ユニオンぼちぼちは、労働と生活の問題の解決を支援してきました。
その中からいくつかの事例を紹介します。
1年ごとの契約で塾講師として働くAさんは、理由もきちんと説明されないままに25%の賃下げを通告されたことをきっかけに、ユニオンぼちぼちに相談しました。会社の都合で突然授業がキャンセルになり、その分の賃金が支払われない、無給でプリントの作成をさせられる、といったことも度々ありました。
Aさんが個人的に経営者と話し合おうとするも不調に終わったので、団体交渉を申し入れました。そうすると、会社側は、団体交渉を拒否して、Aさんに解雇通告をするとともに罵詈雑言を浴びせかけました(これはAさんにとってつらい体験ではありましたが、後々会社を追及する材料になりました)。
ユニオンぼちぼちの組合員が団体交渉を申し入れるために直接会社へ行くと、経営者は警察を呼びました。しかし、労働組合の正当な争議行為であり、警察が介入できないと判明すると、その経営者は急に大人しくなって、団体交渉が開かれることになりました。
弁護士に相談したのか、会社は、解雇を撤回し、3月末の期間満了に伴う雇い止めを主張してきました。団体交渉の席上で経営者は、「アルバイトなのだから簡単にクビにできて当然だ」、「うちの会社に有給休暇はない」などと無茶な主張をしました。
ユニオンぼちぼちは粘り強く団体交渉を申し入れ、抗議文をインターネットに掲載し、ビラも配りました。他の組合と協力して、他の組合と協力して抗議活動をするということもありました。最初は強がっていた経営者も、やがて音を上げ、Aさんは職場復帰するとともに、勤務できなかった期間の休業補償も受けました。
それから有給休暇の取得を認めることなどを交渉している途中で、同僚のBさんもユニオンぼちぼちに加入しました。借金があるといった言いがかりをつけられて給料から天引きされていたのです。
そのようなことが認められるはずもなく、会社も過去の経験から無駄な抵抗をしても仕方がないと学習したのか、団体交渉で取り上げるとすぐに天引き分の給料が返還されました。
こうして、AさんとBさんは、経営者の理不尽な行いをはね返して働き続けています。定期的に団体交渉を開いて、賃上げや退職金規定について話し合いを継続しています。
家族経営の伝統産業で働くCさんは、入社時から残業の多さが気になっていました。働き始めてみると、案の定、サービス残業の嵐でした。
Cさんは、入社前からユニオンぼちぼちに相談して、「未払残業代は証拠さえあれば裁判ででもまず勝てるので、貯金をしていると思ってきちんと記録をしたらどうか」と言われて、実際にその通りにしていました。
家族経営にありがちな、滅私奉公で働いて当然だという雰囲気の中で、Cさんは、時々ユニオンぼちぼちの組合員に相談しながら、約2年働き続けました。
Cさんは、会社を辞めると同時に、その未払残業代を請求しました。しかし会社は払おうとしなかったので、ユニオンぼちぼちから団体交渉を申し入れました。団体交渉では、Cさんの働いていた実態について確認しました。
会社は残業代を支払う姿勢を一向に見せないので、Cさんは労働基準監督署に申告をしました。その後、会社は労働基準監督官から聞き取り調査を受けたようでした。
それでも会社は労働基準監督官から指摘を受けた最低限の金額しか払おうとしなかったので、Cさんは、労働審判を申立てました。弁護士には頼まず、自分で勉強して、わからないことは組合内の詳しい人に聞いて、本人訴訟の形をとりました。
Cさんは最初から証拠をきちんと集めていて、団体交渉でも勤務実態が確認されていたので、Cさんが求める水準での和解となりました。Cさんは労働審判から通常の裁判に移行することも覚悟していましたが、そうなっても会社の主張は認められないだろうという裁判官の説得もあって、早期に決着しました。
介護職としてNPO法人で働くDさんは、利益ばかりを優先して利用者の福祉をないがしろにする事業所の運営方針に疑問を持ち、独自の判断で運営方針よりも利用者の福祉を優先することもありました。
法人の代表理事でもある現場責任者は、そうしたDさんの行動に不満を持ったのか、Dさんに強く当たるようになりました。
Dさんは、必要な資料をコピーして手元に残したり、ICレコーダーを持ち歩いて現場責任者との会話を録音したりするようになりました。そして、同じ職場で理解を示してくれたEさんとともに、ユニオンぼちぼちの事務所へ相談にやって来て、もしもの場合に動けるようにその場で加入しました。職場内にも労働組合がありましたが、現場責任者が昔活動していた労働組合と緊密な関係にあったので、そうしたしがらみのないユニオンぼちぼちをDさんは選びました。
その備えが役立つ日はすぐに訪れました。Dさんは、業務命令に違反したという理由で、懲戒解雇の処分を言い渡されたのです。早速、ユニオンぼちぼちは団体交渉を申し入れました。
そもそも業務命令が利用者の福祉に反する不当なものであり、仮に業務命令が正当なものであったとしてもいきなり懲戒解雇というのは行き過ぎですし、就業規則に則った処分でもありませんでした。
そのことを団体交渉で順序立てて説明しても、法人の代表理事でもある現場責任者は非を認めようとしませんでした。逆に、職場内の資料を無断でコピーしたり、会話を録音していたりしたことで、Dさんを責め立てるほどでした。Eさんは、現場責任者から裏でユニオンぼちぼちから脱退するように強く働きかけられたようで、突然組合から脱退しました。
このような状況で、Dさんは、精神的に参ってきたことや事業所で騒ぎを起こしたくなかったことから、労働委員会での解決を探ることにしました。
事業所が勤務を拒否したので、Dさんは事実上働けない状態になっており、給料も支給されていませんでした。生計を維持するために、懲戒解雇への異議を留保しつつ、暫定的に失業手当を受給しました。そのための手続きは煩雑でしたが、慣れている組合員が助けてくれました。
