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ユニオンぼちぼちの全体像

ユニオンぼちぼちの活動の全体像です。
■いろいろ相談にのります
・一人一人の労働問題に応じる電話相談(不当解雇、賃金の未払い、雇用保険など)
・労基署への申告、労災や生活保護の申請への同行、病院の紹介
■職場や地域の問題にかかわります
・職場の労働条件を向上させる分会活動(春闘・賃上げ、労働者代表選挙、社長との懇談会)
・地域の労働と生活の問題に応じる分会活動(大阪分会と夜回り)
■交流を大事にします
・組合員なら誰でも参加できる会議(毎月第二土曜日)
・組合員と組合に関心のある人たちが集まる定例カフェ(毎月第四土曜日)
・仕事によってメンタルがしんどくなった組合員によるメンタルシェアの会(不定期)
・MLやブログ、機関紙を通じた情報発信と共有

働ききれない者たちの失楽園

6月29日に行われた就職ガイダンス番外編 第一回「そこそこ働いて生きてきた~労働に関する法律のツボ~」の報告です。
「働ききれない者たちの失楽園――京都精華大学「ぼちぼち働いて生きてきた」労働法講座の記録」
昨年から京都精華大学・社会学研究会が主催して、大学の就活支援に対抗し、独自の就職・労働講座を設けています。どの大学も正規雇用での就職活動を学生に薦めます。でも日本経済を回しているのはいまや非正規雇用。学生の多くも派遣社員、契約社員、嘱託社員、パートタイマーといった働き方をしていきます。でも大学はそんな働き方については教えてくれません。そこで学生たちは立ち上がりました。昨年は、労働問題に直面したときの対処法と、生活保護の取得法を車座で話しました。今年も継続して、就職活動をしなかった詩人、高学歴貧困者の労働組合員を招き、「ぼちぼち働いて生きてきた」二人の話を聞くことで、非正規雇用で生きていく生活のモデルやヒントを探ろうという趣旨です。
まず社会学研究会の学生の変化に驚きました。彼らは一年間でずいぶんと年を取り疲弊していのです。みんな四回生になって、就職活動に直面したり、しきれなかったりしていた。いろんな活動をしてきた彼らにとってさえ、就活は苦しい。そんな彼らの顔に刻まれた年輪を見ながら、昨年同様に作られた無料カレーを、雨の中でさっそく食べました。美味でした。図書館前で行われる予定が雨のために場所を変更して、スクールバスの停留所前(なんと学生課事務室前)へ。畳が敷かれ、カレーの匂いがただよい、ワインとビールが振舞われるなか、のべ20人くらいの人を前に(バス待ちの学生・教職員をふくめたらとんでもない数)講座は行われました。
