明日の春闘集会ですが、東北関東大震災を受けて、デモを中止し、街頭カンパの呼びかけをおこなうことになりました。集会そのものは予定通り行います。
守ろう生活、変えよう社会3・19京都春闘集会
日時 3月19日(土)15:00
場所 ウィングス京都
ゲスト 垣沼 陽輔「2011春闘情勢と方針」(全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部)
集会終了後、参加者で街頭カンパを呼びかけます。
(なお震災前に作成したため、集会後の予定がデモのままになっております)
なおカンパの行き先ですが、本日10:50現在正式には決まっていません。決定次第お知らせします。有力な送り先は全国労働組合連絡協議会(きょうとユニオンや洛南ユニオンが所属するナショナルセンター)をとおして東北全労協です。下記に東北全労協からのメッセージをつけます。
<大震災に対する東北全労協からのメッセージ>
2011年3月16日
東北全労協
事務局 亀谷保夫
仙台市若林区新寺1-5-26-101
(電話・ファックス 022-299-1577)
全国からの災害見舞いに心から感謝申し上げます。
14日昼から事務所に通電が可能となりました。
15日に東北全労協対策本部を設置いたしました。
最初に災害発生からの私個人の動きを報告します。
たぶんそれが一番分かりやすく、また生命の助かった被災者共通の行動だと理解していただければ、と思うからです。
3月11日、事務所で作業中に地震が発生しました。事務所内で立っていたものは全て倒れ、足の踏み場もない状況でした。
直ちに携帯電話を利用し、家族、組合員の安否確認を始めました。幸いにも一番最初に連絡が取れたのは2時間後、孫からの家族全員無事との一報でした。私の不安は一気に解消され、組合員、友人知人への連絡を冷静に行うことが可能となりました。
4時間後自宅に戻りました。ごちゃごちゃになった真っ暗な部屋で待っていたつれあいと毛布をもって車に入り、携帯をかけ続けていました。車の中にいたのは携帯の充電とラジオからの情報収集のためでした。
一睡もしないまま12日の夜明けとなり、直ちに車で夫婦ともども津波被害地域に向かいました。塩釜、仙台新港、蒲生方面です。組合員、友人、知人への電話連絡を車中で続けましたが、その90%は不通でした。
沿岸部から二キロ手前で道路が遮断されており、その先の風景は想像を絶するものでした。家屋は見渡す限り倒壊して、整地された造成地のようになっており、海岸線が奇妙に見通せるほど平らになっていました。助かった人々がずぶぬれのまま、瓦礫の山に立ちつくしていました。かろうじて出てくる言葉は、地獄だ、の一言でした。
その後一日中、走れる範囲で生存確認を行い、その間も携帯をかけ続けました。夜、事務所に戻り、連絡の入った組合員からの安堵と喜びの声に励まされ、車の中で暖房をつけ、ニースを聞きながら携帯を握り締めている私たち夫婦は、この被災地では幸せな部類であることを実感していました。
13日夜明けには、沖縄から安否確認の電話が入りました。中国からも激励の連絡がありました。これらの激励に涙し、遺体の数々に涙し、また生存確認の情報に喜びました。
連絡のとれない沿岸部に居住する組合員の安否確認のため、車を走らせました。途中、道路確保作業にあたっている自衛隊員が瓦礫を処理しながら、埋もれている多くの遺体を収容していました。その脇を通り、組合員の自宅に向かいました。その一キロ手前で見えるはずのない閖上港が見え、倒壊した住宅と多数の船、大型トラック、タンクローリー、ヤマトや佐川などの車両が列をなして倒れ、あるいは流されて横倒しになっていました。その光景を見て、生存をあきらめました。
昼過ぎに事務所に戻って安否確認の作業を続けました。二日間、食事をしていなかったことに気付きました。これまで行動をともにしてきたつれあいが、買出しに向かい、三時間後に戻ってきました。中華どんぶり一杯百円のご飯を販売していた食堂から、お金とってごめんねと言われながら買ってきたそうです。暖かいご飯を食べました。
一方、有名な複数の大型家電店は、乾電池とラジオを求める被災者に対して「災害のため休業」の紙を張り出していました。他のホームセンターは、破損した店内から乾電池など生活必要品を駐車場に並べ、通常よりも安価で販売していたにもかからず。
