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ItalianTheory
「イタリア現代思想」と生きた知性の叛乱
- traduzione Giapponese / マッテオ・パスクィネッリ 2011年4月4日
何の因果か、ただの偶然とはいいがたいのだが、まさに英語圏アカデミズム帝国の危機のただなかにおいて、われわれはあらゆる専門分野でイタリア政治哲学が「ヘゲモニー」をとるのを目撃している。ロンドンからカリフォルニアまで、アントニオ・ネグリやパオロ・ヴィルノ、クリスティアン・マラッツィやサンドロ・メッツァードラそしてマウリツィオ・ラッツァラートからフランコ・ベラルディ(ビフォ)の名にいたるまで、(Google Scholarの無慈悲な検索アルゴリズムによると)オーストラリアの学術出版では引用数のトップに、あるいは(より世俗的な美術批評において)ドイツではビエンナーレのカタログに連ねられる。'70年代におけるイタリア的異例性への国家的弾圧以来はじめて、今日ゆたかな知性のディアスポラをもってその名誉を回復するかのようだ。
イタリア現代思想(イタリアン・セオリー)の名のもとに、そうした思索家たちをめぐる学術会議やセミナーが数多開催され出版物も刊行され、長年見向きもされなかったイタリアのオペライズモ思想は海外で回帰し、あるいは生-政治の(とりわけジョルジオ・アガンベンやロベルト・エスポジトによる)あらたな展開をしるしてきた。ポストモダン哲学や伝統的な分析哲学、あるいはカルチュラル・スタディーズの世俗化によって麻痺していた英語圏の諸学科内部での話だ。2010年になってマイケル・ハートとアントニオ・ネグリの《帝国》刊行10周年記念大会がピッツバーグ大学で開催され、ニューヨークのコーネル大学では「共なるもの comune」をめぐるシンポジウムが開催されたが(マニフェスト紙2010年9月18日,10月14日号参照)、2011年5月19日にはアムステルダムで(気前よい公的資金の援助による)ポスト・アウトノミア会議が開催され、新世代の研究者たちにオペライズモ思想が膾炙する機会となるだろう。
しかしこの因果は明らかに両義的なものである。もし認知資本主義批判や共-調査(コンリチェルカ)の歴史が、マルチチュードやプレカリアートといった概念が階級や支配への問いを失えば流行のファッションを着替えるようなアカデミズム体制に回収されてしまうし、当の概念を生み出したイタリアの思索化たちは、いつもアカデミズムの辺境あるいは外部へと排除され生き延びてきたのであるから。共なる悲哀をもって諧謔を弄するなら、1979年の「4月7日」裁判によるジャーナリストや知識人の収監、アウトノミア追放による頭脳流出はイタリアの知的社会を破壊し、他所の諸国であらたな運命的邂逅を果たしたというところだろうか。
アウトノミア唯物論の系譜学
イタリア現代思想(イタリアン・セオリー)とは英語圏のアカデミズムによって、ポスト構造主義をひろく吸収し中和して(フーコーやドゥルーズとガタリのように頑健な「存在論」者のみならず時にボードリヤールのような束の間のきらめきをふくめて)呼ばれたフランス現代思想(フレンチ・セオリー)を引継いで名付けられたものだ。今なおハートとヴィルノによって1996年に編まれた選集『イタリアのラディカル思想 Radical Thought in Italy』がイタリアのオペライズモが初めて公に北アメリカのアカデミズムに切り込んだものとみなされている。だがそれには既に1980年、ロトランジェとマラッツィの(それこそ「4月7日」委員会との協働で)刊行した(セミオテクスト誌)『アウトノミア--ポスト政治的政治 Autonomia: Post Political Politics』が大きく先行していた。当時のニューヨークはまだバスキアのグラフィティとアンダーグラウンド理論が混在した時代。しかしアカデミズムの綱わたりを超えてなお、昨今のフランス現代思想からイタリアの理論への移行には他にも史的動因がある。