頑なだった現場責任者も、労働委員会で使用者側の委員や、自分が依頼した弁護士からも説得されるに至って、懲戒解雇が撤回されるとともにDさんが自主退職するという条件でまとまった金額の解決金を払うことに同意しました。
キャバクラで働くFさんは、店内恋愛禁止に違反したとして、5万円の罰金を給料から天引きされました。キャバクラ専門の労働組合があると知って連絡したところ、関西ならということでユニオンぼちぼちを紹介されました。
このような罰金名目での給料天引きは明らかに違法なのですが、法的な請求を誰にすればよいかわかりませんでした。店は法人ではありませんでしたし、オーナーがどういう人なのかも知りませんでした。
そこでFさんは、ユニオンぼちぼちの組合員とともに店へ団体交渉を申し入れに行き、店長を問いただしました。最初はしらばっくれていましたが、自分への追及をかわすために、店長は雇い主であるオーナーが誰かを教えてくれました。
そしてそのオーナーに会いに行くと、彼は、天引きの違法性は認めたものの、「経営不振で支払う金がない」、「経営は息子に譲ったから自分は関係ない」などと、返還には応じようとしませんでした。
それでも組合の担当者が粘り強く電話をかけるなど交渉し、オーナーはその場を解放されるならと、少しずつ支払をしているところです。
Gさんは、MTFのセクシャルマイノリティであることは特に告げず、女性として飲食店で働いていました。
しばらくして、身体つきが男っぽいといったうわさを同僚からされるようになりました。あるとき、店長からそのことを問い詰められ、Gさんは自分がMTFであることを明かしました。
すると店長は、これまで何の問題もなかったGさんを、「お前のような奴が接客をすることはできない」と解雇しました。
Gさんはユニオンぼちぼちに加入して、団体交渉を申し入れましたが、その間も店長から差別的な発言を繰り返し浴びせられ、出勤できないような状況に追い込まれました。
抗議活動でも裁判でもして闘うという選択肢もありましたが、体調を最優先して、Gさんはわずかな解決金で終わりにすることを選びました。組合員の指摘を受け、退職前には傷病手当金の申請も忘れずにしました。
その後も体調がよくなったり悪くなったりで、傷病手当金も1年半で支給が終わり、とても満足に働ける状態ではなく医療費もかかっていたので、生活保護の申請をしました。
体調が悪い中、一人でがんばって申請しようと役所に行っても、「まだ若いから働ける」などと理由をつけられて申請することができませんでした。そのことを労働問題を担当していた組合員に伝えたところ、役所での生活保護申請に同行してくれることになり、役所の担当者も態度ががらっと変わって、無事に申請して受給することができました。
Hさんは、派遣社員として、派遣会社が用意した寮に住みながら、近畿地方のある工場で働いていました。現場で指揮命令を行う派遣先の工場の社員は機嫌が悪いと怒鳴り散らすような人だったので、当初から仕事がやりづらいと感じていました。
そのことを派遣元の担当者に相談すると、6カ月の期間だけだから我慢してくれと言われただけでした。
ある日、一つの材料がなくなりかけていたことを報告しなかったとして、その派遣先の社員から執拗に責められました。そもそもその材料の管理は社員がすることになっていた、前にその材料がなくなりかけていることを報告したらうっとうしそうにされたといったことを反論したかったのですが、言葉を差し挟む隙さえありませんでした。
もう我慢できないと思ってもう一度派遣元の担当者に相談をしました。すると、「あなたが悪かったのではないか」と逆に責められ、何もしてくれませんでした。
その後も些細なことで派遣先の社員から怒鳴られるといったことが繰り返され、Hさんはもうこれ以上出勤できなくなるほど体調が悪くなりました。朝起きると吐き気がして動けなかったのです。派遣先の工場に体調が悪いので休むと伝えて、2,3日寝ていました。
そうこうしているうちに、派遣会社(派遣元)から、無断欠勤を理由として解雇するのですぐに寮から出て行ってくれという手紙が届きました。
Hさんは驚いて友人に相談し、そこからユニオンぼちぼちにつながりました。
ユニオンぼちぼちはすぐに派遣会社に団体交渉を申し入れて、今後の交渉は組合を通じてするようにと伝えました。団体交渉に出席した派遣会社の役員は、丁寧な口調で法律は守ると繰り返しながらも、無断欠勤で解雇なのだからすぐに寮から出て行ってもらうことに変わりはないと主張し続けました。どうもHさんから聞いた話と役員が把握している状況が食い違っていたので、現場の担当者を次の団体交渉に出席させることを派遣会社に約束させて第一回団体交渉は終わりました。
その団体交渉が終わった直後に、派遣会社の担当者は、Hさんに直接電話をして、東北にある系列の工場に行かないかと言いました。あまりに突然のことだったので、Hさんは答えられず、ユニオンぼちぼちの担当者に相談し、「行きたくなければ行かなくてもよい」と言われて安心しました。
第二回団体交渉では、東北の工場に行けなどといったことをHさんに直接言わないでくれと、まず釘をさしました。それから派遣会社の現場担当者に当時の状況を聞くと、最初は言い逃れをしようとしましたが、Hさんが当時のことを詳細に述べると、言い逃れもできないようになりました。
これで団体交渉の空気が変わり、派遣会社は、契約期間の終わりまでHさんが寮にいることを認め、解決金という名目で残りの契約期間の給料を支払い、これからは派遣先で問題があった場合は誠実に対応することを約束して終結しました。
E-mail: botibotiunion[at]gmail.com *[at]→@ |