反時代的・映像の居場所

櫻田 和也
revised: 19.Sep.2007

 去る7月末から、記録と表現とメディアのための組織[remoれも]というNPO法人が、ひとつの節目を迎えている。大阪市浪速区の新世界、線路をはさんで釜ヶ崎にもほど近い「都市型立体遊園地」=フェスティバルゲートにスペースをかりていたのだが、この物件を売却する方針が示されたからだ*1。フェスティバルゲートは、大阪市交通局霞町車庫跡地が、コンペを経て信託銀行の案により再開発されたもので、ちょうど10年前の1997年7月にオープンした。建物に巻き付くジェットコースターなどを呼び物に当初は活況を呈したが、急速に低迷しアトラクションも徐々に減り、シャッターが降りたままの空き店舗や立ち入り禁止区域が増えていく。そして2001年はじめには既に、集客施設として「失敗」していることが報道されていた。この、閑散とした遊園地=「一般市民が自由に往来できることが前提である集客商業施設」のなかに「現代芸術に関するNPO活動を複数点在させ、都市の日常にアートコミュニティを築く」という芸術文化アクションプラン*2が策定され、新世界アーツパーク事業がはじまったのは、2002年のことであった。このときから、remoは他3つのアートNPOとともに現代芸術の拠点の一角を担ってきたのである。

 remoはいわば、ひとつの研究機械である。現代芸術の文脈にあるメディア・アートを軸とするremoの活動は多岐にわたるが、remoの存在形態そのものが「機械」状なのである。フェリックス・ガタリの定義した機械、それは工場(=無意識)のなかで、技術、社会、教育、商業などの諸機械と「相互作用」を行ない、集合的あるいは動的編成的に機能する*3。remoという研究機械は、さまざまな情報や価値を運ぶことのできるメディア=「映像」を21世紀にふさわしい概念で捉えなおすべく研究し、あらたなフィールドを開拓することを目的として実践的な試みを行ってきた。そうした活動の中で出会った様々な事実や動向を元に、関連するトピックを、きわめて不十分ではあるものの、おおよその時系列に配置したこともある。そこからは、映画、アート、政治、技術、通信などの歴史が錯綜しつつ、さまざまに相互干渉しあっている様がうかびあがる。映像というメディアの担う役割は、商品価値を運ぶだけの意味を担わされた「コンテンツ」などという言葉に集約されるようなものではない。ドキュメンタリーもまた、配給システムに組み込まれた映画館だけが居場所ということはないはずだ。

速度Velocityと頻度Frequency

 当時ソウルの独立メディアセンターMediAct*4で研究員をしていた曺銅元Jo DongWonが2004年6月に来日したときに、remoは「もうひとつのためのメディア」のためのつどいAlternative Media Gatheringを呼びかけた。メディア政策を研究する曺銅元は、各地域にコミュニティ・メディアセンターを設立したり、パブリックアクセス・チャンネルの導入を目指して活動していた。MediActは、移民労働者や自由貿易協定に翻弄される農民などの映像制作を支援し、ソウル国際労働映画祭を共催している。一方で、1999年のシアトル以来、世界各地に飛び火してネットワークを拡大してきたインディメディアは日本版も2002年末に設立されていたが*5、韓国には未だ存在しない。その一因は、韓国では1998年に進歩ネットが設立されたところで*6、草の根の運動諸団体をつなぐ役割を果たし他の必要性が感じないほどの効果を有していたという事情のあったことを知ったのも、このときだった*7

