月別アーカイブ: 2009年4月

「組合との出会い」

新しい組合員の方が、組合に入って今思っていることというテーマで、エッセイを書いてくださいましたので、掲載します。
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「組合との出会い」
ある日突然、係長がバイト全員の面接をするという。
大不況の時節、うちの会社もいよいよ人員整理か?しかし整理といいつつ新人募集をし、ここ数日も何人か面接しているはず。
会社の方針に疑問を持ちつつ面接を迎えた。
時間にして5分。明らかな退職するような方向への圧力。
ここ数ヶ月、バイトに対するあつれきから、法律本を買い読んでいた。
「違法なんだし、毅然と。」
だがいざ面接となると自身の身を守ることもできない。でもやっぱり諦めたくなかった。
私たちメインメンバーはオープン時からすすんでシフトにも入り、自分たちなりに貢献していると自負していた。プライドを持って仕事をしている。会社を支えているのは私たちバイト。
社員対バイト。いつの頃からか、「熱さ」に温度差を感じ始めた。
不安の中、何回か電話相談もした。ハローワーク、行政相談、法律事務所・・・。
一様に「法律はあくまで文章のみ。身を助けるものではありません。」
目の前が真っ暗・・・。みんなになんて言えばいい?みんな諦めて辞めていくだろうか?
私自身、考えに考え、・・・自分からは辞めないでおこう。それが意地。最後の抵抗だった。
そんな中、唯一バイト側の味方でいてくれた社員の担当外し。降格。嫌がらせ。パワハラ。
そして、わらをもつかむ思いでたどり着いたのが、「ユニオンぼちぼち」でした。
諦めていたなかで、希望が見えた日でした。次の日、さっそく「ぼちぼち」の事務所に行き、面談し、組合員になり、その場で団交申し入れの郵送。あまりの展開の速さに帰宅後、自分がやり始めたことの大きさにまた悩み・・・。でももう後ろには退けない。自分がした後始末は見届けないと。
今、団交2回目が終わり、社長みずから先頭に立ち会社の建て直しをしています。少しずつですが、改善されています。
この間、あらたに組合に加入した同僚が4人増えました。みんなそれぞれよりよい職場をつくるため、協力・努力しています。
最後ですが、組合と出会い、見知らぬ誰かのために闘う人がいることを知り、感激、感謝しています。
無知で無力な私でしたが、絶対に諦めない心を教わりました。ありがとうございました。
                              (by イントゥ・ザ・ワイルド)
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厚労省の偽装請負判断基準の改悪

偽装請負を促進させる通達は撤回させないといけません。
厚生労働省の「ご意見」ページ
■厚労省の偽装請負判断基準 「かえって助長」撤回要請
 http://www.asahi.com/national/update/0410/TKY200904100287.html
(2009年4月10日,朝日新聞)
「請負を使う企業は、請負会社の労働者に直接、指揮命令することはできない。通達では、新製品の製造を始める時の補足的な技術指導など、例外となる場合を示しているが、同ユニオンは「言い逃れの指南書に使われかねない」と指摘した。
 通達ではまた、請負を使う企業と請負会社の労働者が、同じ作業スペースで混在して働くことや、同じ作業服を着るなど偽装請負の典型例とされる行為も、「それだけでは偽装請負とは判断されない」と説明している。同省の担当者は「外形的事実だけではなく、実態も踏まえて判断するという趣旨だ」と説明したが、鴨会長は「これでは違反企業を取り締まれなくなる」と批判した。」
【問題の通達】

「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(37号告示)に関する疑義応答集

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/dl/haken-shoukai03.pdf
「1. 発注者と請負労働者との日常的な会話
Q請負労働者に対して、発注者は指揮命令を行うと偽装請負になると聞きましたが、発注者が請負事業主の労働者(以下「請負労働者」といいます。)と日常的な会話をしても、偽装請負となりますか。
A発注者が請負労働者と、業務に関係のない日常的な会話をしても、発注者が請負労働者に対して、指揮命令を行ったことにはならないので、偽装請負にはあたりません。」
などなど

