する機会はとても限定されていた」として「在日差別問題などにまともに対抗することができず、いつも申し訳ない部分があったが、今は‘ありがとう。仲良くしよう’と話せるようになったことを強く感じる」と明らかにした。オオエは80年の‘光州虐殺’に対し「事件があったのは知っていたが具体的にどんなことだったのかは何も知らなかったことが恥ずかしい」と話し、熱心に韓国現代史を勉強していると語った。

KAJAは変化の軸なのか、はたまた突然変異だろうか。韓国に行ってきた人々に歴史ドラマを薦めたりするナカガワは「強力な流れになることはないけれど徐々に染み込んでいく」と話した。

東京/キム・ヒョスン論説委員

原文: http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/233/397652.html 訳J.S


独島への道 広がる

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原文入力:2010-01-07午後10:37:27
3月 人員・公開地域 拡大

パク・ヨンニュル記者

3月から独島に入れる人員が大きく増える。

鬱陵郡は入島承認手続きと独島公開地域の拡大,観覧料徴収,独島名誉住民証発給などの内容を盛り込んだ‘独島天然保護区域管理条例’を用意したと7日明らかにした。これは文化財庁が昨年8月、独島の公開地域を現在の東島船着き場から東島全体と西島船着き場,住民宿舎などに拡大し‘入島承認権’を鬱陵郡に委譲する内容の行政命令を下したことに伴うものだ。

条例案を見れば、現在一日1880人に人員制限しているのを、1回470人に増やす代わり海鳥繁殖期である5月と6月には1日6回に制限することとした。また4~6月には特別な場合を除きヘリコプターを利用できないようにし、希望者は申請を受け確認手順を踏んだ後に名誉住民証を発給することにした。

パク・ヨンニュル記者ylpak@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/area/397736.html 訳J.S



‘黒の喪服’ 353日目の弔問行列についに慟哭

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原文入力:2010-01-07午後11:12:20
龍山惨事犠牲者 葬儀…各界要人 葬儀室を訪ねる

チョン・ユギョン記者,イ・ジョングン記者

←‘龍山惨事’で犠牲となった撤去民5人の告別式を2日前にした7日午後、これらの葬儀室が整えられたソウル,龍山区の順天郷大学病院葬儀場で市民が遺影の前でお辞儀をしている。告別式は9日午後2時、ソウル駅広場で開かれ午後3時には龍山惨事現場で路祭が行われる予定だ。 イ・ジョングン記者root2@hani.co.kr

 "アイゴー久しぶり…. アイゴー…."
1年ぶりに病院霊安室でとても冷たい遺体になって横たわっている夫イ・サンニム氏の顔を見ての帰り道、チョン・ジェスク氏はついに泣き崩れた。夫の告別式を控え遺体を確認したが、今も死が信じられないという表情だった。昨年1月20日ソウル,龍山区,漢江路2街の南一堂ビル屋上の望楼で火に焼かれて亡くなった夫は1年近く順天郷大病院霊安室で葬儀を待たなければならなかった。

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龍山惨事遺族たちは7日、このように3ケ月ぶりに葬儀を行うためにソウル,漢南洞の順天郷大病院に戻ってきた。これらは昨年9月まで病院に留まり戦ったが‘龍山惨事’現場に移り座り込みを続けた。

この日午後、病院4階葬儀場にイ・サンニム,ヤン・ヒソン,ハン・デソン,イ・ソンス,ユン・ヨンホン氏など撤去民犠牲者5人の焼香所が整えられた。チョ・フェジュ・イ・ガンシル葬儀常任委員長が葬儀委員会を代表し初めての弔問を行った。続いて焼香所を訪ねたハン・グァンオク前民主党代表・キム・ヒチョル民主党議員が遺族たちの手を握った。頑張って淡々とした姿を見せていた遺族たちは3番目に弔問をしたキム・トクチン天主教人権委員会事務局長の前でついに泣き叫んだ。

夫が亡くなったという便りに順天郷大病院に飛んできた遺族たちが警察の制止により遺体確認さえ出来ずにいる時、一番最初に駆け付けた人がキム事務局長だった。一日ぶりに遺族の同意さえなしになされた解剖検査の前で「遺体を出せ」として泣き叫んだ遺族たちの代わりをしてキム事務局長は真相調査団を設けて抗議に出た。黒の喪服を着て353日目の夫人たちは彼の手を握り今一度1年前をふりかえるようにしくしくと泣いた。

イ・サンニム氏の長男イ・ソンヒョン氏は「初めてきた時は遺体さえ見せなかったが、(葬儀を行うことになって)感慨が一入だ」と話した。彼は「亡くなった方々のことはここまでで、残りは生きた人間の役割」として「龍山の真実が何かをきちんと知らせ亡くなった方々の名誉を回復することに力を注ぐ」と話した。

この日葬儀場には、ハン・ミョンスク前国務総理とノ・フェチャン進歩新党代表,チョン・ジョンベ民主党議員,シム・サンジョン進歩新党前議員,ホン・ヒドク民主労働党議員らが訪ね弔問した。ノ・フェチャン代表は「未解決課題として残った再発防止対策をたてることが真の弔意を表わす道」として、国会に係留中の再開発関連法の処理を要求した。

‘龍山惨事撤去民民衆烈士汎国民葬’として行われる今回の葬式は9日午前9時順天郷大病院で出棺式を開き、昼12時ソウル駅広場で告別式,午後3時には惨事現場での路祭の順で進行される。5犠牲者らは午後6時、京畿磨石,牡丹公園民主烈士墓地に安置される予定だ。

チョン・ユギョン記者edge@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/397656.html 訳J.S




朴槿恵 "世宗市修正案 反対"

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原文入力:2010-01-07午後10:50:02
"党論で確定しても受け入れられない" 表明
与圏 計画に支障…国会通過も難しい公算

シン・スングン記者

←朴槿恵 ハンナラ党前代表

朴槿恵 ハンナラ党前代表は7日‘9部2処2庁’を世宗市に移転する原案が守られなければならないという意志を明確にした。朴前代表はまたハンナラ党が政府が用意した修正案に賛成する党論を確定しても、これを受け入れないと明らかにした。これに伴い11日の修正案発表を契機に世宗市への部署移転白紙化を固定化しようとする与党指導部の計画に大きな支障が予想される。

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朴前代表はこの日、ソウル プレスセンターで開かれた‘2010財経大邱・慶北人新年賀詞交換会’に参加した席で記者らと会い「いかなる場合にも信頼が基本にあればこそ和合もできる」とし「原案が排除された修正案には反対する」と話した。朴前代表は親朴系重鎮のホン・サドック議員がこの日提案した‘5~6部署だけを移転する折衝論’に対して「私との議論はなかった。(ホン議員)個人の考えだ」としてこのように話した。

先立ってホン・サドック議員は<連合ニュース>とのインタビューで修正案確定方針を明らかにした政府に「9部2処2庁の世宗市移転を白紙化させようとする政府の修正案は国会でまさに否決処理されるだろう」として「9部2処2庁の内、5~6部署と適切な水準の処・庁を配分しよう」と折衷案を提案した。

朴前代表はまた親李系の一角で政府の世宗市修正案発表後、世論説得のために国会表決時期を遅らせようという主張に対しても「それは党論を(新しく)作るということだが、厳密に言えばそれは党論を覆すこと」として「そのように党論を作ったとしても反対する」と話した。

朴前代表が2005年に国会を通過した9部2処2庁移転計画を核心にした‘行政中心複合都市建設のための特別法’を傷つける修正案には同意できないという意志を明確にしたことにより、来る11日に政府が修正案を発表しても国会での法案処理は難しいと展望される。

シン・スングン記者skshin@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/397751.html 訳J.S




関東大震災時の軍隊資料に‘日本政府虐殺関与’証拠

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原文入力:2010-01-06午後10:22:29
[2010特別企画 省察と挑戦] 庚戌国恥100年 新たな100年
④カン・ドクソン

カン・ドクソン在日韓人歴史資料館長は「半分と半分が戦えば4分の1にしかならないので差別と蔑視を受ける」と話した。 東京/キム・ヒョスン論説委員hyoskim@hani.co.kr

在日元老史学者のカン・ドクソン氏の日本生活は2才の時の1934年12月、母親に背負われ大韓海峡を渡り始まった。未だ胎内にいたカク氏を残し発った父親が店員などしもべ暮らしを経て東京の古物商部落に定着し家族を呼んだのだ。青少年期の劣等感と被害意識に勝ち抜き、ルーツ探しのための歴史研究に入った彼が長期にわたる講師生活を経て一橋大学の教授として就職したのは1989年4月だ。韓国出身の学者が日本の国立大学教授として採用されたことはあるが、在日同胞としては彼が最初だ。20代の若い時期に共に学んだ日本人同僚たちが席をみつけ去るのを見つめながら引退を考える晩年に講師から一足飛びに教授になった彼の経歴は、植民地出身者がかつての宗主国に残り体験したわびしい暮らしを反映するものでもある。
母国の分断により2つに分かれた同胞社会で、強制連行の歴史を暴き民族教育を通じて後世に伝えることは、長い間総連の専有物だった。民団系学者に分類される彼の活動は深刻な気運不均衡を正す役割をしたという評価を受けている。植民地支配の弊害を指摘する時、日本社会が受け入れる方式は批判主体が日本人か在日同胞かによって変わる。それで仮設をたててもさらに実証的研究をしなければならないということを彼は骨に凍みるほど感じた。現在、在日韓人歴史資料館長である彼に昨年11月4日に会った。悪条件の中で奮闘してきた彼は、国内のニューライト系学者らの言動に憤りを隠すことができなかった。ある学者が日本にきて講演をし「韓国人がデパートで商品を買うことができる機会を持つようになったのは日帝時代だった」と平然と話しているのを聞き、衝撃を受けたと語った。

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07kang総連 専有物 在日 韓民族史
民団の視覚で不均衡を補完する

-幼かりし時‘皇国少年’として育ったというがどういうことか?

