チョムスキー博士インタビュー
ベオグラード、ラジオB92
(2001年9月11〜20日、日付不明)
なぜこのような襲撃が起きたとお考えですか?
その質問に答えるには、まず犯人を特定しなければなりません。一般的には、この襲撃の出所は中東地域で、おそらくはオサマ・ビンラディンのネットワーク − ビンラディンの影響を受けた広範で、複雑なネットワーク(ただし、必ずしもビンラディンの直接指導下にあるとは限らない) − が関与していると仮定されています。この仮定が正しいものと想定してみましょう。そのうえであなたの質問に答えようとする場合、分別のある人であればビンラディンの考え方、そしてこの地域全体に数多くいる彼の支持層の気持ちを見極めようとするでしょう。これを見極めるための情報はふんだんにあります。これまで、信頼できる数多くの中東専門家、特に中東特派員として最も著名なロバート・フィスク氏(ロンドンIndependent紙)などが何年にもわたりビンラディンをインタビューしてきています。何10年にもわたって中東と関わってきたフィスク氏は、この全域の情勢に精通しています。サウジアラビアの億万長者 ビンラディンは、旧ソ連軍をアフガニスタンから撃退することを目的とした戦争でイスラム教戦闘員の指導者となりました。彼はソ連軍の損害を大きくすることを目的にCIAやパキスタンの情報機関などが集め、武装し、資金を提供した原理主義過激派の一人でしたが、CIAなどによるこのような介入によって、逆にソ連の撤退時期が遅れた可能性があるとも相当数のアナリストが指摘しています。ビンラディンが直接CIAと関わっていたかどうかははっきりしませんが、これは特に重要なことではありません。また、CIAがなかでも狂信的で、残虐な戦闘員を中心に集めていったことも特に驚くには及びません。その結果として「穏健な政府が破壊され、アメリカが無分別に資金を提供してきたさまざまな集団の中から狂信的な政府が誕生した」[やはり中東の専門家ロンドン・タイムズ紙記者サイモン・ジェンキンズ氏談]ということです。これら「アフガーニ」と呼ばれる者らは(ビンラディン同様、アフガニスタン出身者ではない)、国境を越えてソ連側でもテロ活動を行っていましたが、ソ連の撤退後はこのような行動を取りやめています。彼らはロシアを軽蔑し、嫌悪していましたが、この戦争はロシアに向けられていたのではなく、ソ連軍による占領とイスラム教徒への犯罪行為に対する戦いだったのです。
が、彼ら「アフガーニ」がそこで活動をやめることはありませんでした。バルカン戦争ではボスニアのイスラム教徒の軍隊に加わって戦い、アメリカはこのことについても、イランが彼らを支援していたことについても異論を唱えていません。この理由は複雑で、ここで議論する必要はありませんが、その結果としてボスニア人が悲惨な末路を迎える可能性があるということが大した議題にもならなかったことはいっておかければなりません。さらに、アフガーニはチェチェンでロシア軍と戦い、モスクワをはじめとするロシア国内でもテロ活動を繰り広げている可能性が十分にあります。ビンラディンと彼の率いるアフガーニは、1990年にアメリカ軍がサウジアラビアに駐留を開始した時点から反アメリカに転じています。ビンラディンは、アメリカのサウジ駐留をソ連軍によるアフガニスタンの占領と同じように捉え、しかもサウジアラビアはイスラム教徒にとって最も神聖な寺院の数々を保護する立場にあることから、ビンラディンにとってアメリカの駐留ははるかに重要性の高かいできごとでした。
ビンラディンはまた、中東各国の腐敗した、抑圧的な、彼から見て「非イスラム的」な政権にまっ向から反対しています。この中には、タリバンを除いて世界で最も極端なイスラム原理主義的な政権でありながら、建国当時からアメリカと親密な同盟関係にあるサウジアラビア政権も含まれています。ビンラディンは、アメリカがこれらの政権を支援していることに憤りを覚えています。また、中東に住む多くの人々同様、彼は今年で35年目になるイスラエルの残忍な軍事占領に対するアメリカの長期的な支援に対しても怒りをあらわにしています。つまり、虐殺、何年にも及ぶ強権的で破壊的な占領、パレスチナ人が毎日さらされている屈辱的な状況、占領地区をバントゥースタン*的な区画に分断して資源の支配権を確保することを目的としたイスラエル人入植地の拡大、目にあまるジュネーブ協定違反行為など、最大の責任者であるアメリカを除き、世界の大半の国々が犯罪行為と認めるさまざまな行為に対する怒りです。ビンラディンはまた、これも他の多くの人々と同様、これらの行為に対するアメリカの支援と、10年にも及ぶ米英のイラク民間人への攻撃 − イラクの社会を壊滅させ、何10万もの人々を死に至らしめ、サダム・フセインの勢力増強を黙認するかたちになっている − も同じように捉えています。実際、毒ガスによるクルド人の虐殺をはじめとする残虐行為をフセインが行っていたころまで、米英はサダム・フセインを友好的な同胞と見なしていました。