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テントって、美観を損ねるよね?

本来あるべき姿でないという点では、美観を損ねると言えるでしょう。けれど…

「美観」とはいったいどんなものでしょうか?こざっぱりしていて、余計なもののない整然とした景色でしょうか?息を呑むような美しい景色でしょうか?美観、そして美しさという概念自体、主観的かつ抽象的なものです。公園のデザインが設計当初の状態を保ち計画どおりに利用されている状態を美しいと定義すれば、あらかじめ想定されていない野宿者のテントはどうあっても異質=異物なもの、美観を損なうものと映るでしょう。キャンプ場のように、テントがあることを前提に設計されていない以上、公園に調和したテント、美観を損ねないテント※というのありません。

しかし、テントや小屋がけを文化またはアートとして捉える人もいます。

『ブリコラージュ・アート・ナウ』

建築業の仕事をしてきた増岡巽は、今年3年目に突入したホームレス生活者。大阪の国立民族学博物館で開催された上記展覧会では、巨大な空き缶の家を手作りしました

http://www.ultradeluxe.tv/Mimpaku/pressrelease/pressrelease.htm http://www.musabi.ac.jp/ampj/2005/07tanamasu/index.htm

『ダンボールハウス』 長嶋千聡著 ポプラ社,2005,9 131p  ISBN:4591088308 目次 ダンボールハウス入門編/ダンボールハウスのコミュニティ/個性が生み出すダンボールハウス/外部環境との葛藤?ダンボールハウス上級編/ダンボールハウス、それぞれのドラマ

『新宿区ダンボール絵画研究会』

新宿駅西口、現在は動く舗道となっている場所はかつてダンボール村があった。 1996年1月24日強制撤去によりその姿を消したが、ダンボールの壁面にはたくさんの絵が描かれ ていた

http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=362893 http://kenkyukai.cardboard-house-painting.jp/?eid=348250

このように、普段なかば当然共有のものととして語られる「テントは美観を損ねる」というマイナスイメージは、テントの有りようを「面白い」と思い、積極的に文化あるいはアートとして提示・表現している人もいる中で、必ずしも共有の価値観ではありません。むしろこれまでは、「テントは美観を損ねる」という価値観でもってそれ以外の「美しさ」の有り様の可能性を摘み取ってしまっていたのではないでしょうか。 また、襲撃で命を落としかねないにも関わらず公園で野宿せざるを得ないような暮らす側の切実さと、そういう立場に身を置かないままに美観(景観)の観点からテントの存在を否定する場合、より深刻なのはどちらでしょう。本来なら多様であるはずの「美しさ」が、統一されたひとつの「美観」となって表現されまた受け入れられる理由は、美意識の一致というよりはむしろ、野宿者は公園にいてほしくないという潜在意識の方が共有されているからかもしれません。

※どれだけ慎ましく小ぎれいにしていても、テントは美観を損ねるから存在悪だと言われたらそれまでです。けれど、そのことを一番強く感じているのは誰よりも他ならぬ野宿をしている当人たち自身です。どんな公園でも、テントは極力人目につかない場所から順に張られていきます。公園内野宿暦の古い人のテントほど、雑木林であるとか大きな建物の影にあるものなのです。野宿する人たちの間では(野宿せざるを得ないほど切迫した状況でも)テントは人目につかない場所に設置するという配慮が暗黙の了解のように守られています。けれど、あまり人目につかない場所がすべて埋まってしまえば、次の段階から野宿することになる人はより人目につく場所にテントを張る他なくなります。その状況が現在といえるでしょう。