詩人・良心的就職拒否者の竹村正人は、正規雇用の就職にはモデルがあるけれどマイノリティ(就職拒否者)にはモデルがないと語る。就職活動期間中は同世代の友人たちから強い圧力を受けた。しかし年上の非正規雇用者たちから多くを学んだ。いまの職業は詩人と障害者ヘルパー。詩集を作り、詩を朗読し、詩によって人と繋がる。詩こそが社会的協働のモデルなのだと、その場で安里健の詩を朗読。安里の『私の履歴書』は履歴書の項目にすべて「うんこ」と答える詩。雨の中スクールバスにのった人達が連呼される「うんこ」の音に耳をすませていた。日ごろ圧迫感を与えられる履歴書がとても軽く豊かなものになる経験を、詩の朗読によって共有した。
高学歴貧困者・労働組合員の高橋慎一は、かつて某テレビ局「高学歴ワーキングプア」特集の取材を受けた。しかし楽しく生活しているので一般の共感を呼び難いと言われる。マスメディアには決して映らない、貧困だけどほどほどに楽しく生きて貧困問題を批判している人たち。高橋もその一人。違法日雇バイトで疲れはて大学院へ。組合活動をへて理不尽な上司の下で怒鳴られる抑圧経験から解放。立命館大学の雇用問題から、近畿地域の企業との争議へ。「労働組合は労使の格差を調整する機能をもつ。会社から不利益を受けることなく会社と交渉できる。職場で何かおかしいと感じたら法律的にも何かある場合が多い。職場での違和感や直感を手放さないでください」と呼びかけた。
スクールバスの待合ベンチや畳に座る参加者からは口々に意見が出てきました。
「私はこの大学の非常勤講師です。今日ちょうど授業で、社会が個人化される傾向について話しました。今日のお話は集団で集まることの力を肯定するものだったと思いますが、集団への忌避感を超えてどんな集まり方がありうるのか。」「おれは学生です。働きたくない。横ですごく働いている奴がいるとこっちも働かないといけなくなる。横でぜんぜん働いてない奴がいるとこんな奴と同じ給料かと思う。労働を拒否できたらこんな気持ちもなくなるのだろうか」。「あたしは非常勤の職員です。同じ職場にいて何か似たような違和感をもっているのに、皆ばらばらになっている。なぜなのかと思うのですが…。」「学生です。うちの父さんがいま大変で…」等など。
ワインとビールとカレーを飲み食べしながら、熱い意見交換が行われました。
昨年、僕は京都精華大学での講演の記録を「京都精華大学は楽園だった」と書きました。しかし今年の京都精華大学は「失楽園」に見えました。大人たちが言うように大学は大学外の圧力を遮断する面もあります。でもよく見たらそんなことはありません。大学の中では雇用問題が吹き荒れ、学生も教職員も永遠に続く就職活動の圧力に曝されています。労働や就職の現場において、個人の能力や責任を語る貧困な言葉に対抗するためには、この日のように、人が集まることの素晴らしさや難しさについてもっと考えなくてはいけないと思います。この場の暖かさに触れて、やはり楽園をいたるところに作り出す力を、精華大学の人たちは育んできたのだなと思いました。本当にお疲れ様でした。
(T)

