メーデー!メーデー!我々はプレカリアートである。オン・デマンドで雇用され、電話一本で呼び出され、意のままに搾取され、気まぐれに解雇される。我々は熟練した、就労の手品師になり、フレックスな曲芸師になった。でもご注意:我々は、共有の戦略でフレックスな闘争をアジる!

2001年5月1日、イタリア、フランス、スペインのカタルーニャから、メディア・ハクティヴィスト(media hacktivists)、様々な組合、自主運営のスクアット・ユース・センター、クリティカル・マスの自転車乗り、ラヂカルなネットワーク、学生グループ、労働者集団、移民のアソシアシオン、種々雑多な共産主義者、グリーン(環境活動家)、アナキスト、ゲイやフェミニストなどが集い、ミラノ中心でメーデー行進をした。2001年に5千人の参加したミラノ・メーデーは毎年のようにヨーロッパ各地に飛び火して、2004年にはミラノやバルセロナでは10万人が参加した。これは、従来の「労働組合」のメーデーではない。若い臨時雇用やパート・タイマー、フリーランス、契約社員、調査員、教師、サービス業や知識産業の労働者を組織化した、失業を核とするプレカリティのメーデーだ。
メディア・ハクティヴィスト(media hacktivists):メディア・アクティヴィスト(media activists)のactivistsをhackと組合わせた造語。hackとはhackerの語源でもあるが、決して「コンピュータ犯罪」のことではない。hackとは技術の気の効いた使い方をすることを言うのであり、従ってメディア・ハクティヴィストとは、メディア技術をhackして社会運動を実践する者の意。
アソシアシオン(association):1901年のアソシアシオン法で規定されたフランスにおける非営利法人制度の基礎。「結社の自由」の理念に基づき、利益分配の目的でなければ、二名以上で登記することにより、容易に法人格を取得することができる。
スクアット(squat):プレカリアートの重要な「共有の戦略」のひとつ:空家占拠。大規模な例では、デンマークのコペンハーゲン市内にあるクリスティアニア解放区は1971年に兵舎が移設された時にヒッピーが入植して以来、無政府自治区となっている。ヨーロッパでは居住権を援用した都市におけるスクアットも一般的で、しばしばアーティストや若者の活動拠点を形成しているが、ロンドンやパリなどでは徐々に規制が強まっている。
クリティカル・マス(critical mass):合衆国サン・フランシスコの自転車愛好家が1992年にはじめたといわれる自転車運動。交通事故、排気ガス、環境破壊、エネルギーの浪費など様々な観点から自動車社会を批判して歩行者や自転車のための道路を取り戻すための直接行動。集団で自転車に乗って楽しくアピールする。
世界的なポスト産業経済の影で「先進」諸国においても、たくさんの若年パートタイム労働者が「非正規」雇用にハリツケられており、組合結成権も欠如して出産保障・病欠・有給休暇などの基本的な社会権から排除されているために、適切な人生設計も不可能のまま「恐喝」され、フレックス搾取(flexploitation)に曝されている。こうした認識に基づいた21世紀のユーロメーデーが組織され各々の体験を共有することで、不条理な条件が、偶然の産物でも一時的なものでもないことに気付きはじめた。これに抵抗するプレカリアートの闘争が、今まさに生起しつつあり、バラバラにされた社会的/政治的アイデンティティが確たるものになろうとしている。この新しい社会的自己表象の形態は大陸を超えた連帯を促して、フレックスワーカー、チェーンワーカー、ブレインワーカー、セックスワーカー、そして外国人労働者たちが「共有の戦略」で「フレックスな闘い」を仕掛けるのだ。
ミラノで、主にチェーン店などで働くアルバイト労働者の組合「チェーンワーカーズ(Chainworkers.org)」を組織したアレックス・フォティの「プレカリアス用語集(Precarious Lexicon)」によると、祈り(pray)の語源でもあるラテン語「precor」に由来する形容詞「precarious」の、辞書的意味は次のとおり:

通常の名詞化である「プレカリアスネス」とは異なり、新造語された「プレカリティ」は、致命的なまでに新自由主義が高まる現代において、労働と存在の不安定な社会的状態を指し示す言葉である。文字通りには「仕事を維持するために跪き祈ることを強いられている状態」を指し示す。つまり、寄る辺の無い不安定さのことだ。だからこそイタリアのプレカリアートたちは、聖プレカリアといういかにもカトリックにいそうな聖人を捏造して、勝手に拝むのだ。収入と、時間と、住処と、再生産(子育て)と、移動手段と、労働条件と、…ありとあらゆる生活条件の「安定をください」と。
「カリスマ的な奇跡や見せ物を指向する原理主義と共同キッチンや子供・老人のケアといった社会的プログラムのごた混ぜ」に他ならないペンテコステ派のキリスト教が、ポスト植民地時代の「スラムにおける支配的イデオロギー」だと指摘したのはジジェクだが、聖プレカリアのカトリック的ユーモアはもっと自虐的なネタとも言うべきで、信仰とは異なる。斬新なサーカスで大衆的人気を博したシルク・ド・ソレイユの労働者(芸人)の証言では、「サーカスの動物虐待はありません。虐げられるのは人間の方です(笑)」。カリスマ的な奇跡や見せ物にだまされているのは、素晴らしい芸を披露する労働者の生活や労働条件に思い至りもせずサーカスを消費(鑑賞)する「わたしたち」の方だ。そして同じように不安定な労働条件に甘んじていながら、些少の貯金で週末とも限らない休日に遊びにいくのもまた、わたしたちの方かも知れない。
この皮肉な状況を、無気力な冷笑ではなく、憤りをもって笑い飛ばして、そして21世紀のメーデーを企てよう。「プレカリティ」がキーワード。
そしてプレカリティの階級概念が、プレカリアートである。フォティは、不安定な生活を余儀なくされるプレカリアートの典型的な二類型として、チェーンワーカー(Précaire/アルバイト)とブレインワーカー(Cognitaire/頭脳労働者)を挙げ、現在はPreCogと称して両者を繋ぐ組織化を試みている。
チェーンワーカーは、フレキシブルにテイラー化されたサービス業に従事する者であり、監視・管理された条件で、しばしば十分に告知されることもなく変更されたり延長されたりするシフト制や期間契約の下、時間当たりの賃金で働く労働者のことである。コンビニ、ファストフード、ガソリンスタンド、テレアポなどで働く日本のアルバイト(フリーター)の多くは、まさにこの類型に属するであろう。フォティの見立てによると、チェーンワーカーは「いつでも会社にとって代替可能な存在であり、労働市場における個々人の力は低い」のだが「組合のような社会的集団に一旦組織化することが出来れば、絶大な交渉力を発揮する」という。なぜなら、チェーン店の他、ショッピングモール、スーパーマーケット、卸売り業者、輸送ハブ、コールセンターなどで画一的に監視されている従業員たちこそが、「消費・流通・運輸サービスなどの社会的(再)生産の要であり、かつ脆弱な部門」に配置されているからだ。だが、そうした部門の労働条件では、継続的に組織化することが困難を極めることもまた事実。
ブレインワーカーは、言語や知識やスキルによる生産・創造の「すべてを譲渡する」ような形式の、出来高契約/報酬で働いている。頭脳労働のプロセスは「創造性の私的占有化」とも呼ぶべき様相を呈し、携帯電話やユビキタスな通信環境の普及に伴い、精神空間の徹底的な植民地化を経て(たとえもし残されていたとしても)労働時間外の生活をも蝕む。このような労働形態は、メディア、調査、教育、広告などの諸産業に典型的なものである。フォティの見立てでは、ブレインワーカーの「労働市場における個々人の力(市場価値)は相対的に高い」が、労働形態が多様で個人主義的であるため「集合的交渉力は低い」という。平井玄は、印刷業での版下チェックという頭脳労働に従事していたが、生産過程の情報革命(DTP化)によって、セクション全体の大量解雇を経験したという。いずれの形態においても、プレカリアートの労働条件は産業構造に大きく依存しているのだ。