この事実は、西側諸国の人々は忘れたいと思っているでしょうが、中東地域の人々がこれを忘れることは決してありません。このような気持ちを抱いている人々は数多くいるのです。9月14付けのWall Street Journal紙では、ペルシャ湾地域の裕福で特権的なイスラム教徒(アメリカと密接な関係を持つ銀行家、医者や弁護士、ビジネスマンなど)の意見調査を行いましたが、このなかでもおおかた同じような意見が聞かれました。この層の人たちも、イスラエルの犯罪行為を支持するアメリカの政策、イラクとの外交決着を求める国際的なコンセンサスを何年にもわたり妨害して、イラクの市民社会を壊滅させているアメリカの政策、中東地域全体で強権的、抑圧的、非民主的な政権を支援していること、そして「圧政を樹立して」経済発展を妨げているやりかたなどについて憤りを感じています。非常な貧困と抑圧に苦しんでいる大多数の民衆の間ではこの気持ちがさらに強く、このようなことが自爆テロにまで発展するような怒りや絶望感の源泉になっているというのが、事実に耳を傾けている人々の共通した状況認識となっています。
一方、アメリカや西側諸国の大半は、これほど心の痛みを伴わない見方をしようとします。例えば9月16日のNew York Times紙の社説では、犯人らは「自由、許容性、豊かさ、宗教的多様性、一般投票権など、西側で大切にされている価値観への憎悪」から今回の犯罪に及んだとしています。アメリカのしてきたことは今回の事件とは無関係であり、したがって言及する必要もない [セルゲ・シュミーマン氏談] というのです。これはとても都合のいい見方であるばかりでなく、知識界の歴史を見ても、珍しいスタンスではありません − というより、普通のスタンスだといってもいいでしょう。これはあらゆる事実とまったく矛盾する見方ですが、自己賛美、無批判の権力支持という点では役に立つ見方なのです。
また、ビンラディンや彼と同じような考え方を持つ多くの者が「イスラム国への大規模な攻撃」を願っているというのも広く知られていることです。これによって「狂信者を大義のもとに結集」させることができるからです[ジェンキンズ氏など談]。この現象にも歴史的な前例が数多くあります。武力衝突の増長は、敵対する両陣営のなかで最も無情で残忍な層に歓迎されるのが普通です。これに類する歴史上の前例は数多くありますが、ごく最近ではバルカン地方の状況にこの図式が如実に表れていました。
* 南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に基づき国内に設けられた半自治の黒人居住区
今回の事件が、アメリカの国内政策、およびアメリカ人の自国に対する見方にどのように影響するでしょうか?
アメリカの政策はすでに公になっています。世界の国々は「明確な二者択一」 − つまり、アメリカと手を組むか、それとも「殺戮と破壊を覚悟するか」を迫られたのです。議会は、襲撃に関与したと大統領が見なしたすべての個人や国家に対する武力の行使を承認しています。これはまったく犯罪的な考え方で、その犯罪性を実証するのは実に簡単です。ニカラグア紛争当時、ニカラグアに対する「非合法な武力行使」の停止を命じた国際司法裁判所命令をアメリカが拒否し、すべての国が国際法を守ることを求めた安全保障理事会決議にアメリカが拒否権を発動しましたが、このことに対してニカラグアが今回のアメリカのような政策を断行していたとしたら、はたしてアメリカはどのように反応しただろうか − それを同じ議員に聞いてみればいいのです。しかも、ニカラグアに対するアメリカのテロ攻撃は、今回の襲撃事件に比べてはるかに残酷で破壊的なものでした。
アメリカの人々がこのような状況をどう捉えているかは、これよりもかなり複雑です。まず知っておかなければならないのが、メディアや識者層のエリートには、それぞれ自分の思惑があるということです。さらに、この質問の答えのかなりの部分は、人々の意思決定の問題です。献身的な努力とエネルギーを十分に注ぎ込めば、盲目的な憎悪や権力への服従を逆転することができるのです。このこともよく知られたことです。
アメリカが海外政策を大きく転換することになると思いますか?
アメリカの最初の反応は、今回のテロ襲撃の支持層の怒りや憤りをそもそもかき立ててきた政策をさらに強め、指導者層の最強硬分子の思惑 − 軍備の拡大、国内の規制強化、社会プログラムの削減など − をさらに強力なかたちで推進するというものでした。これはすべて予想された通りです。先ほどの繰り返しになりますが、テロ攻撃、そしてそこから生まれる武力の悪循環の増長は、その社会の最も無情で抑圧的な分子の権力を強めることになるのです。が、このようなやり方に服従する以外にない、ということはないのです。
最初のショックのあと、今度はアメリカがどう反応するだろうかということに不安を覚えました。あなたも怖いですか?
