労働者代表信任手続きに関する抗議と質問

立命館大学に対して抗議と質問を出しました。

以下が本文です。
回答があり次第、ご報告します。

————————————————————-

2018年4月20日

学校法人立命館理事長 森島 朋三 殿

関西圏大学非常勤講師組合
執行委員長 新屋敷 健
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
執行委員長 尾崎 日菜子
立命館分会長 藤田悟

労働者代表信任手続きに関する抗議と質問

1.経緯

貴法人は、2018年1月末日に、京都上労働基準監督署から労働基準法違反で指導と是正勧告を受けました。この申告は、貴法人の2015年就業規則改定が、労働者に不利益が大きいにも関わらず、労働者の意見を丁寧に聞き取りし、合意形成の手続きを適正にとらなかったことを背景にするものでした。

これに対して、貴法人は、2018年2月28日に「【依頼:至急】2017年度労働者代表への信任の確認について」と題する電子メールによって、「労働者代表への信任」の確認を行おうとしました。当組合は、選挙管理委員会との議論を経ない非民主的な手続きに対して、2018年3月1日付け書面にて抗議しました。貴法人は、この抗議に対して、一切話し合いの姿勢も見せることがありませんでした。

貴法人は、2018年3月29日付け「2017 年度立命館大学労働者代表への信任状況の確認結果について【連絡】 」で、「2017年度立命館大学労働者代表選挙選挙管理委員会及び関係組合」に宛てて、「2018年3月22日までに、立命館大学のすべての事業場において選挙管理委員会が選出した方への過半数の信任が確認できましたので連絡します」と通知してきました。

2.抗議

当組合の主張を改めて書きます。労働基準法には、事業場に全労働者の過半数を組織する労働組合がない場合、労働者の過半数を代表する者(労働者代表)が、使用者と時間外労働の際の協定を締結したり、就業規則改定時の聴取を受けたりする等と、定めがあります。現在、労働行政においても、過労死問題を契機に、長時間労働規制の文脈から、労働者代表の手続きが重視されています。この労働者代表の仕組みは、労使間の話し合いを正常に行い、双方の合意のもとに労働条件等にかかわる重要事項を協議し決定するところに意味がある、と考えています。

貴法人は、2018年1月末に京都上労働基準監督署から労基法違反の指導と是正勧告を受けています。早急に法違反の状態を解消したいと考えられたかもしれません。しかし、今回の労働者代表信任の手続きは本来の制度趣旨にも反しています。貴法人は、選挙管理委員会や労働組合の意見を聞くことなく、また労働組合からの抗議や質問をすべて無視して、一方的に信任投票を行いました。

この結果、実際の信任の場がどのようなものになってしまったのか。

たとえば、貴法人の2018年3月29日付書面では、「取り組み状況」に「(1) 教授会における挙手または投票による信任確認(各学部・研究科教授会構成員) 」とあります。この教授会に出席していた教員からは、「説明が不足していて理解できていない人もいた」「挙手しないで不信任に票を投じることができない雰囲気で強制力を感じた」といった声もありました。またたとえば、「(5) メール返信による信任確認(教授会欠席教員、有期雇用教員、異動・出向・休職中職員、 学生・院生) 」とあります。メール確認を受けた学生や院生からは、「不信なメールが2通も送られてきて、意味が分からないので対応に困っている」「記名投票を強制されていて怖かった」という声もありました。

繰り返しになりますが、当組合は、労働者代表は、労使間が対等な立場で労働条件等を合意形成していく仕組みと考えています。貴法人の焦りは理解できる部分もありますが、拙速な確認作業によって、労使間の不均衡な権力関係を前提にしたまま、使用者である貴法人から一方的な介入を行い、許諾の自由のない状況で信任をとったケースをも生み出したことについて、当組合はあらためて強く抗議します。また、当組合は、そのような不適切な手続きによる労働者代表の信任は無効であると考えます。

3.質問

上記を踏まえて、貴法人に対してあらためて質問いたします。

1.貴法人は労働者代表をどのような趣旨の制度と考えていますか。当組合からの意見を踏まえて回答してください。

2.貴法人は今回の信任投票の手続きに対して、当組合が提供した上記のような意見を確認した場合、どのような対応をされますか。具体的な対応を教えてください。

3.貴法人はなぜ今回の信任投票を行う際に、選挙管理委員会や労働組合の意見を聞いて共同しなかったのでしょうか。理由を教えてください。

貴法人からの回答がなかった場合、また貴法人からの回答があまりに不誠実な内容だった場合は、所轄の労働基準監督署長および労働局長、厚生労働大臣に申告や申立をしますので、ご注意ください。回答期日は、2018年5月11日とします。回答方法は、書面のメールと郵送の両方にてお願いします。