"今では考えられないような差別があった。家で古物収集商をしていたが廃紙・屑鉄などを集めてくる人が10人程度いた。その日暮らしの人で夕方に集まれば酒を飲み花札をして喧嘩もたびたびした。それで周辺の日本人たちが朝鮮人は騒々しいと後ろ指を指した。日本人の友人の家に行けば、母親が教養がある上に家庭教育もよく出来ていて雰囲気が違った。だから日本の子供たちと喧嘩をしてもげんこつでは勝つが‘朝鮮人’という声を聞いただけでめげた。中学校に入ると陸軍幼年学校や海軍兵学校に入隊した学校の先輩たちが制服を着て現れ自慢した。それがとても素晴らしく見え、軍人になれば差別から抜け出すことができると思った。中学校2年の時、空襲が激しくなり宮城県の中学校に疎開して解放をむかえた。同胞が日章旗に上塗りして作った太極旗をその時に初めて見た。"

-早稲田大学1年の時に退学処分にあったというが、どんなことがあったのか?

“1950年に入学したが占領軍司令部による共産党追放(レッドパージ)と6・25戦争で毎日集会が開かれ勉強する雰囲気ではなかった。当時、米国が原子爆弾を使うといううわさが出回った。世界平和擁護大会が50年3月‘ストックホルム アピール’(最初に原子兵器を使った政府は人道主義に反する犯罪を犯す者であり戦犯として扱われなければならないという趣旨)を発表した。世界平和の中心が朝鮮だと言われた時だった。集会に出て行き逮捕され退学処分を受けた。”

-民族団体に加入しなかったのか?
“日本の学校にずっと通って韓国語が下手なうえに勇気もなかった。そちら側の活動家は韓国語と文字を眩しいほど上手く私を同僚として受け入れてくれるだろうかと悩んだ。”

米軍政, 日本で収集した資料に
関東大震災時の軍隊活動が出てきて

-学習院大東洋文化研究所客員研究員である宮田節子が実名宣言(自ら韓国人であることを明らかにすること)の現場にいたと言うが?

“今振り返ってみれば何の考えもなしに大学に入り、集会で大物たちのそばにいたが逮捕された。やはり大学では勉強をしなければならないという反省をした。教授会で逮捕されたからと無条件退学処分にするのは苛酷だという決議があり、1年後に復学した。大学の講義は本当につまらなく習うことが一つもなかった。中国研究会に入り外部の著名な方を迎えて勉強した。当時、中国が世界を動かすという風潮があった。そのような集いの席で、本当は朝鮮人で今後は朝鮮史を研究すると明らかにした。その時まで日本人の名前をずっと使っていたので周辺の学生たちは私をみな日本人だと思っていた。”

-そのような決心をした契機があったのか?

“2つある。当時、朝鮮近代史研究の中心だった山辺健太郎(1905~1977.日帝時に左翼労働運動で服役,敗戦後釈放)に会ったが「君は朝鮮の人なのになぜ中国史をやるのか」と尋ねられてね。学界の変わり者だった彼は「日本の近代は朝鮮植民地支配抜きには考えることができず、朝鮮は日本を見る鏡だ」として「日本にいる君たちが朝鮮史をしてこそ意味がある」と言った。

もう一つは、大学の先輩の親父さんで東京大教授だった出 隆いで たかし)(1892~1980.古代ギリシャ哲学専攻,アリストテレス全集編纂)を訪ねて行き挨拶したところ<ある哲学青年の手記>という自身の本をくれた。安重根が伊藤博文を狙撃した時、高校生だった彼が書いた日記の内容があった。日本全体が朝鮮人排斥を騒いでいる時、伊藤は朝鮮に原罪を作り、朝鮮人の立場で考えなければなければならないと書いていた。日本人の中にもこのように冷徹に客観的に見ている人がいるということに大きな刺激を受けた。”

-植民地朝鮮出身官僚たちの集いである友邦協会と若い学生たちが1958年に共に作った朝鮮近代史料研究会に最初から出席したが実際に研究に役に立ったか?

“たくさん習ったが今考えてみれば私達に知識がなく勉強が不足した状態だったのできちんと尋ねることができなかったのが惜しい。政務総監をはじめとして実際に政策を立案したり執行した関係者たちが講師として多く出てきた。当時は朝鮮人大学生の学徒兵動員や夢陽 呂運亨の活動に全く考えが及ばずに、そのような内容を質問できなかったことが残念だ。50年代後半には一般大学で朝鮮史講座を開いている所が殆どなかった。梶村秀樹をはじめとする日本人学生参加者たちは近代史料研究会に出てきてハングルを習い始めた。戦後の日本の朝鮮研究はそこから始まったということができる。”

“伊藤博文,朝鮮に原罪”東京大教授の著書に大きな刺激

-友邦協会理事長だった穂積真六郎は老獪な植民主義者ではないのか?

“違う。植民地官僚時期にはいろいろあったが人間性は良い人だ。私は大学の先生には一つも習ったことがないが、この人は私の恩師だ。なぜなら関東大震災時の朝鮮人虐殺と関連して発表をするのに‘それでは足りない’‘よく納得が行かない’として四回もやりなおした。読売新聞の社長を務めた正力松太郎(1885~1969)等、事件当時に警察高位層だった人々に紹介状を書いてくれ、行って直接話を聞いてみろと言った。結局、面談を拒否されたがそのような過程を経て内容がはるかに強固になった。日本人を非難する朝鮮やろうだと警戒する意識は全くなかった。むしろ自分に愛嬌をふりまく朝鮮人が嫌いだと言った。”

-友邦協会の人々と葛藤はなかったか?

“警務局長を務めていたハラダ ダイキチは‘お前たちはここに来るな’と露骨に敵対感を表わした。後で話を聞くと、上海に行き独立運動を取り締まった時に銃に撃たれんだと言っていた。弾丸が胸に残っていて、時々胸が痛むと言った。”

-5・16クーデターの後、韓-日交渉関係で友邦協会を訪ねる韓国人のお客が増えたと聞いた。

“韓国電力社長を務めた人がきて、日本人に‘閣下,閣下’と言うのを見たことがある。日帝時の上司だったようだ。いずれにしても交渉窓口を探そうとするのか、韓国から人々がたくさんきた。それで友邦協会の幹部たちは池田内閣(60年7月から64年11月まで存続. 池田隼人は朴正煕が61年11月にケネディ大統領に会いに行く訪米の途中、東京に立ち寄り会った日本総理)の誰それを訪ねて行けば良くしてくれると話した。日帝時に朴正煕を直接教えたというある日本人は韓国の食糧問題を解決するために、葛の栽培方法を教える手紙を朴正煕に送ったと自慢をしていたよ。代表的親日派だったパク・チュングムもよく来て、前職政務総監たちと交わった。民団でも相手をしないので東京,上野で旅館をしていたが亡くなった。朝鮮人BC級戦犯たちも訪ねてきた。”

3・1運動の報復として‘在日朝鮮人組織的殺害’判断

-戦犯に追い込まれた朝鮮人たちは暮らしのためにタクシー会社免許を受けられるようにしてくれと言ったというが?

"そう言っただろう。その時は戦犯という先入観があって良く見えなかった。”

-共和党国会議員をして69年にスパイ疑惑で逮捕され処刑されたキム・キュナムも時々セミナーの集いに出てきたと言ったが本当の話なのか?

“彼は明治大学に来ていたが東京大学で博士学位を受けた人だ。友邦協会の集いで一緒に勉強したことがある。彼が経済史元老のチェ・ホジン教授がきたと言って私と梶村秀樹に一緒に行って会おうと言った。丸ノ内のあるホテルに訪ねて行ったが後についてくる人がいた。ホテルから出て友邦協会に行くのにもずっと尾行をしていた。韓国の機関員だと思った。”

-時期的にいつ頃なのか?

“多分62,63年であっただろう。”

-その時ならば国交正常化前で公館が正式に設置されていなかったが、機関員が活動していたという話なのか?

“そうだろう。”(73年キム・デジュン拉致事件の時の実行主犯の一人であったキム・ドンウン当時日本大使館書記官も修交以前に新聞社特派員に偽装して日本で活動していた)

韓日修交前 近代史研究を行うとき
韓国機関員と推定される人物が尾行

-学問の道に進み、研究方向はどのように決めて行ったか?

“当時は経済史があたかも歴史研究の核心という風潮があり、貨幣分野をやり総連系研究者のパク・キョンシク(1922~1998)に会った。65年に出た<朝鮮人強制連行の歴史>を書いた人だ。彼は在日同胞たちが日本で生存できる歴史的権利を持っていることを証明することが歴史を学ぶ人の義務だと話し、一緒に勉強しようと言った。私は必要性は共感したが他の方法を考えた。60年か61年か、国会図書館に行ったところ知り合ってつきあっていた司書が、米国から‘返還資料’が届いたから一度見てみろと言った。米国が日本占領の時に持っていった資料をマイクロフィルムに撮り送ったものだ。調べてみると関東大震災の時の陸軍・海軍の資料があった。当時、日本政府がどのように関与したのかが出ていた。朝鮮大で仕事をしたクム・ビョンドンと共に資料を整理し、みすず書房から<現代史史料 6集 関東大震災と朝鮮人>を出した。公開されていない内容であり大きな話題になった。資料編集のために研究をしなければならないので、関連論文を10編程度書き中央公論社の提案で75年に本を出した。”

-関東大震災の朝鮮人虐殺と関連して日本政府の関与を初めて主張したが?