非/合法の移民、福祉国家の社会保障もなく解雇された労働者、フリーランス、派遣社員、パート・アルバイト、学生、フレックスワーカーにとって、「プレカリティ」とは収入と仕事と住居の恒久的な脆弱性を意味している。そもそもこのような不安定労働の諸形態は、労働基準法をないがしろして、失業をごまかして、常に労働力を「景気の調整弁」とするように制度化されてきたのだった。
失業の範疇は、短期契約や派遣労働のような形で多様な不安定労働が制度化され、公認されるにしたがい、極度に矮小化されてきていた。三富紀敬や伍賀一道の指摘によると、ヨーロッパの労働市場「柔軟化」政策を後追いした日本では、フランスの議論では曲がりなりにも重視されてきた労働者保護の観点が無視され、フルタイム/無期契約/直接雇用という正規雇用の前提が次々に突き崩されてきた。直接雇用の大前提をも覆す労働者派遣法の成立が86年、リクルート『フロム・エー』の新造語「フリーター」の出現が87年。'90年代に入って、国は国家責務としての失業対策を打ち切り(緊急失業対策法廃止)、職業安定法の施行規則を改正して、97年には民間有料職業紹介を原則自由化した。無料・有料の職業紹介雑誌が数多く出版され、「ライフスタイル」の消費がはじまり、派遣労働が実態としても定着するに至る。このように、労働者保護の観点から違法/ヤミ労働だったはずの領域を公認することは、数字の上で失業率を下げる効果を持つことは指摘するまでもない。それでも失業率が上がっているのは、実態としての失業が、不安定労働の拡大以上に拡大している事実を反映しているに過ぎない。
組合活動家のアギトン&ベンサイドや社会学者のドマジエール&ピニョニ、日本では稲葉奈々子らの精力的な仕事で紹介されてきたが、'80年代から失業に対する現代的な取組みのはじまったフランスでは、'90年代に入り急速に「失業」の社会運動が(再)組織化された。93年には、雑誌『コレクティフ』に寄稿していた組合活動家たちが「失業根絶のための運動」を呼びかけ「失業と排除への闘い」をアピール。MNCP、APEISなどの失業者組織に加え、住宅の権利(DAL)、人権同盟(LDH)、移民労働者支援アソシアシオン連合(FASTI)、人種差別に反対する人民の友情のための運動(MRAP)などがこれに応じて、AC!(失業に対抗してともに行動を/アッセ=もうたくさんだ!)を結成。そして即座に準備された「失業と排除に抗する行進」は、次の三点を掲げていた:
ここに表現された意志は、失業を個々の日常生活の問題とみなして個別に対応を試みる従来の運動とは一線を画すもので、明白に社会変革を志したことがうかがえる。きめ細かな個別の対応も不可欠であるが、矛盾を抱えながらもそれと両立する形で社会運動が形成されたことに注目したい。おそらくはそれゆえに、この反失業行進は97年のアムステルダム集結時に「失業補償手当などの諸権利を費消した失業者、近い将来に雇用を見つけるという望みを失った青年、ホームレス (SDF) 、労働組合員、早期退職者」(ドマジエール&ピニョニ)などの多様な参加者を吸収することができたのであり、それ以来「失業と不安定労働と排除に抗する大行進」となった。このときはじめて明確に、条件の不安定さが注目された。このマーチは「ユーロマーチ」と自称して、汎ヨーロッパ的に拡大した。ちょうどECがEUになり、「ユーロ」というヨーロッパの新ブランドが定着するのに乗じて、その言葉の象徴作用をぱくったのだ。
