民主主義と教育

ノーム・チョムスキー

Mellon Lecture, Loyola University, Chicago

October 19, 1994

 

私が依頼を受けた話題は、それについてお話しすることを大変嬉しく思っているのですが、「民主主義と教育」についてです。民主主義と教育という言葉は直ちにこの過ぎ去って行く世紀の傑出した思想家の一人であるジョン・デューイ(1)の生涯と仕事と思想を思い起こさせます。彼はその生涯と思想の多くの部分をこの問題にささげました。私は彼に特別の関心を持っていることを告白しなければなりません。 このことにはたまたま多くの理由がありましたし、彼の思想が私の人格形成期に強い影響を与えていたということがありました。 実際、その影響は2歳の頃からずっと続いています。私は深く立ち入るつもりはありませんが(2)現実的な様々な理由があったのです。デューイは、晩年には幾分懐疑的になりますが、その生涯の大部分の間、初等教育の改革がそれ自体で社会改革の大きな手段になり得ると考えていたように思われます。初等教育の改革が、より公正で自由な社会への、彼の言葉を用いれば、「生産の究極的な目的が商品の生産にあるのではなく、対等の立場で互いに連帯する自由な人間を生み出す」ような社会への、先頭に立つことができると彼は考えていました。この基本的な姿勢は、デューイの全ての著作や思想に貫かれているのですが、現代社会の知識階層の生活の二つの有力な思潮とは深い所で相容れないものなのです。その思潮の一つは、彼の時代に強力だったのですが(彼はそれらの事柄について1920年代から1930年代に書いているのです)、当時の東ヨーロッパでの統制経済、レーニンとトロツキーによって創り出され、スターリンによってさらに巨大な怪物に変えられてしまった体制に関連しています。もう一方の思潮は、米国や多くの西欧社会で構築されつつあった社会、巨大私企業による効果的支配を伴った国家資本主義的産業社会に関連しています。これら二つの体制は、イデオロギーも含め、基本的な方法において事実上類似しています。両者は基本的な姿勢において極めて権威主義的であったし、その一方は今なおその状態が続いています。そして両者はもう一つの伝統と、左翼的自由意志論者の伝統と、極めて鋭く劇的に対立していたのです。これは啓蒙主義的価値観に起源を有し、ジョン・デューイ派の人々からなる進歩的自由主義者やバートランド・ラッセル(3)のような独立的社会主義者、大部分は反ボルシェビキであったマルクス主義主流の優れた思想家達、そして様々なアナーキスト運動の自由意志論的社会主義者を含む伝統なのです。労働運動や他の民衆層の大部分は言うまでもありません。

この独立的左翼思想は、デューイもその一部だったのですが、古典的自由主義にその強力な根を持っています。私の意見では、それはまさにそこから成長したのです。そしてこの独立的左翼思想は、国家資本主義的なあるいは国家社会主義的な制度や思想と鋭く対立しているのです。無論、後者の中には現在米国で保守主義と呼ばれている幾分極端な形式の絶対主義も含まれます。この保守主義という用語法はオーウェル(4)を可笑しがらせることでしょうし、本物の保守主義者を、もし一人でもいればの話ですが、墓の下で嘆かせることでしょう。

このような見取図は、多少穏やかに言っても、一般的な見方ではないと私が強調するまでもないでしょう。しかし私が思うに、この見取図には少なくとも一つの長所があります。すなわち正確さという長所です。何故かを説明してみましょう。

「生産の究極的な目的は商品の生産にあるのではなく、対等の立場で互いに連帯する自由な人間を生み出すことにある」というデューイの中心的な主題の一つに戻ってみましょう。それはもちろん教育を含んでいます。それこそが彼の最も重要な関心事だったのですから。教育の目的とは、ここでバートランド・ラッセルの言葉を借りれば、「独裁的支配とは異なった物事の価値の感覚を与えること、自由な共同体の聡明な市民の創出を支援すること、市民生活に自由と個人の創造性を結び付けることを奨励すること、つまり庭師が若樹を眺めるように、適切な土壌と空気と光りが与えられれば素晴らしい形に成長して行く固有の性質を持ったものとして眺めるように、我々が子供を眺めること」にあります。デューイとラッセルは他の多くの事柄では意見が一致しなかったのですが、私の見解では、彼ら二人はおそらく二十世紀の西洋でのこの伝統の傑出した思想家であったのです。彼らは、啓蒙主義にその源を発し、ラッセルが「人間主義的構想」と呼んだもの、つまり、教育を空の容器に水を満たすようなものと見なすのではなく、むしろ花がそれ自身のやり方で成長するのを支援するものと見なす思想について、意見が一致していました。彼らが復活させたもの、言い換えれば、人間が普通に持っている創造的行動様式が成長して行くような環境を与えるという思想は、18世紀の考え方なのです。

デューイとラッセルは啓蒙主義や古典的自由主義のこのような優れた思想が革命的な性格を持っていることを共に理解していました。 そして彼らは、まさに彼らが執筆している時に、二十世紀の前半に、それを実行し続けたのです。 それらの思想は、実行された時には、自由な人間を生み出すことができたのです。その価値観が、蓄財や独裁的支配にはなく、同等の立場での自由な連帯と共有と協力の中にあり、民主主義的に考案された共通の目標を達成するために対等の間柄で参加することにあるような人間を。アダム・スミス(5)が「人間の支配者達の卑劣な格言」と呼んだ「全ては我々のために、他の人々のためには無を」という格言に対しては軽蔑のみが存在していたのです。 今日我々が伝統的な価値観として賞賛し尊重するように教えられているそのような指導的原理は、絶え間ない攻撃の下に、いわゆる保守主義者達がここ数十年間にわたって先導してきた猛攻のために、徐々に損なわれてしまったのです。

啓蒙主義から始まりデューイやラッセルのような二十世紀の優れた人物に至る人間主義的構想と今日有力な教義との間の価値観の衝突がいかに鋭く劇的なものであるかを認識することは時間の無駄ではないでしょう。 その教義はアダム・スミスによって「卑劣な格言」として非難され、また一世紀以上前の労働者階級の新聞によっても非難されているものなのです。 労働新聞はその教義を「自分以外のことは全て忘れ、富を獲得せよ」と鼓舞する「新しい時代精神」と呼んでいました。スミスの「卑劣な格言」そのものです。それは1850年頃のものであり、米国の労働者階級の新聞からのものなのです。

同情、完全な平等という目標、そして創造的な仕事のための基本的人権を強調していたアダム・スミスのような資本主義者以前の思想家から現在までの価値観の変遷をたどり、時に恥知らずにもアダム・スミスの名前に訴えつつ「新しい時代精神」を賛美する現在の人々とを比較すると全く驚くべきものがあります。例えば、ノーベル賞受賞者の経済学者ジェームス・ブキャナン(6)を見てみましょう。彼は「それぞれの人がその理想的な状態の中で求めているものはそれぞれの奴隷の世界を支配することである」と書いています。お気づきですか?これがみなさんが求めている最高のものです。アダム・スミスのような人なら単に病的であると見なすことでしょう。アダム・スミスの本当の思想についての私が知る最良の著作は、ここロヨラ大学のパトリシア・ワーハン教授によって書かれた『アダム・スミスと現代資本主義への彼の遺産』です(7)。これこそがアダム・スミスの本当の見解です。もちろん、原典を読むのが常に最良ですが。

