[チョムスキー・アーカイヴ日本語][ZNet日本語版]

『諸君!』+「産経抄」古森義久のウソ

アクビさん
akubi@hct.zaq.ne.jp
この文章はチョムスキーにまつわる流言飛語の一部です。

産経新聞のコラム「産経抄」13は、チョムスキーについて以下のように書いた:

 米国の言語学者ノーム・チョムスキー氏といえば超過激な政治発言で知られるが、古森特派員によると彼の対テロ戦争否定論が改めて論議の的になっている。米国の軍事作戦でアフガン人四百万人が虐殺されるなどと予言していたからだという。

 同氏はカンボジアのポル・ポト派にも理解を示し、大虐殺があったとしてもすべての原因は米軍の爆撃だなどと述べていた。「この人物は米国を憎み、米国の業績をけなすことで職業歴を築いてきた」という批判があるという。
産経新聞 平成14(2002)年7月30日[火]朝刊「産経抄」13

ここで情報元とされている古森義久は『諸君!』10月号に「N・チョムスキー、E・サイード、S・ソンタグ 米国じゃ“あっち向いてフン!” ──何故か」26という12ページの記事を書き、そのうち半分をチョムスキーの中傷にあてている。さらにそのまた約半分が、ポル・ポト擁護説である。「産経抄」のウソはすべてこの記事に含まれている。アフガン人四百万人の由来についてはサイレント・ジェノサイドで、的外れな職業歴非難についてはテレビ討論で、ポル・ポト派に関することはテレビ討論及び『激変の後』以下で、それぞれ逐一反駁する。

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テレビ討論

古森義久の主張によると、まずチョムスキーの政治評論が米国民にほとんど知られていないことが大切だという。そして次のように書いた:

アメリカ国内でチョムスキー氏がどのように位置づけられているか、象徴的な場面があった。彼は今年六月、ABCテレビのニュース討論番組に出演し、ビル・ベネット氏と対テロ戦争の是非について討論した。チョムスキー氏としてはごく珍しい一般テレビへの出演で、主役のベネット氏の反論役という立場だった。

(中略)

ベネット氏はチョムスキー氏が東西冷戦でのアメリカのソ連に対する戦いを「ナチ的」とののしっていた事実をも指摘した。その激しい議論の中で、ベネット氏はチョムスキー氏を指して、「この人物はアメリカを憎み、アメリカの業績をけなすことで自分の職業の経歴を築いてきた人なのだ」と厳しく糾弾した。

そしてベネット氏は「あなたはかつて『クメール・ルージュ(ポル・ポト派)による大虐殺についての情報はまったくの誇張だ』と断言したではないか」ともチョムスキー氏を非難したのだった。

この点は重要である。実際にチョムスキー氏はアメリカの学会や言論界の一部では「ポル・ポト派の擁護者」として知られてきたのだ。
古森義久『諸君!』10月号26

これは5月30日にCNNで放映された討論のことらしい、スクリプトを入手した29。冒頭でチョムスキーはいつものように、合衆国が国際司法裁判所で法外な武力行使(テロリズム)の罪で有罪判決を下された唯一の国家だという事実を指摘している。古森義久の要約に該当する箇所は、実際に放映された場面では次のとおり:

ベネット:自らのミスを、過失を、犯罪を、国家の原則と矛盾することをやってしまったのを、合衆国ほどに認めている国がどこにあるだろうか?ない、そんな国はない。

          いわせていただくがこの人はかつて、クメール・ルージュによる大虐殺の報告がまったくひどく誇張されていたと言った。また我々がソ連と戦っていた時には…

チョムスキー:ちがう、そうではなくて…

ベネット:わたしはあなたの発言を邪魔しなかったよ ──この人は、ソ連に対してナチとおなじことをやってると言ったのだ。チョムスキーの仕事はずっと、一行かくたびに、意見するたびに、アメリカを憎悪してこの国の経歴をぼろカスにけなすことによってキャリアを築いてきた人だってわかるだろう。
"Interview with Noam Chomsky, Bill Bennett"
CNN American Morning with Paula Zahn, 30.May.200229

