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橋下徹大阪市長への抗議文

ユニオンぼちぼちは、下記の抗議文を発表します。


橋下徹大阪市長への抗議文
 私たちは、橋下徹大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」および、「米軍には沖縄の性風俗を利用して欲しい」という、従軍慰安婦、および、性風俗産業従事者への、差別発言に抗議し、橋下徹大阪市長は、自らの性差別的な発言の責任をとることを求めます。
 なお、国際的にはいわゆる従軍慰安婦は「日本軍性奴隷」という名称で呼ばれているが、橋下徹大阪市長の言葉を脱臼させるために、この抗議文では、従軍慰安婦、慰安婦と彼の言及をそのまま使う。
「従軍慰安婦は必要だった」という発言について
 橋下徹大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」という発言の根拠は、「日本軍と世界各国の違いとして今言われているのは、暴行・脅迫・拉致を用いて、強制的にそのような仕事に就かせたかどうかだ。」(橋下徹、Twitter、2013/5/14からの引用)というように、強制性はなかったという論旨と、「兵士の性をどのようにコントロールするべきか。それはいつの時代にあっても軍のオペレーションとしての最重要課題。」(同上からの引用)というように、兵士の性的要求のはけ口として女性がいなければ、兵士の性的要求はコントロールできない、という論旨の上に成り立っている。
 従軍慰安婦の強制性および、性風俗産業従事者の強制性を判断するためには、個々におかれた状況とその権力関係を検証することによってそれを判断するという作業が必要となる。(詳しくは、青山薫『「セックスワーカー」とは誰か』(2007年、大月書店)の「社会調査の方法論」を参照)
 そのために、まず、従軍慰安婦を三つのカテゴリーに分ける。一つは内地から従軍慰安婦になった人。二つ目は、植民地(朝鮮および台湾)から従軍慰安婦になった人。三つ目は、占領地で従軍慰安婦になった人と分けることが可能である。
 内地から従軍慰安婦になった人は、戦前の公娼制度によって「自主的」に従軍慰安婦になった可能性がある。もう一つは『漢口慰安所』(1983年、図書出版社)で長沢健一が指摘しているように、泣き叫んで抵抗した女性がいるように、騙されて慰安婦になった可能性がある。仮に内地から従軍慰安婦になった人が「自主的」な判断であったとして、戦前の家父長制における女性の職業選択の極端な狭さ、愛国婦人会などの「銃後の母」として女性を動員する言説が背景にあった事、そして、そのコインの裏表のような形で、その性規範から外れた女性たちが「非正規ルート」として周辺的な職業選択しかできなかった思想的背景を念頭におけば、その「自主性」は極端に狭い選択肢から消極的に「選ばされていた」結果であると言わざるを得ない。
 植民地での慰安婦は、借金のカタとして身売りされたケース、当時の国際法および日本の公娼制度を無視した児童の動員が確認されている。前者の場合は、植民地の家父長制における人身取引(human trafficking)であり、そこにおける「主体性」は存在し得ない。後者は、仮に少女が「自主的」に慰安婦になったとしても、男性/女子、成人/未成年、買う側/売る側という三重の権力関係から判断すると、決して「自主的」な労働であったということはできない。
 占領地の慰安婦に関しては、暴行、脅迫、レイプが確認されており、決して「自主的」に慰安婦になったということはできない。
 さらに以下の点も忘れてはならない。民間業者が関わっていても、日本軍が容認した中でのものであり、当時の軍と政府が創設から管理まで深く関わっていた。慰安婦の強制連行については、国際女性戦犯法廷(2000年)、アメリカ下院公聴会(2007年)、河野官房長官談話を発する際の日本政府の調査など、多くの当事者の証言があり、中国「慰安婦」損害賠償裁判でも多くの「強制連行」の事実が日本の裁判所によって認定されており、また研究者は多くの資料で事実上の強制があったことを証明している。狭義の「国による強制連行の文書証拠」がないからといって、「甘言でだまされて気がついた時には逃げられない、休暇を取ることも、辞めることも許されない」ことを問題ないと容認する感覚は国際的には全く通じない。橋下市長などは「当時の歴史を調べたら、日本国軍だけでなく、いろんな軍で慰安婦を活用していた」と主張するが、日本軍のように戦地や占領地の全域に、それも15年以上もの長期間、慰安所を設置・管理・運営し、占領地や植民地の女性たちを監禁して強かんし続けた国はほかにない。
 したがって、橋下市長の強制性がないという前提は、全ての事例において破綻しているということができる。また、現代の人権思想の上にたてば、従軍慰安婦の「対価」はあったとしても「軍票」としての支払いで、戦後経済的価値を持たなかったのは、詐欺であり、女性への性的搾取であると言わざるを得ない。また、児童労働は現代の倫理的観点からは許されない。当然のことであるが、誘拐、人身取引、レイプ、暴行は犯罪であり、女性の性的自由を蹂躙するものである。また、家父長制における極端な職業選択の自由のなさもそれ自体が不当であり、性差別のない社会を志向する人権思想のもとでは認められる状況ではない。