 また2004年11月には、インディメディア・ジャパンを通じてバルセロナのアーティストグループLas Agencias*8がremoを訪れた。かれらは、美術館やギャラリーといったいわゆる美術空間で作品を発表するだけの作家ではなく、現実の社会と向き合い問題に対して積極的に行動するアクティヴィストでもある。たとえば「プレタ・リヴォルテ」というのは、デモのためのファッションを提案するプロジェクト(プレタポルテと革命をかけた造語:ready to revolt!)だ。経済グローバリズムに対する抗議行動にも参加している。そこでは、様々な人々がワークショップに集まり、アイデアや技術を持ち寄って、警官による弾圧(ゴム弾・棍棒・放水・唐辛子スプレーなど)から身を護る防具をそなえ、胸元に小型カメラを装備して、カラフルでユーモラスな防御服をつくり、街の広場でファッション・ショーを実演する。中古のバスをペイントして、街を移動しながら、小型カメラから無線で送られてくるデモの様子をインターネットへストリーミング中継した。情報通信技術を駆使する一方、バスの屋上を演台にショーをして、民衆が集合的な自己表現の場とする「広場」の公共空間本来の役割を取り戻した。六万人の人々が広場のバスをとりかこむ様子は圧巻である。美術館に展示される狭義の「アート」ではなく、街頭に繰り出して人々を繋ぐ「機械」として、かれらの表現は有機的かつ動的に機能していた。

 こうした訪問をふりかえると、remoは、アート(現代芸術)と(社会)運動のあいだにドキュメンタリーの居場所を見いだしてきたことがわかる。もちろんプレタ・リヴォルテの場合には、「アート=運動」というのがふさわしい。だが、その模様をうまく伝える写真や映像記録=ドキュメンテーションがあってはじめて、その「広場」に居合わせることのなかった人にも、場所の力を知らしめることが出来るのである。そうした経験を共有するための機会として、「もうひとつのメディア」のためのつどいは継続された。

 そして2005年3月には、70年代に「発言の自由」を掲げる合衆国西海岸のラジオ局KPFAに関わって以来、様々な領域で活動してきたメディア実践家のダニエル・デル・ソラールが来てくれた。かつてビートニクの詩人だったダニエルは、ペイパータイガー・テレビ創設者のディーディー・ハレックとも古くからの友人であり、チカーノ*9の雑誌『Tin Tan』の共同編集者を務め、ラティーノの番組を数々制作、フリーダ・カーロ*10を世に知らしめる仕事もするなど、ラテンアメリカの文化に深く関与してきた。80年代には、合衆国軍事介入下のニカラグアやピノチェト独裁下のチリで、粉川哲夫の協力を得てマイクロFM送信機を持ち込み自由ラジオを展開、地域コミュニティの再生とコミュニケーション促進に努めたという。アジェンデ政権に対するピノチェトの軍事クーデター(1973年9月11日)のときに、ニクソン政権下のCIAが関与していたことは後に暴露されたが、20年経ってからでは遅い。そう言い紹介してくれたドキュメンタリーが『革命はテレビ放送されないThe Revolution Will Not Be Televised』(2003)*11だった。

 ギル・スコット・ヘロン*12の代表句をそのままタイトルにしたこの映像は、2002年4月にベネズエラで起きたクーデター騒動を記録したものだ。顛末の一部始終が分析され、クーデター騒動の全体が、巧妙に仕組まれた「メディア・イベント」だったことを暴露している。テレビ局はあらかじめ押さえられており、チャベス大統領に対する罷免宣言も、実際に「騒動」の起こる4時間前(!)に用意され読み上げられたものだった。民衆の圧倒的な支持によりチャベス大統領は数日後に復帰したが、その時点で既に合衆国政府は政権転覆を「歓迎」すると発表していた。つまり、ニューヨークでWTCのツインタワーが崩壊した9.11の翌年、明白に、当時29年前のもうひとつの9.11—チリのクーデターを再演することが目論まれていたのだ*13。こうした経験から「知覚の扉」を閉ざさないために「速度Velocityと頻度Frequencyが重要だ」、ダニエルはそう繰り返した。