労働審判ほか個別労使紛争の解決機関

労働契約の個別化が進み、働く人1人1人と会社との間でのトラブルが増えています。
それに対して、主に1人でも誰でも入れる労働組合・ユニオンが対応してきました(ユニオンぼちぼちもその1つです)。
現在、そうした個別労使紛争を解決するための行政や司法のシステムも整備されつつあります。例えば労働審判制度などですが、他にも色々あるので整理したいと思います。
■司法
□裁判所

・個別的労使紛争に関して最終的解決を強制的に導いてくれる唯一の制度
・地方裁判所における民事訴訟
・簡易裁判所における140万円以下の民事訴訟、60万円以下の金銭の支払に関する少額訴訟、民事調停、支払督促も利用されている
□労働審判制度
労働審判法にもとづき2006年4月1日より運用を開始
日本で初めての裁判所に設けられた労使紛争解決のための特別の手続き
基本的な特徴
①労働審判委員会
 事件を整理し、調停、審判を行う。
 裁判官が務める労働審判官1名と、労働関係に関する専門的な知識経験を有する者として労働者側と使用者側から各1名ずつ選出される労働審判員2名によって合計3名で構成される。
迅速な手続
 特別な事情のないかぎり3回以内の期日で終結するものとされる(労働審判法15条)
 3~4ヵ月での解決を想定
 第1回期日(申立の日から40日以内の日に指定される)
  「利益調整型調停」「判定的調停」
 第2回期日(第1回期日から「2、3週間から1ヵ月程度」の後に開かれる)
  調停成立=「裁判上の和解」と同一の効力を有する
  調停案が拒絶された場合は審理を終結し、調停案とほぼ同一の内容の「労働審判」を下す
 第3回期日(調停作業の続行や調停受託のための考慮期間が必要であると判断したとき、第2回期日から「1、2週間程度」の後に開催)
 調停案が受託されないときは審理を終結し「労働審判」を下す
③柔軟な手続
 委員会は、審理が終結するまでは必要に応じていつでも調停による解決を試みることができる
④訴訟手続への連携
 2週間以内に適法な異議申立を起こった場合、労働審判は効力を失い訴訟手続に移行する
■行政
□労政主管事務所

・労政主管事務所は地方自治法附則4条2項にもとづく都道府県知事の任意設置機関
 東京での名称は「労働相談情報センター」、神奈川は「(商工)労働センター」、大阪は「総合労働事務所」、福岡は「労働福祉事務所」である。
・労働相談のみならず「斡旋」も行っている
□地方労働委員会
・労働委員会は労働組合法にもとづき設置されている
・従来は集団的労使紛争のみを処理してきたが、2001年4月より個別的労使紛争の斡旋(・相談)を開始

□都道府県労働局(厚生労働省)

・1998年10月1日から「紛争解決援助制度」を行ってきたが、個別労働紛争解決促進法(2001年10月1日施行)にもとづき、総合労働相談、労働局長による助言・指導(・勧告)及び紛争調整委員会による斡旋(・調停)を開始
■民間
弁護士会紛争解決センター
・民間の裁判外紛争解決機関(ADR:Alternative Dispute Resolution)

大学生の内定取り消し問題

「内定」は「雇用契約の予約」であり、労働契約が成立したものとして内定取り消しには「解雇」と同じ取り扱いが必要とされてきました。
今回報道されている労働審判の内容は、内々定の取り消しにも違法性があると裁判所が認めた画期的なものです。
■内々定取り消しは「違法」=解決金支払い命じる-福岡地裁
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009041300248
(4月13日,時事通信)
「福岡市内の不動産会社に内々定を取り消されたとして、今春卒業した元男子大学生が同社に慰謝料など105万円の損害賠償を求めた労働審判の第3回審判が 13日、福岡地裁であった。調停が成立せず、藤田正人審判官は内々定の取り消しは違法として解決金75万円の支払いを同社に命じた。」
■内々定取り消し違法 福岡地裁労働審判 企業に解決金命令
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/89137
(2009/04/13付 西日本新聞夕刊)
「今回の労働審判に、九州大大学院法学研究院の野田進教授(労働法)は「内々定取り消しの時期が、内定式の直前だった点が判断のポイントになったのではないか。今回は男性側が地位確認まで求めておらず、損害賠償請求だけだったが、内々定取り消し事案一般に警鐘を鳴らす意味があるだろう」と話した。」
■内定取り消し企業に大学が“ブラックリスト”
 http://sankei.jp.msn.com/life/education/090413/edc0904131245001-n1.htm
「広島経済大(広島市安佐南区)など広島県内の計12の大学・短大は今年1月、内定取り消しの状況について相互に情報交換。計18人の学生が取り消されたことが確認され、企業名の公開を始めた。なかには卒業間近の4年生の内定を取り消しておきながら、数カ月後には3年生を対象とした採用募集を行っている企業もあり、大学側は「わずかな期間で経営環境が好転したとは考えにくい」と不信感をあらわにする。」

