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世界と共に、闘争の内で:マリオ・トロンティ追悼

  • traduzione Giapponese / ジジ・ロッジェーロ 2023年8月8日

偉大な人物の肖像をいきいきと描くことは骨の折れる仕事だ。マリオ・トロンティのそれとなれば不可能に近い。この小文でジジ・ロッジェーロは、いくつかの省察を素描的に辿りなおし、その経路を鳥瞰してあざやかな記憶を紡ぐことで、この政治的巨人の存在を血肉化させる。かれはマルクス主義思想史における過剰〔異端〕の一例ではなく、その語のつよい意味で例外だったのだという発見とともに。そこには『労働者と資本』〔Operai e Capitale〕の以前と以後があり、時代はトロンティ以前と以降とに区分される。

見えない者が見えるように、見える誰もが盲目となる。マリオ・トロンティはこの箴言を思い出させた。最後となる公の場で、デリーヴェ・アップローディ〔主宰の出版〕フェスティバルにおけるアデリーノ・ザニーニとの座談会でのことだ。言及されたのは、オペライズモや共産主義の伝統から不意を突く人物である。イエス・キリストだ。もうひとつの頬を差し出さなかったイエス。まさしくベンヤミン的な、過去と格闘するイエス。世界を二つに分つイエス。初期キリスト教における貧者と富者の分別、我々における労働者と資本の分断。政治的リアリズムの語彙でいえば友と敵との分別。カール〔マルクス〕とカール〔クラウゼヴィッツ〕、レーニンと聖パウロ。この世界に在るが、この世のものではない男たち。それが革命的運動家というものだ。どこか分からないユートピアの天空を羽ばたいたりはしない。眼前の日和見的なひだに潜り込むこともない。かれはいつもここにあり、内在して対抗する。だから次のように言うことができる、我々を捕らえるのは不可能だと。

よく、相異なる複数のトロンティの存在があるといわれる。1967年までのトロンティと、それ以降のトロンティと。オペライズモの〔創始者〕トロンティと、イタリア共産党〔党員〕のトロンティと。労働者と資本の〔著者〕トロンティと、政治神学のトロンティと。誰もその言い分を理解したことはないし、もし理解できたとして同意することはできない。マルクスにもまた複数の異なるマルクスがあればレーニンだってそうだし、お好みであれば誰だってあてはめることができる。ぼくらはただ一人、たった一人パルチザンのトロンティが確かにいたことを知っている。還元不能な、徹頭徹尾パルチザンの男が。たんなる政治思想家ではなく、かれ自身ただしく言い当てたように思考する政治家としてのトロンティが。

そしてまた誰かが言ったように、政治過程というものは〔ロシア革命の舞台となったサンクトペテルブルクの〕ネフスキー大通りのように進行するものではない。謎めいた湾曲があれば直線を描くこともあるのは周知のとおりだ。かれの歩みにおける曲折のいくつか、とりわけ悲劇的であったり決定的な経路などは議論に値するだろう。ある意味で言うまでもなく論議は不可欠でさえある。だが付言すれば、その試みがなかったわけではない。むしろ議論できないでいるのは、かれのものの見方の堅固さであり、呪われた一直線を下降するその意思そのものである。外から見るものは、ということはイデオロギー的審判(それはいつだってブルジョワ法廷に他ならない)からすれば、いくらでも目に余る痛切な矛盾点を突くことができるだろう。そうした諸矛盾をかれの半生に位置付けるなら、誰でもその正当化ではなく政治的失態を裏付けるものと見なせるに違いない。マリオ〔トロンティ〕は何も隠したり取り下げたことはない。その歩みごとに間違いを訴えられたものだが、それを悔いたことは一度もない。かれのかかえる諸矛盾はいつだって戦術の枯渇〔徹底〕に内在的なもので、戦略の失敗によるものだったことはないから。

とどのつまり、未来に背を向けるからといって現在の転覆をあきらめることを意味しないのである。それが意味したのは、また意味しつづけるものは、その主著にかれが書いたように「より的確に打撃を与えるため、敵の動きを止めること」なのだ。そして最近のトロンティがひきこもりがちだとか、その精神性とか内向性を笑い物にする者たちには、かれらが見えないまま見ている〔つもりである〕ことを示している。そこには精神主義ぬきの精神の探究があり、それは敵方要塞の内部における敵対的主体の強化、共産主義的かつニーチェ的な、したがって非民主制的な自由を目指すのだから。自身と平和的であるままに世界と共に戦争へ向かうこと。皇帝なき帝位、君主なき王国、権力に対抗する権威、そこへかれは思索を勇敢に推し進めていた。預言的な思想ではあるとしても、コンビニ占いではないしワイドショーの詐欺師が流行の波にのる無節操ではない。それは他の誰も聴きたくないことを発言し、分厚く凡庸な世論に覆われた下層を見るかれの能力である。