この「新しい時代精神」とその価値観についての最もめざましい実例の一つが、今新聞に掲載されている、東ヨーロッパの人々を向上させる際に我々が直面する困難についての論評です。ご承知のように、我々がラテンアメリカやフィリピンなどの我々の陣営に惜しまず注いできた愛情に満ちた保護を、我々は今や我々の新しい受益者である東ヨーロッパの人々にまで拡張しようとしているのです。それがもたらす結果が、それらの地域の恐怖議会によって極めて明白で一貫しているにもかかわらず(8)、我々が何者であり何をしているのかについての如何なる教訓からも奇跡的に免れてもいるのです。 人はその理由を問うことが許されるでしょう。いずれにしても、我々が過去においてハイチ人、ブラジル人、ガテマラ人、フィリピン人、アメリカ先住民、アフリカ奴隷等々を開放したのと同様に、我々は今や共産主義から開放された人々を向上させるために邁進しているのです。『ニューヨークタイムズ』は今それらの困難な問題を扱った興味深い記事を連載しています。彼らはこの優勢な価値観について興味深い洞察を行っています。例えば、スティーヴン・キンザーが書いた東ヨーロッパについての記事(9)を見てみましょう。その記事は東ドイツで共産主義体制に反対した人民抗議運動の指導者の一人であったある聖職者の言葉を引用することから始まっています。その聖職者はそこで起こっていることへの次第に深まる懸念を語っています。彼は「野蛮な競争と金銭欲は我々の共同体の感覚を破壊しつつあります。ほとんど全ての人が一様に恐怖や憂鬱や不安を感じているのです」と述べています。この事態は我々が世界の遅れた人々に対して教示している「新しい時代精神」を彼らが修得していくにつれて起ってきたことなのです。

次の記事10)はジェーン・パールズによって書かれており、我々が模範的な地域と見なし、本当の成功物語と見なしている、ポーランドに目を向けています。 その記事の見出しは「資本主義街道の早い車線と遅い車線」というものです。記事の骨子は、ある者は問題点を理解しているが、まだ遅れた状態にある者もいるというものです。彼女は優秀な生徒の例と学習の遅い生徒の例を出しています。 優秀な生徒とは小さな工場の所有者です。その工場は「現代の資本主義ポーランドの繁栄の最高の例です。そこでは複雑なデザインの結婚式用のガウンを生産しており、金持ちのドイツ人やごく少数の大金持ちのポーランド人に販売しています」。6月の世界銀行の調査結果によると、ポーランドでは改革が導入されてから貧困は倍増し、収入が30パーセント減少しています。しかし、食物に事欠き職も失った人々は、「新しい時代精神」を正しく理解しながら、百貨店の陳列窓にその複雑なデザインの結婚式用のガウンを見ることができるのですから、ポーランドが我々の偉業の偉大な成功物語として歓呼として迎えられているのも無理はありません。 この優秀な生徒は「人々は自分自身のために戦わなければならず、他人に依存することなどできないのだということを教育され理解しなければならない」と語っています。彼女は自身が経営する訓練コースについても述べています。そこでは「俺は坑夫だ、それ以上の人間がいるか?」といったスローガンにいまだに洗脳されている人々にアメリカ人の価値観を教え込もうとしています。彼らは「俺は坑夫だ、それ以上の人間がいるか?」を頭から振り払うことが要請されているのです。 多くの人々は「それ以上の人間」になっています。金持ちのドイツ人のために結婚式用のガウンをデザインできる人間に。

これがアメリカ人の価値観による成功物語の実例の一部です。そして失敗者達が資本主義街道の遅い車線にいるのです。ここでパールズは40歳の炭鉱労働者を例として出しています。彼は「木製の壁板の居間に座り、共産主義下での彼の労働の果実であるテレビ、居心地のよい家具、現代的な輝くキッチンを賞賛している。そして自分がなぜ職が無く家に居て、福祉補助金に依存しているのだろうかと不思議に思っている」。彼は「自分以外のことは全て忘れ、富を獲得せよ」という「新しい時代精神」をいまだに取り入れず、「俺は坑夫だ、それ以上の人間がいるか?」に固執しているのです。 この連載はこの調子で続いています。これは読んでいて面白いし、当然と思われている事を知る上でも興味深いものです。

東ヨーロッパで起っていることは、我々が関わってきた第三世界の国々で長期にわたって起ってきたことを反復しているのであり、そこがさらに長い話を待ち受ける地域に陥っていることを示しているのです。それは我々自身の歴史ではおなじみのことであり、我々以前にはイングランドの歴史でもおなじみのものなのです。 イェール大学の優れた労働史家であるデビット・モントゴメリーが最近出版した著作があります11)。そこで彼は、近代米国が労働者の抵抗運動をめぐって創り出されたことを指摘しています。彼の見解は全く正しいものです。この抵抗運動は、特に労働者階級とその共同体の新聞の中で、大変活発であり歯に衣着せぬものでした。その新聞は米国で19世紀の初頭から1930年代12)まで盛んに発行されていましたが、その後最終的に巨大私企業によって破壊されてしまいます。この問題に関する最初の重要な研究は1924年のノーマン・ウェアの著作です13)。それは今なお非常に優れた見解です。この本はここシカゴ市で出版され、ごく最近にアイバン・ディー社という地元の出版社から再版されました。これは本当に読むに値する本ですし、社会史の分野でのしっかりした研究の出発点となった著作です。

ウェアは、主として労働新聞を参照しながら、巨大私企業が唱導する価値観が如何にして一般の人々の頭に叩き込まれなければばらなかったのか、如何にして人々が通常の人間的感覚を捨て去ることを教え込まれ、その感覚を「新しい時代精神」と労働者達が呼んだものに取り替えられねばならなかったのかついて論じています。 彼は主として十九世紀中頃の労働者の新聞を再吟味しているのですが、ついでに言えば、それらの新聞は女性労働者達によって運営されていることが稀ではありませんでした。 その新聞に貫かれている話題は長期にわたって一貫していました。彼らは、彼ら自身の言葉を借りれば、「労働者が賃金奴隷制に従属することによって、退廃し、威厳と独立を喪失し、自尊心を失い、人間としての労働者が廃れ、文化水準や文化技能が急激に衰退」するのではないかと案じていたのです。彼らは「賃金奴隷制」を、彼らが南北戦争の際に根絶するために戦ってきた「人間を財産と見なす奴隷制」とそれ程違うものとは見なしていませんでした。特に劇的であり、今日の話題である「民主主義と教育」と大いに関連するものは、我々が「高級文化」と呼んでいる古典文学や現代文学の読書の急速な衰退でした。ローウェルの工場の少女達や職人や労働者達は古典文学や現代文学を読んでいました。職人達は仕事をしている間に本を読んで聞かせてくれる人を雇おうとしました。なぜなら彼らはそれらに関心を持っていたし、図書館も所有していたのです。それら全ては消え去ってしまわねばならなかったのです。

労働新聞から引用すると、 彼らが述べていることは次のようなものです。「もしあなたが自分の作ったものを売るならば、自分の人間性を保持することになる。しかしあなたが自分の労働を売る時、自分自身を売ることになり、自由な人間としての権利を失い、金銭貴族の巨大な体制の臣下になってしまう。彼らは自分達の奴隷化し抑圧する権利を疑問視する者は誰であれ抹殺すると脅すのである。製粉所で働いている人はそれを所有すべきであり、私的専制君主によって支配された機械の地位に就いてはならない。彼らは、自由と権利、文明、健康、道徳と知性を新しい商業的封建主義の中に堕落させ、君主的原理を民主的な土壌に確立しようとしている」。皆さんが混乱しないように付言しますが、これはマルクス主義のはるか以前の、1840年代の米国の労働者達が彼ら自身の経験を語っているものなのです。

労働新聞はまた彼らが「買収された聖職者」と呼ぶ人たちを非難していました。この言葉は、メディアや大学や知識階級の人々、すなわち「新しい時代精神」であった絶対的専制主義を正当化し、その卑劣で品性を貶める価値観を植え付けようとする護教家達を指していたのです。約一世紀前の十九世紀後半、アメリカ労働総同盟14)の初期の指導者の一人は労働運動の使命を述べる際にその標準的な見解を表明しています。すなわち労働運動の使命とは「市場の数々の罪を打ち破り、働く人々が産業界を管理するまでに民主主義を拡張することにより民主主義を防御することにある」と表明しているのです。