正気な人であれば、予想される反応 − すでに公にされている、ビンラディンにとって願ってもない反応 − について不安を感じるのは当然です。これによって武力の悪循環が、これまでにも経験したきたような方法で大きく増長されることになるでしょうが、今回の場合は規模がはるかに大きくなるでしょう。
アメリカは、飢えに苦しむアフガニスタンの人々の一部が頼りにしてきた食料品や物資の提供を中止するよう、すでにパキスタンに求めています。パキスタンがこの要求を受け入れた場合、テロとはまったく無関係の人々が数え切れないほど死ぬことになります。その数は数百万人に上る可能性すらあります。繰り返していうと、アメリカは、そもそもタリバンの圧政の犠牲者である数百万もの人々を見殺しにするよう、パキスタンに要求したのです。これは復讐ともまったく無関係で、道徳的な尺度でいうと復讐よりもはるかに低いレベルの行為です。マスコミではこのことが「その他のニュース」としてほんのわずか触れられているに過ぎず、論評が加えられることもなく、ほとんど誰も気が付かないようなかたちで報道されているという点によって、この問題の重要性はさらに増します。パキスタンに対するこのアメリカの要求への反応のしかたを観察するだけで、西側有識者の道徳的なレベルについて多くのことを知ることができます。一般のアメリカ人が、自分たちの名のもとにどのようなことが行われているかを知らされたら愕然とするであろうことは、ある程度自信を持っていうことができます。この場合も歴史的前例から学ぶべきです。
パキスタンがアメリカの諸々の要求に同意しない場合、パキスタン自体が直接的な攻撃対象となる可能性があり、そうなった場合の展開は予想することができません。逆に、パキスタンがアメリカの要求をのめば、パキスタン政府がタリバンのような勢力によって転覆されることも考えられ、そうなったらその勢力が核兵器を保有することになります。このようなことになれば、産油国をはじめ、地域全体に大きな影響が及びます。つまり、人類社会の大部分を壊滅してしまうような戦争が起こるかもしれないという状況に私たちは現在直面しているのです。
そのような可能性を考えなかったとしても、アフガニスタンへの攻撃は、大半のアナリストが予想する結果を招くことになるでしょう。つまり、ビンラディンの望みどおり、数多くのビンラディン信奉者が生まれることになります。彼が殺されたとしても、あまり状況は変わりません。殉教者としてまつられたうえに、彼の声はイスラム世界全体に出回っている彼の演説を収めたカセットテープで聞かれ、人々の精神的模範となっていくことでしょう。20年前、1台の自爆テロのトラックがアメリカ軍基地に突入したことで、世界最大の軍隊がレバノンから撤退することを余儀なくされた事実を忘れてはなりません。
「2001年9月11日に世界は変わった」といいますが、そうお考えですか?
火曜日の恐るべき攻撃は、世界情勢の中で前例のない事件でしたが、それはその規模や性格に前例がないというのではなく、その標的がアメリカだったという点で今までになかった事件でした。1812年の戦争以来、アメリカは自国領土に対する攻撃はおろか、脅威にさらされたことすらありません。植民地が攻撃されたことはあっても、自国領土への攻撃はこれが初めてなのです。この間アメリカは、何百万人という先住民をせん滅し、メキシコの半分を占領、周辺地域にも武力介入し、ハワイやフィリピンを占領し(その過程でフィリピン人を何十万人も虐殺し)、特に過去半世紀には、武力によって世界中にその影響力を拡大させてきました。犠牲者は途方もない数に上ります。そして今回、初めて銃口がアメリカ自身に向けられたのですから、大きな変化といえます。これはヨーロッパにとっても同じ、もしくはそれ以上に大きな衝撃となりました。ヨーロッパ域内でも殺戮と破壊が繰り返されてきましたが、これらはあくまで域内紛争でした。その一方で、ヨーロッパの各勢力は、極めて残虐な方法で、世界の大半を征服していったのです。ヨーロッパが域外の被征服民から攻撃を受けたことは、ごく一部の例外(例えばイギリスのIRA)を除いてありません。したがって、NATO加盟国が一丸となってアメリカ支持にまわったのは至極当然のことです。何百年もの間繰り広げられてきた帝国主義に基づく暴力が、人々の知性や道徳観念に大きく影響しているということの表れです。
この事件は確かに世界史上前例のない出来事ですが、それは残念ながら、この惨事の規模に前例がないのではなく、その標的に前例がないということです。この事件に対して西側がどのような反応をするかは非常に大切な意味を持っています。富と権力とを持った者が、何百年間も続いた伝統に習って非常な武力行使に頼れば、武力の悪循環をエスカレートさせ、長期的な影響は計り知れないものとなります。このような展開が不可避ではないことはいうまでもありません。比較的自由が許された民主的な国々では、目覚めた民衆がより人道的で尊敬に値する方向に政策を誘導していくことができるからです。
訳:石畠弘