以上。

メーデー呼びかけ文

メーデー実行委員の組合員Tからメーデーの呼びかけ文を預かりました。

〈呼びかけ文〉
この惑星の一地域には、忖度というものがある。

忖度は、「他人の気持ちをおしはかる、また、おしはかって相手に配慮する」ということ、つまり、「相手が何を考えているのか、考える」といった意味で、本来は悪い意味ではないらしい。

だが、その地域の忖度には、「こんな状態でいいのか?」と首をひねらずにはいられない。

その地域では、学校に入学すると、目をつけられないために教師に忖度、上級生に忖度、力のある同級生に忖度、就職すると、自分の収入を守るため上司に忖度、ということが続く。

忖度する状態に慣れてしまうと、本音が言えなくなる、自分の頭で考えることが出来なくなる。

その弊害は随所に顕われているが、その最たる物が、森友学園・加計学園問題。
そもそも忖度という言葉が知られるきっかけになったのが森友学園問題。その学園をめぐる公文書改ざん問題では、元財務相理財局長は首相に忖度したのか、答弁を拒否し続け、まともなことは何一つ話さなかった。

さらに酷いことに、東京都迷惑防止条例の改悪が成立してしまった。あの都知事も、首相に忖度する条例の改悪をすることで、市民に無理矢理「忖度」させる気か?そうやって、声をあげる市民を潰していくのか?

忖度をする相手、方向を間違えてはいけない。
政治家が市民に忖度させてはいけない。
むしろ、政治家こそが、健康で文化的な最低限度の生活を維持することが難しい市民に対して忖度しなければいけないのではなかろうか。
市民が健康で文化的な最低限度の生活が出来る政策を政治家がすること、それこそが、本当の忖度ではなかろうか?

ただ、この惑星の一地域、京都の賀茂川河川敷は、のんびりするのに丁度良い。
余計な忖度をしなくて済むから。

「このろくでもなく素晴らしきメーデー」

麗らかな春が訪れて、今年もメーデーの季節になりました。例年どおり、今年もユニオンぼちぼちでもメーデーという名前の河原でのピクニックを敢行することにしました。という訳で、メーデーのお誘いです。

「このろくでもなく素晴らしきメーデー」

日時:2018年4月30日(月)11時~16時

場所:京都市上京区の鴨川沿い、賀茂大橋と出町橋の間の賀茂川西岸のあたりで適当に

※最寄り駅は京阪出町柳駅です

※雨天が予想される場合には、4月28日に当ブログでお知らせします。

会場にて、サラリーマンじゃない川柳大会を開催します。入選者にはステキなプレゼントが(運が良ければあるかも)!

その他、コーヒーや天然酵母パンの販売もあり〼

新緑が眩しい春の鴨川で、あなたの参加をお待ちしています。

幽霊組合員の初投稿

幽霊組合員のミチコです。

いつも、「幽霊組合員」という言葉を使い続けていたら、本当に近々幽霊になってしまうかも知れない大病を患いました。言霊とはおそろしいものですね。

去年はめまぐるしい一年でした。手術をして、それから約半年間毒をぶちこみました。もちろん合法に毒を体内にぶちこんだわけですが、なんせ毒なので、その副作用はすさまじく、病気そのものではなく、毒に殺される…!と思うほどでした。

平昌オリンピックはまったく興味がなかったのですが、タチの悪い病気になり、もし再発転移したら余命約一年弱などというネット情報を目にすると、これが最後の冬季オリンピックかも、なんて思ってしまって、とりあえずフィギュアスケート男子シングルだけ見ました。他の種目は興味がなかったので見てません。

東京オリンピックもクソだなぁなんて思っていたのに、今はとりあえず開会式は見たいかも、と思うようになりました。人間とは不思議な生き物です。

こんな悲劇のヒロインっぽいことを書いておきながら、ピンピン元気に100歳ぐらいまで生きる可能性もあるわけですが、それは誰にもわかりません。

まだ副作用が続いているので、毎日ダラダラゴロゴロしながら昔のドラマを見ています。このドラマの中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」が連呼されていて、これが非常に私にとっては不愉快というか、なんというか、ザワザワします。