チョムスキーが冷戦下の話題でナチに言及するのは、古森義久の「ナチ的」というような曖昧なことではない。例えば、合衆国が優秀なナチス軍事諜報部の残党をかくまい、秘密部隊を結成し、ソ連や東欧へ送り込んだという過去の事実を指摘している30。最近この事実を追跡したドイツ人による記録も翻訳された31

「産経抄」にも含まれていた「この人物は米国を憎み、米国の業績をけなすことで職業歴を築いてきた」という非難は、的外れだ。そもそもチョムスキーの職業は言語学者であり、言語学の研究と教育が本職である。現在も勢力的に研究を続けている。その一方で、こどもの頃からスペイン内乱に関する論説を学校新聞に発表するなど、政治に関心を抱き続け、ベトナム戦争の頃からは知識人として活発に政治的活動を続けている。しかしこちらは、チョムスキーの職業ではない。

「米国の業績」というのが、世界各地の大量虐殺を支援し荷担し自らも殺戮を繰り返してきた、数々の軍事介入24を指すのならば、それは確かにチョムスキーが問題にしてきた。しかし、それを単にけなしているのではない。看過される実態を暴露し、事実を筋道だてて列挙することで、問題を明確にしている。根拠なくけなしたりはしない。

古森義久はアメリカの学会や言論界の一部では「ポル・ポト派の擁護者」として知られてきたというが、それは事実と異なる誹謗にすぎない。少しでもきちんと調べれば、事実に反することが判る。必要な資料はすべて入手できるのだから。カンボジアと東チモールポル・ポト事件の説明も参照していただきたい。

古森義久はここから3ページにわたって、事実に反するポル・ポト擁護説を展開する。

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『激変の後』

チョムスキー氏はエドワード・ハーマンという共著者を得て AFTER THE CATACLYSM(『激変の後』)というインドシナの戦後についての本を出した。彼はこの書の中でポル・ポト派を徹底的に擁護したのだった。

古森義久『諸君!』10月号26

AFTER THE CATACLYSM というのは、ポル・ポト事件で紹介した『人権の政治経済学』下巻の『激変の後』のことだ。古森義久はそれが二巻本であることすら無視している。また、たんなるインドシナ戦後についての本ではない。上巻『ワシントンのコネと第三世界ファシズム』の序文に、各巻の主旨が明記してある32

上巻では、米国が後援する新植民地世界を形作った武力、属国の性質、およびテロの増殖を擁護し正当化するためにイデオロギー的諸機関が採用したプロセスと原理を分析する。まだまだとうてい調査しつくしたとはいえない。調査のために選んだ実例も少しだけだし、詳しさもばらばらだ。我々の主な関心は合衆国にある。合衆国のグローバルな政策と、国内社会における制度的基準と そのプロパガンダのメカニズムだ。

(中略)

『激変の後』と題した下巻は、サブタイトルのとおり「戦後のインドシナと帝国イデオロギーの再構築」にあてられる。インドシナの戦後の状況、瓦礫から出てくる人々を扱う。インドシナの三つの国々それぞれを検討するのに加えて、難民と戦後の報復の問題を 歴史的な文脈においてみる。さらに (訳註:ベトナム戦争によって) ダメージをうけた帝国イデオロギーの修復のために、欧米メディアがインドシナの経験を利用・誤用することにかなりの注意を払う。
Edward Herman & Noam Chomsky, "The Political Economy of Human Rights", 1979
Volume I "the Washington Connection and Third World Fascism" pp. x-xi32

古森義久は、カンボジアに関する報道を検討している箇所だけをとりあげて 次のようにいう:

『激変の後』の「カンボジア」という章でチョムスキー氏は、一九七八年ごろには国際的に周知とされていた大虐殺に関する情報を全面的に排除していた。「いわゆる大虐殺というのは難民の証言、あるいは難民が述べたとされていることを伝えたジャーナリストの報道に依拠しているだけだ」と主張していた。歴史的にみると、難民というのはいつも実際に見たこと聞いたことをひどく誇張して伝えるのだというのである。

チョムスキー氏は、そうした難民情報がオーバーな大虐殺という性格づけをされて国際社会に広まり、とくにアメリカ議会の中で定着していった」と論じていた。そして大虐殺を既定の事実として非難する人を一人一人名をあげて、その論理展開をあの手この手で揚げ足をとり、批判していた。
古森義久『諸君!』10月号26

ポル・ポト事件で説明したとおり、そもそも'77年の書評「…歪曲」で、ポンショーに同意して「難民たちの報告は深刻にうけとめねばならないが、扱いには注意深さと慎重さが欠かせない」と明記したにもかかわらず、後に英国版の ポンショー自身の名による 著者付記で歪曲された。著者たちは、このカンボジアの章のなかで、それが捏造と歪曲に基づくことを説明している33

はじめに難民情報の性質を考察しているところでも、繰り返しポンショーに同意している34,35。慎重さを求める理由については、この章の 7ページ目に説明がある。歴史的資料としても、的確な判断のためにも、実態の把握が不可欠だからだ。チョムスキーたちがここで問題にしているのは、注意すべきことがまったく無視されたまま、不確かな情報が流布することだ34。根拠のない俗説が又聞きを繰り返し増殖する一方で、きちんと実態を把握しようとする試みさえ「虐殺者擁護」と糾弾された. その結果、いまだに、内戦時代からの虐殺規模だけをとっても、著名な資料でさえ百数十万前後を中心に諸説ある48

古森義久は、チョムスキーたちの批判の趣旨をまったく理解していない。

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ケネス・クイン

たとえば、カーター政権で国家安全保障会議のスタッフだったケネス・クイーン氏はポル・ポト派による大虐殺を指摘したが、チョムスキー氏は言語学者らしくクイーン氏の言葉使いまで分析して、しつこく反論し、否定を試みていた。
古森義久『諸君!』10月号26

『激変の後』のなかで、ケネス・クインの発言を問題にしているところは三箇所ある:

  1. ケネス・クインはクメール・ルージュの作戦が、新しい上層部にとってかわった1973年に残酷さを極めたと主張した。

    他の情報源と照らしてみれば、たしかに1973年に残酷になったことがわかる。ただし、それはちょうど合衆国による飽和爆撃の皆殺し作戦が強化された時期だ。チョムスキーたちがここで指摘しているのは、原因となりうる要素のひとつ(合衆国による爆撃)について、クインが何も語らないことだ36

  2. クインは1973年はじめに事が起こって難民の第一群が南ベトナムへ逃げたことを報告した。

    これも事実である。だがその主な原因は、合衆国の秘密爆撃にあることが既に判っていた。チョムスキーたちはここでも、クインがその原因について「事が起こって」といいながら、いったい何事が起こったのか言及しないことだ37

  3. クインはまた、人口変動の数字を示した38

    だがその数字の出所を明示しない。ここでは根拠を明示しないことを、チョムスキーたちは問題にしている。

本書全体で、クインの発言を問題にしているのは、この三箇所ですべてだ。いずれも言葉遣いを云々しているのではなく、どのような情報が根拠も明示されないまま流布し、どのような情報が語られずに看過されるかを問題にしている。捏造や歪曲に基づく俗説によってポルポト断罪がエスカレートする一方で, 合衆国の秘密爆撃の影響は省みられず、インドネシアによる東チモールでの侵略・虐殺は黙認され続けた。このダブルスタンダードを追求するのが、『人権の政治経済学』両巻の重要な論点のひとつである。