小冊子「イタリア的差異 La differenza Italiana」(2005)において、ネグリはポストモダン思想が実のところヘーゲル主義をご破算にしたことを思い起こさせている。父権的ブルジョア的カテゴリーとしての近代をである。しかし、ここにはまだ両義的かつ未決定の諸差異が残されている。それに先立ちイタリアではマリオ・トロンティのオペライズモやルイーザ・ムラーロのフェミニズモの仕事があったから、社会斗争の分裂が再び「イタリア存在論」の内へと再刻印されたのだ。差異あらば抵抗へ。ネグリがいうには、先人たちの分離主義の徹底した洞察を認めたがゆえにオペライズモは構成的存在論のプロジェクトを拡大し、フランス思想が欲望する機械やミクロ政治を遺したところからやりなおしたという。
ネグリの小冊子につけられた題名は『イタリア的差異--ニヒリズムと生政治のあいだ The Italian Difference: Between Nihilism and Biopolitics 』(2009)という選集のタイトルにも用いられた。これは「構成的」なものの系譜の対極にマッシモ・カッチャーリのニヒリズムとジョルジオ・アガンベンによる剥出しの生といった概念をおいてラディカル思想家たちを概観したものである。この線に沿うなら、最近ではロベルト・エスポジトが生の思想 pensiero vivienteのイタリア哲学の歴史を紐解いている。(Einaudiから2010年に刊行された)それは英訳以前から、イタリア現代思想の聖務日課として受け入れられた書物だ。エスポジトはとりわけイタリア哲学の核心を、力 potereへと向う敵対性のうちに見出す。ジョルダノ・ブルーノからアントニオ・グラムシにいたるまで、世紀をまたいで命がけで貫かれてきた態度だという。この結合体 synolon、この動揺と構成的実践との統一体、この内在する敵対性こそ、トロンティからマキァヴェッリにまでさかのぼる理念史に辿られるものである。こうした敵対的唯物論を美術に血肉化したものがレオナルド(ダ・ヴィンチ)の「アンギアーリの闘い」であるといえよう。そこでは闘争の姿が動物も人物も入り乱れたアマルガムとして表出され、マキァヴェッリのケンタウロス(『君主論』第18章)を喚びさますのである。
言語哲学の危機
このところエスポジトは「イタリア的差異」の上昇を、言語の優位性に基づいてきたヨーロッパ思想、すなわちイギリスの分析哲学、ドイツの解釈学、フランスの脱構築といった諸学派の今日的危機の文脈に位置づけている。アカデミズムの閉じた区画の外をみれば、この危機はしかし労働の新形態がもたらす圧力による帰結ではないかと思われる。マルクス『経済学批判要綱 Grundrisse』の「機械についての断章」から認知資本主義の概念にいたるまで、オペライズモ学派は、言語を「存在の家」(ハイデッガー)とみなすのではなく、むしろ反対に現代経済の中心における新たな生産手段と見定めてきた。既に1999年カナダ人のニック・ダイヤー=ウィザフォードが『サイバーマルクス』で指摘していたとおり、イタリア現代思想が海を超えて応用された主たる理由のひとつは、知的経済、非物質的労働とネットワーク社会の巨大機構を、敵対的かつ非-言語中心主義的に分析できる数少ない理論だからである。
政治経済学の言語学的転回は、自由主義であれマルクス主義であれまったく言語哲学の経済学的転回をともなうものではなかった。ここ数年ヴィルノの試みてきた方法はこの観点から理解しうるだろう。分析哲学の要塞を外部から攻撃するかわりに、ヴィルノはその内側から政治の方へと鍵をあけようとしてきたのだ。似たような方法で、まさに分析学派の内部からバディウの遺産からも離陸して、若き哲学者たちの思弁的実在論という新たな潮流が(イギリスの『Collapse』というジャーナル周辺に集い)いまや大陸唯物論の海辺に否定的なものを通じて per via negativa到達しようとしている。スピノザが『エチカ』では一節をもって済ませた衝動 conatusなる概念に張り合おうとして、いまだカントの数百ページを費やしているとはいえ。
資本主義リアリズムのイデオロギー