“当時朝鮮人が6000人以上死んだ。地震発生にともなう混乱の中で、軍隊と自警団が偶発的に犯したものではない。朝鮮人たちの民族解放闘争に対する対応だったと見る。甲午農民戦争,義兵運動,3・1運動にすべて繋がる問題だ。それで3・1運動など民族運動を勉強し資料集を継続して出すことにしたが、時間講師の稼ぎでは生計を賄うのが難しく、研究と資料編纂をすべてきちんとすることができなかった。”

歴史を知らない同胞青年の帰化が多い
南北統一されれば解決できる問題

-日本政府は当時資料を公開せず韓国政府も資料を要請したことがないと批判してきたが、変わることはないか?

“今でも同じだ。資料集もその時だから出せたが、最近の雰囲気では出したくても出せないと思う。後ほど聞くと、その資料集が韓国で不法複製され大学でセミナー教材として使われたと聞いたよ。編者の名前もなくて、もちろん印税ももらえなかった。”(笑い)

‐北韓は資料を要求したことがあるか?

“分からない。この頃の北韓は良く知らない。”

-韓国にはいつ入ったか?

“86年の独立記念館開館と関連する。当時、国内学者たちが‘悪い大統領’(全斗煥)に協力しないと言って消極的だったという。私が資料をたくさん持っているという噂を聞いたのか、東京文化院長のユン・タクが訪ねてきて助けてくれといった。私は何よりも国民義援金で作った記念館が開館した時、日本政府やマスコミがせいぜいこの程度の資料で批判するのかと、悪口を言うのではと心配になった。それで独裁政権がやるにしても見るのは一般大衆なので、国外学者が協力をしなければならないと考えて入った。この問題で韓国に行ってくるとやはり非難された。”

-国籍はその時から韓国だったか?

“何度か行き来するから韓国に変えろと言われたよ。行く時は情報機関の許可を受け空港に到着してもそちらから人が出てきた。咸陽の故郷に行った時は警察署が訪ねてきた。その時期には情報関係の人々が横行していた。”

“日帝時、朝鮮人デパート恩恵”韓国ニューライトの卑劣な言葉に呆れる

-老境に入り呂運亨研究に没頭しているようだが。

“時間講師を永くしていて精力旺盛な時間を虚しく過ごしたようで残念だ。そうするうちにまたやってみようと考え、雑誌<三千里>に独立運動家10人程度を連載した。そのような段階を経て呂運亨研究に入った。私が見るに、独立運動の中心は金九でもなく李承晩でもない。解放後に外勢の関与がなかったとすれば呂運亨が民族の指導者になっただろう。”

-同胞青年たちは歴史をよく知らず帰化も多いという。同胞社会の元老として克服方案があるか?

“何より統一しなければならない。日本も10余年前から大きく変わった。小此木政夫慶応大教授は10年前には右派だったが、今は中道と見なされる。それを見れば日本がどれほど右傾化されているのか知ることが出来る。いつも若い人々に言う言葉だが、国が2つあるから蔑視され差別されたのだ。国外で感じるのは0.5と0.5が戦えば0.25となる。日本で拉致家族は一つの利権になってしまった。北が悪いから日本と手を握り共同対応するという考えがあるが、そのような単純な問題ではない。民族的立場で考えるならば、ちょっと違いがなければならない。”

-韓国では歴代大統領の中で朴正煕の人気が圧倒的に高い。どのように見るか?

“強制併合100年をむかえ、植民地化と民族抹殺(ジェノサイド)問題を考えざるをえない。関東大震災の時、道路に非常線を引いて虐殺したのは、まさに朝鮮人であるからこそ殺したのだ。後ほど皇民化政策につながり民族全体を抹殺しようとしたのだ。日本にも歴史修正主義者などがいて韓国にも同じように考える人々が大騒ぎをしているのではないか? 近代化が良いか悪いか問い詰める前に、そのような問題があったことを提起しなければならない。ニューライトの人々がむやみに話をしないようにしなければならない。そちら側の人が最近日本にきて講演をしているが、韓国の人々がデパートで商品を買うことができる機会を持つようになったのは日帝時だったと話したよ。”

東京/キム・ヒョスン論説委員hyoskim@hani.co.kr

■カン・ドクソン略歴
1932年慶南咸陽で出生
早稲田大卒
明治大大学院博士課程
和光大・明治大・信州大講師
一橋大・滋賀県立大教授
在日韓人歴史資料館長

著書<関東大震災>(1975) <朝鮮人学徒出陣>(1997) <朝鮮3・1独立運動-呂運亨評伝1>(2002) <上海臨時政府-呂運亨評伝2>(2005)

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/397512.html 訳J.S



全野党陣営‘MB独走 牽制’選挙連帯 枠組みに拍車

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原文入力:2010-01-08午前08:41:52
市民社会陣営 4ヶ所 選挙連合 狙い活発な取り組み
5野党と協議体推進 政策・候補 共助 準備

ソン・ホジン記者,パク・ジョンシク記者

←チョン・セギュン民主党代表(左端)が7日午前、ソウル永登浦の党事務所で開かれた新年記者会見で「民主改革勢力が真の代案として認めらるためには変化を恐れてはならない」とし進歩陣営間の連帯を提案している。 パク・ジョンシク記者anaki@hani.co.kr

‘6・2地方選挙’が5ヶ月先に迫り‘野党圏連帯’を圧迫する市民社会陣営の動きが本格化している。これらは地方選挙で李明博政府の一方通行式国政運営を牽制し、ハンナラ党の独占構図を打ち破ろうとするには四分五裂された野党圏の連合と積極的な市民参加運動が急務だと強調する。これらは‘言葉だけでの連帯’でなく‘行動の連帯’のために野党を議論の枠組みに引き出すなど仲裁に力を注いでいる。

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弘大前‘小さな龍山’ツリバン(撤去民運営食堂)の戦い

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原文入力:2010-01-08午前08:20:19
東橋洞民間開発 撤去現場, 真冬の厳寒に借家人追い出し
"権利金1億で開業したが3百万ウォンで出て行けと言うので…"
食堂内で単独篭城 13日目

キム・ヨンギ記者,キム・ミョンジン記者

←小説家ユ・チェリム氏が7日午前、地区単位計画で撤去が始まったソウル,麻浦区,東橋洞の自営ツリバン食堂後の撤去現場を見ている。 キム・ミョンジン記者littleprince@hani.co.kr

クリスマス前日の先月24日午後4時頃、営業準備の真っ最中だったソウル,麻浦区,東橋洞の弘益大付近アン・ジョンニョ(52)氏の食堂‘ツリバン’に、がっしりした男たち20人余りが押しかけた。彼らはテーブルと椅子,調理器具などを片っ端から持ち出した。食堂にはアン氏とアルバイト店員など女2人だけだった。男たちはアン氏を外に追い出し、食堂周辺に鉄板で覆った。
"こんなに寒い日、それもクリスマス前日に突然押しかけるやり方は想像もできなかった。" そのまま座り込むことはできなかったので、アン氏は翌日明け方、用役たちがしばらく席を外した間に鉄板をはがし食堂内に入った。電気も切られたところにスチロフォームを敷いたまま座り込みを始めた。

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教科部, 京畿教育庁に‘総合監査’の刃

原文入力:2010-01-07午後08:39:44

イ・チュンジェ記者,ホン・ヨンドク記者

‘教師時局宣言’を主導した全国教職員労働組合(全教組)幹部に対する懲戒可否を巡りキム・サンゴン京畿道教育長と葛藤を起こしている教育科学技術部が京畿道教育庁に対し総合監査を実施することにした。道教育庁は「教科部の指示に従わないことに対する報復監査であり、来る6月2日地方選挙時に京畿道教育長に再出馬しようとするキム教育長を狙った標的監査」と反発している。
アン・ビョンマン教科部長官は7日記者懇談会を開き、「京畿道教育庁が今年教科部の総合監査対象に上がっており、今回監査をすることにした」とし「教科部と監査院は3年周期で全国16市・道教育庁に対し監査をしている」と話した。

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日本 "民間企業 強制徴用 朝鮮人 20万人公開"

原文入力:2010-01-07午後07:31:51
名簿・未支給賃金など
3月 韓国に初めて提供

キル・ユンヒョン記者,キム・トヒョン記者

日本政府が太平洋戦争当時に日本企業に強制動員された朝鮮人労務者たちの名簿と未支給賃金記録などを来る3月に韓国政府に提供することにした。
‘日帝強制占領下 強制動員真相究明委員会’(委員長 キム・ヨンボン・以下 委員会)は日帝強制占領期間に日本本土へ強制動員された朝鮮人労務者の名前(創氏名)と住所,未払い賃金・厚生年金など供託金の金額が含まれる‘供託金資料’一切を日本政府から提供されることに合意したと7日明らかにした。