古森義久は「言語学者らしく」などと粉飾しながら、まったく論点を踏み外している。


フランソワ・ポンショー

また『カンボジア・ゼロ年』という書に著者のフランス人牧師F・ポンショー氏が「ポル・ポト派はマルクス主義のイデオロギーが動因となって組織的に人民を殺し、飢えさせていく」という趣旨のことを書いている点に対して、チョムスキー氏は「ポンショー氏の主張は限りなく政治的な偏見であり、共産主義を虐殺の原因として強調するのは、アメリカの犯罪の責任をごまかすためだ」と主張した。
古森義久『諸君!』10月号26

繰り返しになるが、ポル・ポト事件で説明したように、既に'77年の書評「又聞きの又聞きの又聞きによる歪曲」46のなかで、ポンショーの本を、不注意な点もあるが読むに値する真剣な本だと評した。にもかかわらず、なぜか後に翻訳された英国版の著者付記ではこの書評の趣旨が歪曲されていた。『激変の後』のカンボジアの章のなかで、その著者付記に反論している33

チョムスキーたちは『激変の後』でも再び、ポンショーの本はインドシナの戦後に関する真剣な著作で、もっと注意深く研究され批判的に分析される価値のあるものだと評価している。ただし、ラクチュールが歪曲した評から派生したおびただしいコメントのせいで、最も有名だが読まれることのない本になってしまったと指摘する39。古森義久のいうような趣旨は、ポンショー自身が下した判断ではない。

『カンボジア・ゼロ年』日本語版の序文では、ポンショーもチョムスキーによる評価を正確に引用している。古森義久は、ポンショーの『カンボジア・ゼロ年』の日本語版すら読んでいないものと思われる。

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妄想と異色の矛盾

「大虐殺の情報に対し、イデオロギーによって因果関係を説明しようという勢力は、最初から偏見があって意図的な見方をしている。だからカンボジアの大虐殺なるものを非難する勢力は、そもそも政治的に共産主義をおとしめようとする動機をもっているのだ」

チョムスキー氏はこんな理屈風の主張を展開する。こうした理屈を非常に巧妙なレトリックを用いて述べるのが、彼の特徴である。

チョムスキー氏の結論は、マスコミが伝えているカンボジアの大虐殺は証拠がないだろう、とくにポル・ポト政権の中央政府が指令を出して大量処刑をしているという情報には根拠はないのだ、という趣旨だった。

チョムスキー氏の主張には、さらに異色な点がある。

それはカンボジアで虐殺のようなことが起きるのは結局はアメリカのせいだと述べる点である。虐殺はないのだと述べながら虐殺の原因はアメリカだと主張する矛盾はまずおこう。[強調は引用者]
古森義久『諸君!』10月号26

チョムスキーたちの結論はこうだ:西欧のやり方がカンボジアの農民たちの生活に及ぼした影響を真剣に研究すれば、クメール・ルージュの虐殺の全貌を把握できるだろう。ただし、メディアがこのありさまでは期待できないと懸念している40。なお、その後チョムスキーも資料を提供したという Michael Vickery(1984) "Cambodia 1975-1982" などは後に一定の評価を得ている。虐殺がなかったというような趣旨は、はじめからどこにもない。

『激変の後』のカンボジアの章では、共産主義の論理的帰結としての殺戮政策とか、共産野蛮主義とかいう造語まであらわれて、派手に喧伝される様子を詳細に検討している。そういった短絡的でセンセーショナルな表現は、まったく根拠づけのないまま流布した。このような俗説がエスカレートする一方で、真剣に原因を理解しようとすることが阻まれ、冷静に分析しようという試みが虐殺の擁護だと非難された40。流布する情報を網羅41して、情報の質を相互に比較検証した本書には、インドシナ戦争の報道のされかたを検討する上でも資料価値がある。ここあるのは事実の羅列であって、巧妙なレトリックなどではない。

