派遣村声明の資料1

派遣村実行委員会声明についていた資料を抜粋しました。
窓口で「どのようにして生活保護の申請が阻まれているか」がよく分かります。
【資料1】
Aさんの事例

沖縄県出身。母親と二人の母子家庭。16歳の時に母親と上京、千代田区に住む。母親は現在、都内で住込みの仕事をしている。新聞配達をしながら高校に通っていたが、両立が困難となり、17歳の時に高校中退。以後、18年間ずっと新聞配達の仕事をしてきた。
読売新聞の販売店を千代田区(16年間)と千葉で5~6店舗移ってきた。ずっと寮住まいで、今まで一度もアパートで一人暮らしをした事がない。異動の理由は常に人間関係。配達・集金・営業の仕事をしてきたが、不着が一度もなく、働き始めた当初から仕事が出来すぎた事がやっかみを生み、居づらくなって店舗を移った。最後にいた千葉の販売店では、月給20万前後。この時も人間関係が悪化し、2008年10月下旬に仕事を辞めた。その時点で10万円弱の貯蓄あり。カプセルホテル・サウナ・ネットカフェに泊まりながら求職活動をしていた(ハローワーク、携帯、雑誌)。しかし所持金が尽き、11月12日に千代田区で相談、千代田寮に入る(この時点まで、自立支援事業の事も知らなかったし、相談時に生活保護の説明を受けることもなかった)。
12月25日、中央寮に移り求職活動を再開した。本年1月にはフォークリフトの免許を取得。始めの一ヶ月は通いの仕事を探したが見つからず、寮職員の就労指導が厳しかったため、後半の一ヶ月は住み込みの仕事だけを探した。結果、本人は行きたくないながらも、センター滞在期間中に唯一見つかった住み込みの仕事に入るしかなく、2月24日、中央寮を自主退寮した。
仕事は、本社を台東区洗足に置く(株)Bの建築作業。現場・会社寮は神奈川県横浜市。同会社は、飯田橋ハローワーク担当者からも「Bだけはやめた方がいい。賃金未払いの苦情が何件か来ている」と忠告されたところ。仕事は8:00~17:00、日払いで8000円。面接の事務所に日本刀が置いてあったりと、職場の「やくざ的な雰囲気」に不安になったこと、元々希望しない職種だったことが重なり、2月27日に無断退寮した。24日からの給料四日分は支払われており、中央寮退寮時に所持していた金額と合わせて、その時点で四万円手元にあった。
その後いったん東京に戻り、サウナ等に泊まりながら、千代田区のハローワークにて仕事を探した。しかし見つからなかったため、横浜へ行ってみようと考え、3月6日に移動。ネットカフェに泊まって求職したが所持金が尽き、3月9日、横浜市役所に相談した。
9日の朝、大船駅から横浜市役所の生活福祉課に電話。「仕事・住まい・所持金すべて無いので、保護して下さい」と相談したところ、「大船からだったら、戸塚区に電話して」と言われた。戸塚区に電話して同じ相談をすると「大船は鎌倉市になるので、鎌倉に行って」との返答。そこで鎌倉市役所に電話し、生活福祉課の相談員(?)の田中・山田両氏から「藤沢のハローワークに行きなさい。住居がないと言えば、ハローワークで用意してくれる」との説明を受けた。
所持金をほとんど使い切って(残金40円)、電車で藤沢市のハローワークへ向かう。「住宅がなくて困っている」と相談したところ、「派遣切りでないと入居できない」との返答。鎌倉市役所まで二時間かけて歩き、15時に到着。「緊急保護施設に入りたい」と生活福祉課で相談したところ、上記の山田さんから「施設が空いていないので、横浜とか大きいところだったら空いてるかもしれないので、横浜市に行って下さい」「大船の行政センターに行けば切符をもらえるので、センターに行って横浜まで行って下さい」と言われる。
鎌倉市役所から大船まで歩き、行政センターにて切符をもらって横浜駅に到着。既に役所が閉まった時間だったため、9日夜は横浜駅近くの公園や雑居ビルの非常階段で休みつつ、寒さをしのぐ為にほとんど夜中歩いていた。「とりあえず留置所に入れば寒さもしのげるし、食事も付いてくる」と、犯罪を犯すことも考えたが、思いとどまる。
3月10日、もやいに電話した。折り返し連絡するはずだったが、もやいから返答が無いまま、13時に中区役所の生活保護課にて相談、「保護して下さい」と求めた。受付カウンターで対応に出たのは、川尻相談員。
川尻:「以前居住していたところの役所に行って下さい」
A:「鎌倉市役所の人にここ(横浜)に行って下さいと言われた」
川尻:「では鎌倉市に責任があるので、鎌倉市役所に行って下さい」
このやり取りの最中に、再度もやいへ電話した。Aさん本人は「申請とか手続きとかどうでもいいんです。とにかく体を横にしたいんです」と切羽詰まった様子だったが、「保護を受けたい。でも受けさせてくれない」と繰り返していた。電話を代わってもらい、もやいスタッフから川尻氏へ、鎌倉市で保護を求めたが対応してもらえなかった事、Aさんが生活保護を求めている事を伝えたところ、「こちらでは鎌倉市のような対応はしませんから」との返事。川尻氏に申請書をAさんに渡すよう伝え、Aさんにも申請書を提出すること、そして今夜の宿泊場所・生活費を用意してもらうよう話した。
しかしその後も受付でのやり取りが続き、川尻氏は「今日お金を出すことは出来ない。鎌倉に行って下さい」の一点張り。中区役所をいったん離れ、横浜市役所本庁から厚生労働省の保護課に相談する(担当・小野さん)。川尻氏の名前と所属も出して、生活保護の申請を拒否された旨相談すると、「違法対応なので申請できます。指導の電話を入れておきます」とのこと。厚労省から中区役所へ直接指導することは出来ないそうで、小野さんから横浜市本庁に電話が入り、本庁から中区役所へ指導が行った。小野さんから携帯に「川尻さんに伝えましたので、宿泊費用と食事代を受け取って下さい」との連絡を受け、再び中区役所へ向かった。
中区役所では再度川尻相談員が対応。「申請をしたいんですけど」と求めたが、「帰って下さい。今日はお金を出せない。明後日なら施設があるかもしれません」「申請出来ません。Aさんの面倒を見るのは向こうに責任があるので、鎌倉に行って下さい」との返答だった。17時まで受付で粘ったが、最後には水とクッキーを渡されて「これで帰って下さい」と言われた。
10日夜も横浜駅近くの公園で休んだり、歩いたりして過ごした。もやいスタッフと再度電話がつながったのは20時過ぎ。自販機に残ったお釣りをかき集めて、翌日11日の水曜相談に辿り着いた。3月11日、大田区にて生活保護申請、受理される。大田区には今まで住んだ事はないが、今後フォークリフトの仕事を希望しており、その分野の仕事は大田・川崎・江東区に集中しているため、申請場所に選んだ。
Aさんは今回の神奈川(特に中区役所)での対応に対し、「一矢報いたい。謝罪してもらい。第二第三の被害者が出る前に、ちゃんと指導してもらいたい」と話している。
(09年3月13日、本人からの聞き取りによる)

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