ユーロマーチは、(居)場所・時間・所得・移動などの、社会生活を営むために不可欠な生活手段を要求して、さらに、あつかましくも自ら「排除されている」と主張した。排除されている可哀相な他者の問題ではなく、自分たちが排除されている、われわれ自身が、失業者という社会的権利を有する存在だというのだ。AC!は大掛かりな組織化を通して派手な活動を展開し、世論を喚起し、他のあらゆる失業運動との連帯を築き、MNCPなどの地道な活動とも相乗効果を発揮して、デモを契機に、各地で地域団体の設立や討論会をもちこんだ。DAL(住宅の権利)の空き屋接収を真似て「空き雇用の接収」運動を展開して、交通機関運賃無料化、無料法律相談、失業者会館の開設、強制排除反対運動などをそれぞれの地域で展開した。こうした運動と議論の真直中から「権利無し(sans-droits)」という概念が提起され、通常「○○無し」と表現される排除の規定を逆手にとり「○○の権利」を要求する根拠へと転換したのである。「住宅無し」に「住宅の権利」を。慈善事業や扶助ではなく、諸権利を求めるのだ。この発想は反グローバリズム運動にも寄与して、持たざる者/声なき者(No-Vox)の運動の理論的基盤をもたらした。
こうして、日常生活に根ざした地道な地域活動を基盤に、派手なメディア戦略、激突型の団体交渉、移民やホームレス(SDF)との連帯行動、討論会や会議などを通じて失業を社会化し、失業をとりまく現実と社会認識と言説を組換え、失業者自身もまた社会的集団=交渉主体(ドマジエール)へと自己変革を遂げながら、失業の社会運動は実現した。このような運動を通じて、失業は社会実態に則して再定義され、同時に寄る辺の無い生活の不安定さが、失業を核に再認識されることになった。ユーロマーチのもたらした対話から、プレカリティ概念が抽出されたのである。労働運動は、不安定労働の制度化と、それにともなう近代的労働者モデルの崩壊と軌を一にして「既に労働者である者」のための雇用水準の維持に縮小してきたが、ここに、従来の労働運動とは一線を画す、生活体験に根ざした失業の社会運動が再組織化された。プレカリティの概念は、様々な排除と闘う諸組織と失業者と不安定労働者とを「寄る辺の無い不安定」を軸に連帯をもたらす。「排除と闘う」排除された者と、消費者化されたあまりに、排除される/されたことにも気付かない不安定労働者との連帯を可能にしたのだ。
そしてプレカリアートは、21世紀を迎えるにあたりメーデーを「やりなおす」ことを共謀したのだった。

2004年のユーロメーデーにおいて、各地の行動は自主的に映像記録を残した。また、自分たちで企画したインタビューを撮影したり、様々に工夫した番組作りを試みた。インディペンデント・ビデオ制作者、メディア・アクティヴィスト、翻訳者、オーサリング技術者、共闘者のネットワークを通じて資材やスキルを共有して、集められた映像を一本にまとめたものが、DVDマガジン「p2pファイトシェアリング」第三巻「プレカリティ」号:大陸を超えて集められた17本の他言語字幕付き(英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、オランダ語)ビデオ・コンピ(全197分)だ。イタリアの自主放送局「カンヂダテレビ」とオランダの自費出版雑誌「グリーンペッパーマガジン」との共同制作。同時に雑誌編集も進められ、グリーンペッパーからプレカリティ特集号が出版された。いずれも、所有権として誤用される著作権を逆手に取った「コピーレフト」として有名なGNU GPLの仕組みを、コンテンツに適用できるよう工夫された「クリエイティヴ・コモンズ」に則って、クレジットを明記すれば非営利利用に限り、またこの条件を継承する限りにおいて、再配布・改変することが認められている。
GNU GPL:自由なソフトウェアを私物化されないためにGNUが規定した一般公衆利用許諾契約書。プログラムを共有したり変更したりする自由を永久に保障するためには、将来にわたって私物化されないため、改変後のプログラムにも共有や変更を認める条件を継承させる必要がある。そのために再起的に継承を定義したこの使用許諾は、それ自体うつくしいhackである。この発想は、コンテンツ用の「クリエイティヴ・コモンズ」ライセンスにも活かされた。
本文冒頭に掲げたメーデー宣言は、労働者運動の新ブランドを提案して「共同行動の新モードを探るためのツールボックス」として制作された、このDVDパッケージにも印刷されたものだった。消費者化された若者世代の、ラヂカルな組織化のための道具箱。これを携え、プレカリアートはプロパガンダ作戦の全面展開をはじめた。
