「テントは客観的に生活の本拠としての実体を備えており、住民基本台帳法上の住所」。2006年1月27日、大阪地裁は公園のテントでの住民登録を認める判決を下しました。
「何とも腑に落ちない判決」(産経06.1.31)、「住民の憩いの場である公園に張られたホームレスのテントが果たして、『住所』と言えるのか。はなはだ疑問だ。定住性に欠けるばかりか、公共の場所を不法に占拠している」(読売06.2.5)。
判決に疑問を投げかけるメディアは少なくなありませんでした。
■そもそも、裁判はなぜ行われたのか
原告の山内さんは、野宿者の支援活動をしている大阪市北区のKさん宅に、野宿者数人と共に住民票を置いていました。こうしたことは支援活動の中で一般的に行われてきたことです。ところが04年2月、Kさんが逮捕されました。一人暮らしの学生が実家に住民票を置いたままというのはよくあることだが、ある日、親が逮捕されたようなものです。
「実際に住んでない野宿者を転出させろ!」
警察はしつこく迫ってきました。とはいえ、野宿するしかないからKさん宅に住民登録をしているのに、どこに転出すればいいのでしょうか。そんなある日、北区長から通知が届きました。
「住民登録を抹消します」
■住所の意味
住民登録が抹消されると選挙権が無くなります。国民年金は受け取れません。国民健康保険に加入できません。運転免許・パスポートが持てません。身分証明ができないので、銀行口座は開けず、携帯電話も買えません。全て法律で決められていることです。
つまり、こういうことです。「憲法・法律上の諸権利がなくなります。本人確認の手段がなくなるので、社会生活は難しくなりますね。病気になったら全額自己負担で。年金もらえないかもね。まあ、死のうが生きようがご自由に……」。これが住民登録を抹消することの意味です。
ここに至って、山内さんは、“実際に住んでいる”場所で登録するしかなくなりました。同年3月、山内さんは北区役所に公園のテントへの転入届を提出しました。結果は不受理。
北区長は、どうすると思っていたのでしょうか?
■自立支援センターあるのにわがままな
「自立支援のプログラムを行っているのだから、住民登録をしたければ、まず野宿から抜け出て下さい」。そう考えていたのであるなら、大阪市の自立支援プログラムを過大評価し過ぎです。「ホームレス対策」の中核と位置づけられている自立支援センター(入所期間平均6ヶ月弱)の定員は、05年末までわずか280人でした。大阪市の6600人(03年)の野宿者が入所し「自立」するまでに一体何年かかるのでしょうか。そのキャパシティからして何をどうやったとしても、数千人規模の人びとが野宿状態にとどまらざるを得ないものなのです。
「公園に勝手に住んで自由気ままに生き、ある種のわがままも感じる」
ある大学教授は新聞の取材にこう答えました。しかし野宿とは、自由気ままに生きるには困難を伴う環境です。「寒さなどで路上で死んだり路上から病院に運ばれて死んだりしたホームレスが絶えない。その数は一昨年、300人を上回った」(朝日新聞00.12.10)。西成区だけの数です。野宿状態に放置された人々は、死なないためには生き抜かなければなりません。公園のテントとは、そうした人々が築き上げた、生活の拠点なのです。
裁判で山内さんは、扇町公園以外に生活場所はないと主張しました。市側は、不法占拠であり住所とは認められないと主張しました。06年1月27日の判決は、橋の下や洞窟を住所認定した例を挙げつつ、「公園の占有許可を得ていないが、住民登録とは本来無関係で、生活の本拠がある限り、転居届の不受理は許されない」としました。
山内さんは勝訴しました。
■判決の意味とその後
公園での住民登録は認められました。しかし、認められたのは住民登録だけです。しばしば誤解されているのですが占有権が認められたわけではありません。判決は、「公園に定住する野宿者」がいる事実を事実として認めただけです。この判決が、野宿者が抱える困難の劇的な改善に繋がるとはあまり考えられそうにありません。一方で、野宿から脱出するための施策は不十分なままです。こうした状況にあって、野宿状態の中で奪われた権利を野宿状態の中で奪い返す試みの持つ意味は小さくありません。裁判はそうした試みの一つであり、判決はその成果の一つです。
大阪市は2006年1月30日、大阪城公園・うつぼ公園でテントの強制撤去を行いました。同じ日、大阪市は地裁判決を不服として控訴しました。
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