これら全ては例えばヴィルヘルム・フォン・フンボルト15)のような古典的自由主義の創始者達には完全に理解できた事柄であったでしょう。フンボルトはジョン・スチュワート・ミル16)に影響を与え、また、同時代人のアダム・スミスと全く同様に、他の人々との連帯の中で自由に企てられた創造的な仕事を人間生活の核となる価値であると考えていました。フンボルトは「もし人が命令によってあるものを生産したなら、我々はその人が行ったことを賞賛するかもしれないが、その人の存在については軽蔑するだろう。その人は自分自身の内なる衝動や欲求に基いて行動する真の人間ではないのだから」と書いています。「買収された聖職者」は労働市場に自らを売る人々の間でこのような価値観を衰退させ、破壊することを課された務めとしているのです。同様の理由により、アダム・スミスは、文明化された社会の中では、分業が人々を「人間がそうなる可能性がある愚かで無知な被造物」に変えてしまうことがないように、政府が仲裁しなければならない、と警告しました。彼は「諸条件が真に自由であるならば市場は完全な平等へと導いてくれるであろう」という命題に基いて、彼の幾分微妙な市場に対する支持を表明したのです17)。それは市場の道徳的正当化だったのです。これら全てを買収された聖職者達は忘れ去ってしまいました。彼らは全く異なった話を語ることでしょう。

デューイやラッセルは、啓蒙主義や古典的自由主義に起源を有するこの伝統の二十世紀の二人の優れた後継者なのです。さらにもっと興味深いのは、十九世紀初頭以来の働く男女による闘争と組織化と抵抗の勇ましい記録の存在です。彼らは、国家に支援された巨大私企業という新しい専制主義が支配を拡張していた時に、自由と正義を勝ち取ろうとし、彼らがかつて持っていた権利を保持しようとしたのです。実は、この基本的な問題は1816年頃にトマス・ジェファーソン18)によってかなり明確に組織的に論じられていました。これは英国で始まった産業革命がかつての植民地である米国に根づく以前のことですが、この考え方の発達の始まりを見ることができるのです。 ジェファーソンは晩年に、目の前で起っていることを観察し、米国での民主主義の実験の運命について深刻な懸念を抱いていました。彼は新しい形式の絶対主義の台頭を恐れていたのです。それは彼が指導者であったアメリカ革命の時に倒したものよりもはるかに不気味なものでした。ジェファーソンは晩年に「貴族政治主義者」と「民主政体論者」を区別していました。貴族政治主義者とは「人民を恐れて信頼せず、彼らからあらゆる権力を奪い、より高い階級の者の手に権力を与えることを望む人々」を意味します。一方、民主政体論者とは「人民と行動を共にし、彼らを信頼し大切に思い、常に最も聡明ではないとしても、彼らを公共の利益の誠実で安全な保管人として見なす人々」を意味します。当時の貴族政治主義者は台頭する資本主義国家の唱導者でした。ジェファーソンはそれを多大な軽蔑の目で眺めていました。彼は明らかに民主主義と資本主義の間の極めて明確な矛盾を認識していたのです。もっと正確に言えば、我々が現に存在する資本主義と呼ぶもの、すなわち強大な権力を持つ開発主義的な国家により指導され支援され、かつての英国にも米国にもまたその他の地域にも存在した資本主義です。

新しい法人組織が、民主的手続きを経ずに主として裁判所と法律家達によってますます大きな権力を認められるにつれて、この根本的な矛盾は増大されていくのです。彼らは、ジェファーソンの言う「銀行機関や金銭法人団体」を改造したのです。彼はそのことが自由を破壊することになるだろうと語っていました。彼は生存中にその始まりをかろうじて見ることができたのです。 新しい法人組織は、主として裁判所と法律家達によって、アダム・スミスやトマス・ジェファーソンのような資本主義以前の思想家達の最悪の悪夢を超えるような権力と権利を持った「不死の人間」に改造された19)のです。 その半世紀前にアダム・スミスもすでにこのことに警告を発していたのですが、彼はその改造の始まりを見ることはほとんどできませんでした。

ジェファーソンの貴族政治主義者と民主政体論者の区別は、約半世紀後にアナーキスト思想家で活動家であったバクーニン20)によって発展されることになります。それは社会科学の中ではめったに見られない現実化した予言の例なのです。それはそのことだけでも真面目な学術的カリキュラムの社会科学や人文科学の中に名誉ある地位を得るべきものです。 十九世紀に話を戻しましょう。バクーニンは十九世紀の新興の知識階級が二つの類似する道筋のいずれかを辿ることになろうと予言しました。 一つの道筋とは、彼らが民衆闘争を利用して国家権力を手に入れ、彼の言う「赤色官僚」となり、「歴史上最も過酷で悪意に満ちた体制を課すことになる」というものです。もう一方の道筋とは、彼らが真の権力が別の場所にあることを発見し、労働新聞の言葉を借りれば、「買収された聖職者」となり、国家に保護された私的権力機構の中の真の支配者達に、国家資本主義的民主主義の中で、バクーニンの言葉によれば「民衆の鞭で民衆を打ち据えながら」、経営者あるいは護教家として奉仕することになるというものです。この二つの道筋の類似性は全く驚くべきものがあります。そしてこの類似性はまさに現在まで続いているのです。この類似性は人々が一方から他方へ即座に転身することの説明に役立つものです。 これは奇妙な転身のように見えますが、よくあるイデオロギーなのです。我々は東ヨーロッパにおいてまさに今その実例を見ているのです。そこではかつての共産主義体制の支配階級であった特権階級資本主義者と呼ばれる集団がおり、東ヨーロッパが標準的な第三世界的社会になると、彼らは今や市場への最大の熱狂者となり、私腹を肥やしているのです。このような転向は極めて容易です。なぜならそれは基本的に同じイデオロギーなのですから。スターリン主義官僚からアメリカの賛美者への同様な転向も現代史の中では極めて普通のことです。なぜなら、それは価値観の大幅な変更を迫るものではなく、権力が存在する場所についての判断を変えればよいだけなのですから。

ジェファーソンやバクーニンとは独立して、十九世紀において他の人々も同じ理解に達しつつありました。その指導的な米国知識人の一人がチャールズ・フランシス・アダムス21)です。彼は1880年に、ダニエル・ベルやロバート・ライクやジョン・ケネス・ガルブレイス22)らが今日「脱工業化社会」と呼んでいるものの台頭について述べています。これが1880年であることを憶えておいて下さい。 アダムスは「未来が我々の大学、我々の学校、我々の専門家達、我々の科学者達、我々の作家達そしてイデオロギー的経済的組織の中で実際の経営の仕事を行う人達の手の中にある」社会についてを語っています。近頃では、そのような人達は「テクノクラットエリート」とか「実行知識人」、あるいは新階級といった言葉で呼ばれています。 1880年に戻ると、アダムスは「思慮深い市民の第一の目的は、したがって、ある政党や他の政党を権力の座に保ち続けることにはなく、秩序と法への服従を強く主張することでなければならない」と結論づけています。 その意味するところは(ここですこし時代錯誤的になって現代の用語を使用すれば)、エリート階層は、世界銀行によって「テクノクラットの孤立」と呼ばれているものの中で、職務を遂行することが認められなければならない。あるいは、ロンドンの『エコノミスト』誌が今日その考えを提唱しているように、「政策は政治から隔離されていなければならない」ということです。これこそが自由なポーランドで起っていることです。エリート階層は自分達の読者層を納得させるだけです。 それゆえ彼らは民衆が自由選挙で全く異なることを求めていることなど意に介する必要が無いのです。民衆は選挙で自分の好きなことができますが、政策は政治から隔離し、テクノクラットの孤立が進んでいるのですから、民衆の意見は全く問題になりません。これが民主主義というものです。

その10年前の1870年に、アダムスは既に次のように警告していました(当時エリート階層は普通選挙権について懸念を抱いていました。民衆が選挙権を求めて戦っていたのです)。普通選挙権は「無知と悪徳の政府をもたらすことになるだろう。大西洋岸ではヨーロッパ人、特にケルト系のプロレタリアート(あの恐ろしいアイルランド人)が、メキシコ湾岸ではアフリカのプロレタリアートが、太平洋岸では中国人プロレタリアートがその手に権力を握ることによって」。アダムスは、二十世紀に発達することになる洗練された技術を予測していませんでした。その技術は、選挙権が民衆の闘争によって拡張されたので、政策が政治から孤立した状態にあることを確実にするために、そして一般大衆が周辺に追いやられ不満を抱いたままでおり、「新しい時代精神」によって抑制され、自分達が威厳と独立の権利を持つ自由な人間ではなく、少なくとも幸運な場合は、自分自身を労働市場に売ることで消費される原子の群れとして見なすようになることを保証するために発達したのです。