社会的な集団的自己認識のためには、体験の共有が不可欠である。DVDに収められた、マドリードのフェミニスト集団による「Precarias a la Deriva(漂流するプレカリアート)」やバルセロナ・メーデー当日に撮影された「Les Precries es rebel.len(反逆のプレカリアート)」が、特に効果的なコミュニケーションを実現している。前者は女性たちの相互インタビューをコラージュしたもので、不規則で忙しないエグゼクティヴなみのスケジュール、離婚手続きの狭間で苦しむ子育てと仕事との両立、長時間の移動、「ビジネス・ロジック」の二枚舌、…などの問題が語られる。
月の終わりの週には、一銭もお金がなくてものすごい不安と恐怖におそわれる…。いつも暗い将来しか描けないの…。もし仕事があったとしても給料は安いし、たいてい期限付きの契約だわ。もし運が良かったら、契約期間をひと月かふた月のばしてもらえるかもね…。正規の就労スケジュールもなくて、工場労働者に保障されるような一般的な労働条件さえなくて…。なんにもないわ、許可証もない、わたしたちの多くは国外退去に脅かされているの…。食べ物、服、学校、たくさんの物がいるわ。360ユーロでなにが支払えるというの?家賃と公共料金がせいいっぱいよ…。高い家賃を支払うのにこんな低賃金では、もう働けないわ…。聖プレカリア!どうか奇跡を!わたしたちを奴隷状態から、不安定から解放して下さい!
勉強すれば良い仕事に就ける。
わたしたちの世代は、いつもそう言われてきた。でも、そうはならなかった。
後者はメーデー参加者に最近三つの仕事を聞くことからはじまる。下層労働者に混じり、アウトノミアの実践的メディア理論家として著名なフランコ・ベラルディ(ビフォー)が登場していつもの熱弁をふるい、昔はポルノ小説を書いてしのいだと告白して笑いをとる。
ここには、おどろくほど多様な職種が現れる。ひとりの人物がチェーンワークとブレインワークを兼業したり行き来することも珍しくない。もっとも、これは日本でも非常勤講師、外国人語学講師、システム業界、デザイン・出版業界、アート関係者、NPO/NGOなどの実態を知る人には当然のことであろう。つまり、非物質的な生産を基盤にした現代の経済において、不安定労働は決して周縁的なものではなく「非典型(a-typical)」でもない。ネオリベラル経済で核となる富の生産者であり、独占権力によって囲い込まれ私物化されてきた「知識・スタイル・文化の創造者」本人なのである。24時間/週7日間休みなく働く洗練された召使いであり、グローバルなメトロポリスで物流と手配を担い/配慮と世話をまかなっている。このDVDを観れば、フランチャイズ/スーパーマーケット/劇場/性産業/介護/情報/教育産業で働いているような、顔なじみのアルバイト/派遣労働者/ブレインワーカー/チェーンワーカー/外国人労働者、あるいは、あなた自身と出会うことになる。
ピザ宅配で働いてました。マクドナルドで。クオリテルというテレ・マーケティング会社で。シルク・ド・ソレイユで。ライター/翻訳者として。音楽/外国語/ダンスの先生として。風俗で。使用人(女中)として。老人介護、ベビーシッター。コールセンターで。ホテル業界で。クリーニング屋で。建設業で。映画館のレジ係で。通信会社の技術者として。マンパワー、アデコ(人材派遣)で。モンダドーリ(大型書店)で。ザラ(衣料量販店)で。スターバックスで…
チェーンワーカーズが「Saint Precarious Goes Shopping(聖プレカリア、ショッピングへ行く)」の冒頭で、日曜にオープンしたスーパーマーケットの来客に「日曜日は休みの日だったはずでは?」と尋ねる、その健全な懐疑を取り戻そう。