 速度Velocityとは、タイミングを外さず、同時代的に伝えるべきことを伝える速度のことであり、頻度Frequencyとは、何度でも飽くことなく繰り返し伝え続けることだ。決してコマーシャル映像のような「スピード感」の問題ではない。だから、ここではあえて「ゆっくり」した映像をいくつか紹介したい。いちどremoscopeレモスコープ*14してみれば誰しも気づくことなのだが、実・時間real timeというのは、実にゆっくりしている。こどものとき、風呂でしっかりとぬくもるように親と一緒に数えた60秒、あれが本当の1分である。同じ60秒間に4本もの広告を投げつける商業テレビの機関銃の方が、狂っているのだ。

ゆっくりとした映像たち

 ここで紹介する映像はすべて、なにかしらremoという研究機械と接点のあったものだ。まずひとつめの『関西公園 Public Blue』(2007)は、「『もうひとつのメディア』のためのつどい」から派生して、野宿者や寄せ場の問題にそれぞれのかたちでかかわっている関西圏の若手研究者が現場支援者の協力を得ながら進めてきた「ホームレス問題について知るためのWikiプロジェクト(仮)」*15などを通じて、見せていただいたものだ。これはアンケ・ハールマン(ドイツ)を中心に、アメリカと日本のスタッフが協力して制作した約70分のドキュメンタリーである。出来事としては、厳寒の2006年1月、大阪城公園とうつぼ公園にて、強制的に排除されたテント村の様子に焦点があてられている。その事件自体の衝撃もさることながら、むしろ、そこに流れるゆっくりとした時間と表現方法が魅力的なのだ。事情をよく知らない人にも分かるよう、全編が英語と日本語の二カ国語で貫かれており、字幕やテロップ、ナレーションもよく工夫されていて面白い。また「日本に野宿者がいるのはなぜか」あるいは「公園にテントを建てて住むのはなぜか」といった基本的な疑問を大切にしていて、野宿問題をよく知らない者にも理解しやすい。さらに、ゆっくりしたリズムから、テント村での日常生活の呼吸が伝わってくるようだ。

 この映像は当初、他の公園のテント村で、また有志による小さな集会などで上映され、大阪駅前の陸橋から百貨店の壁面にプロジェクションされたこともあったが、その時には途中で止められたそうだ。協力者もあちこちで自主上映会を呼びかけていて、ゆるやかなネットワークがひろがっている。関西公園という名の公園が実際にあるわけではないが、こうしたつながりが仮想の公共空間をもたらしているようだ。また、公式ウェブサイト*16には、付録のラディカル文書図書館もあってとても勉強になる。これがついに、「アジア千波万波」のひとつとして山形国際ドキュメンタリー映画祭2007で上映されることになった。是非これを機会に多くの方に見ていただきたい。そして、強制的な排除によって人が日常生活の場所を喪失するということの意味を、また空間の「公共性」に思いを馳せてほしい*17。どうして、まわりをお花畑にしたいという花好きの公園の住人が、「世界バラ会議」のために追い出さなければならないのだろうか。

 次に、ディーディーが懐かしい思い出に記録した『Ah! The Hopeful Pegentry of Bread and Puppet』(2001)を紹介したい。これは、ベトナム反戦運動の最中デモ行進や集会で活躍した伝説的なパフォーマンス劇団「パンとハリボテ人形Bread and Puppet」(ピーター・シューマン創立)*18の記録である。バーモント州の広大な田舎で共同生活を営み、いまも口コミで何万人も動員する劇団だ。その思い出は小田実も書き残している*19。ディーディーのカメラは、70年代に合衆国のカンボジア侵攻に対する抗議中に警備に殺された学生への追悼、ブレヒトの『三文オペラ』を段ボール人形で演じた縮約版、1985年に警察に家を爆破されたベジタリアンのことを演じたパフォーマンス、さらに90年代のサーカス、以上四本の作品を収めている。だがここでも、そうした作品の合間に映されたかれらの共同生活の様子がまた魅力的で、その情景は、個人的な時間をも呼びさますものだ。サンタフェのフリースクールThe Tutorial School*20が来日したとき、長野の山の中腹の民家で一緒に過ごした記憶と重なるのだ。Richardは亡くなってしまった。Moeはその後再び新世界までお好み焼きを食べにきてくれたけれど、いまも元気だろうか。ハリボテ人形の手作りの演劇は素朴で、ここにも実・時間real timeが流れている。そしてこの巨大人形は、いまもあちこちの抗議集会で、デモで圧倒的な存在感を示している、機動隊に邪魔者扱いされて破壊されてもまた目立ってしまう、そんなパペット・ブロックの原型だ。