アダムスは実際には古い考えを表明していたのです。 それより80年前に、アレクサンダー・ハミルトン23)は明確に語っています。彼は「あなたの国民は巨大な獣であり本当の病弊は民主主義である」という思想が存在すると語っています。それこそがハミルトンです。そのような思想は、ジェファーソンの懸念やバクーニンの予言がいよいよ現実化されて行くにつれ、知識階層の中でますます確立されていったのです。 二十世紀になってその思想の基本的な姿勢がウッドロー・ウィルソン24)政権の国務長官であったロバート・ランシング25)によって極めて明確に示されます。 すなわちいわゆるウィルソンの赤の恐怖26)と当時言われた事態をもたらした姿勢です。それは数年にわたって労働者の思想や独立的思想を破壊したのです。 ランシングは「無知で無能な人間集団がこの世で支配的になる」あるいは影響力を持つことの危険性を警告しています。彼はボルシェビキ27)の連中が企てていると信じていたのですが、それは自分の権力が脅かされていると感じている人々の間ではよく見られるヒステリックで全く誤った反応でした。このような懸念はその当時の進歩的知識人達によってはっきりと表明されていました。おそらく指導的なものはウォルター・リップマン28)の主として1920年代に書かれた民主主義に関する論文でしょう。リップマンはアメリカのジャーナリズムの重鎮でもあり、また長年にわたって公的問題についての最も優れた解説者であった人です。

彼は「責任ある人間が迷える群集の踏付けや怒号から免れて生きることができるように、人民をつけあがらせてはならない」と助言しています。ハミルトンの「巨大な獣」と同様です。リップマンは、民主主義の中ではそれらの「無知で干渉好きな部外者達」はある「機能」を持っている、と述べています。彼らの機能とは「活動に対して関心を持っている傍観者」としての存在であり、けっして「参加者」ではありません。彼らは指導者階級のあるメンバーに定期的に力を貸すことになっており、それが選挙と呼ばれているものです。そして選挙後は自分達の私的な心配事に戻ることが要請されています。実は同様の思想はほぼ同時期に学会の主流理論の一部になりました。

1934年のアメリカ政治学会の会長就任演説で、ウイリアム・シェパードは「政府は知性と権力を持った一流の人々の手の中になければならない。また無知で無学の反社会的要素が選挙を支配することが許されてはならない」と論じています。シェパードは彼らが過去においでそうしてきたと誤って信じていたのです。 現代政治科学の創始者の一人であり、コミュニケーション領域での創始者の一人でもあったハロルド・ラスウェル29)は1934年版の『社会科学百科事典』の中で「ウィルソン派の自由主義者によって驚くほど洗練されたプロパガンダ技術は民衆を制御する方法を提供してくれた」と書いています。ラスウェルはウィルソンを「プロパガンダ前線の偉大な総司令官」として論じています。ウィルソンの第一次世界大戦でのプロパガンダの成果30)は他の人々に大きな感銘を与えました。その中にはアドルフ・ヒトラーも含まれています。 そのことは『我が闘争』を読めばわかります。しかし重要なのはその成果がアメリカの実業界に感銘を与えたことです。これは世論操作を目的とする広報活動産業の巨大な拡張をもたらしました。1934年版の『社会科学百科事典』の中での文章のように、その唱導者達は現在とは違ったもっとあからさまな時代に書いていたため、ラスウェルも自分が論じていることを「プロパガンダ」と説明しています。我々は「プロパガンダ」といった用語を使用しません。我々はもっと洗練されているのです。

ラスウェルは現代プロパガンダによって提供されたこの一般大衆支配の新しい技術のさらに洗練された活用法を提唱しました。彼は言っています。その活用法は自然の理に適った統治者である社会の知識階層が、彼の用語を用いれば、「大衆の無知迷妄」が原因で秩序を害する可能性のある巨大な獣からの脅威に打ち勝つことを可能にしてくれるだろう。我々は「人間は自らの利益の最良の判事であるという民主主義的独断論」に屈服すべきではない。最良の判事はエリート階級である。彼らは公共の利益のために彼らの意志を強要する手段が確保されていなければならないのだ。エリート階級とはジェファーソンの用語で言えば貴族政治主義者のことです。

リップマンとラスウェルは幾分自由主義的で進歩的な周辺意見を代表しており、巨大な獣に少なくとも傍観者としての役割を認めています。保守反動の先端には、今日のニュースピーク31)で保守主義者と誤って呼ばれている人達がいます。レーガン32)支持の国家統制主義的反動主義者達は、巨大な獣すなわち大衆が傍観者としての役割すら持つべきではないと考えていました。そのことは彼らの秘密テロ作戦への陶酔を説明してくれます。その作戦は米国民を除けば、犠牲者達はもちろん、誰にとっても秘密事項などではありませんでした。秘密テロ作戦は米国内の住民に知らされないように設計されていたのです。彼らはまたこれまでに全く前例のない検閲と扇動と宣伝の方策を唱導し、また彼らが育てた強力で介入主義的な国家が、下層階級に悩まされずに、富裕層に福祉国家として奉仕することを保証する方策を唱導したのです。ここ何年かの大企業によるプロパガンダの急激な増加や、右翼的財団による大学に対する最近の非難や、ここ10年間の他のいくつもの傾向は、同じ性質の懸念の異なった顕在化なのです。その懸念は自由主義エリート達が「民主主義の危機」33)と呼んだ一連の出来事によって目覚めさせられたものでした。その懸念は女性や若者や老人や労働者などのそれまで周辺に追いやられ無関心であった国民層が公的領域に入ろうとした1960年代に発達したのです。正しく思考するあらゆる貴族政治家達が理解しているように、その領域ではそれらの人々には存在する権利などないのです。

ジョン・デューイは啓蒙主義や古典的自由主義の伝統の面影を持つ人物の一人であり、知識階層による支配やジェファーソンの貴族政治主義者達の猛攻撃に反対しました。彼らが自分の立場を(レーガンのように)保守反動主義に見出そうが、(リップマンやラスウェルのように)この極めて偏狭なイデオロギーの自由主義的部分に見出そうが、同様です。デューイは「政治は大企業によって社会に投ぜられた影である」ことを、またそれがそうである限り、「その影を希薄にすることがその実態を変化させるわけではない」ことを明確に理解していました。つまり、改革は限られた有効性しかないことを理解していたのです。民主主義は影の源が除去されることを要求するのです。なぜなら影の源が政界を独裁的に支配しているからだけではなく、巨大私企業という組織そのものが民主主義や自由を危うくするものだからなのです。 デューイは彼が想定していた反民主主義的権力には極めて明示的でした。彼の1920年代の言葉を引用しましょう。「今日の権力は、生産手段、交換手段、出版手段、交通手段、コミュニケーション手段の支配の中に存在する。 たとえ民主主義的な形式が残っていたとしても、これらを所有している者がその国の生命を支配しているのである。新聞や報道担当者や他の宣伝とプロパガンダ手段の支配権を通して強化された、金融や土地や産業の私的支配によって、私的利益を求める企業、これこそが実際の権力を握る組織であり、強制と支配の源泉なのである。そしてその縺れを解かない限り、我々は民主主義や自由について真面目に語ることなどできないのである」。デューイは彼が語っているような教育すなわち自由な人間を創出することがこの絶対主義的怪物を徐々に崩して行く手段の一つになることに希望を託していたのです。