DALの住宅「接収」やサン・パピエの運動を間近に見てきた稲葉は、排除との闘いにおいて「占拠」が運動戦略の特徴になっていると指摘した。ドラゴン通り七番地を占拠したDALは、ワークショップ形式で、識字、数学、パソコンなどを学ぶプログラムを提供する「民衆大学」を設立した。AC!はチェーン店や郵便局で、人員削減のために人手不足になっているレジや窓口に失業者を配置し、勝手に働く「雇用占拠」を展開した。人手不足にもかかわらず企業は雇用を削減し続け、雇用を持つものの労働は強化され、政府の失業対策は手当受給資格に不安定就労を義務付けるワークフェア政策に傾き、人間の労働価値はますます低下する。このような状況で有効な戦略が「占拠」だった。
2003年、「Nous Sommes Partout!(我々は遍在する!)」に収められたアンテルミットン(intermittents)の行動は、全世界に衝撃を与えた。文化芸術産業における仕事は見かけの華やかさとは異なり、季節雇用のように失業期間が断続する典型的な不安定労働のひとつである。このため文化芸術を国家資源として重視するフランスでは、アンテルミットン・デュ・スペクタクル(文化芸術産業の間欠労働者)を認定、年金や健康保険に加えて失業補償を支給してきたのだが、これを削減するという「改革案」が示されたのである。その削減は、失業補償を最も必要とする育児中の独身女性アーティストなど、弱者から順に切り捨てる結果を招く。そこで、よりによって公共の国立図書館で行われた商業映画の封切り会場を乗っ取り、公共テレビのニュースや音楽番組を遮断して、ポンピドゥー・センターに介入して、アヴィニヨンからカンヌに至るまで、沢山のフェスティバルを中止に追い込んだ。「ショモ!プレケ!アンテル・ミットン!ソ・リ・ダ・リ・テ!(失業、不安定、アンテルミットン。連帯しよう!)」と手拍子して、失業者と不安定労働者に連帯し、政府機関やMEDEF(フランス経団連)の占拠に及んだこの運動は「芸術家のストライキ」と報道され、芸術消費者を驚かせた。占拠やサボタージュが、情報-文化産業における労働条件の歪みへの抗議手段、非物質的生産を産業基盤とする情報-資本主義時代の運動戦略として再生したのである。
労働の意味を問いなおし、あらゆる媒体を駆使した占拠とサボタージュの運動形態は、'70年代のアウトノミアを思わせる。バルセロナの「ジョマンゴ・タンゴ(Yomango Tango)」も、商品流通の真の自由化=「商品解放の新ブランド」と称して、アウトリディツィオーネ(自発的値下げ運動)を新自由主義的経済グローバル化批判として復活させたものだ。'70年代のアウトリディツィオーネは、「国鉄運賃の値上げに端を発した労働者の『自発的値下げ=踏み倒し』」であり「ミラノ・スカラ座のチケット強奪運動やスーパーマーケットでの万引き=Politicalshoppingへと拡大」(麻生)した、一種の「労働の拒否」であったが、タンゴを踊るアーティスト集団ラス・アゲンシアス(Las Agencias)は、銀行にアルゼンチン通貨危機の責任を問う一流のストリート・パフォーマンスとしてジョマンゴ・タンゴを仕立て上げた。アウトノミアの「拒否の戦略」が「自己-価値化」や「生産の社会化」であったとすれば、新自由主義的資本主義の経済グローバル化/消費主義・心理主義化が個人の生活と内面にまで浸透する現代において、'70年代当時よりもその意味はずっと拡大したと言わねばなるまい。
プレカリアートの行動手法は、古典的アナルコ・サンディカリストの直接行動、シチュアシオニストの文化実践、アウトノミアの「クモの戦略」(麻生)などから様々な影響を受け継ぐ一方で、情報通信技術の発展・普及した現代ならではの革新的な手法を採る:
サブバータイジング(subvertising):反広告。広告(advertising)を転覆して、見せかけの虚飾を引き剥がし現実を見せるパロディ広告など。
カルチャージャミング(culture jamming):反広告を作成したり、公共空間(交通機関、図書館、学校)における、常に過剰な広告を妨害したりいたずらを仕掛ける活動。その種の活動家をカルチャージャマーという。媒体としてはバンクーバーで1989年に創刊された『アド・バスターズ』誌が有名。