【本日!】4月12日★映画&トークライブ「フツーの仕事がしたい」

「フツーの仕事がしたい」の上映会と監督を交えたトークライブを行います。
よろしくお願いします。

・・・・以下転送転載大歓迎・・・・
映画&トークライブ「フツーの仕事がしたい」
土屋トカチ監督来場!!

●日時2009年4月12日(日)
映画&トークライブ(土屋トカチ監督+働く現場からの声)
開始時刻   上映    トークライブ
     �12時   13時20分
     �15時   16時20分
●会場:ひと・まち交流館京都 第4・第5会議室(3階)
    河原町五条下る東側 市バス「河原町正面」下車すぐ
    京阪「清水五条」駅下車 徒歩8分      
    地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩10分      
  TEL:075ー354ー8711
 案内:http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html
●料金
一般 1000円 DFL会員 700円 学生・フリーター・失業者 500円
●主催:「フツーの仕事がしたい」をみる会・京都
  参加団体:きょうとユニオン ユニオンぼちぼち 
       ピースムービーメント実行委員会
       ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー
●問合せ:松本:TEL090-2359-9278
     Eメール:botiboti@rootless.org
◆土屋トカチさんのプロフィール
1971年生まれ。京都府舞鶴市出身。龍谷大学法学部卒。新聞奨学生をしながら大学を卒業。
書店員、工場勤務等を経て、00年映像制作会社へ就職。02年会社都合により解雇。
現在フリーランス映像ディレクター。映像グループ ローポジション所属。
主な作品「たのしき われらが楽生院」(06年)「フツーの仕事がしたい」(08年)。
●映画「フツーの仕事がしたい」
作品詳細 http://nomalabor.exblog.jp/i2/
撮影・編集・監督・ナレーション:土屋トカチ
出演:皆倉信和
取材協力:全日本建設運輸連帯労働組合、皆倉タエ、皆倉光弘
ナレーション:申嘉美
音楽:マーガレットズロース「ここでうたえ」 (アルバム「DODODO」より オッフォンレコード)
制作:白浜台映像事務所/映像グループローポジション
配給・宣伝:フツーの仕事がしたいの普及がしたい会
宣伝協力:ポレポレ東中野
2008年/日本/DV/70分/カラー
「はっきり言ってどん底でした。 労働組合と出会うまでは。」
(神奈川県・セメント輸送運転手/36歳)

現代社会で不可欠なインフラ、コンクリート。
そのコンクリート原料のひとつ、セメント。
この映画の主人公・皆倉さんはセメント輸送の運転手だ。
月552時間にも及ぶ労働時間ゆえ、家に帰れない日々が続き
心体ともボロボロな状態。すがる思いで、ユニオン(労働組合)に加入した皆倉さん。
彼を待っていたのは、会社ぐるみのユニオン脱退工作だった。
自称・会社関係者は、「30万円やるから組合を辞めろ」と連日脅迫。
急死した母親の葬儀へも押しかけてきた。
皆倉さんは、過労のため難病を患い緊急入院。その時、ユニオンは・・・。
生き残るための闘いが否が応でも、はじまった!
●映画へのコメント
震えるほどの怒りと、それ以上の感動をもらった。
映画の中、何度も一緒に怒り、泣き、笑った。
フツーに働き、フツーに生きることが困難となってしまった21世紀。
それを取り戻すための尊厳をかけた闘いの記録に、
ものすごく大きな勇気をもらった。
雨宮処凛(作家)
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ユニオンぼちぼちの相談窓口