デューイは、自由で民主主義的な社会では労働者が自分自身の産業の命運を握るべきであり、雇用者に雇われた道具でなってはならない、と考えていました。彼はその基本的な問題において古典的自由主義の創始者達と意見が一致していましたし、民主主義的で自由意志論的な感情に賛同していました。その思想や感情は、民衆による労働運動を、産業革命初期から、暴力とプロパガンダの共同動作によって最終的に打ち倒されてしまうまで、一貫して活気づけてきたのです。したがってデューイは、教育の領域では「自由で知性的なやり方ではなく、儲ける仕事のために」子供達に仕事の訓練をする事は「非自由的で非道徳的」であると考えていました。その場合、子供達の活動は自由に参加されていないのだから、自由ではないのです。再び、古典的自由主義者や労働運動の思想です。それ故、デューイは、産業もまた「封建主義的な社会秩序から」働く人々による統治と自由な連帯に基づく「民主主義的な社会秩序へと」変化しなければならないと考えていました。またしても古典的自由主義と啓蒙主義を源泉とする伝統的アナーキスト思想です。

巨大私企業の猛攻の下に、特にここ数十年間において、学説体系が幅の狭いものになってしまったため、このような基本的な自由意志論的価値観や原理は現在では場違いで極端に響きます。今日の西洋の全体主義者の用語を借りれば、おそらく「反アメリカ的」にさえ聞こえるでしょう。しかし我々はこれまでその変遷を見てきたのですから、デューイが表明してきたような考え方がアップルパイと同じくらいアメリカ的なものである事を憶えておくことは有益な事です。この思想は、間違いなく米国人の伝統の中に、まさにその主流の中に起源を有しているのです。如何なる危険な外国のイデオロギーからも影響を受けていません。このような考え方は、通常歪められたり忘れられていますが、価値ある伝統の中に儀式的に賞賛されているのです。そしてその歪みや忘却は、私の意見では、制度のレベルとイデオロギーのレベルの両方でこの時代の民主主義の運用が堕落した結果なのです。

教育はもちろん部分的には学校や大学の問題であり、形式的な情報制度の問題です。教育の目標が、デューイが主張したように、自由と民主主義のための教育であろうとも、あるいは支配的な学会組織が要求するように、服従と従属と周辺化のための教育であろうとも、それは確かにそうです。シカゴ大学の社会学者であり子供達の生活への教育と経験の影響を専門とする優れた研究者であるジェームス・コールマンは、「生徒の達成度を決定する際に、家庭環境の全体的影響は様々な学校の全体的影響よりも驚くほど大きい」と結論づけています。もっと正確に言えば、彼は多くの研究から、家庭環境の影響力が約二倍であるという結論を出しています。それゆえ、社会政策と支配的文化がどのように家庭の影響などの諸要因を形成しているのかを注視することは重要です。

これはとても興味深い話題です。この問題には一年前に出版された『富裕国における子供軽視』というユニセフの報告書が非常に役に立ちます。それは著名な米国の経済学者、シルビア・アン・ヒューレットによって書かれています34)。彼女は富裕国での1970年代末から1990年代初頭までの15年間について研究しました。彼女は語っているのは第三世界ではなく富裕国である事を憶えておいて下さい。彼女は一方の英米社会ともう一方のヨーロッパ大陸諸国や日本の間に鋭い分裂がある事を見出しました。レーガン支持者とサッチャー35)によって先導された英米モデルは子供達や家族にとっては大惨事であったと彼女は述べています。対照的に、ヨーロッパモデルは、出発点ですでにかなり高かったのですが、子供や家族の状況をかなりの程度さらに改善してきました。ヨーロッパ社会は英米社会の有する巨大な利点を欠いているにもかかわらずにです。 米国は富や利点において並ぶものはいませんし、一方英国は、特にサッチャーの下に深刻に衰退はしましたが、サッチャー時代の主要な石油輸出国としてのみならず米国の顧客としての経済的利点を持っています。イアン・ギルモア卿のような英国の権威的保守主義者が示したように、このことはサッチャー主義の経済的失敗をさらにもっと劇的にする何かなのです。

ヒューレットは英米社会の子供達や家族の大惨事を「自由市場へのイデオロギー的嗜好性」に帰するものとして説明しています。私の意見では、この点では彼女は半分正しいのです。レーガン支持者の保守主義は自由市場に反対していたのです。 レーガン政権は貧しい人々に対しては自由市場を唱導しましたが、富裕層に対して非常に高額の公的補助金と国家保護を要求し獲得したという点ではその国家統制主義者の先輩達の範囲を遥かに超えていたのです。 この支配的イデオロギーをどのような言葉で呼ぶにしても、この暴力的で無法的で反動的な国家統制主義の独特な形式に適用することで、保守主義という良い名称を汚すのは不公正でしょう。レーガン主義をどのように呼ぼうとも、保守主義ではないし、自由市場ではないのです。

ヒューレットが貧困層に向けられた自由市場を家族や子供達の大惨事の原因と結び付けている点では全く正しいのです。また、ヒューレットの言う「それらの国々で野放しになっている反子供的で反家族的精神」の影響を疑う理由はありません。それらの国々とは英米社会です。最も顕著なのが米国ですが、英国も同様です。この「貧しい人々に向けられた市場的訓練に基礎を置く、子供軽視に満ちた英米社会モデルは、住民の大部分が子供を養育する事を事実上不可能にしてしまう一方で、子供の養育を大きく民営化してしまった」のです。これこそがレーガンとサッチャーの保守主義の共通の目標と政策だったのです。その結果は、言うまでもなく、子供達と家族にとっての大惨事です。

話を続けますと、ヒューレットは「英米モデルよりずっと支援的なヨーロッパモデルでは、家族や子供達への支援体制を弱化するどころか強化してきている」と指摘しています。このことは秘密事項でもなんでもありません。もちろんいつものことながら米国の新聞読者達を除けばの話ですが。私の知り得る限り、我々の今日の話題である「民主主義と教育」に密接に関連するこの1993年の研究はまだどの新聞にも書評されていません。この本は、例えば、『ニューヨークタイムズ』にはまだ扱われていません。先週の日曜版の書評欄で、IQの下落やSAT36得点の低下等々に関する憂鬱な予感と何がその原因となっているのかという話題と共に、大きく子供と家族の話題を扱っていたにもかかわらずです。例えば、ニューヨーク市では、『ニューヨークタイムズ』によって追求され支持されてきた社会政策が、約40パーセントの子供達を貧困レベル以下に追いやり、その結果子供達は栄養不足や病気などで苦しんでいます。しかし、ヒューレットがこの子供軽視に満ちた英米社会モデルで論じているあらゆることと同様に、この子供達の実状は、結局はIQの低下とは無関係であるとしています。これに関連しているものが結局は悪性遺伝子であり、何らかの形で人々が悪性遺伝子を取り込んでいる、と言うのです。さらにこうなった理由について様々な推測が行われています。例えば、おそらく黒人女性達が子供達を養育していないことが原因であり、その理由はおそらく彼らが気候が敵対的なアフリカで進化したからである、と言うのです。書評者は論じています。「あの人達がおそらくこの原因である。またこれは非常に真面目で冷静な科学である。にもかかわらず民主主義的な社会があえて危険を冒してもこれら全てを無視しようとしているのである」。良く訓練された世論統制階層は、明らかな要因、社会政策が原因である単純明快な要因を避けて舵を取る事を十分心得ているのです。それらの要因は分別がある人間には全く明白であり、また著名な経済学者によってユニセフの研究書の中で詳細に検討されているのです。しかしここ米国ではこの著作は日の目を見る可能性がないのです。

これらの事実は秘密事項などではありません。優れた人物から成る国家教育会議の委員会やアメリカ医学会は「ある世代の子供達がその両親が同年齢の時より健康が低下し、保護が減り、人生の準備が整っていないような事態はかつてなかった」と報告しています。この事態は産業社会の中での大きな変化です。これは、保守主義的思想や家族的価値観の装いの下に、反子供・反家族的精神が15年間にわたって君臨してきた英米社会の中だけの話なのです。これはプロパガンダの真の勝利なのです。その勝利は、ウッドロー・ウィルソン総司令官にさえ、おそらくスターリンやヒトラーにさえ大きな感銘を与える事でしょう。