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供託金とは1945年8月解放以後に朝鮮人労務者たちが大挙帰国することにより日本企業がそれまでに支給できなかった賃金・手当て・厚生年金などを連合国総司令部(SCAP)指針に基づき日本政府(裁判所)に供託した金をいう。

供託人員と金額は資料により少しずつ異なるが、概して20万人余り,2億円程度と推定される。しかし韓国政府は1965年に韓-日協定を締結し国民の個人請求権を放棄し日本政府を相手にこの金の支給を要請することはできない。代わりに韓国政府は2007年に制定された‘太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者などの支援に関する法律’により、供託金1円を2000ウォンに換算し支援金を支給している。

チョン・ヘギョン委員会調査2課長は「今回の資料提供によりこの間資料がなく被害者認定と支援金を受けられなかった人々に支援の道が開かれることになるだろう」と話した。昨年12月現在、軍人・軍属の場合6万4858件の申告が受けつけられ5万6354件(87.1%)が被害者と認められた。しかし、被害者の大多数を占める民間労務者の場合には15万9060件が申告されたが資料不足などで今までに5万7151件(35.9%)しか処理されなかった。その上、供託金に対する支援金を手に握った人は5403件(208億9700万ウォン)に過ぎない。

委員会は今回提供される資料を分析すれば、朝鮮人強制動員実態をもう少し明確に把握できると期待している。今回の資料には三菱・三井など企業別強制動員労務者の名前(創氏名),住所,供託金など詳細情報が含まれており、企業別に動員された労務者・負傷者・死亡者の正確な規模を算定することができる。

日本政府の決定に対しイ・ヒジャ太平洋戦争被害者補償推進協議会代表と福留範昭‘強制動員真相究明ネットワーク’事務局長は「鳩山政府執権以後、過去の問題に対し前向きの立場を見せてくれている」と歓迎した。

<朝日新聞>は「日本政府は軍人・軍属など約11万件の未払い賃金関連名簿を2007年に韓国に提供したが、民間企業徴用者記録を提供するのは今回が初めて」と伝えた。

一方、キム・ヨンボン委員長は「今回の資料は分類だけで6ヶ月を越える時間がかかるが、委員会終了時点は来る3月に迫っている」として「2月の臨時国会で委員会活動期限延長などのための法改正がなされなければならない」と話した。
キル・ユンヒョン記者,東京/キム・トヒョン特派員charisma@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/397640.html 訳J.S






2010年01月07日

報道機関 統廃合 抵抗に税務査察・監査

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原文入力:2010-01-07午後07:22:21
真実和解委, 国家に謝罪・被害救済 勧告
‘言論操縦班’設置…解雇記者の就職も妨害

キム・ミンギョン記者

全斗煥前大統領を中心にした新軍部が1980年に政権を掌握する過程で、数多くの言論人を路頭に追い出すなど言論を弾圧し飼い慣らしたという事実が真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委・委員長イ・ヨンジョ)の職権調査で再確認された。

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盧前大統領 被疑事実公表‘免罪符’

原文入力:2010-01-06午後08:03:48
検, 中央捜査部 捜査チーム 全員不起訴
民主党 "身内庇護" 反発

ノ・ヒョンウン記者

盧武鉉前大統領捜査過程で論難になった検察の被疑事実公表疑惑に不起訴処分が出た。野党圏は‘身内かばい免罪符’だとして抗告すると明らかにした。

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民言連 "KBS受信料引き上げすれば拒否運動"

原文入力:2010-01-06午後09:41:41
パク・ウォンスン氏もブログに文あげ
"政権広報放送 視聴料 払わない"

イ・ムニョン記者

チェ・シジュン放送通信委員長が4日、今年<韓国放送>(KBS)受信料を5000~6000ウォンに引き上げるという意向を明らかにし、市民社会の対応の動きも本格化している。民主言論市民連合(民言連)は受信料引き上げに反対し、引き上げ強行の時は拒否運動に入ると6日宣言した。現政権スタート後、韓国放送受信料引き上げ反対を公表した言論・市民社会団体は民言連が初めてだ。

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満州独立闘争を扱い中央情報部に連行され

06minshu原文入力:2010-01-05午後09:20:42
[2010特別企画 省察と挑戦] 庚戌国辱100年 新しい100年③チョ・トンゴル

キル・ユンヒョン記者

チョ・トンゴル名誉教授は「我が民族が新しい100年をむかえ解決しなければならない最大の課題は南北統一」と語った。彼は立ち居振る舞いが不便であるにも関わらず2時間を越えるインタビューを消化した。

チョ・トンゴル国民大名誉教授は生涯をかけて独立運動史を研究してきた国史学界の元老だ。韓日協定締結後に日本からきた請求権資金の一部で独立運動史編纂委が組まれた時、その初期から関与した。当時、主要な役割を果たした人々が高齢で亡くなったために当時の迂余曲折を話せる大切な証人だ。

チョ教授は何よりも1949年6月が痛憤の極みと語る。反民族行為特別調査委員会(反民特委)が瓦解し、南労働党偽装活動家事件で制憲議会から進歩的指向の議員たちが追い出された。その上、白凡 金九先生までが暗殺された。このために日帝植民地の清算や独立運動史の整理作業がすべて中断された。チョ教授はその結果、大学で近現代史講義が長期にわたり完全になくなり、それ自体が悲劇だったと話した。亡国百年をむかえた今は独立運動史が完全に取りそろったのだろうか? 彼はかつての反共法の条項が生きている限り(歴史の記述が)自由にはなれないと言い切った。70年代に独立運動史の資料整理作業を行い、彼を含む史学者らが情報機関に連行され苦難にあったことがある。昨年12月15日、彼の療養先に訪ねて行き話を聞いた。6年前の脳梗塞の後遺症で行動が不便だったが、ゆっくりと、しかし断固たる声で民族史を取り戻してきたしんどい過程を回顧した。

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06minshu1独立運動史 編纂委 継続関与
生涯をかけて研究に打ち込んだ国史学界の元老

-慶北英陽が故郷だがそちらで幼い時期を送ったのか?

"漢陽趙氏集姓村で田舎だが開化文明は早く受け入れたところだ。小学校の中間にソウルへ転校したが、休みは故郷で過ごした。詩人 趙芝薫と国文学の趙東一教授が同じ村の出身だ。"

-その村(日月面 チュシル里)が日帝時に集団的に創氏改名を拒否したと言うが弾圧を受けはしなかったか?

"門中の大人たちが協議し決議をしたことだ。中心人物は(弾圧を)受けたが、一般人にはなかったようだ。私はソウルのメドン国民学校に通ったが、創氏改名をせず罰をしばしば受けた。檀国大学校総長を務めたチャン・チュンシクが同期生だ。"

-養正学校に通い徳寿商高に移ったが、いつから学者の道を歩こうと考えたか?

"しばらく後のことだ。当時は生活が苦しく、ご飯を食べるために新聞配達,南大門市場事務所の小使もした。今の大韓赤十字社本部のそばにあった民族博物館でも雑用をした。だから商業高校は夜間部に通った。"

-韓国戦争が勃発しあちこち引き回されたのではないか?

"ソウルで人民軍義勇軍に連行されたが逃げて故郷に隠れて暮らした。国軍が入ってくるや喜んだが義勇軍に行ったということが問題になり、下手すれば銃殺されるところだった。紆余曲折の末、学徒義勇軍に入った。当時、学徒義勇軍はほとんど消耗品であったが警察幹部であった実家の長老のおかげか警察に転役した。後ほど試験を受け警査(訳注:巡査部長に相当)に昇進したが、私の行く道ではないという気がしたね。辞表を出し大邱の慶北大学史学科に入った。後ほど5・16が出て学徒義勇軍勤務は軍隊経歴とみなさないとして再び入隊し1年後に認める側に方針が変わり除隊した。"

-大学生活は平坦だったか?

"大学3年の時の1956年、李承晩-申翼熙-曺奉岩が正面対立した大統領選挙があった。その時は選挙運動が金儲けだった。民主党側から助けてくれと連絡がきて行ったが、一日の日当が悪くなかった。民主党学生隊列に入り選挙運動をした。"

1949年 反民特委 瓦解等
植民清算・歴史確立 全て中断

-民主党は野党なのに日当を与えるほどのお金があったのか?

"野党は弾圧を受けたものの選挙後の弾圧に比較すれば比較にならない。5月5日、海空 申翼煕が突然亡くなると民主党側隊列が散り散りになった。海空が亡くならなかったとすれば当選したはずなのに。進歩党側から来いと言われてしばらく選挙運動をした。一度は盈徳郡,南亭面の警察駐在所前にジープを止め近くの食堂に入ったらご飯を食べて出てくると車がひっくり返されていたよ。それをちゃんと立て直すのにどれほど時間が長くかかったか…"

-選挙が終わった後、弾圧が更に深刻だったといったが、どんなことがあったか?

“選挙の時は野党弾圧が中央党に集中し、地方では激しくなかった。選挙が終わるや進歩党事件を起こし、曺奉岩を死刑にしアカの党に追い立てた。私のような場合には就職できなかった。その時期の大学卒業生に開かれていた働き口は教師・記者・銀行員程度だったが身元照会が厳しかった。故郷の自由党国会議員が入党すれば望みどおりの就職をさせてあげると言ったが断った。江原道で奨学官をしていたナム・ギュオクという方が良く見てくれて、江原道の高城高等学校で教職生活を始めた。それが縁となり江陵農高,春川女子中,春川教大移り通った。”

-春川教大時期、独立運動史編纂委員会(以下 編纂委)に関与することになった契機は?