ユニオンぼちぼちは、毎週電話相談日を設けています。
これまでは京都のみでしたが、これからは大阪でも電話を受けていきます。
メールでの相談も可能です。
メールアドレス botiboti(at)rootless.org
秘密厳守 相談無料
[京都]
毎週土曜日 13:00~18:00
電話・ファックス番号 075-681-6904
[大阪]
毎週木曜日 12時から17時まで
電話番号: 06-6647-8278
(釜ヶ崎医療連絡会議の電話を借りています。
「ユニオンぼちぼちに相談です」「労働相談です」と一言
言っていただければ、ぼちぼちの担当者に代わります)
直接相談に来られる方も歓迎します。
場所は「NPO釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)」の中です。
大阪市営地下鉄「動物園前」駅
9番出口出て南へスグ(約20M)。
市立更生相談所前。赤いひさしが目印です。
ぼちぼち地図   大阪分会地図

派遣村声明の資料1

派遣村実行委員会声明についていた資料を抜粋しました。
窓口で「どのようにして生活保護の申請が阻まれているか」がよく分かります。
【資料1】
Aさんの事例

沖縄県出身。母親と二人の母子家庭。16歳の時に母親と上京、千代田区に住む。母親は現在、都内で住込みの仕事をしている。新聞配達をしながら高校に通っていたが、両立が困難となり、17歳の時に高校中退。以後、18年間ずっと新聞配達の仕事をしてきた。
読売新聞の販売店を千代田区(16年間)と千葉で5~6店舗移ってきた。ずっと寮住まいで、今まで一度もアパートで一人暮らしをした事がない。異動の理由は常に人間関係。配達・集金・営業の仕事をしてきたが、不着が一度もなく、働き始めた当初から仕事が出来すぎた事がやっかみを生み、居づらくなって店舗を移った。最後にいた千葉の販売店では、月給20万前後。この時も人間関係が悪化し、2008年10月下旬に仕事を辞めた。その時点で10万円弱の貯蓄あり。カプセルホテル・サウナ・ネットカフェに泊まりながら求職活動をしていた(ハローワーク、携帯、雑誌)。しかし所持金が尽き、11月12日に千代田区で相談、千代田寮に入る(この時点まで、自立支援事業の事も知らなかったし、相談時に生活保護の説明を受けることもなかった)。
12月25日、中央寮に移り求職活動を再開した。本年1月にはフォークリフトの免許を取得。始めの一ヶ月は通いの仕事を探したが見つからず、寮職員の就労指導が厳しかったため、後半の一ヶ月は住み込みの仕事だけを探した。結果、本人は行きたくないながらも、センター滞在期間中に唯一見つかった住み込みの仕事に入るしかなく、2月24日、中央寮を自主退寮した。
仕事は、本社を台東区洗足に置く(株)Bの建築作業。現場・会社寮は神奈川県横浜市。同会社は、飯田橋ハローワーク担当者からも「Bだけはやめた方がいい。賃金未払いの苦情が何件か来ている」と忠告されたところ。仕事は8:00~17:00、日払いで8000円。面接の事務所に日本刀が置いてあったりと、職場の「やくざ的な雰囲気」に不安になったこと、元々希望しない職種だったことが重なり、2月27日に無断退寮した。24日からの給料四日分は支払われており、中央寮退寮時に所持していた金額と合わせて、その時点で四万円手元にあった。
その後いったん東京に戻り、サウナ等に泊まりながら、千代田区のハローワークにて仕事を探した。しかし見つからなかったため、横浜へ行ってみようと考え、3月6日に移動。ネットカフェに泊まって求職したが所持金が尽き、3月9日、横浜市役所に相談した。
9日の朝、大船駅から横浜市役所の生活福祉課に電話。「仕事・住まい・所持金すべて無いので、保護して下さい」と相談したところ、「大船からだったら、戸塚区に電話して」と言われた。戸塚区に電話して同じ相談をすると「大船は鎌倉市になるので、鎌倉に行って」との返答。そこで鎌倉市役所に電話し、生活福祉課の相談員(?)の田中・山田両氏から「藤沢のハローワークに行きなさい。住居がないと言えば、ハローワークで用意してくれる」との説明を受けた。