もし人間の最大の試練が「死」だとして、それを乗り越えてしまったら、人間は不死身になってしまうやん?と思うのです。なので、人間にとっての最大の試練は死ではなくて、生きることなのかなぁなんて考え込んでいるうちにどんどんストーリーが進んでいって、わけがわからなくなって巻き戻したりして見ています。

そもそもこんな大病を患って、手術して毒をぶちこんでツルッパゲになり、ヘロヘロのフラフラになって、それなのにいつ再発転移するかわからず、神も仏もあるもんかえ!と思っているので、不愉快に思うわけですが。

主人公が天に向かって、「なんでこんなことするんですか!」と叫ぶシーンは、あ、私と一緒やなと親近感がわきました。

と、ここまで書いていたら疲れてきたので、今日はこの辺で失礼します。

寄せては返す波の音を聞きながら

「右手をご覧下さい。太平洋が広がっております」

車掌さんのアナウンスが聞こえて、特急くろしおの窓の方に目をやると、一面に広大な海と南国を思わせる強くて高い日差しが目に入ってきました。あたしたちは思わず声を上げて、この旅の幕開けを弁当を片手に祝いました。

という訳で、畏友と南紀白浜に旅行に行ってきました。
軍事基地があり、リッチな外国人観光客であふれ、自民党のポスターが長閑な風景になびく。リゾートには過剰な程の政治性が込められているというのは旅を満喫するための基礎的なリテラシーですが、今回も例外ではなく、ふらふらと海岸を散歩して街並みを見物するだけの無目的な旅行でしたがなんともしみじみとした政治性を堪能して帰ってきました。

オーストラリアから輸入された白い砂の白良浜を抜けて、しばらく歩くと、潰れて取り壊される旅館や昔の建築が表面的な改装を施されたホテルが立ち並ぶ道へ続きます。その道を進めば千畳敷で、修学旅行生や家族連れで賑わっていました。規律化された子供達と規律化される人間を再生産する核家族向けに、ソフトクリームやスナックが近くの休憩所で売られていました。古き良き日本の名残り。規律化された身体を手に入れることが生存に直結した時代のノスタルジーがそこにはあって、片手に歩きながら持っていた番茶味のソフトクリームが強い日差しを浴びてデロっととろける様が、とても美しく、印象的でした。

ソフトクリームが南国の日差しで溶解するように、南紀白浜の核家族向けに仕切られた空間も、グローバルな権力に溶かされるのだと思うと、全く体感のない土地に対する偽造されたノスタルジーに襲われたような気持ちになりますが、きっとその予感は当たるのだと思います。お父さんとお母さんと子供二人を迎えた青い太平洋は、これから誰を迎え、誰の規範性を再生産するのでしょうか。それが単に外国人という枠組みや、家族から切り離されたプレカリアートだというのならきっと幸運で、もしかすると、あの海は観光資源という市場的な意味しか持たなくなって、資本が満ちては引いていく人間抜きの運動の場所でしかなくなるのかもしれません。

お父さんの会社の保養書で息子が夏休みを過ごし、その息子がお父さんのように会社員になっていくリゾート。お父さんが身体化したら規律を、予告のような形で息子に受け渡す場所としてのリゾート。健常者から健常者へ。能力から能力へ。市場価値から市場価値へ。労働力から労働力へ。陰鬱であり、かつ、健全な身体の相続がもうここではなされないのかもしれないと思うと、解放されたような気分になりました。

とはいえ、何から解放されたような気になったのか、自分でもわかりませんが…

あたしたちの泊まった宿は、とてもゆったりとした時間の流れる場所でした。宿に到着して部屋に入り、梅サブレを食べながらお茶を淹れていると、畏友が机の上に置いてあった来客用のファイルをみていました。それを覗き込むと、どうやら、あたしたちが利用しているホテルは障害者雇用で殆どの仕事をまかなっているホテルのようでした。
朝食の時間に遅れそうになれば起こしに来てくれるフロントマンの方。刺青があると申告すれば個別対応してくれるお風呂。お風呂の個別対応の引き継ぎの連絡が少し曖昧なところ。それをもう一度話してお風呂に入る作業。チェッアクト後に居座ったロビーから見える素朴な鉢植えの花々と。ロビーを掃除する人のコントラスト。
そういえば、規律からちょっとだけ離れたことが多かったような気がします。健常者の身体が規律を通じて引き継がれるのとは少し違った具合で、精神障害者歴の浅いあたしもリゾートで何かを相続したような気持ちになりました。誰かから相続するのは、時には悪くはないのかもしれません。