不意を突くこと、これは冒頭の例にもあげた。偉大な教師たちの類にもれず、押しつけなしに教えるトロンティは、いつでもこちらのバランスを崩す力をもっている。静止したものと思い込んでいた目的地にたどりついた途端、実は動いていたことに気づかされる。さらに進んだ目的地へと行くために再跳躍すべき、次の問題がそこにはあった。かれは撞着語法がすきで、彼自身「革命的保守派」と自己規定したぐらいだ。これは挑発のためなんかではなくて、ブルジョワを驚かす〔デカダン詩人たちの合言葉〕ほどマリオ〔トロンティ〕とかけ離れたものはない。かれの好んだヘルダーリンの言い方をまねれば、それは危険が最大のところでものを動かすリスクをとる能力のことだ。矛盾の内においてこそ、それを正しく転覆的な思考のエンジンとすることができる。「究極的な可能性からはじめて、わたしは最後まで繰り返すだろう。この生のそして世界の形式は耐えがたい!」と。黄昏の政治とは断念〔放棄〕の同義語なんかでは、まったくない。繰り返すならば、マリオ〔トロンティ〕が悲壮な黄昏を見る何処にもあらたなオーロラの可能性はないと、そのように言うことはできる。それでもなお、再び確かなことがひとつある。レーニンの意味で用意がなくてはならないのだ。あらたな諸矛盾を、その中心的なものを見定めること。そして前へ一歩とびだすために、クリナメン〔攪乱〕に吹き飛ばされる用意があること。敵自身よりも敵のことをよく知ろうとする何者かの決断とともに。たとえ居場所から遠く離れていようとも、友を探し求める好奇心とともに。とくにその場では見出せる友の数が、たとえ減るばかりであるとしても。

最後に、ごく私的な追憶をいくつか。マリオ〔トロンティ〕自身が著書についていったように「もし自殺的と知りながらすべてを書いたならば、その唯ひとつの条件においてのみ確かな何事かがある」のだから。

はじめてかれに会ったのは2000年8月8日のことだった。オペライズモについての共同研究〔コンリチェルカ〕に取り組んでいたときのことだ。ただ一冊の本ではなく、あの書物〔労働者と資本〕の血肉化に立ち会うという経験は、人生においても何度もあることではない。まるで書物自身が書いたかのような、尋常ならざる一冊の書物。その一文ごとにボスに逆らいブルジョワ的生活様式に対抗する書物。なにしろトロンティは、支配者とそのブルジョワ的生活様式に対する還元不能な憎悪の持ち主なのだから。ちょうど23年前の8月8日、パスクァーレと名付けた黒い仔猫とかれが遊んでいるのを見てわたしは驚いた。パスクァーレが一匹の鼠をくわえてあらわれた時、まわりのブルジョワ婦人たちが逃げ去ったそうだ。この子はブルジョワを恐怖に陥れたんだと、かれはパスクァーレを撫でながら満足げに付け加えた。

マリオの憎悪はいつも還元不能なものだ。それは構成的憎悪というもので、政治はそこから始まる。2004年に暴力と非暴力をめぐる集会に参加したとき、それはひどいテーマだったが、問題は暴力と非暴力ではなく暴力と武力の対立だといって即座にかれは退けた。再び、どちら側につくかの対立である。あなたの立場の選択の問題で、そこに付け加えるべきものはない。それから、忍耐づよく日和見的な臭気のする中身のない平和主義に耳を傾けて、かれは力強い平静さをもって介入した。言葉が炸裂するとき、大声を上げる必要もない。どの一語にも思考が込められていて、トロンティが既知のことを繰り返すことはないからだ。かれは思考と同時に発言をし、考えながら言語化する。ぼくらのなかでも、それは普通でない非凡さである。かれはこう言ったんだ。「ポイントはつまり、どうしたら彼らに支払わせることができるかだ」と。たくさんの聴衆の血を凍てつかせたが、ごく少数の精神には着火した。マリオ〔トロンティ〕はこうして、いつもポイントをつかむんだ。つねに物事の根本を見定める。そして根元とは、ぼくらにも今なら分かるように、頂点に位置するものだ。根こそぎにして植え替えるには、そこへ至らなくてはならない。

かれの便りを最後に聴いたのは先週の金曜日だった。労働者の記憶をマッピングするという、最近の大事業について少し教えてくれた。最後まで、かれは限界に至るまで庭の畑を耕してカブ〔作物〕を育てていたんだ。かれ自身の引用したモンテーニュのように「わたしのカブ〔作物〕は人々のあいだの抗争である。あるがままの世界をそのままに保とうとする人々と、その上下を転覆すべく自由に、かつ敵対的に組織化された人々の。」

マリオ・トロンティはマルクス主義の歴史において単なる過剰〔異端〕の一例なんかではなく、その語のつよい意味、シュミット的な意味で例外だったのだ。かれはオペライストでマルクス派で、ゆえにマルクス主義者ではない。そこには『労働者と資本』の以前と以後とがあり、時代はトロンティ以前と以降とに区分される。あの画期となる8月8日とこの最悪の8月7日のあいだ、それ以前と以降と、何にもましてあなたの書き遺したもの、すべての発言と思索にみちた沈黙と、ぼくらを何者かになるため教えてくれたことに感謝したい。世界を見るために教えてくれたこと、それを見つめ直すこと、初めてよく見せてくれたこと。つまり見えていなかったものを見えるように。そして世界を十分よく理解して、それを見すえて根底的〔ラディカル〕に憎むために。

  1. autore: Gigi Roggero, Bologna
  2. originale(it): https://www.machina-deriveapprodi.com/post/in-guerra-col-mondo-per-mario-tronti
  3. traduttore: Kazuya SAKURADA, Osaka / 櫻田和也 2023年08月20日
  • 科研費「オペライズモの理論形成と世界的受容の調査研究」(若手研究(B) / 2011-2013 / 課題番号:23730490).
  • 科研費「オペライズモにおける社会調査の方法論的研究」(若手研究(A) / 2014-2017 / 課題番号:26705005).