厚生労働省は第35回生活保護基準部会(12月8日)において、生活扶助基準本体や母子加算を大幅に削減する方針を示しました。私たちユニオンぼちぼち(関西非正規等労働組合)は、厚労省の示した生活扶助基準本体などの大幅削減の撤回を求めるとともに、社会保障・労働行政施策の拡充を求めます。
私たちは、これまで多くの団体交渉や労働争議を経験してきました。私たちの組合員には、正規/非正規労働を問わずして、長時間労働やパワハラ・セクハラ、賃金未払いなどの経験から、その後も「働くことができない」状況にある組合員が多くいます。「団体交渉の場にいくのも怖い」、「職場に行くと責められ続けるように思ってしまう」と追いつめられ、社会全体の労働環境の悪化を、目の前の組合員個人が映し出す傾向が続いています。
想像してほしいのは、働くなかで心身をボロボロにされ、経済的に困窮しているなかで、「具体的に使えるものはなにか」ということです。例えば、労働争議で解決を経たあとも不安定な環境は続くかもしれない。あるいは、雇用保険などの社会保険制度にアクセスできない/使い果たしてしまったかもしれない。親族や友人に頼れる人はいないかもしれない。貯金はもう尽きてしまうのかもしれない…。そのなかで、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障してきたのは、他ならぬ生活保護制度です。
俗にいわれるような、生活保護利用者が「働いていない」というのは誤った認識です。実際には、心身の調子が悪いながらも、仕事をしようと、続けようと苦しんでいる人がいます。しかし、賃金が低いために、生活に必要な最低限の収入を得られず、差額分を生活保護から得ているのです。あるいは、生活保護バッシングによって、「生活保護なんか受けたくない」という心境に苦しみながら生活保護を利用せざるをえない/利用に戸惑う人もいます。厚労省の生活保護制度に対する姿勢は、生活保護バッシングに加担するもので、昨今叫ばれている貧困問題へのアプローチに逆行しています。
現に生活保護が必要であるにもかかわらず、生活保護の利用をひかえている人たちが多くいます。厚労省の推計では、所得が生活保護の基準に満たない世帯は705万に上るともいわれています。例えば、昨今は「子どもの貧困」が社会問題として各界や現場から叫ばれ、2014年には「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が施行されました。しかし、ユニセフ事務局長は「日本のおよそ16%の子どもが深刻な貧困状態にある。SDGsの下で、とりわけ豊かな社会において子どもが飢えや格差に苦しむことがあってはならない」と懸念を表明しています。貧困問題に対して、私たちの労組を含めた、地域の様々な団体やNPOが現場で闘っています。しかし、貧困の連鎖・拡大という蛇口の元栓を閉めるどころか、さらに開けているのは政府の対応のせいではないでしょうか。
政府はいま、自らが音頭を取って「一億総活躍社会」を謳っています。「一億総活躍社会」は、「一人ひとりが、個性と多様性を尊重され、家庭で、地域で、職場で、それぞれの希望がかない、それぞれの能力を発揮でき、それぞれが生きがいを感じることができる社会」を標榜しています。この音頭の是非はおいて、「一億総活躍」には「健康で文化的な最低限度の生活」が送れていることが前提ではないかと考えます。しかし、生活保護費は不合理な引き下げが続いており、生活保護利用者はこれまでつちかってきた人間関係を維持することもままなりません。長時間労働などで苦しんだ結果として、働けなくなった人たちが、生活保護が削られることで、友人や地域との関係も奪われ、部屋の中で、孤独に追い込まれています。
アベノミクスによって経済は「好景気」にあるといわれ、所得格差は毎年のように拡大し、企業の内部留保は過去最高を記録しています。政府の所得再分配機能は「高所得者層から低所得者層に再分配する」ものではなく、「低所得者層から搾り取って、高所得者層に再分配する」ようなものでしょう。今回の生活扶助本体などの引き下げは、「低所得者層の収入を考慮したもの」とされていますが、政府自らが生活保護利用者と低所得者を分断して、「不幸比べ」を率先しているようです。生活保護基準は最低賃金・税制・医療・地域福祉と連動していますから、生活保護基準を引き下げることは、低所得者層全体を下へ下へと追い込むものでしかありません。また、主観的にみれば、リスク社会化した現代であるからこそ、誰もが所得に関係なく生活保護の利用が射程となっています。度重なる「生活保護基準の引き下げ」は「生存権の引き下げ」に他なりません。
生活保護利用者と低所得者が混在する私たちからいわせれば、誰もが人間として生きられるように、「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるように、社会保障・労働行政施策を拡充するべきなのです。