“春川教大に行き、初めに先史考古学をやった。初期に書いた論文が‘北漢江流域の支石墓(コインドル)’,‘江陵地方先史社会考察’だ。昭陽江ダム建設時、水没地区の文化遺跡調査委員もした。そうするうちに69年に日本から受け取ったお金の一部で独立運動史編纂委を作る時、編纂委員だったホン・イソプ延大教授(1914~1974)が推薦をした。ホン教授は春川にいたチュ・ジェヨン神父(1895~1975 全州教区長・大邱教区長歴任,カトリック教会史研究)を通じて知ることになった間柄だ。ホン教授はチュ神父の‘韓国教戒師の擁護’のような本に反して、時々下ってきたがお二人が会う時に私もときおり呼ばれた。ホン教授は編纂委に若い人が必要だと言い、私を強力に推薦した形だ。それで知らない人は私が延大の弟子だと思っている。春川教大を辞任しソウルにきて常勤しろということだったが、私の事情もあって一週間の半分は春川で勤め、半分はソウルですることに調整された。それで独立運動史研究が職業研究となった。”

近現代史の講義をすれば左翼と言われ
1987年にソウル大で初めて講座

-編纂委活動は解放されてもしばらく経ってから始めたわけだ。当時独立運動史研究は殆どなかったようだ。

“解放直後には独立運動史に関する本がたくさん出た。1948年8月に政府が樹立された後、国会で反民族行為特別処罰法が作られた程に一般国民や政治家たちの意識は独立運動史側にとらえられていた。しかし1949年6月に3つの事件が起き流れが反転した。イ・スンマン政権が反民特委を襲撃しその事務室をたたき壊し国会議員の中のちょっと進歩的で勇気のある果敢な人々を捕まえて行き、南労働党偽装活動家事件を仕立て上げた。そしてイ・スンマンの最後の政敵だった白凡 金九が暗殺された。進歩的学者たちはこれを6月反動事件と呼び、やや保守的な人々は6月波動と言う。この時から独立運動をしたと言えば金九系列にされ、軍隊では進級できず社会でも出世の道が塞がった。学校での独立運動史研究はそれで終わった。それ以前には着実に本も出て研究が進行されていた。その結果、大学で長期にわたり近代史・現代史講義が完全になかった。歴史は一世代が過ぎてこそ客観化されるという理由を掲げたが、そんなことは日本の学者たちが話していたことだ。それ自体が現代史の悲劇だ。とにかく近・現代史をすれば左翼にされたから。ソウル大学校大学院に近・現代史講座ができたのが87年だが私が行って講義した。それも6・10抗争など民主化運動と関連がある。講座を作れとの内部の要求を大学当局がこれ以上不穏な動きと見られなくなったのだ。ソ・ジュンソク成均館大教授の学位論文が90年に通過したが、それがソウル大で現代史研究から出てきた博士学位1号だ。”

-編纂委の草創期、どこから始め、どこまで引張って行くのか悩みが深かったようだ。基礎調査や運営はどのようにしたのか?

“資金をどのように運営したのかはよく知らない。とにかく何か申請すれば必要な資金はくれた。独立運動史研究を本格的に始めるのはそれが初めてなので、仕事をする人々が一種の責任感,意欲を持っていた。リュックサックに5万分の1地図,カメラ,録音機などを入れ砂利道を往復バスに乘って行って歩いて証言を聞き資料を探した。交通がとても不便で苦労したが、やりがいもあって楽しかった。”

-田舎といえば主にどこに通ったのか?

“私は江原道にたくさん行った。毎年主題を決めて一つずつ整理していった。初めは義兵運動をやり、3・1運動などに変わった。70年のある日、鉄原で録音機のスイッチを入れて証言を聞いていると、雰囲気がちょっと変になり門がごとんと開かれた。銃を持った人々が入ってきた。住民たちがスパイだと申告したようだ。”

-当時でも30代半ばだったと言うが村の長老たちの反応はどのようだったか?

“初めは少し疑い深そうにしていたが、後からは調子にのって話してくれた。今でもその頃尋ね歩いた村に行ってみれば、私がとても老けたことが分かる。本当にあの時のチョ・某なのかと尋ねられたりもする。”

06minshu2←座談をしているチョ名誉教授と<ハンギョレ>キム・ヒョスン論説委員(左側)



保安法にかつての反共法が残っている限り‘独立通史’限界

-尋ね歩く時、何か根拠や資料のようなものがあったか?

“端緒と言えば裁判書類や当時の警察報告程度だ。編纂委スタートの時でも、そのような資料が釜山刑務所にあった。69年に釜山刑務所を訪ねて行き、1ヶ月間かけて資料調査をした。その時は裁判書類も自由に見ることはできなかったので。大検察庁から許諾を受けて行ったりした。”

-一緒に仕事をした方には誰がいたか?

“義兵運動研究をしたキム・ウイファンは亡くなったし、編纂委歴史室長をしたイ・ホングンも交通事故で早く亡くなった。イ・カンフン(1903~2003,独立運動で12年投獄)先生も亡くなったし。”

-光復会会長を務めたイ・カンフン先生の独立運動回顧録が70年中盤に出てきたが。

“私が江原日報に連載するよう斡旋した。新聞に連載する時は、題名が独立運動半世紀だった。無政府主義者の先生は4・19後、日本から帰国し5・16クーデターの時に逮捕され、しばらく監獄に閉じ込められた。”

‘親日人名辞典’発刊
民族問題 一つの結節点

-編纂委の仕事をして中央情報部に連行されたというが?

“73年のことだ。独立軍戦闘史を作成しようとするなら満州の話が入らなければならないが、金日成を扱ったと言い南山に連行された。私が金日成が良くて扱ったのではなく、その時の編纂原則が一旦はあるがまま事実通りに原稿を書き、金日成を抜くか入れるかの問題は原稿作業を終わらせてから会議で決めようということだった。その時に在職した春川教大からも罷免されるところだった。”

-内部で誰かが密告をしたのか?

“そういうことだ。”

-苛酷な行為も受けたか?

“拷問されることはなかったが口で怒鳴られたよ。”

-皆さんが連行されたのか?

“ホン・イソプ先生も行ったし、イ・カンフン先生も呼ばれて編纂委から追い出された。後ほど復職はしたが。”

-編纂委活動が79年に終えられる時、物足りなさはなかったか?

“何の研究でも常に不満はあるから。資料をもっと多く捜し出さなければならず整理をするべきこともあり満足できなかった。 まだすべき仕事が多い。”

イ・スンジャ氏祖父‘独立功績’
第5共和国の時に審査に上がり反対した

-一生独立運動史をやられたがやり残した部分はどんな事か?

“97年に定年退任し出て、独立運動史だけではちょっと不満ということがあって史学史研究を始めた。歴史は先に事実を捜し出し解説をして、それから理論化しなければならない。独立運動史も同じだが、理論化すべきことがまだとても多い。2002年に韓国・日本歴史共同研究委員会委員長を務めて、もう我が国の歴史学が日本の歴史学と対等に共同研究し交渉できる位置に達したと感じた。解放直後にそのようなことが出来たかと言えば、その時は不可能だった。韓日協定が締結された1965年時点でも不可能だったと見ざるを得ない。韓国の学者と日本の学者が向かい合い座って話すことができる研究水準にはなれなかった。そうするうちに2002年に歴史共同研究委員会が構成され、両国の学者が行き来し話をして、今は私たちが可能だという気がした。”

-ついて行くことができた要因は何か?

“研究水準が高まり、研究人員も多くなった。2005年に韓-日歴史問題に関する100ヶの主題を作り論文集を出した。100ヶの主題で論文を作ることができるという自体が国内研究者が多くなり研究水準が高まったということだ。”

-民族問題研究所で長年の陣痛の末に<親日人名辞典>を発刊するや保守陣営一角から当時の大変な事情を考慮せずに人格殺人だと言って大きく反発したことをどのように見るか?

“それこそ民族問題の一つの結節点だ。49年6月に反民特委無力化波動がなかったとすれば、その時に終わっていなければならない民族的課題であった。民族問題研究所が遅ればせながら親日人名辞典を編纂し、その課題の一端を解いたということ。それを持ってなぜ張志淵のような愛国者を入れたのかと問い詰めるのは正しくない。親日行為をしたから入れたんだろう。親日行為をしなかったら入る理由がない。ただし崔南善・李光洙・張志淵など一人一人の人格全体を親日派として判定するようになったことは惜しい。‘親日行為解説辞典’と言っていれば論難を避けることもできたはずなのに…。だがそうなるほかはなかった責任は李承晩にある。”

-独立有功者公的審査委員を永く務めたが外部の不当な圧力を受け親日派を独立活動家に変身させたことはなかったか?

“子孫が自分の父親や先祖が親日派なのに独立活動家褒賞申請をするのは親日行為を知らずに言う場合もあり、知っていながらという場合もある。審査に影響を及ぼす権力の座にあり、申請する事例もあるが、有名な人ならば明らかにされ、そうでなければ見過ごされもしただろう。83年に全斗煥大統領時期に夫人イ・スンジャの祖父が独立有功者審査に上がってきた。私が会議の席で、上げるにしても大統領府から出た後にしなさいと言った。普通、多数決で決定されるが私が反対意志を明確にすると賛否表決の時に賛成の手をあげる人がいなかった。後日、報勲処業務がそのことで楽になったという話を聞いた。”

南北統一は民族の最大課題
強大国 秘密協定に注意を

-今や左右を包括した独立運動通史が全てできたといえるか?