チョムスキーはポル・ポトによる大虐殺に触れるとき、ニクソン時代の秘密爆撃もあわせて問題にする20,21,22。爆撃がカンボジアの農民たちの生活に及ぼした影響を無視することはできないというのであって、なにからなにまで合衆国のせいだ などとは主張していない23

異色なのは、「虐殺はないのだと述べながら虐殺の原因はアメリカだと主張する矛盾はまずおこう」などといいながら最後まで読者を置き去りにする古森義久の方だ。何故このようなありもしない矛盾が、自分の誤読に起因することを疑わないのか。

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サイレント・ジェノサイド

アフガニスタンへの空爆が開始されてから数日たった昨年十月十一日、チョムスキー氏はマサチューセッツ工科大で講演して、おもしろいことを述べた。アフガニスタンでいま起きていることはジェノサイド(大量虐殺)であり、結果としてそれから数週間のうちに数百万人のアフガニスタン国民を殺してしまうことになる、と断言したのだ。具体的に「アメリカは三百万から四百万のアフガン人民を殺す」と予測したのである。だがこの予測がまったく見事なほど外れたことは言うまでもない。[強調は引用者]
古森義久『諸君!』10月号26

ジェノサイドという言葉は、サイレント・ジェノサイドという用語のかけらを拾ったものである。サイレント・ジェノサイドという用語は一般に集団飢餓を意味する44,45,15,17

既にアフガンには難民があふれていたので、軍事行動が実行に移されたら数百万人のアフガン人が飢餓に直面することは、国連食糧農業機関(FAO)が9.11直後に出した緊急警告14をはじめ、各種専門家が指摘していた。チョムスキーも、いろいろなところでこれを引用している15,16,17,18。既に数百万の難民がいる地域で、爆撃が長期化すれば、百万単位の餓死者が出るという予測はごく常識的な判断だ。

問題とされている講演は、翻訳されている17。「数百万人の飢餓」のところで、爆撃開始一週間後に掲載された NYタイムズの記事を引用している。まず「国連の計算によると、すぐに750万人のアフガン人が一塊のパンですらも必要な窮状に陥るだろう。そして厳冬のために多くの地域に物資を届けることが完全に不可能になるまで、ほんの数週間を残すのみである」。続けて「しかし爆弾の投下に伴って、物資の引渡し率は、必要とされる程度の1/2にまで落ち込んでいる」という部分。これはつまり、数百万人の飢餓が的確に予測されていたということだ。しかもチョムスキーではなく、NYタイムズによって

おもしろいのは、現実から遊離した「予測」を勝手に捏造する古森義久の方である。


この国の言論鎖国状況

こういう現実をたどった結果、明確になるのは、チョムスキー氏がアメリカの思想界、言論界では、右、左、保守、リベラルという枠組の外側の超小数過激派とされている構図である。ほとんど埓外のアナキストに近い超反体制派とも評せよう。しかも繰り返すが、大前提として重要な点は、一般のアメリカ国民はチョムスキー氏を知らないということなのだ。

だからチョムスキー氏の主張が、アメリカの多数派ではないにしても、非常に有力な意見だと位置づけて、それを指針にして日本の対応を議論することは、大きな誤りだといえよう。
古森義久『諸君!』10月号26

長い舌に巻かれろ、という結論なのだろうか。

『人権の政治経済学』の下巻『激変の後』の意図は、そもそも古森義久のように根拠も確認せずに流言飛語をたれながす報道を検証することにあった。とくにカンボジアの章では、カンボジアの報道を詳細に検証しているが、これは同時期・同規模の東チモールの虐殺と比較検討するためである。そのような本書の意図を無視し主張を歪曲し捏造した古森義久の記事によって、読者は再び東チモールの悲劇から目を逸すことになる。これは二重に罪深い。

この国の言論鎖国状況はまだまだ続いている。

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