 もうひとつ、この夏、釜ヶ崎を訪問してからお隣りのココルームcocoroomに来ていたエリザベス・コールの『おばさんたちが案内する未来の世界』(2007)第3幕と第2幕を、偶然見ることができた。全編は三幕からなり、およそ3時間の上演だそうだ。撮影したエリザベスと小沢健二の二人が、英語と日本語の台本をその場real timeで朗読しながら、ロンロコ*21の生演奏が添えられる。映されるのはラテンアメリカ諸国での人々の日常生活であり、かれらの言葉は主にスペイン語である。これはまるでシャトーカchautauqua*22のようで、はじめから商品化されることを拒否する。シャトーカというのは、合衆国で19世紀末にはじまり、映画やテレビの普及する前に流行した大人向けサマースクールの形式で、野外キャンプで共同生活をしながら、演劇や音楽、ワークショップを通じた啓蒙活動が行われていたという。室内ではあるが、エリザベスのあたたかなまなざしで撮られた映像と声と音の満ちあふれる、その時空間自体がメディアとなって、シャトーカになる。そこはラテンアメリカにつながるもうひとつの世界であり、人気者のチャベスが冗談を言い、生活する人々の日常の息づかいを感じることができる。ダニエルがおしえてくれた「テレビ放送されることのない革命」の等身大の姿が、ここに垣間見える。あとでエリザベスは、大阪でも「伝わるべきひとたちに、伝えるべきことがちゃんと伝わった」という感想を届けてくれた。たしかに、そういうことだったと思う。

運動のメディア

 ピノチェトのクーデターから34年目の2007年9月11日、日本植民地時代に隔離施設として建てられた台湾のハンセン病療養施設「樂生院」を取り壊し鉄道を開発する工事を進めるため、警察当局はハンセン病支援者や樂生院保存運動の支援者たちを強制排除したという。施設の約40%だけ残し、施設の建つ丘ごと切り崩して高速鉄道の車両庫用地にするという都市高速鉄道の建設計画に対して、樂生保留自救会は海外の建設会社や学識経験者などの意見をもとに90%を保存可能な対案を作成、ハンセン病に対する差別を伝える施設としても保存するよう政府に計画変更を求めていたのだが*23、同会によると、台北市捷運工程局は9月10日夜に「樂生院入所者の同意のないままに同正門付近における工事を開始する」と表明していた。その後伝えられたところによると、11日夜には緊急事態に応じて支援者らが駆けつけ、実際に排除が行われたのは12日だったようだ*24

 9月12日
  午前4時 入所者・支援者が正門後ろ(三叉路になっているところ)に集まる
  午前5時 所轄の警察署が正門の管理を引き継ぎ
  午前7時 警官隊が付近の警察署に集結
  午前8時 警官隊がSWAT部隊を先頭に支援者の排除を開始
  午前9時 警官隊が排除を完了し、工事現場の囲いの設置が始まる

