沖縄学習会

5月28日(土)のカフェと同時に開催された沖縄学習会の報告です。

 

講師の方がとてもわかりやすい発表をしてくださりました。以下にそのレジュメと写真を共有します。

 

0、沖縄の今
オール沖縄 VS 日本政府
・普天間基地撤去
・辺野古新基地建設阻止
うるま市女性強姦殺人事件
・日米地位協定改定
これらを巡る観点の違いは何か?
問題の原点
菅官房長官=普天間基地の危険除去(1995年)
翁長県知事=沖縄民衆の意志と関係なく土地を取り上げられ、基地にされたこと
(1945~1950年代)
この認識の違いの背景を明らかにするのが今回の学習会の目的

1、前史
Q1.沖縄が歴史的に通用する意味で日本に所属することになったのはいつくらいからでしょう?
16世紀以前  沖縄には独自の封建権力が存在した。
グスク時代→三山→琉球王国
日本との交渉は限定的(使節を送る、交易)
1609年    島津氏の琉球侵略

与論島以北:島津氏の直轄領として搾取される→のちの鹿児島県部分
沖縄島以南:琉球王国の体制を維持したまま、島津氏に服属。
→形式上は中華王朝の朝貢国
→幕末のペリー艦隊にも独立国として認識される
(琉米修好条約)
1872年   明治政府、一方的に琉球王国を琉球藩とする。外交、財政の自主権を否定。
→あいまいな間接支配から天皇のもとへの統合へ舵を切る
1875年以降 明治政府が外交権を否定したにもかかわらず継続されていた冊封の廃止、
清朝との断交を命ずる。→琉球藩は応じず。
1879年   軍隊を用いて琉球藩を廃止、沖縄県を設置。

2、沖縄戦
Q2.第2次大戦末期の沖縄戦で沖縄県民の何%が犠牲になったでしょう?
翁長知事が語るところの原点
大戦末期、すでに日本の敗北は確定的。ただ、天皇制の維持を連合国に認めさせるためだけに悪戯に戦争を継続。→天皇ヒロヒト「あと一戦して戦果を得る」
本土決戦準備の捨て石としての沖縄戦
「軍民共生共死」
戦闘の役に立たないものは排除
ハンセン病患者→強制収容
子ども→「本土」疎開→対馬丸の悲劇
残る県民の戦争動員
陣地構築、防衛招集、鉄血勤皇隊、看護補助
スパイ容疑、壕追い出し
32軍壊滅後も、戦闘継続を命ずる。→6月後半に犠牲が集中
当時50万人弱の県民のうち約15万が死亡

3、銃剣とブルドーザー
Q3.沖縄県の面積は日本全体の0.6%ですが、米軍専用施設の面積では何%になるでしょうか?
沖縄戦以前から日本軍により基地建設が進む→米軍による占領後拡大
普天間基地は宜野湾の中心地区だった→沖縄戦の最中に囲い込み、収容所から戻った住民は家のあった場所に戻れず。今もお墓などが基地の内側にある。
1950年、朝鮮戦争勃発、日本、沖縄の米軍基地の強化が進められる
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約。沖縄、奄美、小笠原以外の米軍占領が終了
安倍:主権回復の日
沖縄:屈辱の日
日本「本土」では米軍基地反対闘争が激化
cf:内灘闘争、砂川闘争
→これらの基地が沖縄(米軍支配下)に集中
結果として現在も米軍基地が最も集中した県に
米軍専用施設70%超、訓練海域、空域、基地外も米軍の都合で行軍訓練の対象に
→陸も、海も、空も米軍のもの

4、第一次島ぐるみ闘争から復帰運動へ
「抑圧は抵抗を呼び、抵抗は友を呼ぶ」瀬長亀次郎
米軍基地の拡大で農民は土地を奪われるが保障はない→生きていけない
伊江島の農民→乞食行進→全県に拡大。第一次島ぐるみ闘争の開始。
プライス勧告拒否→沖縄の米軍基地に軍用地主がいる理由
日本国憲法の平和主義への復帰を求めて→復帰運動
cf:「日の丸少年」知花昌一
核抜き・本土並み→実際には核密約、基地減らず、自衛隊進駐
裏切られた復帰運動
保革の分解、一時的停滞→反戦地主会の誕生

5、95年少女暴行事件
女子中学生のレイプ被害→告発
県民世論沸騰=米軍被害と泣き寝入りの歴史
県民世論を背景に大田県知事代理署名拒否→史上初の米軍による沖縄の不法占拠が発生
日米は県民世論鎮静化に苦慮→SACO最終報告=普天間基地返還

ところが新基地建設と抱き合わせ
辺野古案が浮上するも、名護市民は住民投票でこれを拒否→直後に市長の裏切り

辺野古の闘い

6、オール沖縄への道
米軍基地いらない派 VS 仕方ないから条件闘争派
※米軍基地を積極的に肯定する人はほとんどいない
15年期限軍民共用空港案
→①沖縄世論の分裂による反対派の苦闘=「海に座る」
並行して進む日本「本土」の反動化
→②教科書問題による10万人県民大会(翁長氏の転機)
辺野古現地名護市の問題
→③北部振興策の破綻=箱モノは借金が増えるだけ
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ
→④観光客激減
基地返還地の再開発の成功
→⑤もはや米軍基地は沖縄経済の重し
①~⑤の流れが合わさって保守派の大きい部分が米軍基地いらない派に転ずる
→稲嶺名護市長誕生をきっかけにオール沖縄勢力が登場。翁長県知事を誕生させる。
→国政選挙沖縄の全選挙区で勝利。

7、まとめ
沖縄への基地集中、民意の無視、歴史の軽視

沖縄差別
日本「本土」に住む私たちの責任が問われている。

 

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