所持金をほとんど使い切って(残金40円)、電車で藤沢市のハローワークへ向かう。「住宅がなくて困っている」と相談したところ、「派遣切りでないと入居できない」との返答。鎌倉市役所まで二時間かけて歩き、15時に到着。「緊急保護施設に入りたい」と生活福祉課で相談したところ、上記の山田さんから「施設が空いていないので、横浜とか大きいところだったら空いてるかもしれないので、横浜市に行って下さい」「大船の行政センターに行けば切符をもらえるので、センターに行って横浜まで行って下さい」と言われる。
鎌倉市役所から大船まで歩き、行政センターにて切符をもらって横浜駅に到着。既に役所が閉まった時間だったため、9日夜は横浜駅近くの公園や雑居ビルの非常階段で休みつつ、寒さをしのぐ為にほとんど夜中歩いていた。「とりあえず留置所に入れば寒さもしのげるし、食事も付いてくる」と、犯罪を犯すことも考えたが、思いとどまる。
3月10日、もやいに電話した。折り返し連絡するはずだったが、もやいから返答が無いまま、13時に中区役所の生活保護課にて相談、「保護して下さい」と求めた。受付カウンターで対応に出たのは、川尻相談員。
川尻:「以前居住していたところの役所に行って下さい」
A:「鎌倉市役所の人にここ(横浜)に行って下さいと言われた」
川尻:「では鎌倉市に責任があるので、鎌倉市役所に行って下さい」
このやり取りの最中に、再度もやいへ電話した。Aさん本人は「申請とか手続きとかどうでもいいんです。とにかく体を横にしたいんです」と切羽詰まった様子だったが、「保護を受けたい。でも受けさせてくれない」と繰り返していた。電話を代わってもらい、もやいスタッフから川尻氏へ、鎌倉市で保護を求めたが対応してもらえなかった事、Aさんが生活保護を求めている事を伝えたところ、「こちらでは鎌倉市のような対応はしませんから」との返事。川尻氏に申請書をAさんに渡すよう伝え、Aさんにも申請書を提出すること、そして今夜の宿泊場所・生活費を用意してもらうよう話した。
しかしその後も受付でのやり取りが続き、川尻氏は「今日お金を出すことは出来ない。鎌倉に行って下さい」の一点張り。中区役所をいったん離れ、横浜市役所本庁から厚生労働省の保護課に相談する(担当・小野さん)。川尻氏の名前と所属も出して、生活保護の申請を拒否された旨相談すると、「違法対応なので申請できます。指導の電話を入れておきます」とのこと。厚労省から中区役所へ直接指導することは出来ないそうで、小野さんから横浜市本庁に電話が入り、本庁から中区役所へ指導が行った。小野さんから携帯に「川尻さんに伝えましたので、宿泊費用と食事代を受け取って下さい」との連絡を受け、再び中区役所へ向かった。
中区役所では再度川尻相談員が対応。「申請をしたいんですけど」と求めたが、「帰って下さい。今日はお金を出せない。明後日なら施設があるかもしれません」「申請出来ません。Aさんの面倒を見るのは向こうに責任があるので、鎌倉に行って下さい」との返答だった。17時まで受付で粘ったが、最後には水とクッキーを渡されて「これで帰って下さい」と言われた。
10日夜も横浜駅近くの公園で休んだり、歩いたりして過ごした。もやいスタッフと再度電話がつながったのは20時過ぎ。自販機に残ったお釣りをかき集めて、翌日11日の水曜相談に辿り着いた。3月11日、大田区にて生活保護申請、受理される。大田区には今まで住んだ事はないが、今後フォークリフトの仕事を希望しており、その分野の仕事は大田・川崎・江東区に集中しているため、申請場所に選んだ。
Aさんは今回の神奈川(特に中区役所)での対応に対し、「一矢報いたい。謝罪してもらい。第二第三の被害者が出る前に、ちゃんと指導してもらいたい」と話している。
(09年3月13日、本人からの聞き取りによる)