満ちては返す白良浜の波の音と、ぎこちなくて噛み合わないちょっとだけ不満足なシステムは、資本が満ちては返すこのポスト産業主義の時代にも、人間を解放してくれるのかもしれません。

新年度の近況報告

スタッフAです。

 

4月からの新年度に入って一週間ほどが経過しました。ひょっとするとユニオンぼちぼちは最近モテ期かもしれません。新規加入者が短い期間に続いているのです。

 

となると気を引き締めて名簿の管理をしなければなりません。3月24日(土)に発送した機関紙が返送されてきた人の住所確認や在籍意思確認もあわせて行っているのでなおさらです。

 

機関紙や団交申入書の郵送などでよく近所の郵便局に行くので、顔を覚えられてしまっているような気がします。最初は「普通で」と郵送方法をしていたのに、最近は聞かれなくなりました。

 

 

ちょうどよいのか悪いのか、私個人の賃金労働はこの4月からの新年度はかなり減ってしまいました。不安定雇用が身にしみます。その怒りややるせなさをユニオンぼちぼちでの活動にぶつけたいと思います。

 

3月カフェフライパンでパンづくり報告

スタッフAです。

 

昨日はフライパンでパンづくりをしました。

これは講師の先生が事前に作って持ってきてくれたものです。

現場で作ったのはこちらのほうです。

 

天然酵母とイーストの違いは天然魚と養殖魚の違いのようなものであり、天然酵母はイーストと比べて身体によいというわけではなく、単においしいということを初めて知りました。

 

ベーコンエピの硬さが絶妙でした。

 

#立命館大学 への質問状「労働者に過剰な負担をかけるな!」

立命館大学による一方的な「労働者代表への信任」の確認に対する抗議
に続いて「質問状」を提出しました。

貴法人の行なった「労働者代表への信任」の確認に関する質問状

貴法人が2018年3月19日に「立命館大学にお勤めの皆様」宛に送られた「【再依頼:至急】2017年度労働者代表への信任の確認について(立命館大学)」と題するメールに関して、労働者の間で混乱が広がっているので、下記の点をお尋ねします。

・「【再依頼:至急】2017年度労働者代表への信任の確認について(立命館大学)」と題するメールを送られた意図は何ですか?

また、違法状態を放置できないという貴法人の問題意識は理解できますが、3月1日に関西圏大学非常勤講師組合、ゼネラルユニオン、関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼちで提出した「貴法人の行なった「労働者代表への信任」の確認に対する抗議」でも書きましたように、どのような結果が出たとしても、それは無効であると私たちは考えます。

さらに、貴法人が拙速で強引な方法によって「労働者代表への信任」の確認を行うことにより、現場の労働者に負担が生じているのではないかと危惧しております。実際、組合との窓口になっている職員の方から、夜間や日曜日にメールの返信が返ってくることがあります。その職員の方と貴法人との間でどのような契約が交わされているのか当方には知る由もありませんが、人間的な働き方というものを考えれば、許される範囲を超えているのではないかという疑問を持っております。森島理事長には、現場の労働者の負担を軽減する賢明な判断を求めます。

以上

学校法人立命館・大阪いばらきキャンパスを労基法違反で申告しました

関西圏大学非常勤講師組合が、学校法人立命館・大阪いばらきキャンパスを労基法違反で申告しました。

立命館大学は非常勤講師を5年で雇い止めする就業規則改定を行いましたが、その手続きには労基法違反があります。すでに京都上労基署から朱雀キャンパスと衣笠キャンパスについては是正勧告が出ましたが、立命館は団交で反省の意識の低い言葉を何度も述べていました。「衣笠と朱雀だけの問題。32条違反だから就業規則は関係ないでしょう」など。そこで、びわこくさつキャンパスに続き、大阪いばらきキャンパスも労基法違反で申告しました。

立命館は、2017年度雇止め対象者の雇用を補償し(実質上の雇い止め撤回は団交で約束されました)、非常勤講師5年雇い止め制度(授業担当講師制度)を撤回するべきです。労使の話し合いなしに一方的に作った仕組みを強引に運用するのは止めるべきです。

神は細部に宿る?