 これはまさに『関西公園』に記録された大阪での野宿者排除、そして世界陸上の準備を口実にした2007年初頭の長居公園での行政代執行*25などとおなじことではないだろうか。ここでも、また再開発のために、人々の日常生活が根こそぎ奪われようとしている。土屋トカチ『たのしき われらが樂生院』(2006)は、当時既に進行中だった樂生院の立ち退き問題を、そこで自炊、洗濯して、近所づきあいもある生活をおくる高齢化した人々の目線で撮った秀作だったが、こんどからは『樂生九一一Losheng 911』(2007)*26と一緒に記憶されるだろう。入所者の同意もなく、警官隊を動員して、排除をも辞さず開始されたこの工事は、そこに住む人々の生活を文字通り音をたてて壊しはじめているのだ。この様子はきっとまた、そこに住む人々を支援する者によって記録され伝えられるだろう。そして思わぬひろがりをもたらすに違いない。それが、運動のメディアというものだ。

いまや全世界に展開しているレイバーネットは、1995年11月「ストライキを破ることを拒否した」という理由で解雇されたリバプールの港湾労働者の闘いを支援するためにはじまり、スト破りの船を入港拒否するなどの国際連帯を実現したのだが、その問題を伝えるうえで大きな役割を果たしたのも、ひとつの映像だった。ケン・ローチの『ピケをこえなかった男たちThe Flickering Flame』(1996)である。イギリスではサッチャー政権下の規制緩和政策で1989年に港湾労働法が廃止され、それまで労使で共同管理の港湾労働委員会に登録されていた港湾労働者がすべて解雇され、日雇い労働者に置き換えられていた。そして1995年、唯一の例外だったリバプールにもついに攻撃がしかけられる。ケン・ローチは、BBCドキュメンタリーのなかで、この港湾労働者たちの解雇撤回闘争、困難と苦悩、その家族の厳しい生活を記録したのだ。そのビデオを入手した大阪のゼネラルユニオンが、監督の快諾を得て翻訳し、東京のビデオプレスと日本語版を制作したという。60年代の港湾労働法制定闘争では全太平洋アジア港湾労働者の国際連帯行動に支えられた全港湾も、今回の国際連帯に参加しスト破りの船の荷役をボイコットしたが、結局かれらの闘いは敗北した。それでも、全世界に雇用非正規化の問題をいち早く伝えたことと運動の教訓を残した功績は大きい。

リバプールが遺した教訓のとおり、いまや全世界で、失業、不安定労働、非正規雇用が人々の生活の大部分を占めるに至り、その必然として、運動の基軸は失業をめぐる問題へとシフトしている。そのどこでも、映像というメディアは、機械=道具としての有用性を見いだされ、体験の共有をもたらしている。プレカリアートのユーロ・メーデーは『Precarity!』(2004)*27で、合衆国でメーデーを復活させた移民労働者たちは『¡Gigante Despierta!(Giant Awake!)』(2006)*28で、様々な経路で各々の記録や作品を持ち寄り、DVDにまとめ、再び全世界の各地に流通して存在を示し、その映像は小さな集会などを通じてひろく共有されている。人々はそれをめぐって言葉を交わし、共感や違和感を語る。あるいは映像の使い方を学ぶ。そして人々は、また別の映像をつくり、メディアを育むことを企てるようになる。こうして運動のメディアは、それ自身の運動をはじめるのである。

コミューンの回帰

 はじめに述べたような事情で、remoは、ひとつの終焉と再生の節目を迎えるにあたり、2007年7月16日に一日のパーティ[remosports運動会]を開催した。「映画に見出される諸力を社会のなかに解き放ちたい」という思いを一にして基調講演の依頼を快く引き受けてくれた廣瀬純は、講演のしめくくりにあたり、たしかな口調で、次のように述べた。

「例えば、ぼくたちがいま生きつつある[remo]のこの時空間が、そっくりそのまま、1871年のパリ・コミューン[Commune de Paris]へも、1936年の労働者たちによって占拠されたルノーの工場へも、1968年の世界各地での若者たちの蜂起へも、1977年のイタリアの諸都市へも、いまもどこかで続けられているスクワットへも、チアパスのサパティスタ叛乱自治区へも、あるいはまた東京の高円寺へも、要するに歴史も地理も超えてすべての運動に、ダイレクトに繋がっているのです。」