北部ヨーロッパのアカデミズムにはまだ他にも言語中心主義的諸学派が交錯しているが、そのうちエスポジトが等閑視したのがスロヴェニア式のラカン派精神分析である。それは資本主義をいつもイデオロギー的に媒介された「現実性 realityの効果」として描写する。ジジェクのつかう催眠術の振り子は冷酷にもこんな風に揺れる…「イデオロギーは意識か何か抽象的なものではない--例えば経済が経験的なもので物質的な事実だと信ずる度--ここにイデオロギーの効果があるのだ」と。この解釈はブルジョア経済学にもマルクス主義経済学にも双方に等しい寛容をもって応用されてきたのであり、とりわけ後者においては、バディウならしばしば強調したがるように、経済あるいは経済原理主義 economicismへの過剰な「信」に責任が問われなければならないはずではある。この学派にとって主たる問題はしたがって(マーク・フィッシャーの近刊からタイトルを引用すれば)資本主義リアリズムと呼ばれるものであり、政治的行為者は日常生活におけるイデオロギーの神秘を剥ぎとる精神分析的実践に還元されてしまう。
(再びバディウによると)過剰な「現実的なものへの情熱」という(イタリア思想の)罪に抗うジジェクは、アクティヴィズムをラカン派の欲望という座標軸によって型づける。したがってアクティヴィズムとはいま・ここに没頭するものではなく、それはいつもどこか他のところ、とりわけある欠如を指し示す徴候として見なければならない。経済的行為はそれゆえ言語として理解され、政治的想像力は操作の文法となり、戦闘性はつねに固定的役割のマトリクスのうちで記号的秩序によって予め決定されているということになる。バディウと同様、ジジェクもマルクス主義者として公に紹介されているとしたら、かれが代表するのはいわば「マルクスを欠いたマルクス主義」--ただイデオロギーの幻影だけが残されたところでの政治経済学批判である。なかには、かれの形而上学的共産主義がなんら現実の斗争と無関係だという人もいる。しかしかれが映画批評のレンズを通して政治哲学を観察する方法をみたところ、もはや形而上学の問題ですらなく、ただのアバター共産主義かもしれない。ベルリンで2010年にかれらが組織した「コミュニズムの概念」会議で最も重きをおかれたのが映画の上映であったのも驚くには当たらない。
だが、もしイタリア現代思想が'60年代と'70年代の社会斗争をへて「通学」したとしたら、いわゆるラカン派左翼にとっての史的ギムナジウムはなんだったろうか?ジジェクの執拗なイデオロギー的機構としての資本主義という解釈が型づくられたのは、逆説的にもワシントン合意のもとではなく、社会主義リアリズムの時代においてであった。フランクフルト学派がナチのプロパガンダ機械をモデルとしてアメリカの文化産業に応用したように、ジジェクは鉄のカーテンのもとで育んだ道具箱をもって新自由主義の一次元的思想に抗うのである。つまるところそれは旧ユーゴスラヴィアの日常において生きられ経験されたコンフリクトの形態で、--あるイデオロギー的なものに他ならず、しかしもはや今日の資本主義・生政治を描写するにはそぐわないように思われる。
政治的なものをイデオロギー的問題として読むものの見方は、より世俗的な文化生産についても具体的な帰結をもたらす。ラカン派の考えからは離接するが、最近のアムステルダム会議「大衆迎合戦線 The Populist Front」は、アメリカ茶会党(ティーパーティ)からオランダのヘールト・ウィルダース党首に加えもちろんイタリアの例をも交えつつ現代ポピュリズムを分析するために開催された。だが危険にも、このイベントは自らの危機から逃走するために敵を発明するという実験のために進歩的運動と政党を提起するようである。ここにポピュリストの指導者が大衆の病的恐怖(mass-phobia)を構築するために使うのと同じ神話創作技術が、左派の側から主張されているのである。しかし、南北ヨーロッパおよび地中海を本物の新たな社会運動が席巻しているまさにその時に「仮想敵」を探そうというのは少々ヒステリックにすぎるのではなかろうか。フランコ・ベラルディ(ビフォ)は5月21日にサンマリノで懐疑=欧州社会的想像力学派 (SCEPSI=The European School of Social Imagination)を組織したが、それこそがこれら集合的想像力の政治的役割という未解決の問題に取り組み、遠方からではあれど、オランダ知識人のポピュリスト化の傾向にも回答を与えようとしている(www.scepsi.eu)。