神は細部に宿るなんてマイスターの有難い格言は、しばしば胡散臭い自己啓発本にも引用されてあるようですが、どうやら、あたしたちの未来のヒントにおいて言えば、確実に導きは細部に点在しているようです。

さる2月24日、キャバ嬢でも、だれでも、労働法は通るんだよ!―キャバクラユニオン・労働争議の実践からわかること―と題したイベントを、ユニオンぼちぼちとキャバクラユニオンで行ったある一幕、その場でのキャバクラユニオン代表の田中さんが講演の瞬間にも、(もしかしたら)神が宿るほどの細部がありました。

キャバクラユニオンでは、未払い賃金や働いている中でのトラブルを抱えた相談者の人と一緒に、未払いの賃金を計算したり、団体交渉申入れ書を作ったりしているそうです。手慣れた組合員がそれらの作業を肩代わりせずに、あえて一緒に作業を進めることを大切にしているそうです。トラブルを抱えた当事者を主役にすることは徹底して、団体交渉でも当事者が直接自分の言葉で自分の要求を言えるように、予行演習までするこという徹底ぶりで、そのことについては、彼女ら/彼らの徹底ぶりに、あたしもびっくりしました。

争議を起こす当事者をなぜそこまで主役にするのかという理由が田中さんの口から出た時、それがあまりにも具体的であり、しかも、経験に裏付けされている確信のようなものをあたしは感じて、今まで漠然と感じていたことの細部がくっきりと描かれて、一枚のビジョンが色鮮やかになったような気分になりました。

社会参画の経路を既に奪われているセックスワーカーや水商売で働く人の社会参画の経路を回復しなければならない。社会参画の経路とは、法律を知ること、無条件に自分自身であることができること、誰かにアピール出来ること、そして何より、名乗り出たい時に名乗り出ることのできることである。現在、セックスワーカーや水商売で働く人は、それらが奪われている。まずは、労働争議を通じて当面の生活費を確保することも含めた、それらを回復するこを正義を規定する手前の段階として確立した上で、社会参画の経路が確保されてから正義を問い直すプロセスを始めることが可能ではないのか、、、

なんて、漠然とあたしの頭の中ではしていたのです。抽象的にはいくらでも言えるのですか、どうも具体性というか、どこにどの色が塗られているのか、どこの蝶番は何センチなのか、それが全くぼんやりしていたのです。ところが田中さんの話は明確でした。あたしの適当な概説をすれば、こんな感じです。

キャバクラで働く人は彼女たちなりの流動性と機動性を持っている。合わないと思えばすぐ辞める軽快さを持った人が多いし、様々な店を渡り歩く人もいる。キャバクラで労働問題が起こった時、その度ごとに当事者と一緒に解決していけば、その当事者が次に同じようなケースに遭遇してしまった時、自分で解決できるノウハウを既に持っていることになる。その結果、彼女たちが自分で自分の問題を解決できるようになる。自分の問題の解決の仕方を自分で理解できるようになれば、(たとえ、それが労働組合を通じての解決を模索しなかったとしても)彼女たちはそのノウハウを次の店で、次の友人たちと共有してくれるかもしれない。そうやって行くうちに、キャバクラで働く人が自己解決できるだけの資源が溜まっていけば、悪徳な店には騙されにくくなるし、悪徳な店も争議コストを抱えて立ち行かなくなるだろう。結果として業界全体が改善される道がうまれるはずだ。だから、一つ一つの未払い賃金の回収が沢山のキャバクラで働く人の状況を良くすることに繋がっている。

と、まあ、だいたいこんなことだったと思います。

漠然と思っているうちは、そのことを全然把握できていないってことを思い知りました。抽象的にどうとでも言ってしまえるうちは、実は全くそのことについて認識できていないのです。事実は具体的なことの積み重ねにある。
多くのマイスターが示すように、細部を知ることは経験を積み重ねることなのでしょう。地味な作業を繰り返し、同じ問題に何度も向き合えばこそ、人は細部を知り、そこに神すらも見出すのかもしれません。

キャバクラ業界改善という壮大な作品のために、これからもユニオンぼちぼちは地道な作業を繰り返していきたいと思うのです。