この大惨事は、ヒューレットがその著書を書いた昨年に、146カ国が子供の権利に関する国際会議の招集を批准したのに対し、一カ国だけ批准しなかったことに象徴的に表現されています。その一カ国とは米国であり、人権に関する国際会議の招集ではそれがいつものパターンなのです。しかしながら、公正さのために、レーガン主義の保守主義がその反子供・反家族的精神において一貫していたことを付け加えるのが適切でしょう。すなわち、世界保健機構がネッスル株式会社に対して幼児用調合乳の侵略的販売について非難決議を行いました。それが多くの子供達を死に至らしめていたからです。その投票結果は1181でした。その一票がどの国かを考えて見て下さい。 しかし、このことは世界保健機構が「沈黙の大量虐殺」と呼んでいるものに比較すれば全く小さなことなのです。それは、貧しい人々への自由市場政策と富裕層の援助拒否の結果として毎年何百万もの子供達が殺されている事態を指しています。再び、米国は富裕国の中で最悪で最も不幸な記録の一つを持っているのです37)。

この大惨事のもう一つの象徴的表現は、ホールマーク株式会社による挨拶状の新しい宣伝文句の一節です。その一つは「学校で最高の日を送ろう」というものです。これは、彼ら曰く、朝に食べるシリアルの箱の下に貼っておくためのものです。これが子供達が学校へ出かける時に「学校で最高の日を送ろう」と伝えるわけです。別の一節は「もっと君と過ごす時間があればいいのに」というものです。これは夜子供が一人で寝ている時に枕の下に貼っておくものなのです(笑い)。もっと別の例もたくさんあります。

この子供達と家族の大惨事は部分的には賃金の低下という単純な理由の結果です。国の企業政策はここ数十年間、特にレーガン支持者とサッチャーの下、少数部門を豊かにし、大部分を貧困化するために設計されてきました。そしてそれは成功したのです。それはまさに意図された影響を持っていたのです。このことは人々が生き残るためにさらに長時間働かなければならない事を意味しています。大部分の住民にとって、両親は生活必需品を買うためだけにおそらく週50時間から60時間働かなければならないのです。ついでながら、一方の企業収益は急上昇しています。『フォーチュン』誌は、取り引きは停滞しているにもかかわらず、フォーチュン50038)の次々に記録を更新する「目も眩む」収益について語っています。

もう一つの要因は、経済評論家達が「労働市場の柔軟性」と呼ぶのを好む、職の不安定です。これは学会の支配的な理論体系の下ではよい事になっています。しかし人の将来の運命が冷静な思考の計算の中に入っていないのですから、人間にとっては全く堕落した事態です。柔軟性とは勤務時間外も働いた方がいい、さもないと… を意味するのです。契約書も権利もありません。それが柔軟性というものです。我々は市場の硬直性から脱しなければならないのです。経済評論家達はその理由を説明することができるでしょう。両親が勤務時間外も働いており、大半は収入が減っているのですから、その結果を予測するのに偉大な天才を要するまでもありません。統計がそれを示しています。もし望むならばヒューレットによるユニセフの研究の中にそれを読む事ができます。統計を読まなくても何が起っているかは全く明らかです。接触時間、すなわち両親が子供達と過ごす実際の時間は、英米社会ではここ25年間で40パーセントも減少したのです。そしてその大半がここ数年のことなのです。このことは実際には週10時間から12時間の接触時間の減少を意味し、人々が「質の高い時間」と呼ぶ、単に他のことをしているだけではない時間が事実上消滅しつつあることを意味しているのです。もちろんこのことは家族のアイデンティティーや家族的価値観の破壊をもたらし、子供の管理をテレビに依存することを増大させています。また「鍵っ子」と呼ばれる一人でいる子供を増やし、子供の飲酒や麻薬使用や子供による子供への犯罪的暴力の増加の要因となっています。健康や教育や民主主義社会への参加能力、生存能力にさえも明らかな結果をもたらしているのです。SATIQの低下はもちろんのことです。しかしみなさんはこれらの事態に気付いてはならないのです。憶えていますか?これらはみな悪性遺伝子が原因なのです。

これらの事態はどれも自然の法則などではありません。これらの原因は特定の目的のために、すなわちフォーチュン500社を富ませ他を貧しくするために設計された、意識的に選択された政策なのです。 ヨーロッパでは、経済事情はより切迫していますが政策が同様の反子供・反家族的精神に支配されていないため、これらの傾向は反対の方向に向かっており、子供達や家族の水準はずっと良いのです。

これが英米社会のみに当てはまるのではないということを述べる価値がありますし、強調したいのです。我々は巨大で強力な国家です。我々は影響力を持っています。我々の影響力の範囲内にいる他の国々が家族や子供達を支援する政策を実施しようとした時、何が起るかに気づくことは大変衝撃的です。二つの驚くべき実例があるのです。

我々が最も完全に支配している地域はカリブ海諸国と中米諸国です。そこにはそのような政策を行った二つの国があります。キューバとニカラグアであり、現実的に大きな成功を遂げました。これらの国が主として米国の攻撃の的にされた二国であることには誰も驚かないでしょう。そしてその攻撃は成功しました。その結果ニカラグアでは、健康水準の上昇や識字率の改善や子供の栄養失調の減少が、我々がそこで戦ったテロ戦争のおかげで、逆方向に向いてしまい、いまやハイチのレベルまで落ち込んでいます。もちろん、キューバの場合はテロ戦争はずっと長期にわたって続いています。それはジョン・F・ケネディーによって開始されました。そのテロ戦争は共産主義とは何の関係もありませんでした。そこにはロシア人は一人もいなかったのです。実はその攻撃はキューバの人々が財源を住民の誤った部門に向けていたことに関連していたのです。彼らは健康水準を改善しつつあり、子供達や栄養失調について案じていたのです。それ故に我々は大規模なテロ戦争を始めたのです。ケネディー政権期のいくつかの詳細事項を埋める一群のCIA文書がごく最近になって公開されましたが、この政権は十分に悪質なものでした39)。そこでのテロ戦争は現在まで続いています。 実際にほんの数日前にキューバへの別の攻撃がありました。さらに彼らが本当に苦しむことを確実にするために通商停止を行っています。キューバがロシア人と関係しているというのが長期にわたるその口実でしたが、それは完全な欺瞞なのです。それが欺瞞であることはその政策が開始された時点で起っていたこと40)によってはっきり理解できますし、またロシア人が姿を消した後に起ったことによって最終的に証明されているのです。ここにこそ「買収された聖職者」の本当の仕事があったのです。彼らはロシア人がいなくなった後に我々がキューバにさらに激しく攻撃したことに気付いてはならないのです。攻撃の理由がキューバ人が共産主義やロシア帝国の前哨地点にいることであるとすれば、いささか奇妙なことです。しかし我々はそれを操作することができるのです。

それゆえロシア人が舞台から姿を消し、キューバ人を絞め殺すが本当に可能となった後に、その状況はずっと厳しくなったのです。 ある法案が自由主義者の民主党員であるトリチェリ下院議員によって提出され、議会を通過しました。この法案は、あらゆる米国企業のあらゆる子会社による、またアメリカ製の部品を使用する他国のあらゆる企業による、キューバとのあらゆる取り引きの停止を呼びかけるものでした。それは明らかに国際法違反であったためジョージ・ブッシュ41)は拒否権を行使しました。しかし、彼は、前回の選挙でのクリントン支持者達による右派からの包囲を受け、その法案を受け入れることを余儀なくされ、その後ブッシュはその通過を認めました。この件は正当に国連に持ち込まれ、そこで米国の立場はほぼ全ての国々に非難されました。最終投票で、米国は唯一イスラエルの支持と取り付けましたが、それはいつものことです。その二国は、何らかの理由で、ルーマニアを取り込みました。他の諸国は全てそれに反対票を投じました。米国の立場はどの国にも弁護されなかったのです。他国は無論、英国でさえ指摘しているように、それは明らかな国際法違反なのです。しかしそんなことは問題ではありません。我々は行くことの可能なあらゆる場所で、我々の反子供・反家族精神と我々の高度に分極化された社会の強要を推進することが極めて重要なのです。我々の支配下の他国がその方向に進もうとしているなら、それが如何なる国であろうとも、我々はその国を支援するのです。この事態は現在も続いています。この問題は、みなさんが望むならば、実際に何かができる種類の事柄です。ここシカゴでは、「平和のための牧師会」がありますし、「シカゴ‐キューバ連合」はキューバに向かう別の輸送手段を持っています。それは通商停止を崩すためであり、人道的援助を運ぶため、医薬品や医学書や幼児の粉ミルクや他の支援物資を運ぶためのものです。それらは電話帳の「シカゴ‐キューバ連合」の所に掲載されてますから、電話番号を調べることができます。この国に君臨し、我々が他の地域に暴力によって輸出している、反子供・反家族精神に抵抗することに関心がある人は誰でも、行動を起こすことが可能なのです、国内で多くの事ができるのと同じように。