メディアスタント(media stunt):カルチャージャミングの直接行動。公共空間における広告を塗り潰す、剥ぎ取る、マスメディアのスタジオに乱入して妨害する、さらに自らの主張で放送を占拠するなど、様々な手法がある。
リアリティハッキング(reality hacking):既成概念や現実認識を覆して問題の社会化を謀るパフォーマンス。実際にアーティストが参加して、ダンスや演劇、音楽などを組合わせた総合芸術の域に達する場合もある。
ドキュ-フィクション(docu-fiction):ドキュメンタリー風に撮影されたフィクション。社会的な問題発見の瞬間を再現する手法としては有効だが、ドラマのようなシナリオに則って制作されるため、既成の映像文法に留まる退屈さが難点。
この他にも、不安定な人生を追認できる「プレカリオポリー」というモノポリー風の盤ゲームや、インターネット上で全世界から参加して発言したり参加者の集計情報をリアルタイムで閲覧できる「ネットパレード」などが実際に制作された。ここまでくればほとんどあそびであるが、しかしユーモアは運動を継続する上でも大切な資質だ。働くことや働き方までもが「ライフスタイル」の選択として押しつけられる若者が、消費から生産へとモードを転換するためにあそぶのは、ある意味必然であろう。この点、小倉利丸がシチュアシオニストの現代的意義を「ポストモダニズムの消費社会批判の言説の世界よりもむしろ、パンクロックやパブリック・アートといった文化的な実践や(中略)スクウォッターや海賊放送、ハッカーやアンダーグラウンドなメディア・ネットワークといった中」に見出したのは、やはり正しかった。そしてデザイナーやプログラマーという、少しでも生産的な仕事に就こうとしたブレインワーカーたちが、メディア・アクティヴィストとなって社会運動に再帰したのだ。
もちろん、メディア・アクティヴィズムは認識論的な遊戯に留まるものではない。先に紹介したアンテルミットンの行動に示されたように、物質的な占拠やサボタージュと組み合わせて周到に謀った全面展開がなくては、社会的現実=状況の再構築には至らないだろう。
2000年に採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(国連国際組織犯罪条約)を受けて各国で法制化が進められ、「対テロ」の名目で他人の試行錯誤にまで介入しようという共謀罪。この、ほとんど妄想とも言うべきセキュリティ神話を逆手にとるように、プレカリアートは「共謀」する。自分たちの実践計画の企てを、わざと、みずから「conspiracy」と言うのだ。つい先日も、あるユーロメーデーの仕掛人からこんなメールが届いた:
precarious workers start a strike in bruxxel&liege
go to see the conspiracy: http://flexblues.be/
ブリュッセルとリエージュで不安定労働者がストライキを開始
この共謀についてはこちら:http://flexblues.be/
ポスターやバナー広告にも「世界のプレカリアスよ、共謀しよう!(precarious of the world, let's conspire!)」とある。「団結せよ」と命令する/されるのではなく「共謀しよう」と呼びかけるのだ。ついついのせられてしまう。そしてここは、まんまとのせられるのがきっと正しい。
Concept & Realisation Francesca Bria, Tora Krogh & Lize De Clercq dvdfightsharing@inventati.org In collaboration with: P2Pfightsharing Crew www.fightsharing.net Greenpepper Project, Amsterdam wwww.greenpeppermagazine.org Candida TV, Roma www.candidatv.tv
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