“かつての反共法の条項が残っている国家保安法がある限り、完全に自由だと言うことはできない。”

-国恥100年をむかえ、私たちが胸に刻まなければならないことは何か?

“百年前と今を比較する時、何が発展し何が問題なのかを見なければならない。発展的側面は国恥時の大韓帝国から大韓民国になったことであり大韓民国の成立は独立運動の成果とみるべきだ。国恥のために残っている問題中で最も大きいものは南北分断だ。したがって百年をむかえ民族的に解決しなければならない最大課題は南北統一だ。そのような方向に進む時、適者生存の社会進化論的発想と周辺強大国との間の秘密協定の可能性に注意をしなくてはいけない。2番目は、最近ソウルに来た小沢一郎民主党幹事長が日本国王の訪韓可能性を話した。韓国人が歓迎するならば訪韓できると言ったが順序が逆だ。歓迎するようにするものが先ずあるべきなのに、率直な謝罪,特に独島を竹島として日本領土に入れたことが誤りだという点をはっきりしなければならない。3番目は植民残滓の清算がなされなければならない。親日派財産の還収を巡り法的論難がおきているが、その財産は一言で言って贓物だ。犯罪行為の贓物取得をした子孫が財産の由来を知っていたか知らなかったとか言うことには意味がない。”

インタビュー/キム・ヒョスン論説委員 整理/キル・ユンヒョン記者hyoskim@hani.co.kr

■チョ・トンゴル略歴
1932年慶北英陽で出生
徳寿商高,慶北大学校卒
建国大学校文学修士
春川教大,安東大教授
独立有功者公的審査委員(1981),独立記念館韓国独立運動史研究所長(1992)
国民大学校名誉教授(現在)

著書<独立軍の道に沿い大陸を行く>(1995),<韓国独立運動の理念と方略>(2007)

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/397263.html 訳J.S





洛東江 咸安堰 7.5→5mに設計変更 検討

原文入力:2010-01-07午前08:04:24
住民たち 浸水被害 反発により

チェ・サンウォン記者

政府が洛東江の咸安堰建設にともなう周辺地域浸水被害を防ぐため、堰の高さを縮小する設計変更を積極的に検討していると明らかにした。これは政府が発表した‘4大河川事業’の初めての設計変更になる可能性が高い。

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失業率に算入されない失業者 248万人…‘L字型雇用’持続 憂慮

b0807349.jpg

原文入力:2010-01-07午前08:14:45
‘実質失業合計’公式失業者数の4倍上回り
100万人 "ただ休んでいる" …56万人 就職準備
92万人は週18時間未満労働‘不完全就業’

ファン・ボヨン記者

公式失業者に就職準備をしていたり、ただ休んでいる人などを合わせた‘事実上の失業者’が330万人に肉迫している。これに比べ、公式失業者は81万人余りに過ぎず、数百万名が政府働き口対策の死角地帯に置かれる可能性が大きいという指摘が出ている。

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人権委院長の‘闇討ち閉会’

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原文入力:2010-01-07午前08:01:13
‘龍山惨事 意見表明’委員の60%賛成にかかわらず
"次回に議論" 全員委会議 一方的に阻止

パク・スジン記者

国家人権委員会の全員委員会が、裁判が進行中の‘龍山惨事’に対する意見を裁判所に提出することで意見を集約したが、ヒョン・ビョンチョル委員長が一方的に阻止し内部反発が起きている。

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ノートブックの性能に迫るグーグル フォン‘ネクサス ワン’

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原文入力:2010-01-06午後07:24:18
端末機購入後に移動通信社 選択
米・英・シンガポールなどで販売開始

ク・ポングォン記者

←グーグル スマートフォン ネクサス ワン. 写真AP連合.

世界最大のインターネット企業グーグルが直接スマートフォンの製造と販売に参入した。

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MB "首都圏事業 引き抜くな"

原文入力:2010-01-06午後07:34:12
[世宗市 インセンティブ案 論難]
修正案 週例報告‘5大原則’提示

ソン・ウォンジェ記者

李明博大統領は6日世宗市企業誘致と関連して「首都圏を含む他の地域で誘致したり誘致しようとしている事業と機能を世宗市に引き抜くな」とし「新規事業中心に誘致しろ」と話した。

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革新・企業都市 "世宗市と同等恩恵を"

原文入力:2010-01-06午後07:33:20
[世宗市インセンティブ案 論難]
地域縁故議員ら集団行動の兆しも

チェ・ヘジョン記者

政府の世宗市インセンティブ対策が革新・企業都市‘逆差別’論難に飛び火している。革新・企業都市に縁故を置く国会議員らは「少なくとも世宗市と同等の恩恵は受けなければならない」として、このような要求が貫徹されない場合は集団行動に出る兆しも見せている。

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三星‘バイオシミラー’入居する模様

8994b704.jpg

原文入力:2010-01-06午後07:32:02
[世宗市 インセンティブ案論難]
大邱, 複合医療団地推進と食い合い猛反発 予告

イ・テヒ記者,ファン・ジュンボム記者,キム・ジョンス記者

←チョン・ウンチャン総理(右端)が就任100日をむかえた6日昼、ソウル,三清洞の総理公館で開かれた記者懇談会で挨拶している。キム・ジョンス記者jongsoo@hani.co.kr

新事業 太陽光部門 検討も
LCDは湯井と重複‘難色’

政府が来る11日に発表する世宗市修正案には三星電子が新事業として推進する‘バイオシミラー’(バイオ医薬品複製生産)団地の入居が含まれるものと見られる。三星が新規事業として推進する太陽光事業部門も検討されていることが分かった。

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2010年01月06日

パク・ウォンスン "KBS視聴料 払わない" …納付拒否宣言

イ・ムニョン記者

パク・ウォンスン希望製作所常任理事が<韓国放送>(KBS)受信料納付拒否を宣言した。
パク常任理事は5日夜、自身のブログにあげた文(‘新年早々、私はこのように決心した’)で、最近韓国放送の政権擁護的報道態度に対し「本当に嘆かわしい」として「今後、KBSは一切見ない、だから視聴料は払わない」と明らかにした。パク常任理事は最近、韓国放送が主要20ヶ国(G20)首脳会議誘致を「国運が開かれたように」報道し、アラブ首長国連邦(UAE)原子力発電所受注を李明博大統領が「一人で成し遂げたかのように」浮き彫りにしたとして「大統領のセールス外交を浮上させるための大統領府の発表と要請をそのまま報道した結果」と批判した。

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イ・サンドク "日本企業 誘致困難は労使紛糾のため"



中央日報 

ジェームズ・キャメロン監督の米国空想科学映画「アバター」が全世界的に興行に成功し、立体(3D)映像が私たちの身近にぐっと迫った。国内でも3D映画館の入場料が一般映画館の2倍近... [記事全文] (12:43)



2010年にはとりわけ多くの国際行事が開かれる。 主要20カ国・地域(G20)首脳会議をはじめ、政府・地方自治体・研究機関・報道機関が主催する国際フォーラムが予定されている。 海外グローバル... [記事全文] (15:11)


ビビンパはおいしい。その上、家庭の大小のイベントや名節(韓国固有の盆・正月など)の料理のうち、ほぼ最後まで残るナムル(もやしやぜんまい、ほうれんそうなどの和え物)をおいしく食べさせて... [記事全文] (13:19)



グローバル外食ブランドが分析した韓国市場
コーヒー専門店ブランドのスターバックスコリアは昨年10月、各売り場に急速調理オーブンを設置した。 3面立体加熱機能を備え、売り場で40秒...
[記事全文] (16:34)


小沢一郎幹事長の新年会が話題 新年劈頭の‘元旦政治’が日本政界の話題になっている。 1日に小沢一郎民主党幹事長の私邸で開かれた新年会のことだ。 この日、東京世田谷区の小沢宅には... [記事全文] (14:38)
【グローバルアイ】小沢一郎と元旦政治

  新年劈頭の‘元旦政治’が日本政界の話題になっている。 1日に小沢一郎民主党幹事長の私邸で開かれた新年会のことだ。 この日、東京世田谷区の小沢宅には民主党所属議員の4割を超える166人の国会議員が訪れた。 読売新聞は「権勢の頂点にある小沢幹事長を謁見しようという国会議員が集まった」と伝えた。

  最近の小沢氏の威勢は相当なものだ。 予算はもちろん、党の運営、選挙問題まで、首相をはじめとする日本政界が小沢氏の表情、一言に左右される。 先月、民主党国会議員約140人を含む600人余りの随行団を率いて中国を訪問したのも、小沢氏が政権の核心人物であることを国内外に示す行事となった。

  ‘3金(金大中・金泳三・金鍾泌)時代’を通して韓国でも馴染みのある新年の政治文化は実際、日本から始まったものだ。 戦後の日本を掌握した自民党政権の重要な政治的決定は、国会や首相官邸よりも、毎朝派閥総帥の家で開かれる朝食会で生まれたりした。 新年には総帥の家に集まり、新年のあいさつとともに一年の指針を受けた。 このため権力と資本の癒着からくる金権政治、理念や政策の違いよりも人脈で絡んだ派閥政治が絶えなかった。 金権と派閥政治の代表的な人物がまさに田中角栄元首相で、小沢氏の政治の師だ。 小沢氏の政治スタイルが過去の自民党政治とオーバーラップするのも無理はない。