キューバを抹殺するためのこの最近の民主党の提案(それは通過したのですが)の影響が最近二つの優れた医学学術誌『ニューロロジー』と『フロリダ医学ジャーナル』の今月(10月)号で検討されていることを述べなければなりません。そこでは単純にその影響について検討されています。彼らは明白なことを指摘しています。クリントン‐トリチェリ法によって停止された取引の90パーセントが食べ物と医薬品等の人道的援助であることが判明したのです。例えば、ワクチンを作るための濾過装置を輸出しようとしたスウェーデンのある会社は米国によって妨害されました。なぜならその装置の一部が米国製だったからです。我々は本気で徹底的に彼らを抹殺しなければならないのです。我々は多くの子供達が死ぬことを確実にしなければならないのです。その影響の一つは幼児死亡率と子供の栄養失調の急激な増加です。もう一つの影響は、誰もがその理由が不明であると装っていた、キューバに広がっている稀な神経疾患です。しかし彼らはもちろんその原因を知っていたし、今は認められています。その原因は栄養失調であり、第二次世界大戦の日本の捕虜収容所以来見られなかった疾患なのです。つまり、我々はその疾患を継承しているのです。反子供・反家族精神はニューヨークの子供達だけに向けられているのでは在りません。もっとずっと広域にわたっているのです。

私は再びヨーロッパとの違いを強調します。ヨーロッパでは異なっており、その理由も幾つかあります。その違いの一つは強力な労働組合運動の存在です。それは大きな基本的な違いの一側面なのです。つまり、米国は他に並ぶものがないほどに実業界によって運営されている社会です。その結果、「支配者達の卑劣な格言」がみなさんが考えるよりもずっと大きく前例のない程に蔓延しているのです。労働組合運動は民主主義が形式的に機能することを可能にする手段の一つなのです。もっとも今では住民の大半が、新聞が「反政治的」と呼ぶ、政府への嫌悪、政党とその民主的プロセス全体への軽蔑によって消耗してしまっていますが。それもまた、ジェファーソンの貴族政治主義者、「人民を恐れて信頼せず、彼らからあらゆる権力を奪い、より高い階級の者の手に権力を与えることを望む人々」にとっては偉大な勝利なのです。現在では、それは多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家や疑似政府組織の手に権力を与えることを意味します。

もう一つの勝利は、広がっている幻滅が「反政治的」であるという事実です。これに関する『ニューヨークタイムズ』のある記事の見出しは「希望が敗れ、怒りと冷笑が投票者に広がる。 政治に幻滅する人々が増え、雰囲気は険悪に」というものです。先週の日曜版では反政治が特集されていました。お気付きですか? 権力や権威への「抵抗運動」が新聞では扱われてはいないのです。政策決定手段を手中に持ち、デューイの言う、政治として社会にその影を投ずる、容易に同定できる諸勢力に対する「抵抗運動」が新聞では扱われていないのです。それらは世論統制階層には目に見えないものでなければならないのです。『ニューヨークタイムズ』は今日再びこの話題の記事を載せています。そこではある道理をわきまえない無教養な人物の「そうさ、議会は腐っている。でもそれは議会が大企業だからなのさ。腐っていて当然さ」という発言が引用されています。それはみなさんが見る必要のないことになっている話です。みなさんは「反政治的」であることが要請されているのです。その理由はこうです。みなさんは政府に参加し、修正し、何かをすることはできます。しかしみなさんが政府をどのようなものと考えようが、それは制度体系の一部に過ぎないのです。みなさんは、法と原則によって、投資会社や多国籍企業には何をすることもできないのです。 そのため、誰もそれを直視した方が良いとは言わないのです。 みなさんは「反政治的」であるより仕方がないのです。これこそがもう一つの勝利です。

「政治は大企業によって社会に投じられた影である」というデューイの観察は、アダム・スミスにとっても自明の理だったのですが、今や目に見えないものになってしまったのです。 影を投ずる諸力はイデオロギー的諸制度によってほとんど取り除かれてしまい、意識から隔離されてしまっているために、我々は「反政治的」な感情を持ったまま置き去りにされているのです。この事態は民主主義に対するもう一つの強烈な打撃であり、絶対主義的で説明責任を負わない権力体制にとっては壮大な贈物なのです。その権力体制はトマス・ジェファーソンやジョン・デューイのような人達には想像することすらできなかった程の段階に達してしまったのです。

我々にはいつもの変らない選択肢があります。我々はトマス・ジェファーソンのいう民主政体論者であることも選択できますし、貴族政治主義者であることも選択できます。後者の道は容易な道です。それは体制が報酬を与えるために設計された道です。それは、富と特権と権力の場所とそれらが当然求める目的を理解するなら、豪華な報酬をもたらすことができる道です。もう一つの道、ジェファーソンの民主政体論者の道は、闘争の道であり、しばしば敗北の道です。しかし「自分以外のことは全て忘れ、富を獲得せよ」という「新しい時代精神」に屈服した者には想像することすらできない種類の報いへ至る道でもあるのです。その道は現在でも、ローウェルの工場の少女達やロレンスの職人達の心に初めてその道へとを駆り立てた試みがあった、150年前と同じものなのです。今日の世界はトマス・ジェファーソンの世界から遥か遠くにあります。しかし、世界が提供してくれる選択肢は基本的には全く変っていないのです。

(訳 鎌田 幸雄)

 

これはNoam Chomskyによって19941019日に、シカゴ市のロヨラ大学で行われた講演、"Democrasy and Education" を文字に起こした原稿の全訳である。原文には注や参考文献は付されていないが、注は内容を理解するうえで必要と思われる箇所に訳者の判断で作成し、末尾に本文や注の中で言及されている文献を中心にした参考文献を付した。なお、原文は次のサイトに掲載してある。興味のある方は参照していただきたい。

http://www.zmag.org/chomsky/talks/9410-education.html

() John Dewey (1859-1952)。米国の哲学者・教育学者。プラグマティズムの継承・大成者。彼の教育哲学は、人格の発達、環境の理解、経験を通じての学習を重んじたもので、影響力が大きかった。主著にThe School and Society (1899)Democracy and Education (1916)Logic: the Theory of Inquiry (1938)がある。

() チョムスキーの人格形成期の教育についてはPeck (1987: 3-13)Chomsky (2002: 237)等を参照。

() Bertrand (Arthur William) Russell, 3rd Earl (1872-1970)。英国の数学者・哲学者。主著にPrinciple of Mathematics (1903)Introduction to Mathematical Philosophy (1919)An Enquiry into Meaning and Truth (1940) がある。1907年自由党の候補者になろうとしたが、本人の「自由思想」のために拒否された。1916年平和主義のために特別研究員の地位を失い、1918年には6ヶ月間の入獄。その後ソ連を訪問しレーニンやトロツキーと会見する。また北京大学の教授 (1920-21)を務める。1927年妻と共同でピーターズフィールド近くに進歩的学校を創設。1949年以降は核軍縮運動の指導的な役割を果たしつつ、世界の指導者と前例のない文通を始める。1950年にノーベル文学賞を受賞。

() George Orwell (1903-50)。英国の小説家・エッセイスト。本名はEric Arthur Blair。主著にHomage to Catalonia (1938)Animal Farm (1945)Nineteen Eighty-Four (1949)がある。

() Adam Smith (1723-90)。スコットランドの哲学者・経済学者で、古典派経済学の祖。1752年グラスゴー大学の道徳哲学教授。主著にThe Wealth of Nations (1776) がある。そこで、分業、市場の機能、自由放任主義経済の国際的な意味など、経済活動の自由が生み出すものを詳細に考察した。

() James Mcgill Buchanan (1919 )。米国の経済学者で公共選択論理論により1986年にノーベル経済学賞を受賞。引用はBuchanan (1975: 92)より。

() Werhane (1991).