私個人は、携帯バッテリー確保のため72時間の車生活を過ごしました。そして14日昼、ようやく事務所に電気が通じ、様々な情報が集中するようになりました。
こうして15日、東北全労協の対策本部を設置しました。
地震発生の11日から15日まで、とった食事は3回でしたが、今は事務所に電気が通じましたし、正月のお供え餅が6個あるので、一週間は食事に困ることはありません。また、組合員から事務所へのおにぎりの差し入れがあり、被災地の中では裕福に過ごしているというのが率直な実感です。
仙台中心部から生活再建が徐々に始まっています。仙台の地元商店は在庫を安価で販売しています。在庫が無くなった時点で店を閉めていますが、ご飯の販売(50円~100円)を行うなど、助け合っています。
以上、ここまでは私個人の報告です。
東北全労協は次のように考えています。
1.当面、安否確認に全力をあげる。
2.組合員は当面、自力で生活を確保し、組合員への支援、被災者への支援のための準備として米、ガソリン、ストーブ、灯油等を入手可能ならば確保し、連絡態勢を保持すること。
3.東北の被災者には、津波避難者、地震避難者、原発避難者がいる。
4.全国への窓口は東北全労協とし、口座を作り、支援要請は然るべき時期に物資も含めて要請する。
以下は、全国へのお願いです。
1.救援物資は、医療、福祉関係が最優先です。次に避難所で生活する津波避難者へ、生活するためのあらゆる物資が潤沢に届けられることが必要です。そのために政府、企業、各県への要請を行っていただきたい。
2.イオン等大型店は、商品と販売労働者を一体で派遣してほしい。
3.食品製造業の労働者は、会社に対し増産を要求し、被災地に送る努力をお願いしたい。
4.各県全労協は、各県に対して、県が各々の災害用備蓄品の1日から2日分を放出するように要請していただきたい。官僚制度は許可制なので、要請がない限りは県民の財産を放出できないからです。
5.ガソリン、灯油などの不足については、大手元売と政府に対して、石油備蓄を取り崩し、被災地に優先的に輸送するように要請していただきたい。
6.津波で水没した平野を通る幹線道路で、タンクローリー、LPガスローリー車が多数被害にあい、多くの輸送労働者が死亡しています。輸送労働者の仲間にお願いしたい。この悲劇をともに乗り越えるためにも、物資輸送を会社に働きかけてほしい。
7.太平洋側の各県はガソリン、灯油不足です。各県からの消防隊、電気工事者などはガソリン不足と灯油不足の中、不眠不休で頑張ってくれています。それらの皆さんに頑張っていただくためにも、派遣した県に対して、派遣した労働者の支援体制強化を要請してください。
8.宮城県内の港はすべて破壊されました。東北の太平洋側は同様の事態です。仙台空港は約2メートルの土砂で埋まっています。JR東北新幹線、東北線は最短でも一ヶ月はかかるでしょう。常磐線は数ヶ月先、第三セクター等も同様です。ガスの復旧はプラント設備破壊により1~2ヵ月はかかると思います。電気はたとえば仙台市の場合は50%が回復しています。水道は少しずつですが回復しています。
関係各位から寄せられている御見舞いや物資支援・義援金等のお問い合わせにつきましては、そのような状況の中で、東北全労協が安否確認と被害状況を正確に把握でき次第、率直に要請させていただきたいと思います。
9.あえて最後に書きますが、福島原発について、東北緊急対策が要求される場合がありうると考えております。事態の推移の中で、福島の仲間と協議し、その際は全国の皆さんとご相談することになるかもしれません。
東北全労協対策本部は次のとおりです。
電話・ファックス 022-299-1577
電話・ファックス 022-296-4475
(どちらでも可能です。)
宮城県仙台市若林区新寺1-5-26-101
以上、よろしくお願いいたします。
東北全労協・対策本部事務長
亀谷保夫
結局カンパの送り先は京都新聞社会福祉事業団を通すことになりました。全労協の準備ができていなかったのと、呼びかけ対象の一般市民にとって、分かりにくい(全労協って何?)という点からです。
カンパは45,257円集まりました。ご協力ありがとうございました。