  1985年1月1日。 田中元首相の東京目白台の自宅には650人の議員と支持者が集まった。 田中元首相が脳梗塞で倒れる2カ月前、‘闇将軍’として迎えた最後の正月だった。 近所の寿司屋が出前したのは200人分。 この日の新年会は日本の古い派閥政治を象徴する代表的なイベントとして記録されている。 田中元首相は84年4月には竹下登元首相(当時大蔵相)の父の葬儀に参列し、自分が率いる派閥所属議員70人を含む国会議員100人余りが同行した。 このために東京・羽田空港から島根県掛合町までチャーター機を飛ばした。

  当時ロッキード裁判の一審で実刑判決を受け控訴中だった田中元総理は、前年度の総選挙で圧倒的な勝利を収め、検察・メディアと激しく対立していた。 昨年の総選挙を勝利に導いた小沢幹事長も政治資金法違反容疑で秘書が相次いで起訴され、現在、検察・メディアに対抗している点で似ている。

  小沢氏は新年会で「自分たちの力で政策決定し、国会を通過させる力を持つことが非常に大事だ」と述べ、参院選で単独過半数確保を目指す決意を表明した。 昨年の衆院選で惨敗した自民党を事実上‘解体する’という宣言だった。 恩師・田中元首相の自民党を弟子の小沢氏が倒すというのはアイロニーだ。 勢力を前面に出した小沢氏が政治資金スキャンダルと参院選をどう突破するのか。 今年の日本政治の最大観戦ポイントだ。

  朴素ヨン(パク・ソヨン)東京特派員


北朝鮮が韓国の主要都市を攻撃対象と想定した師団級タンク部隊による機動訓練の場面が5日、公開された。北朝鮮の軍が南侵を念頭に置いて軍事訓練をする具体的情況が確認されたのは初めて... [記事全文] (07:56)




●東亜日報

多島海の島々、海流に乗って漂着した国ごみ対策で苦慮
「ミネラルウォーターのペットボトルは中国から流れており、ライターは日本から流れつきましたね」。7日、全羅南道麗水市(チョルラナムド・ヨスシ)から南の方に40キロ離れた安島(アンド)。南海の果てに浮かぶ

世宗市官民合同委、最後の会議
世宗(セジョン)市官民合同委員会の宋錫九(ソン・ソクク)民間委員長(左)が8日、ソウル鍾路区(チョンノク)の政府中央庁舎で開かれた第8回世宗市官民合同委員会議で、宋寅準(ソン・インジュン)委員と話をし...

「まだチャンスが来ていないだけ」大リーグへの夢諦めない崔香男
「あそこに見れる峰まで行ってきましょう」。こう言われて記者を含めて3人は、雪道を上り始めた。膝のところまで雪が積んでいる。砂場を歩いているような感じだ。氷点下10度以下の寒さだったが、5分も経たないう...

産銀総裁「錦湖一家、私宅残して資産全部出すべきだ」
産銀金融持ち株会長を兼務する閔裕聖(ミン・ユソン)産業銀行総裁が8日、「錦湖(クムホ)アシアナグループのオーナー一家は経営破たんに対する大株主としての責任を履行するため、住んでいる家を除いて全資産を出...

鳩山首相、「日韓安保宣言」構想に前向き姿勢 韓国政府は慎重
韓国と日本が、日本の韓国併合100年になる今年前半に、「安全保障共同宣言」を策定する案を検討していることが8日、明らかになった。しかし、日本首相がこれを認めたのに対して、韓国政府は否定した。 鳩山由紀...

元大統領夫人に秘書官と運転手支援へ 政府が関連法施行令の改正案
京畿道抱川市発生の口蹄疫、ヒトが媒介の可能性大
専門家ら「環境汚染の懸念はない」 道路に撒いた塩化カルシウム
偽酒販売の罰金、10倍に
昨年の「勝者」は金属鉱物 商品投資、今年は穀物?
李会昌総裁「忠清党ゆえに原案固守なのではない」
ごみは溜まり、宅配はストップ…市民の不便は膨らむ一方
徴用者の未払い賃金記録、日本政府が方針変え韓国に提供へ


ノートPCによる盗聴、政府が対策作りに本腰
ノートパソコンで盗聴が可能だという東亜(トンア)日報の報道を受け、政府や情報技術(IT)業界が対策作りに乗り出した。 政府は、ノートパソコンの盗聴に関する実態調査を行った後、ノートパソコンメーカーやセ

日本捕鯨監視船と反捕鯨団体が海上で衝突
日本の捕鯨を妨害する目的で、昨年12月に進水した米反捕鯨団体「シー・シェパード」の最新型高速船「アディ・ギル(AG)」号が6日、南極大陸のコモンウェルス湾付近で、日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸...

ナイジェリアが爪を出した 本紙がザンビア戦を単独取材
「スーパーイーグルス」ナイジェリアがとうとう爪をさらけ出した。今年6月23日、W杯組別リーグ最終戦で韓国と対戦するナイジェリアが7日、ザンビアと練習試合を行った。ダーバンは、数ヵ月後、韓国とナイジェリ...

納品単価の無茶な値下げ、政府が電子業界から実態調査に着手
大企業からの納品単価の値下げの圧力で経営に苦しんでいる中小部品メーカーの問題で、政府が電子業界を対象に実態の把握に乗り出した。 知識経済部(知経部)は7日、「優位な地位を乱用する大企業のために苦しんで...

「新軍部、東亜放送など不法に統廃合」真実和解委が国に被害救済措置を勧告
全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が80年11月に断行した言論強制統廃合と報道関係者の解雇が、政権を掌握し、体制への順応な言論構造を構築する不法・不当な措置だったという事実が、国家機関によって初めて確認...

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徴用者の未払い賃金記録、日本政府が方針変え韓国に提供へ
三星電子、国内初の「売上100兆ウォン・利益10兆ウォン」突破
「金総書記の執務室には衛星アンテナが11本」 カナダの華人系誌が報道
標高1250m、40分走ればヘとへと サッカー代表が南アで適応練習
顔を合わせれば喧嘩 与野党議員たちが打ち明ける本音
タイガーの抜けたグリーン、新しい王者は誰?
ラオスの教科書に太極旗マークくっきり 「韓国から送られた本です」



よみがえる「脱北者抑留」の悪夢
北朝鮮に強制送還される前に中国辺境の収容所で、犯罪者のように撮られた2人の脱北女性の写真が6日付の東亜(トンア)日報1面で紹介された。さし迫る悲運を予感してか、恐怖に怯える彼女らの目を見ると、おぞまし

陸軍ヘリ「ブラックホーク」が年明けの戦術飛行
年明け初となる戦術飛行の任務を遂行するために出動した陸軍航空作戦司令部配下の601航空大隊所属のブラックホーク(UH-60)ヘリコプターが6日、忠清北道槐山(チュンチョンブクド・クェサン)近くの上空を...

「月の小遣い3千万、外車3台」 ケーブルTVが資産家2世たちの日常を公開
「1ヵ月に3000万ウォンぐらい使うでしょう。車はロールスロイスのファントム、ベンツ、ランボルギーニが1台ずつあるし…」 昨年に放送されたKBSのドラマ「花より男子」の主人公ク・ジュンピョ(李ミンホ)...

金融当局、「ボーナス分割支給」適用の金融41社選定
金融当局は、国民(グクミン)銀行、新韓(シンハン)金融持株、ウリ投資証券、三星(サムスン)生命など41の金融会社をボーナス(成果給)分割支給の対象に選定した。これらの金融会社は今月末から毎年、役職員に...

日米でくすぶる金総書記の訪中説
北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の中国訪問の可能性と時期が、焦眉の関心事として浮上している。日本のメディアが相次いで、金総書記の訪中の可能性を報じている上、米国務省の高官も、金総書記の訪中の可...

誰もが文化コンテンツを作り販売する スマートフォン革命は現在進行形
昨年12月初頭、アップルの携帯電話「iPhone」を購入した広告会社役員である金ジョンレ氏の日常は、iPhoneを使ってから1ヵ月で大きく変わった。 業務の特性上、国内外のニュースを多く見なければなら...