廣瀬純は、映像のもつ「反時代的な力」を信じながら敗北を重ね続けているこのremoのようなスペースが、まさに「歴史のただなかへの非-歴史的な闘争的主観性のなだれ込みであるという意味において、パリ・コミューンの回帰そのもの」だというのだ。映像が「反時代的な力」を持つというのは、つまり、時空間を超えて共有され得るという潜在性を常に有しているということに他ならない。リュミエール兄弟の1895年以来、共有された映像には、いつの時代のものも適切な時宜に再現できる光の速度Velocityと、何度でも再生できる無限の頻度Frequencyとが普遍的に保持されているのだ。それにもかかわらず、かつてブレヒトがラジオについて述べた、「ふたつの側面をもつべきであるのに、ひとつの側面しかもっていない」*29という指摘は、現在の技術的可能性と政治経済的条件において、映像についてまた同様にあてはまるように思われる。

速度Velocityと頻度Frequencyという反時代的・非歴史的な力を持つ映像の可能性を、現代社会において、同時代的に、存分に発揮するための場所は、きっとremoと同じように、少なからず過剰な思い込みに満ちた、そこここに現存する、あるいは密やかに出現する時を待っている数多の無名のコミューンをおいて他にあるまい。そこでドキュメンタリーという一種の映像=機械は、映画館やTVテレビ産業の1時間30分の枠をこえて、誰もがそれをつくり、事態を伝えるための契機として、社会のなかで自律的に駆動するようになるだろう*30

