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立退かされた人って、どこに行ったの?

【Q 】でも紹介したように、行政代執行はテント住人の生活を根本から破壊するものでした。野宿しているひとたちにとってテントは単なる「物件」ではなく、缶や自転車を置いておける場所であり、パートナーにもなっている犬(猫)といっしょに暮らす家でした。新聞紙やダンボール、毛布といった簡便なものではひとの生活を立てていくことはできません。テントは路上の寒さや危険から身を守るための「屋根」でもあったのです。

1990年代後半?2000年代のはじめ頃、大阪市内の公園ではテントが林立していました。しかし、ここ3?4年の間、年末から年始の厳冬時にかけて、毎年自治体レベルで行政代執行が発動されています。03年12月大阪・天王寺公園、05年1月名古屋・白川公園、そして今回は大阪城、靭公園の同時排除。 2006年1月30日の行政代執行が「世界バラ会議2006大阪大会」「全国都市緑化フェア」というイベントが理由だったのは前述【Q 】のとおりです。イベントは、それぞれ時期も主催も内容も異なるものでしたが、まったく同時期に代執行がかけられることになったために現場は支援者が二分され、さまざまな煩雑なやりとりを強いられるようになりました。当然ながらテント住居を潰されたあとで行くあてのあるひとはほとんどなく、そういった人たちの次の落ち着きどころを探すことが支援側の責任ともなったのです。 この代執行過程で施設入所を選んだ野宿者もいます。公園事務所職員は自立支援センターやシェルター(一時避難所:大阪の場合は、「公園適正化」のために立てられた期限付きの宿泊施設)入所をすすめるため、テント撤去を受け入れる同意書にサインをして立ち退かされた野宿のひともいます。 公園から野宿と野宿者が追い立てられている現在、それでもあえて野宿生活をいとなみつづけテント暮らしを選択するひとたちは、もともとシェルターや施設という選択肢を拒否してリサイクル雑業で食べてきました。こういったひとたちは行政代執行がかかってもテントに残ろうとしたので、支援側(この「支援側」には多くの野宿者も含まれています)は市内にあるほかの公園で、コミュニテイーがあるテント村に問い合わせました。テント村内で空いているテントを探し、あるいはテントの建て増しをして移ってもらいました。 しかし代執行当日、さっそく大阪市からの応答がありました。同日朝から西成公園では通路が封鎖され、扇町公園では受け入れ用に準備した4軒の簡易テントが撤去されました。翌日の長居公園では大勢の職員がテントを潰そうとトラックでやってきました。この事実はあまりメディア報道されていませんでしたが、野宿者にとっての過酷な状況を伝えているとおもいます。