 兵士の性欲は慰安婦がいなかった場合コントロールできないかという問いは、現実的には検証不可能な問いであるが、2013年5月24日、大阪市役所前での男性の「俺たちは確かに性欲を持っている。でも、俺たちは同時に理性も持っている。橋下、俺たちをバカにするな」という発言でも明らかなように、男性のセクシャリティーを極端に矮小化する発言であり、性の多様性を尊重する現代の人権思想のもとでは認められるものではない。また、「わたしは性風俗業に就いているので、性欲についてはいつでも受け止める準備があるというか、たいしたものじゃないけどこのスキルでもって力になりたいなと思ってる。できることならば誰かの役に立てたらよいなあと思ってる。でも、暴力を受け止める気は一切ない。そこを区別してほしい。」(椎名こゆり、Twitter、2013/5/14からの引用)や、「『あなた方は性暴力を抑止するためにいるのです』が是とされるということは、その区別が保証されないということだ。それはわたしは受け入れられない、受け入れる訳にはいかないのです。」(同上からの引用)という、性風俗産業の現役の当事者の切実な声からも明らかなように、橋下徹の言説は、結果的に性風俗産業従事者への性暴力を肯定するものとして、決して許されるものではない。
「米軍には沖縄の性風俗を利用して欲しい」という発言について
 「沖縄の米軍基地を訪問したときにもう少ししっかりとやって欲しいと司令官に言ったんだ。法律上認められている風俗業を活用してはどうかと言ったら拒否された。」(橋下徹、Twitter、2013/5/14からの引用)や、「もし昔の時代のように、貧困から意に反して風俗業で働いている女性が多いと言うのであればそもそも風俗業自体を禁止にしなければならない。しかし今の法律ではそうは考えていない。昔の身売りの時代とは異なる。女性も自ら考えて職に就いている。嫌なら他の仕事に就けばいい。それが日本の風俗業の現実」(同上からの引用)でも明らかなように、現代の性風俗産業従事者への無理解が垣間見える。
 現代の沖縄の性風俗産業従事者の賃金は、日本の中でも圧倒的に低く、(勤勉で客がコンスタントにとれる売れっ子の沖縄のセックスワーカーの場合で、過大評価している可能性もあるが)45分9800円や、40分8800円の店舗が存在し、性風俗産業ではセックスワーカーと店舗が折半するのが慣例であることから考えると、40分8800円、休憩を20分とり、6時間働いた場合、日給26400円、それを週5回で4週間働いた場合、528000円となり、年収では600万強になる。
 一見高給のようにみえるが、セックスワークは比較的重労働であり、望まない性病や妊娠のリスク、警察に逮捕されるかもしれないリスク、さらには年齢的に10年間くらいしか働くことは可能ではなく、性風俗産業で働いていたことは転職に関して評価されるどころかマイナスの評価になるスティグマの問題、社会保険や失業保険や労災などの社会保障が全くないことを考慮にいれると、良好な労働環境と言うことは到底できない。
 もちろん、戦前に比べて女性の職業選択の範囲は広がったことは事実であり、『売る売らないはワタシが決める』(2000年、ポット出版)で、松沢、宮台、要が述べているように、プライドを持って働いているセックスワーカーがいることは事実である。しかし、外国人の性風俗産業従事者がパスポートを取られて働かされていた事件のように、依然として人身取引が存在しているという事実もある。
 現代の性風俗産業従事者の主体性は、強制/自由の二項対立では判断できないが、性風俗産業従事者が暴力および望まない性病や妊娠からの自由や、売りたい時に売りたい人に売りたいだけ売れる自由と辞めたい時に辞めれる自由が両立する条件は、少なくとも沖縄の性風俗産業において、保証されているとは言い難い状況である。
 以上のことから、橋下市長の嫌なら辞めればいいという発想や言説は、プライドを持って働いているセックスワーカー、人身取引の被害者、そのグラデーションの中にいる売りたくないことを売らざるを得ないセックスワーカー、それぞれの環境改善運動や性風俗産業従事者の要求を無視するものであり、それを米軍に利用して欲しいという言説は無責任であるという他にない。
 私たちは従軍慰安婦、セックスワーカーを含めた、全ての人の性的多様性、性的自由、性的尊厳をまもる闘いを宣言するとともに、それが実現する社会を空想し、それにむけた実践を(わずかではあるかもしれないれど)行うことを、ここに宣言し、橋下徹大阪市長に対して抗議を明らかにします。
2013年6月23日
関西非正規等労働組合 ユニオンぼちぼち

5月の学習会「京都東山人権ハイキング」の参加感想文

 5月25日(土)、京都東山人権ハイキング。アテルイ・モレ顕彰碑(清水寺)→耳塚→柳原銀行記念資料館→事務所(定例カフェ)という行程。観光客にスルーされがちなアテルイ・モレ顕彰碑ですが、修学旅行生(中学生か)の何組かが記念写真を撮っていました。うれしいなぁ。でも、なんでだろ? 炎天下、清水寺の拝観料をパスするため、裏山を登るハードさ。百段の階段で足がつっちまった私は、アテルイ・モレ顕彰碑でリタイア。本職(組合員)の介護(?)を受けつつ下山。というわけで、あとのことは誰かが報告してくれるのでしょうか……。全行程参加の方が報告するという選択はなかったのか?! これが「ぼちぼち」というものですね、多分。すみませんね。[S]