脚注:
  1. 大阪市の文化政策とアートNPOをめぐる情況については、吉澤弥生(2007)「文化政策と公共性—大阪市とアート NPO の協働の事例から」『社会学評論』Vol.58, No.2や櫻田和也・渡邊太・吉澤弥生(2008)「大阪市『新世界アーツパーク事業』にみる文化政策の課題―文化と公共性の現場」『文化政策研究』創刊号(予定)を参照のこと。
  2. 大阪市『芸術文化アクションプラン〜新しい芸術文化の創造と多彩な文化事業の推進に関する指針〜』(2001)
  3. 杉村昌昭「『研究機械』から『言表行為の動的編成アジャンスマン』へ」『インパクション』153号(インパクト出版会2006)
  4. http://mediact.org/
  5. http://japan.indymedia.org/
  6. http://www.jinbo.net/
  7. 進歩ネットは、日本のJCA-NETと同様、湾岸戦争(1991年)の反戦運動や国連地球環境サミット(1992年)のNGO会議で大きな役割を果したAPC(進歩的コミュニケーション協会)のノードであり、韓国レイバーネットもホストしており、情報産業資本が日本版に出資したOh!MyNewsのような自称「市民参加型」メディアとはまったく異なる。だが、参加プロセスの民主性、匿名性の保障、アクセスログの破棄(またはIPアドレスの暗号化)といった原則をはじめとして、なおインディメディア独自の意義もあるはずだ。とくに現在、合衆国政府は韓国と二国間の自由貿易協定のなかで、これまで前例のない「知的所有権」の条項を盛り込み、著作物を許可無く複製、配布、送信させるサーバを政府が閉鎖できるようにする、あるいは利用者を直接訴追できるようにするなどの要求を突きつけているという、深刻な情況にある。もともと「国民総背番号制」のような仕組みのある韓国において、IPアドレスと住民登録番号が結びつけられる可能性は、市民社会に対する脅威になるだろう。参照:http://nofta.jinbo.net/
  8. http://www.lasagencias.org/ 銀行にアルゼンチン通貨危機の責任を問うた衝撃の政治的万引き運動Yomango Tangoジョマンゴ・タンゴもかれらのプロジェクトである。DVD『Precarity』所収、注27参照。
  9. 合衆国のエスニック・マイノリティ、メキシコ系アメリカ人。
  10. メキシコの画家、トロツキーとの恋人としても知られた。
  11. http://www.chavezthefilm.com/
  12. チェルシーでビートニクの影響を受けて育った、黒人のファンク詩人。
  13. このクーデター騒動をはじめ、より詳しい背景は廣瀬純『闘争の最小回路』(人文書院 2006)、また、民放テレビ局に対する電波使用許可更新を禁じたことで物議をかもした問題については同じく廣瀬純「政党化するマスメディア—ベネズエラRCTV問題をめぐって」『インパクション』159号(インパクト出版会2007)参照。あとに紹介するエリザベス・コールの作品は、ベネズエラの人々の生きいきとした表情をよくとらえている。
  14. http://remoscope.net/ [remoscope]とは、映画の父と呼ばれるリュミエール兄弟の偉業に敬意を表して、当時の撮影上の技術的制約からremoが考案したリュミエール・ ルール【無加工 / 無編集 / 最長1分 / 定点撮影 / 無音 / ズーム無し】に則り撮影されたビデオ作品群を総称する造語。それぞれの視点で撮影する、持ち寄る、鑑賞する、談義する…。そんな、「句会」のような形式で行うワークショップをしている。
  15. http://rootless.org/rough/
  16. http://kansaikouen.org/
  17. 篠原雅武『公共空間の政治理論』(人文書院 2007)
  18. http://www.breadandpuppet.org/
  19. 小田実「『フーブン』の詩人の重い答」 http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/antiwar/odamakoto.html
  20. http://www.tutorialschool.org/ 2000年当時、かれらを紹介してくださった辻正矩さんに感謝。
  21. ギターに似たボリビアの弦楽器、低音域用のチャランゴ。
  22. シャトーカとは、もともとイロコイ族の言葉で、合衆国各地にその地名が残されている。ニューヨーク州のシャトーカ湖畔ではじまったサマースクールから広まったという。このような精神は、ロバート・パーシグの『禅とオートバイ修理技術』を通じてUnix/Internetのハッカー文化に、ブラックマウンテンカレッジを通じて現代美術に、あるいはウッドストックを通じて音楽に、またプロメテウス・ラジオ(prometheusradio.org)などのラジオ棟上げ運動radio barnraisingを通じて市民社会メディア運動に、合衆国の、未だ資本に回収されないもうひとつの文化の回路を残しているように思われる。
  23. 個人的には、2005年に香港で開催された国際会議「新媒體與社会変革」以来、台湾の週刊新聞『破』(pots.tw)とのつきあいがあってこのことを知り得た。今年春にもシドニーのOurMedia国際会議で黃詩凱Huang SunQuanが樂生院のことを発表し、破週報主催<自己幹文化>國際工作坊のなかでも、緊迫した時期だったこともあって重点的に議論されていた。
  24. http://blog.roodo.com/hansentaiwan/
  25. http://rootless.org/nagai/ ここに掲載された記録写真からもわかるとおり、マスメディアのカメラは事前に特定の場所に封じられ、警官隊の背後でなにが行われていたのかを記録する機会は、あらかじめ奪われていた。
  26. http://www.dailymotion.com/video/x2yk1l_losheng911-high-quality_news
  27. 櫻田和也「プレカリアート共謀ノート」『インパクション』151号(インパクト出版会2006)
  28. http://gigantedespierta.org/
  29. 技術的には双方向的であり得るのに、一方的な情報の分配装置になってしまっているという指摘。ブレヒト「コミュニケーション装置としてのラジオ—ラジオの機能に関する講演」『ベルトルト・ブレヒトの仕事|6 ブレヒトの映画・映画論』新装新版(河出書房新社2007)=Bertold Brecht(1932), "Der Rundfunk als Kommunikationsapparat."
  30. さもなくば、フランソワ・オゾンの歯ブラシ(『海をみるRegarde la mer』1997)だけがドキュメンタリーだ。
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