ユニオンぼちぼちの最近の活動

ユニオンぼちぼちの近況です。
5月から大阪分会が中心になり、難波、日本橋、釜ヶ崎にかけて路上で寝泊りしている労働者に相談できるところがあることをお知らせする夜回りを始めました。まだ2回しか行っておりませんが、生活保護の申請・受給につながった方もいます。
また毎月第4土曜日に行っている定例カフェには、組合員のほか、ユニオンの活動に関心のある方々も参加し、交流をしています。
毎回みんなでご飯を作って食べているのですが、次回7月25日のメニューは「貧困に負けない自然食講座」になる予定です(担当者談)
そして中京区青少年活動センターさんと取り組んできたサロンが、「いろいろ話せるカフェ(はなカフェ)」に名前を変え、毎月第3木曜日19:00~20:30オープンになります。
もちろん労働相談、団体交渉も行っています。
[京都] 毎週土曜日 13:00~18:00 075-681-6904
[大阪] 毎週木曜日 12:00~17:00 06-6647-8278

(釜ヶ崎医療連絡会議の電話を借りています。「ユニオンぼちぼちに相談です」「労働相談です」と言っていただければ、ぼちぼちの担当者に代わります)

「組合との出会い」

新しい組合員の方が、組合に入って今思っていることというテーマで、エッセイを書いてくださいましたので、掲載します。
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「組合との出会い」
ある日突然、係長がバイト全員の面接をするという。
大不況の時節、うちの会社もいよいよ人員整理か?しかし整理といいつつ新人募集をし、ここ数日も何人か面接しているはず。
会社の方針に疑問を持ちつつ面接を迎えた。
時間にして5分。明らかな退職するような方向への圧力。
ここ数ヶ月、バイトに対するあつれきから、法律本を買い読んでいた。
「違法なんだし、毅然と。」
だがいざ面接となると自身の身を守ることもできない。でもやっぱり諦めたくなかった。
私たちメインメンバーはオープン時からすすんでシフトにも入り、自分たちなりに貢献していると自負していた。プライドを持って仕事をしている。会社を支えているのは私たちバイト。
社員対バイト。いつの頃からか、「熱さ」に温度差を感じ始めた。
不安の中、何回か電話相談もした。ハローワーク、行政相談、法律事務所・・・。
一様に「法律はあくまで文章のみ。身を助けるものではありません。」
目の前が真っ暗・・・。みんなになんて言えばいい?みんな諦めて辞めていくだろうか?
私自身、考えに考え、・・・自分からは辞めないでおこう。それが意地。最後の抵抗だった。
そんな中、唯一バイト側の味方でいてくれた社員の担当外し。降格。嫌がらせ。パワハラ。
そして、わらをもつかむ思いでたどり着いたのが、「ユニオンぼちぼち」でした。
諦めていたなかで、希望が見えた日でした。次の日、さっそく「ぼちぼち」の事務所に行き、面談し、組合員になり、その場で団交申し入れの郵送。あまりの展開の速さに帰宅後、自分がやり始めたことの大きさにまた悩み・・・。でももう後ろには退けない。自分がした後始末は見届けないと。
今、団交2回目が終わり、社長みずから先頭に立ち会社の建て直しをしています。少しずつですが、改善されています。
この間、あらたに組合に加入した同僚が4人増えました。みんなそれぞれよりよい職場をつくるため、協力・努力しています。
最後ですが、組合と出会い、見知らぬ誰かのために闘う人がいることを知り、感激、感謝しています。
無知で無力な私でしたが、絶対に諦めない心を教わりました。ありがとうございました。
                              (by イントゥ・ザ・ワイルド)
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ユニオンぼちぼちの相談窓口

ユニオンぼちぼちは、毎週電話相談日を設けています。
これまでは京都のみでしたが、これからは大阪でも電話を受けていきます。
メールでの相談も可能です。
メールアドレス botiboti(at)rootless.org
秘密厳守 相談無料
[京都]
毎週土曜日 13:00~18:00
電話・ファックス番号 075-681-6904
[大阪]
毎週木曜日 12時から17時まで
電話番号: 06-6647-8278
(釜ヶ崎医療連絡会議の電話を借りています。
「ユニオンぼちぼちに相談です」「労働相談です」と一言
言っていただければ、ぼちぼちの担当者に代わります)
直接相談に来られる方も歓迎します。
場所は「NPO釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)」の中です。
大阪市営地下鉄「動物園前」駅
9番出口出て南へスグ(約20M)。
市立更生相談所前。赤いひさしが目印です。
ぼちぼち地図   大阪分会地図

ユニオンぼちぼち大阪分会が正式に立ち上がりました

ユニオンぼちぼちは大阪分会を立ち上げ、
大阪でも相談を受けることにしました。

毎週木曜日 12時から17時まで
電話番号:06-6647-8278

(釜ヶ崎医療連絡会議の電話を借りています。
「ユニオンぼちぼちに相談です」「労働相談です」と一言言っていただければ、
ぼちぼちの担当者に代わります)
直接相談に来られる方も歓迎します。
場所は「NPO釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)」の中です。
大阪市営地下鉄「動物園前」駅
9番出口出て南へスグ(約20M)。
市立更生相談所前。赤いひさしが目印です。
秘密厳守 相談無料