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塾通わずも半年で英語が上達 デウォン国際中学校の放課後授業
「コートの外で、バスケへの愛情に気付いた」 NBAのグラント・ヒル
大学の授業料、据え置きの雰囲気広がる
龍山地区賃借人ら、対策委に「再開発組合と個別交渉しない」と誓約書


朝鮮日報


 ソウル市江南区盤浦洞で実の子供二人を殺害し、自宅冷蔵庫に遺体を保管していたのが発見された2006年の「ソレ村乳児殺害事件」で、幼児の母親ベロニク・クルーゾ被告による犯行経緯が、フランスのテレビ局に再び取り上げられる。フランスの公営放送「フランス2」のドキュメンタリー番組『被告を呼べ(Faites Entrer L'accuse)』は、4月に約1時間にわたり (14:51) 記事全文



 サムスン電子が昨年の暫定売上基準で事実上、世界最大のIT(情報技術)・家電メーカーとなった。サムスン電子の2009年の業績速報値によると、昨年末の為替レート(1ドル=1164.5ウォン)で計算した場合の売上高が1168億ドル(約10兆8000億円)を記録。その結果同社は、米国フォーチュン誌が毎年の売上高を基準に算定し、発表する「世界の500大企業ランキング (07:17) 記事全文

 1866年の丙寅洋擾(朝鮮王朝のキリスト教弾圧にフランス軍が報復した事件)のとき、江華島に上陸したフランス軍が持ち去った、外奎章閣(奎章閣〈歴代国王に関する文書を保管した役所〉の附属図書館)の蔵書を韓国へ返還するよう求め、韓国の市民団体「文化連帯」がフランス政府を相手取り、フランスの裁判所に起こしていた訴訟が棄却された。  文化連帯によると、フランス (13:58) 記事全文



 韓国社会において、芸能人の恋愛や結婚は今、一般国民の隠された欲望を最も赤裸々に映す鏡となっている。インターネットの普及により、こうしたニュースやうわさの反射角は広がる一方だ。  2010年の幕開けと同時に、女優キム・ヘスと俳優ユ・ヘジンが交際中であることを自ら認め、ネット上でホットな話題になっている。多くの芸能人のスキャンダル報道に慣れている人たちが (17:04) 記事全文



 金大中(キム・デジュン)政権時代の1998年、国家情報院(当時の国家安全企画部)は多くの職員を解雇したが、その際に違法行為が行われていたかどうかについて調べるために、国情院自らが大規模な内部調査を実施した。その結果、国情院は違法行為を行った疑いのある職員らを検察に告発したことが6日、明らかになった。  国情院は98年4月に500人以上の職員を解雇し、 (14:02) 記事全文



 日本の鳩山由紀夫首相が今年6月ごろに中国・南京を訪問し、その答礼として、中国の胡錦濤国家主席が11月ごろに広島を訪問するという案について、中国政府が日本政府に打診した、と読売新聞が6日付で報じた。  南京は日中戦争当時の日本軍による虐殺で、また広島は太平洋戦争末期の米軍による原爆投下で、それぞれ多くの民間人が犠牲になった、戦争の悲惨さを伝える象徴的な (10:47) 記事全文


 安秉万(アン・ビョンマン)教育科学技術部長官は6日、韓国初の宇宙ロケット「羅老(ナロ)号」の再打ち上げを5月にも実施する考えを示した。  安長官は記者懇談会で、「昨年羅老号の任務失敗の原因となったフェアリング(衛星格納部のふた)未分離に関する調査が終わり次第、5月か遅くとも6月までには2回目の打ち上げを行う予定だ」と述べた。  羅老号は昨年8月 (07:54) 記事全文



朝鮮中央通信
Korean News

January 8. 2010 Juche 99
First Friday Labor of Year Done
Poems and Words of Songs Created
Weavers Turn Out in General Offensive
Refurnished Restaurants in Changgwang Street
Historic Relics in Mt. Myohyang
U.S. Bellicose Forces' Scenario to Stifle DPRK Assailed
Rodong Sinmun on Improvement of Inter-Korean Relations
DPRK Joint New Year Editorial Hailed

For Spanish-speaking People
Creadas en Corea nuevas poesias y letras de cancion
Muchachas participantes en marcha general
Rodong Sinmun denuncia intento de ataque preventivo nuclear de EE.UU.
Renovada la figura de avenida de restaurantes Changgwang


January 7. 2010 Juche 99
Kim Yong Il Congratulates Romanian Prime Minister
DPRK Ambassador to Thailand Appointed
Chinese Ambassador Gives Reception
More Mass Rallies Held in Provinces
Best Paduk Player, Coach Selected
New Species of Silverfish Bred
DPRK's Foreign Policy Stand Re-clarified
Slogan Reflecting Motto of Korean People
All Koreans Called upon to Achieve National Reunification through Unity
Nepali Prime Minister Wishes DPRK Success in Building Thriving Nation
DPRK Joint New Year Editorial Hailed

For Spanish-speaking People
Kim Jong Il dirige el campo de edificacion de central de Ryesonggang
Nombrado nuevo embajador coreano en Tailandia
Seleccionados jugador y entrenador mejores de Paduk de 2009
Continuan mitines en las provincias y la ciudad de Nampho




January 6. 2010 Juche 99
Kim Jong Il Provides Field Guidance to Construction Sites of Ryesonggang Youth Power Station No. 2
Kim Jong Il Sends Wreath to Bier of Pak Ki So
Best Taekwon-Do Players, Coaches Selected
Guidelines for Improvement of Inter-Korean Relations, National Unity
KCNA Blasts U.S. Human Rights Abuses at Secret Prisons
Advance at "Huichon Speed" Called for
Member of South Headquarters of Pomminryon Indicted
Bangladeshi Figures Visit DPRK Embassy
Floral Tribute Paid to Kim Il Sung
Kim Jong Il's Work Off Press
DPRK Important Day Observed
Heroine's Deep Concern for Workers' Health

For Spanish-speaking People
Kim Jong Il expresa condolencias por el fallecimiento de Pak Ki So
Seleccionados mejores jugadores y entrenadores de Taekwondo de 2009
Rodong Sinmun se refiere a la velocidad de Huichon
Rinden homenaje a Kim Il Sung en la OSPAAAL

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January 5. 2010 Juche 99
Kim Jong Il Inspects Sub-Unit of KPA Tank Division
Rason City Designated as Municipality
Cuban Embassy Visit Pyongyang Maternity Hospital
Korean People Launch into New Year's Advance
Joint Editorial Studied Hard
Papers Call for Channeling All-Party, Nationwide Efforts into Improving People's Standard of Living
NA Passage of Bill on Overseas Troop Dispatch Blasted in S. Korea
Abolition of Fascist Law Demanded in S. Korea
DPRK Important Day Observed
Infinite Fidelity to President Kim Il Sung

For Spanish-speaking People
Kim Jong Il inspecciona subunidad de la division de tanques 105
Rason fue designada como ciudad especial
Trabajadores coreanos estudian con afan editorial conjunto
Periodicos abogan por editorial conjunto de Ano Nuevo

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人民日報日本語版


菅直人副首相、日本の新財務大臣を兼任




更新時間:12:23 Jan 08 2010

10市が「暫住証」を全面廃止、北京も段階的に実施

 広州市、東莞市など4市は今年1月1日から「暫住証」の廃止と「居住証」への切り替えを進めている。2004年に瀋陽市が全国に先駆けて外来人口への暫住証を廃止し...[全文へ]


 地方情報

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山 東

  • 壷口瀑布に多くの観光客
  • 山東省威海市 海の島に「百鳥園」
  • 最も美しい小都市 屯渓老街
  • 伊犁 金色のひまわり畑
  • 魅力的なラサ
  • 水郷の街・烏鎮 夜の美しい景色

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  • 中日飛鴻
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更新時間:18:00 Jan 07 2010

10市が「暫住証」を全面廃止、北京も段階的に実施

 広州市、東莞市など4市は今年1月1日から「暫住証」の廃止と「居住証」への切り替えを進めている。2004年に瀋陽市が全国に先駆けて外来人口への暫住証を廃止し...[全文へ]





更新時間:14:41 Jan 07 2010

「台湾への武器売却は米国自らにマイナス」

 中国の軍事専門家、楊毅海軍少将は6日、「台湾海峡両岸に平和発展という非常によい局面が生じ、また、世界各国が世界金融危機対策で協力しなければならない中...[全文へ]


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日本ウイグル協会

47NEWS



●マスコミに載らない記事



2010年1月 8日 (金)

もう一つの愚劣な戦争の遂行に関するグラベル元議員の悲嘆 - Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2009年12月14日 "Truthdig"

私はアメリカ軍内部で長いこと過ごしたので、一般に知られていない残虐さ、よくある不適格や、人命と納税者のドルを無駄にする浪費能力を十分味わっている。将軍たちの腹黒さや愚かさ、大半の戦争計画の馬鹿らしさ、アメリカ国軍を指揮する大半の連中が理解できる唯一の言語である、暴力への病理的な依存が、アメリカが経済的崩壊に向かう中、アメリカ軍はアメリカの沈滞したデモクラシーにとって最大の脅威となっている。

マスコミ、二大政党と、アメリカのエンタテインメント産業が、アメリカ帝国の絶望的な諸事業を止めようともせず、アメリカという国を内側から空洞化させている1兆ドルの国防関係支出を否定しようともしない中、バラク・オバマは、アメリカの巨大な殺人装置の周囲に巡らされた赤、白と青の旗布に魅了されたままでいる。第二次世界大戦の終結以来、歯止めの利かない軍国主義という疫病が、ペンタゴンの外に滲み出し、今やアメリカを骨の髄までしゃぶりつくしている。これは絶大な帝国にはおなじみの病だ。我々は末期状態にある。アメリカは、明白な脅威などに直面してはいないのに、地球上の他国全てをあわせたより多額の金を、自由に使えるあらゆる支出の半分を、軍に費やしている。

土曜日、元アラスカ選出上院議員を二期つとめ、2008年の大統領候補だった、マイク・グラベルは、ホワイト・ハウスに面するラファイエット公園のベンチに座っていた。グラベルと私は、デニス・クシニッチ下院議員、ラルフ・ネーダー、シンシア・マッキニーや他の反戦活動家達と一緒に、イラクとアフガニスタンでの戦争を糾弾するために、参加者もまばらな集会に参加していた。(http://www.enduswars.org/) アメリカ政治において、彼の意見ほど、首尾一貫し、筋が通り、高潔なものはまれだが、それこそがグラベルが、寒い12月の朝、ホワイト・ハウスの中でなく、正面に、いる理由だ。

「最初から、彼は軍隊に関して、劣等感を持って