コンリチェルカと認知資本主義の危機
ポストコロニアル研究からクイア理論、ネットワーク文化から法秩序にいたるまで、イタリア現代思想とその他の哲学的地理的領域とのゆたかな出会いは数多あるが、ここにすべてを書き連ねる暇はない。ブレット・ニールソンの論文から光る一句を引用するなら「イタリア効果なるものを脱中心化(地方化provincialize)する」時がきたのだ。理論的革新は現在進行形でありフランスやイタリア、スペイン、ブラジルなどで「ノマド大学 UniNomade」ネットワークと併走して自律的に展開している。「共なるもの comune」についての新たな議論についても近くトリノ(www.uninomade.org)で、またパリでも(www.dupublicaucommun.com)セミナーが組織されている。事実いわゆるポスト・アウトノミアとは剝製化をまつ歴史上の動物などではなく、ある「生きた思想/生きる思考 living thought」の運動であり、今日そのバリケードを大学へと移しているところだ。知性解放戦線 Knowledge Liberation Front はヨーロッパで3月25日と26日の両日学生を大量動員した。ジジ・ロッジェーロの本(テンプル大学出版から近刊予定)の題名をハイジャックするなら、ここにこそ生きた知性の生産 The Production of Living Knowledgeがある。イタリア現代思想を神聖化しかねないアカデミズムの新世代の前には、トロンティの格言が立ちはだかるだろう。すなわち「知と斗争とは分ちがたく結ばれている。真に知るということは真に憎むことに他ならない」のだ(『労働と資本 Operai e capitale』1966)。
イタリア現代思想はその革新性と還元不可能な核心を、まさに知の定義そのもののうちに示している。理論をつくることが今日意味するのは、共-調査 con-ricercaの問題に、あるいは非-哲学的なもの(すなわち政治的なもの)の哲学に取り組むことである。それが意味するのは、フンボルトの学問類型や英語圏のナントカスタディーズを問いに付し、政治的調査における主体と客体の分け隔てを破棄し、「ノウハウ的知識 procedural knowledge」や査読という方法論を批判し、借金による学生生活の金融化を示し、結果的に教育のIKEA化に他ならないボローニャ・プロセスを問題化することである。共-調査 con-ricercaが今日意味するのは、金融恐慌時代の大学内部において理論と実践の連結を再考することに他ならない。それゆえ、これはたんにグローバル教育-工場 edu-factoryの危機の最中に認知資本主義を批判する思想学派が現われたというような問題ではない。
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- autore: Matteo Pasquinelli, Berlin (matteopasquinelli.org)
- traduttore: Kazuya SAKURADA, Osaka / 櫻田和也 (rootless.org/operaismo) 2012年12月16日
- original(en): http://uninomade.org/italian-theory-en/
- originale(it): http://matteopasquinelli.com/docs/Pasquinelli_Italian_Theory_Manifesto.pdf
http://it.wikipedia.org/wiki/File:Arezzo_anghiari_Battle_standard_leonardo_da_vinci_paint.jpg