労災認定基準の見直しについて

労災認定基準の見直しについて、組合員の方から実体験にもとづいたコメントをいただきました。
許可を得て掲載します。
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うつ病の労災認定は非常に喜ばしいことです。
実体験を書きますと、うつ病になると、いままで簡単に出来ていたことができなくなってしまい非常にはがゆい思いをしてしまいます。
それは普段能力が高い人ほどその格差に大きなショックを受けると思います。
具体的に書きますと、当時ぼくは筋力トレーニングが好きで、腕立て伏せは連続80回ほど、ベンチプレス90キロを上げる筋肉量を持っていました。
それがうつ病になると、腕立て伏せを始めて五回ほどすると、とんでもない頭痛が襲いかかってきて続けることができなくなりました。気持ちを切り替えてベンチプレスをやってみても始めの一、二回は上げれても、やはり三回、四回と持続するストレスがかかると例の頭痛が襲ってきました。
これが俗に言う、うつ病の人は集中力が続かない状態だったんだなと、いまにして思います。
しかし当時の自分は体育会系の考えで、「自分は甘えてるだけなんだ、苦痛に打ち勝つ根性がないんだ。」と自分を責めつづけて病状を悪化させていく結果になってしまいました。
そういう状態で働いているとミスも増えるし、怒られると非常に落ち込みました。
自分がうつ病というのは言えないし、言わなくても職場や回りの人はうすうす感づいているみたいだけど、職場や回りの人たちは一般的に理解がありませんでした。それどころか弱っている僕はイジメの対象にさえなりました。
そして、「自分はダメ人間なんだ、生きててもしょうがない。」という思考になりネットで楽に死ねる方法を探しました。
中学生の時、どうせ死ぬなら悪い政治家を殺してから死んでやる!とか。どうせ死ぬなら銀行強盗してから死ぬ。とか。映画とかでもあるように、死ぬ前にしたいこと等考え語っていましたが、直前になるとそんな元気や欲がなくなり、ただひっそりと眠りたかったです。
練炭は死ぬ瞬間苦しむので雪山での凍死がベストだ!という結論にいたりました。
だが死なずに済みました。うつ病になり自暴自棄になりいっぱい恥をかきましたがなんとか回復にむかって生きています。
このように苦しんでいる人は現在、文字どおり五万といるようです。なんとかしなければいけません。

働くってなんやろか

ごんべえさん(組合員・仮名)がニュースレターに書いてくれた「働くってなんやろか」という文章です。
働くってなんやろか
                                    ごんべえ
 え~4月に大学を卒業しまして、わたしもはれて学生じゃなくなったわけです。大学4年の時は、それこそ就職活動を拒否するというただそれだけの闘いを全力で生きていましたが、いざ就職しないで4月を迎えてみると多少の不安はあるものの、なんだこんなものかという感じです。不安というのは「何してる人ですか」と聞かれた時に答えにくいという不安です。
 さて、しかしながらわが友人たちはいろいろな道をすすんでいます。生命保険会社に就職した友人からはロボットみたいな顔になった写真が送られてきました。今は営業成績を伸ばさねばならぬ時期らしく、毎週新幹線で京都まで営業に来るものだから、とうとう僕も生命保険に加入してしまいました。不払いが問題となっていた時期ですが僕が死んだら親に1000万円入るそうです。親じゃなくて友人にお金が入るようにしたいと頼みましたが、だめだと言われました。口を開けば保険の話しかしなくなった彼ですが、入社5日目に自殺者がひとり出たことについても、「さあー、いろいろ悩んでたんじゃねーの?」と、元気そうでした。
 京都で働く友人たちもいます。パン屋で働く友人は最初しんどそうでしたが、朝早くから働いて夕方は時間ができるし、お客さんをもてなすのは楽しいと語っていました。タクシー会社に就職した友人は、さいきん夜勤の担当らしく少し疲れた感じでしたが、まあなんとかなっているようです。ただシフト制で職場の人と遊びに行けないことや、休日にやることがないと不安だと言っていました。
 介護派遣事業所で働く二人の友人は、ストレスがあまりたまらなくて良いと言っていました。金持ちの片棒担ぎみたいな仕事でなければ、精神的にも楽なのかなあと思います。
 さてわたくしはと言いますと、ホームヘルパーと病院の宿直の仕事をかけもちして生活費を稼いでいます。月に10万円も稼ぎませんが、今は家賃が光熱費込みで1万円なので、貯金してます。最近やっとわかってきたことですが、わたしがあんなに必死で闘っていたのは、働くことが嫌だったんじゃなくて、生きることの目的や意味がすべて就職とその後の身分に収斂されていくような「あの」空気が心底いやだったんだということです。開き直ってしまえば逃げることは容易だったかもしれませんが、敢えてどっぷりとその空気の中に浸かりながら考えたために、胃薬を買わねばなりませんでした。
 最後にハンストカフェを手伝いながら思ったことを書きます。ハンストカフェの運営はとても楽しかったです。働くことの楽しみや輝きは、企業や大学のいう「自己実現」と、はっきり区別することはできないのかもしれない、でもあの時わたしが見た輝きは、ただただ、からだが解放されていくような心地よい風のようなものだったと今にして思います。
(2007年8月2日記)