() ラテンアメリカに関してはChomsky (1993a: 155-95)、フィリピンに関してはChomsky (1992: 236-8)を参照。

() Stephen Kinzer, New York Times, Oct. 14, 1994.

(10) Jane Perlez, New York Times, Oct. 7, 1994.

(11) Montgomery (1987)。なお、イングランドの同様の問題についてはHerman and Chomsky (1988: 14-18)を参照。

(12) 後に「第二次大戦まで」と改訂している。また1950年代でも、800紙の労働新聞が発行され2000万人から3000万人に購読されていた。Chomsky (1996: 84) を参照。

(13) Ware (1924)

(14) American Federation of Labor: AFL1886年に設立された職能別組合の連合体。1938年にその一部が産業別労働組合会議 (Congress of Industrial Organizations: CIO)を結成し分離するが、1955年に再びCIOと合同して、AFL-CIOとなる。

(15) Karl Wilhelm von Humboldt (1767-1835)。ドイツの文献学者・政治家。ヨーロッパを旅行した後外交官となり、また数年間文学に専念した。バスク語を初めて科学的に研究した学者であり、東洋の言語や南洋諸島の言語にも取り組んだ。

(16) John Stuart Mill (1806-73)。功利主義を代表する英国の哲学者・論理学者・経済学者。主著にA System of Logic (1843)On Liberty (1859)Utilitarianism (1861)がある。1865年に下院議員に選ばれ、婦人参政権や自由主義のために運動した。

(17) 詳しくはChomsky (2002: 221-2)を参照。

(18) Thomas Jefferson (1743-1826)。米国の政治家。独立革命に参加し、第1回大陸会議 (1774)で独立宣言の起草という重要な役割を果たした。米国第3代大統領 (1801-09)。任期中、対トリポリ戦、ルイジアナ購入 (1803)、奴隷貿易禁止などが行われた。1809年の引退後も長老として助言を続けた。

(19) Chomsky (2002: 347-8)Sellers (1991: 44-55)を参照。

(20) Mikhail Aleksandrovich Bakunin (1814-76)。ロシアのアナーキスト・著述家。第一インターナショナルでアナーキストの指導者としてマルクスと敵対し、1872年のハーグ大会で投票により除名。

(21) Charles Francis Adams (1807-86)。米国の法律家・外交官。第6代大統領であったJohn Quincy Adams (1767-1848)の子。なお、John Quincyは第2代大統領であったJohn Adams (1735-1826)の子である。

(22) Daniel Bell (1919- : 米国の社会学者。The End of Ideology (1960)The Coming of Post-Industrial Society (1973)などの著作で新保守主義の知識人の地位を確立した)Robert Reich (1946- : 米国の政府高官。クリントン政権下に労働省長官を務め、NAFTAの推進に関わる) John Kenneth Galbraith (1908- : カナダ生まれの米国の経済学者・外交官。ケネディー、ジョンソン両大統領の顧問を務めた。リベラル派の主要な知識人の一人)

(23) Alexander Hamilton (1755?-1804)。米国の政治家。アメリカ独立戦争に参加し、ワシントンの副官 (1777-81) となる。1782年に議員に選出され、米国の政体を現在の形にすることに貢献した。初代財務長官 (1789-95)

(24) Thomas Woodrow Wilson (1856-1924)。米国第28代大統領 (1913-21)。彼の政策には禁酒法、婦人参政権法案、平和構想の提案(14ヶ条)、国際連盟設立の擁護等がある。ノーベル平和賞 (1919)

(25) Robert Lansing (1864-1928)。米国の法律家・政治家。1889年弁護士となり、仲裁裁判事件で国側の弁護士として名をあげる。1914年に国務省顧問となり、その後国務長官 (1915-20)を務める。1920年の国際連盟設立の提案問題をきっかけに辞職。

(26) Red Scare:主として1918-20年、国際共産主義の浸透に脅えた政府による過激派外国人の国外追放や6000余名の共産党員嫌疑者の逮捕状なしの逮捕、労働運動弾圧を行った。Chomsky (1989: 185-90)を参照。

(27) ロシア社会民主労働党の急進派で1917年の革命を経てコミンテルンすなわち第三インターナショナルを組織し、1918年以来共産党と称した。

(28) Walter Lippmann (1889-1974)。米国の評論家・ジャーナリスト。長年ニューヨーク「ヘラルド・トリビューン」紙の専属執筆者として活躍する。ピュリッツァー国際報道賞(1962)。主著にPublic Opinion (1922)A Preface to Morals (1929)The Cold War (1947)がある。

(29) Harold Dwight Lasswell (1902-78)。米国の政治学者。イェール大学教授・国務省顧問・アメリカ政治学会会長などを歴任。主著にPropaganda Technique in the World War (1927)Politics: Who Get What, When, How (1936)Power and Personality (1948)などがある。

(30) ウィルソンが、第一次世界大戦への参戦に否定的であった米国民を世論操作によって参戦支持へと変貌させたことを指す。Chomsky (1991: 7-9)を参照。

(31) newspeak:政府役人などが世論操作・政治宣伝のために用いる言葉で、故意に曖昧で婉曲な表現を使って人を惑わしたりするもの。George Orwellが小説『1984年』の中で用いた造語。

(32) Ronald Wilson Reagan (1911- )。米国の政治家。元映画俳優。米国第40代大統領 (1981-89)。政府の支出とインフレを抑えるための政策を導入。特に中東と中米において強硬な反共政策を行い、戦略防衛構想を提唱した。

(33) もちろんエリート階層にとっての「危機」である。Chomsky (1989: 2-3)を参照。なお、エリート側からのこの「危機」への対応策として、欧米及び日本から成る三極委員会 (The Trilateral Commission)の報告書であるCrozier, Huntington and Watanuki (1975)が出版されている。

(34) Hewlett (1993)

(35) Margaret Hilda Thatcher (1925- )。英国の保守党党首 (1975-90)。英国初の女性党首。首相 (1979-90)。彼女を党首として保守党はより右翼的立場に向かい、英国では第二次大戦後もっとも保守化した。国営産業と国営企業を私営化し、これまで国家が提供してきた医療と教育に市場原理を導入し、地方自治体の役割を縮小した。

(36) Scholastic Assessment Test:大学進学適性検査。米国の大学進学希望の高校生を対象とした全国共通テスト。College Examination Boardが管轄する。

(37) Chomsky (1996: 106)を参照。

(38) 米国の経済誌Fortuneが毎年掲載する米国企業および海外企業の各売上高上位500社。なお、Fortune, May 1, May 15, 1995を参照。

(39) チョムスキーはChomsky (1994a)でケネディー政権期の米国の政策について詳細に再考している。

(40) 19591月のキューバ革命の後、米国がカストロ政権打倒を正式な政策としたのは1960年であり、その時点ではキューバはソ連と関係を持っていなかった。米国のキューバ政策は、当時の政策決定者達がキューバの革命政府の政策が成功していたことに懸念を抱き、キューバが他のラテンアメリカ諸国のモデルになることを恐れていたことにその動機があったことが、現在では公開された公文書から明らかになっている。 Chomsky (2000: 82-100, 2002: 148-51)を参照。米国のニカラグアへの攻撃も同様の理由による。 Peck (1987: 351-61)及びChomsky (2002: 40-41) を参照。なお、ハイチへの米国の政策についてはChomsky (1993a: 197-219)を参照。

(41) George Herbert Walker Bush (1924- )。米国第41代大統領 (1989-93)。第43代大統領 (2001- ) George Walker Bush (1946- )の父。

 

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Chomsky, Noam (1989). Necessary Illusions: Thought Control in Democratic Societies. London: Pluto Press.

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